第39話 幼少期編39 王族辺境訪問12

 宿泊施設の紹介が終わったのち、僕らは関所の役人が用意した会議室にいた。


 「これにて正式な引継ぎは完了いたしました」


 王族側の秘書官の言葉が会議室に響く。

 その秘書官が、ノルザンディ家とエーデルシュタイン家、そしてルーフレイムの名が署名された書類を回収していった。

 

 この後、あの書類は北辺境伯側の者の手によって王都にまで届けられることになる。


 これにより、王族側はアリシアが現在どの辺境伯のもとにいるのかがわかり、北辺境伯側も大役を果たし終えたことを報告することができる。

 いつの時代もどこの世界でも報連相は大事だ。

 

 書類を回収した秘書官が出ていくと、今度は僕の正面に座っていた鈍い青色の髪の青年――クリストフがゆっくりと立ち上がった。

 

 「それでは、引継ぎも終わりましたし、私も一度退出させていただきましょう」

 

 引継ぎの後は、ノルザンディ家とルーフレイム王家の間での話し合いがある。その場に北辺境伯側の者がいる必要はない。

 

 「麗しき姫君、このような者に御身をお任せするのはひどく心苦しいのですが、どうかご容赦を。そして良い旅を」

 

 しれっと僕のことを貶しながら、大仰なしぐさでクリストフが第三王女アリシアに貴族の礼をとる。

 そして静かに部屋を退出していった。続けて北辺境伯側の護衛も同様に退出していく。

 

 部屋に残ったのは、僕とオスバルト、アンドリュー。そして、第三王女とその側近たちだ。

 今回の主賓は第三王女だ。歓待する僕らの方が彼女たちを主導する必要がある。僕は口火を切った。

 

 「では、改めまして。私が東辺境伯の次男であり、代表者となります。グレイズラッド・ノルザンディです。後ろに控えておりますのは東辺境伯近衛軍軍隊長オスバルト・デリンガーと副軍隊長アンドリュー・スローンです」

 

 オスバルトとアンドリューが僕の言葉を受けて一礼をした。流石に王女の前ともなれば分別があるらしい。存外に素直な反応だった。

 僕の言葉に小さくうなずいたアリシアは、今度は自身の蕾のような口を開いた。

 

 「私がルーフレイム王国第三王女。アリシア・ヴィターラ・サン・ルーフレイム」

 

 鈴の音を転がすような透明な声音。そこに威厳を感じるのは自身の気のせいか、あるいは彼女の持つオーラに気おされてだろうか。

 アリシアはそこまで言うと、後方に直立する自身の側近の方に目を向けた。

 

 すると、彼女の側近のうちの二人――銀の鎧を身に纏った男性と、先ほどとげとげしい言葉を投げかけてきた鎧姿の女性が一歩前へと出てくる。


 「この二人が、私の騎士団――聖金騎士団サンオーレ・シュバリエの団長と副団長、ルーカスとカーリナ」


 王女の言葉に反応して2人が口を開いた。

 

 「ルーカス・レーンでございます」

 「……カーリナ・ステファンだ」

 

 2人の態度は対極だった。


 鎧の女性――カーリナはよっぽど僕のことが嫌いなのだろう。人でも殺しそうなほどの視線で僕を睨みつけていた。

 自分が仕える王女と僕の目が同じであることが気に入らないゆえの態度なのだろうか。それにしたって、ここまで睨みつけなくても。


 一方でルーカスの方は驚くほどに慇懃な態度だった。あまりにも丁寧すぎて、逆に不気味に思ったくらいだ。

 正直僕としてはカーリナのわかりやすい態度より、ルーカスの態度の方が怖く感じる。


 「ルーカス殿、カーリナ殿、よろしくお願いします」

 

 僕がそう言うと、カーリナが切れ長の鋭い目をさらに吊り上げた。

 般若のような形相に僕がなんだ? と思う間もなく、カーリナは僕の方を指さした。

 そして、第三王女アリシアのほうを向いて、声を荒げた。


 「やはり、我慢なりません! アリシア様、どうかご再考を! あのような者に姫様の守りを任せるなど、あってはなりません!」

 

 肩を怒らせながら、矢継ぎ早に紡ぐ彼女の言葉の端々には、隠しきれぬ僕への憎悪が漏れていた。

 一方で、諌言を受けるアリシアの表情に変化はない。彼女が何を考えているのか、僕にはわからなかった。


 「アリシア様!」

 「……カーリナ、落ち着いて」


 抑揚なく告げられる声に、しかしカーリナの興奮は収まらない。更に言葉を重ねようとする。

 

