第41話 幼少期編41 王族辺境訪問14
鬱蒼と茂る大森林。
深緑の中には多くの命がその身を寄せる。
命の競争の果て。その先にのみ、彼らには生が与えられる。
そこは勝者の世界。
どんな理屈も、自然の摂理の前では戯言に過ぎない。
数多もの屍と血肉の上に彼らはいる。
「さぁ。仕事に時間だ」
かけられた言葉の意味は知らぬ。
ただ彼らができることは。
獲物を狙い、追い詰め、殺し。そして生きる糧とするのみ。
――ヴォォォーー--ン!
アリシアと談笑をしていた僕の耳に届いたのは低い『笛』の音だった。
通信機器のないこの世界において、急ぎの情報伝達を行いたい場合に使うのは「視覚」と「音」である。
伝令使による伝達では遅いと判断される場合。多数の味方に同時に情報を伝えたいとき。この2つの伝達方法は重宝される。
そしてこの情報伝達がよく使われる事態。
それは――緊急事態である。
僕は、アリシアとの会話を中断して、車窓へと目を向けた。
アリシアも異様な空気を感じ取ったのか、同じように外へと視線を移す。
馬車の周囲を取り囲む騎兵隊は変わらずに駆けている。窓から見える景色の範囲では、異常は見当たらない。
――ヴォォン! ヴォォーン!
今度は短く2度笛の音が響いた。それにより、僕は異常事態の正体に気がついた。
今回の異常事態の原因は魔物――いや、魔物もどきだ。
音による伝達は工夫1つで、他者に正確に情報を与えることが可能だ。
東辺境伯軍においては、笛2回ならば魔物の襲撃を意味する。
迅速な情報の共有のために、言語の代わりとなる手段を用いるのはよくあることだと思う。視覚的なものでいえば、
相手の正体が分かった僕は、少しだけ気が抜けていしまう。
というのも、正直なところ、僕は魔物もどきの脅威をよくわかっていないところがあるからだ。
確かに、彼らは人よりはよほど強靭な身体能力を持っている。
ノルンの森で遭遇したことのある個体も、僕よりはよっぽど大きかった。
だけど。僕はどうしても彼らを脅威とは感じられなかった。
なぜなら、ノルン大森林にいた彼らは。
僕らに対して一様に
いくら人間より大きかろうが、あんな姿を見たら誰だって拍子抜けしてしまう。
僕が彼らを、この国の人が言う『魔物』と認識できなかったのには彼らの怯えようにも原因があったと思う。正直怯えられる理由はわからないんだけど。
だから、砦で見た魔物もどきたちの姿は僕にとってはかなり新鮮だった。
僕やルディに対して、警戒し、近づこうともしてこない彼らが、あそこまで果敢に人間を襲おうとするなんて。
ともあれそんな経験もあってか、魔物もどきの襲撃は、僕が想定していた異常事態の中では比較的マシな部類のものだった。
「アリシア様、大丈夫ですよ。ただの魔物の襲撃みたいです」
僕がそう言うと、アリシアが首を傾げた。
「魔物の襲撃は、一大事、ではない?」
「……あー、そう、ですね。……私たちの軍は魔物を狩り慣れていますから。その点で問題ないという言葉を使いました」
言葉の選び方に失敗した。僕の内面が言葉として出てきてしまった。
だが、アリシアには僕の心の声は伝わらずに済んだようだ。少し安心した様子で彼女は深く席に座り込んだ。
僕も同様に腰を落ち着けようとして――できなかった。というのも、その後に続いたアリシアの言葉が、耳を疑うような内容だったからだ。
「私の騎士団はまだ出来たばかりだから、そう言ってくれると安心できる」
……聞き間違いではないか。今、王族の護衛が新米騎士団と言ったか?
