第38話 幼少期編38 王族辺境訪問11
翌日の昼頃。
ノルエスト関所に鐘の音が鳴り響く。
それは王女の訪れを告げる鐘だ。
僕はノルエストの街の中央通りにいた。王女が今日一日だけ滞在予定の屋敷の前。そこで最初の挨拶を行うのだ。
僕の両脇にはオスバルトとアンドリューが立っており、後方には数名の選抜された兵が整列していた。その更に後方には、ノルエストに派遣されていた
獣人族という存在はこの国においてはかなり珍しい存在だ。周りの
小気味よい金属音に誘われて、続々と人々が中央通りに集まってきていた。
ノルエスト関所は衛兵の町だ。北辺境伯と東辺境伯の土地から、一定周期で衛兵が派遣されてくる。その際には家族を連れてくる場合も多かった。通りに集まる野次馬はそういった衛兵の家族たちだろう。
皆一様に、英雄の名を冠する王女の姿を一目見ようとやってきたのだ。
暫くすると、中央通りを騎兵隊が進んでくる。先頭には王家の旗印と見慣れない家紋――北辺境伯の家紋――の旗印が掲げられており、後方には騎兵隊に囲まれた複数の馬車が並んでいた。
一糸乱れぬ動きで、僕らの目の前まで彼らは到達する。
そして、馬車の1つ、北辺境伯の家紋が掘られた馬車の扉が、僕らの前で開いた。
「まさか本当に、忌み子を代表者として送ってくるとはね。流石にこの目で見るまでは信じられなかったけど。東辺境伯殿には同情を禁じ得ないよ」
「…………」
扉から出てきた青年の開口一番は――僕への罵倒だった。
成人というには少し若い。鈍い青色の髪が特徴的な青年の第一印象は『傲慢不遜 』といったところか。
一目見た彼の造形は整っているはずなのに、その顔立ちをどこか邪悪に感じるのは、彼の態度や雰囲気にその性根が現れているからだろうか。
初対面の相手から悪意を向けられるのはそう珍しいことではないが、のっけからここまで言われることはあまり経験がない。
本来ならこのまま無視を決め込みたいところだが、そうもいかないのがつらいところだ。
なぜならば、この失礼な青年こそが北辺境伯側の代表者――北辺境伯の長子でもあるクリストフ・エーデルシュタインだからである。
実際、彼は他の貴族とは比にならぬ強さの青い光をその身に纏っている。貴族の魔力の強さはその権力の強さと因果関係がある場合が多いから、いずれにせよ彼が並みの貴族ではないことは明白だろう。
それに僕は彼と面識はないけど、代表者である彼の肖像画は事前に確認していたし。
実際に見ると、絵の方はちょーっと盛りすぎだったけれど。
「ふーん、本当に金色の目なんだね。すっごく気色が悪い」
じろじろと僕の目を見ながら、クリストフが言う。
あんまりな物言いである。お前が連れてきた第三王女はどうなんだ。僕と同じ目なんじゃないのか。
「それ王女の前でも言えるの?」と思わず口に出かかるのを僕は必死に我慢した。
こういうのは相手にするだけ無駄だ。さっさと第三王女の引継ぎをして、おさらばしよう。
僕は表情を変えず、右手を心臓の位置に持っていく。
それを見たクリストフがつまらなそうに舌打ちをすると。同じように右手を胸にあてた。
僕の行動の意味するところは、この国における貴族同士の挨拶、その合図である。一応今回の行事において、僕とクリストフは両陣営の代表者であり、同格の扱いになるから、挨拶もそれにのっとって行うことになる。
「東辺境伯側、代表のグレイズラッド・ノルザンディです」
「……北辺境伯側代表、クリストフ・エーデルシュタインだ。噂はかねがね」
クリストフはぶっきらぼうに言い放った。
一応彼は15歳で、成人の儀を迎えているという話だったのだけれど。彼の様子を見ていると、どうやら精神はあまり成熟していないようだ。
クリストフは顔を
それは、まるで何かを見つけて、心底驚いたような表情だ。
彼の視線の先は……僕ではない。僕の後方、整列した兵の後ろ。その視線の先は――シラユキ?