 「し、しかし、悪魔に魂を売ったものなど、護衛の最中に何をしでかすか――」

 「カーリナ嬢、その辺で」

 

 荒れ狂う彼女を止めたのは、ルーカスだった。

 

 「アリシア様の顔に泥を塗る気ですか。団長になるのであればいつでも冷静にと言ったはずですが……」

 「……すみません」

 「謝罪先は私ではありませんよ」


 ルーカスの言葉に、カーリナの顔が引きつる。カーリナはアリシアの方に目を向けたが、彼女もまた小さく頷いた。美しく整っているはずのカーリナの顔が更に歪んだ。

 

 彼女は渋々と言った様子で、僕のほうに向きなおると。

 

 「……グ、グレイズラッド、さ、様。も、申し訳ありません」

 

 苦虫をかみつぶしたような表情のまま、たどたどしく謝罪の言葉を口にした。特に『様』と『謝罪の言葉』の苦痛の表情と言ったら、筆舌に尽くしがたいものだった。そんなに嫌か、僕に謝るのは。


 「私からも謝罪の言葉を。申し訳ありません」

 「……私も。カーリナがごめん」

 「い、いえ。謝罪には及びませんよ」


 憮然として謝罪を聞いていた僕だったが、そのあとにルーカスと、アリシアまでもが謝罪の言葉を口にしたものだから、僕は面食らってしまった。

 

 まさか、部下の非礼を謝罪されるとは夢にも思わなかった。

 すっかり慣れてしまった作り笑いは崩れなかったけど、動揺が少し言葉に出てしまった。

 

 それにしても、王女にまで謝罪されてただ謝罪を受け入れるだけでは、対応としてどうにも物足りない気がする。

 僕は張り付けた笑みのまま、一応フォローの言葉を口にした。


 「カリーナ殿の心配もごもっともですから。それに、実際に護衛部隊の指揮を執るのは私ではなく、後ろの二人です。私は代表者と言えど10歳になったばかりの若輩者ですから。経験豊富なお二人が、アリシア様を確実にお守りしますから、どうか心配なさらないでください」


 つらつらと言葉を並べる。我ながら、上手く言葉を選べたとは思う。

 

 なんだか、僕を見る側近たちの目が、より不気味なものをみるようなものに変化したような気がするけど。いつものことだ。気にするまい。


 相変わらず鋭い視線でカーリナは僕をめ付けているけど、見ないふりだ。

 

 下手につついて、また騒がれても迷惑だし。僕は一刻も早くここでの話し合いを終わらせたいのだ。

 

 あとは、今後の予定を軽く話し合うだけ。

 自分を敵視する人間と関わるのは疲れるものだ。あと、ルーカスみたいな得体のしれないタイプも。


 唯一、第三王女だけは邪念が無いような気もするけど、結局は僕の主観でしかない。


 とりあえず、早く終わらせよう。


 僕は改めて、話し合いを進めた。







 「お疲れ様です、ご主人様」


 話し合いが終わった後。僕を迎えに来たのはシラユキだった。

 いつもと同じ侍女メイド服姿。クラシカルスタイルの清楚なデザインはシラユキによく似合っていた。


 王女との会議の場に一介の侍女メイドを侍らすわけにもいかないので、シラユキにはこの屋敷内で待機してもらっていた。

 

 他の侍女メイドと違い、今回のシラユキは屋敷内の仕事をする必要がない。むしろ、王女の世話をするのに獣人族を雇用したら、大問題になってしまう。


 ちなみに本来なら、獣人族の奴隷を王女の前に出すこと自体、あまり良くはない。

 

 だけど、僕の侍女メイドがシラユキであることはいずれこの辺境訪問の期間でバレることだ。だから、僕はある程度開き直っていた。シラユキをイースタンノルンにお留守番だなんてそれこそありえないし。


 「シラユキもお疲れ様。よく話し合いが終わったのが分かったね」

 「王女様や他の方々が部屋を出ていったのが分かりましたので」

 「うん? 部屋の前にいたの?」

 「? いえ、侍女の待機場所がありましたので、そちらにおりましたが」


 侍女の待機部屋は、この屋敷の2階の端の一室だ。対する会議室は4階の中央部。高さだけでも6mは離れているはずなのだけど。

 疑問符を浮かべている僕に、シラユキが付け足した。

 

 「上階というのは意外と揺れるんです。振動を辿れば、どのくらいの人が出ていったかがわかります」


 すまし顔でシラユキがそんなことを言った。


 ……うん。とりあえず、シラユキはすごいなぁ。


 「シラユキはすごいなぁ」

 「恐縮です」

 