ギョッとして固まった僕は思わずアリシアの顔を見つめた。
だけど、困惑は表に出さない。王族に対して僕が許される態度は基本的には肯定や相槌のみだからだ。僕は表情筋を総動員した。
「……そうなんですね」
「私の『
アリシアは相変わらず抑揚なく、話を続けた。
「まだ出来たばかりだから、未完成なところも多い。現に今の団長のルーカスも、仮の団長。本当の団長候補はカーリナだけど、まだ経験不足で、団長は務まらないから」
「…………」
アリシアの話を聞いて、僕は少しばかり絶句していた。
王女の護衛に未完成の騎士団を王族側は派遣してきているのか。本当に王女を守りたいのなら、そんなことがあり得るのだろうか。
そもそも騎士団とは何か。それは王族と<英雄教>のみが結成を許されている組織のことだ。
基本理念は、王族や<英雄教>の重要人物を守るための部隊であるということ。つまりは護衛部隊としての役割が主だったものだ。
王族は元々、護衛として騎士を雇うことができる制度がある。所謂、
だが、王族に割り振られる予算の影響もあり、部隊を作るほどの人数を揃えられないのが通常である。
しかし、王や<英雄教>の大司祭の許可があれば騎士をまとめ上げる
英雄と名高いアリシアだからこそ、彼女は
王族の訪問と同時に騎士団のお披露目も兼ねているのか? しかし、だからと言ってそんなできたての騎士団を王女の護衛につけるのだろうか。実戦経験や訓練も兼ねた人選、という線も考えられるけど、それにしたって不用心だと思う。
僕の混乱など知る由もないアリシアが更に言葉を重ねた。
「ルーカスはお父様とヘンドリータ司祭が推薦してくれた。
「……なるほど、それで」
アリシアの言葉を聞いて、僕は少し得心した。
おそらく、ルーカスの実力ならば問題ないという判断なのだろう。まとめ上げる人物が優秀であれば部隊はある程度正常に動く。
団員は普段から訓練はしていて、命令の通りには動けるようになっているはずだ。であれば、アリシアを守るくらいの働きはできると思われる。
それに新米騎士団といえど、どこかで実戦経験は必要だ。
ならば、より危険な国外遠征ではない、国内の遠征で実戦経験を積もうとするのはあながち間違いではないのかもしれない。
その点で、この王族辺境訪問は確かにうってつけだった。
しかし、そうなると僕らの持つ戦力がどこか頼りなく感じてきてしまった。
今僕らに随伴している部隊は、東辺境伯の騎兵隊が420。そして
そして王女の話が正しければ、総勢570の騎兵のうち150が最悪の場合お荷物になる可能性があるということだ。
戦場において足を引っ張る味方はともすれば敵よりも厄介だ。420の騎兵だけなら損害のない戦いも、他の150騎に邪魔をされたらどうなるかわからない。
それと指揮系統が違うのもあまりよくない状況である。ルーカスは優秀みたいだから、下手に手出しはしないと思われるのが救いだろうか。一応、道中の有事には東辺境伯側の兵が対応すると通達しているから、大丈夫だとは思うけど。
僕は少し反省をした。異常事態の原因が魔物もどきと知って少し安心してしまったことを。
魔物もどきも人間にとっては脅威の1つに変わりはない。
ならば、現在の戦況くらいは何とか把握したいと僕は思った。
窓から見える景色に変わりはない。流れる風景が少し速くなったくらいだろうか。限られた視界しかないここからでは、現状が何もわからなかった。
それなら、精霊術を使うか、とは思うものの。
僕はちらり、とアリシアの方に目を向ける。爛々と輝く金眼と目が合う。それは人外の瞳であり、魔力や精霊の目視を可能とする不思議な眼。ならば、彼女も僕と同じように
僕は精霊が見えるということは認めた。だけど、未知の力が使えるということは流石に他人にバレたくなかった。
僕は魔術が使えないということになっている。そしてこの情報は僕にとってかなり都合がよい。
たとえば王族や貴族が僕に害意を持った時、おそらくはその情報をもとに作戦を立てるからだ。
魔術師はこの国においてかなりの脅威と思われている。重火器がないこの国で、魔術師に勝る火力を持つ存在はいない。だからこそ、この国では、多くの魔術師を有している王族の力が強い。
もしも、僕が魔術に似た術を使えると判断されたら、それ相応の戦力を敵は用意することになる。
自身の敵からは常に過小評価されていてほしいものだ。それは油断を生み、僕が生き残る抜け道となりうる。
(……アリシア様の前では、使えないな)
同じ馬車に乗っているのが仇となった。王女が近くにいると逆に王女を守りづらくなるとは。矛盾しているようだが、それが事実だった。
仕方がない。ならば、僕が今できることは騎兵隊が魔物もどきを退けるのを待つことくらいだろう。
東辺境伯の軍は魔物と戦い慣れている。その点だけは、信用できる。
そして幸いなことに、僕らの馬車の御者はシラユキだ。
目も耳も鼻も、人間を超越している彼女であれば差し迫った危険にはいち早く気づいてくれるはずだ。
「何かあれば、アリシア様のことは御守りしますから。心配なさらないでください」
「……ありがとう」
ホッと息をついたアリシアを横目に、僕は窓へと再び視線を向けた。
太陽の光が、僕の背後を映す。ガラス越しに映るは漆黒の鞘。
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