 振動を感知するってなんだ? 人間レーダーか何かか? そういえば人間じゃないんだっけか。

 

 僕は思考を放棄した。考えたってわからないものは、わからないものだ。わかりそうなときに、考えよう。

 

 「ところで、僕がいない間に何か変わったことはなかった?」


 僕がいない間のシラユキの扱いとか。何か暗躍してそうな人とか。一応、シラユキにも怪しそうな人がいたら気にかけておいてとは言っていたのだけど。


 「そうですね。特には……」


 そこまで言いかけて、シラユキがその綺麗な相貌をしかめた。


 「1つ、ありました」

 「そっか。……何があったの?」

 

 僕が聞くと、シラユキの流麗な眉尻が更に下がった。心底嫌そうな顔をするシラユキの表情は中々珍しい。よっぽどなことがあったのだろうか。


 「北辺境伯様の息子のことです」

 「ああ、あの人か。あの人が何か?」

 

 クリストフ・エーデルシュタイン。出会い頭に暴言をぶつけてくるような奴だ。僕らに対して何かを企てていてもおかしくはないだろう。

 

 僕は固唾をのんでシラユキの言葉を待つ。僕らの危機になるようなことなら、一刻も早く手を打つ必要があるからだ。

 

 続けられたシラユキの言葉は、しかし――僕の予想を大幅に裏切るものだった。


 「私の奴隷になれと、言われました」

 「……ん?」


 今なんと?

 シラユキが心底嫌そうな顔を隠さずに、繰り返した。

 

 「私、シラユキを奴隷にしたいと、あの息子が言いました」

 「……は? え? んん?」


 シラユキを自分の奴隷にしたい? そんなことをヤツクリストフは言ったのか?


 「奴隷になれば、妾にしてやる。今よりももっといい生活をさせてやる、とも言われました」

 

 シラユキの言葉に僕の混乱は増す。

 この国の人間は、獣人族を差別しているのでは? 嫌っているのでは? そんな疑問が僕の脳内を駆け巡った。

 だけど、シラユキの言葉から察するにクリストフは獣人族を嫌ってはなさそうではある。むしろ好きまでありそうだ。

 

 というか、あいつ会議室出た後にシラユキにちょっかいかけてやがったのか。わざわざ侍女メイドの待機室に出向いてまで。

 麗しき姫とか、アリシアには言っておいて他の女をナンパするとは。それも、人様のお付きの侍女メイドを。


 先ほど、クリストフがシラユキの方に視線を向けていた理由はこれか。僕は納得してしまっていた。

 

 (いや、だけど、シラユキはまだ10歳にも至っていないんだぞ!?)


 クリストフは15歳。獣人趣味ケモナーはまだしも、小児性愛ペドフィリアとは。色んな意味であいつクリストフはとんでもないやつだった。


 だけど、肝心のシラユキの返答を聞いていない。そこに気づいたとき、僕は何とも言い難い焦燥感を覚えた。

 

 「……それで、シラユキは」

 「――無論、断りました」


 その言葉に僕は少しほっとした。生まれた焦燥感は露と消えていく。

 その感情の起因するところに、僕は苦笑した。


 精神は成熟しても、感情の制御はままならぬ。

 まさか、この幼い少女に対して――があるだなんて。


 …………。


 ……なんというか、僕自身もクリストフに物を言えない気がしてきた。


 最近は自分に失望することが多いなぁ。


 「それは、よかった」

 「はい。シラユキがご主人様の元を離れることはありません。約束しましたから」

 「うん。そうだね」


 あの夜の約束以来、見せてくれるシラユキの笑顔。僕は心が温かくなるのを感じた。絆なんて陳腐な表現だと思っていたけど、あるとないとでは感じるものも違う。

 

 それに、とシラユキが続ける。

 

 「北辺境伯様の御曹司には、『ご主人様に身も心も捧げておりますので、貴方様に仕えることは生涯ございません』と伝えておきましたので。もう、こういったこともなくなるかと思います」

 「……そっかあ」


 僕は自分の心に冷や水が流れるこむのを感じた。無垢なシラユキにはわからないのかもしれないけど、この言葉は絶対に誤解されている。


 自分が10歳であることに僕は最大限の感謝をした。これで僕が15歳とかだったら、もうどうにもできないほどに僕の悪名がこの世に広まっていたかもしれない。


 「でも、気を付けなよ。相手は大貴族だから」

 「はい。気を付けます」

 

 変な事件はあったけど、現時点で、命の危機があるようなものじゃなくてよかった。


 そして同時に僕は思った。

 

 もう絶対にクリストフには出会いたくない、と。

 

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