しかし、クリストフはすぐに表情を戻した。先ほどよりも鋭い視線で僕を睨みつけあと、近くにいた兵に彼が話しかけた。その兵の合図によって、再び北辺境伯の部隊が動き出す。いくつかの馬車が通り抜けていき、1つの馬車が僕らの目の前で止まった。馬車には、中の人物を特定できるような模様はない。
だけど、中にいる人物にあたりはついている。護衛対象の馬車を悟られないようにするのは、護衛における鉄則だ。
……クリストフの反応は気になるけど。今はそれどころではないか。
馬車を引いていた鎧姿の女性が僕の前にやってきた。
僕に向けるその目つきは険しい。
「アリシア様に失礼の無いよう」
とげとげしい言葉を僕に放ちながら、彼女は馬車の扉に手をかけた。
第三王女――アリシア・ヴィターラ・サン・ルーフレイムとの
同じ金色の目でありながら、第三王女と僕の立場の間には大きな隔たりがある。
英雄と忌み子。
<英雄教>の教えの根深いこの国において、黄金の瞳は所持者の境遇によりその意味を変える。そこに妥当な理論があるかと問われれば、僕は無いと断言できた。
だが、宗教において合理性など些細なことだ。重要なのは、多くの人々が信じ、それによって救われること。多くの場合、宗教は人々の救済としてその立場を確立する。例えば、死んだらどこへ行くのか。自身の罪はどうなるのか。宗教はそんな人々の葛藤に答えをもたらす。
故にそこに正しさは必要ない。人々が納得する答えがあれば、それでいい。
この国の常識の多くは<英雄教>に根差している。
金眼は恐ろしい生き物の象徴である。この国の人々はそう認識している。
しかし同時に、彼らは救国の英雄が金眼であったことを許容している。
そして、彼らはそこに疑問を持たない。
選ばれた特別な者のみが金眼を持ち、それ以外が悪であると。それが彼らにとっての常識なのだ。
故に<英雄教>に正統な後継者と認定された第三王女であれば、周囲の人間は彼女を受け入れる。
彼女の瞳がたとえ、僕と
ゆっくりと馬車から降りてくる第三王女、その瞳はまごうことなき
魔物もどきとも異なる本物の金眼だ。
僕はその場で頭を下げた。右手は心臓に、膝を折る。外なので膝は地面につけず、服は汚さないように。外で行う礼としては最上級のものを王族に対してはやらなければならない。
「……
鈴の音を転がしたような、透明な声音。抑揚なく響くその声に、僕はゆっくりと頭を上げた。
視界の先には、淡い蒼玉色のドレスに身に着けた美しい少女がいた。
年の頃は僕と同じ10歳。しかし、黄金比に彩られた彼女の美貌はその幼さすら陰りに変えるだろう。柳のような眉、長いまつ毛、黄金色の大きな双眸、スッと整った鼻立ち。彼女の瞳にも似た琥珀色の
近く、傾国の美姫と讃えられる。そんな素質を彼女は秘めていた。
1つ惜しむらくはその表情の無さだろうか。
そして、更に特筆するは彼女の持つ眩いほどの光だった。
それは、精霊の輝きにも劣らない
初めて見る彼女の魔力は、まるで虹のようだった。
彼女こそがアリシア・ヴィターラ・サン・ルーフレイム。ルーフレイム王国の第三王女にして、まさしく英雄の後継者と名高い少女。
どこか浮世離れした雰囲気を纏う彼女は、冷たく輝く金眼で僕を見下ろしていた。
「名を」
「……東辺境伯が次男、代表者のグレイズラッド・ノルザンディです」
返答した僕の言葉に対する彼女の反応は無。ただ彼女の黄金の瞳が僕の目を射抜いていた。
「……そう。あなたが」
抑揚なく続けられた彼女の言葉尻からは、感情の色を見て取れない。
言葉と表情から得られる情報が少なすぎて、僕は第三王女の人となりを掴めなかった。
だけど、向けられている瞳に、悪感情はない気がした。彼女の後ろに立つ鎧の女性や他の貴族にはあった、言葉や態度に混じる澱み。それが第三王女からは全くと言っていいほど感じられなかったからだ。
まあ、第三王女が腹芸の達人という可能性もあるのだけど。
「…………」
「…………」
アリシアの言葉を最後にしばしの沈黙が流れた。
その間、彼女は僕の目から一切視線をずらさなかった。
目線を合わせ続けるというのは結構苦痛だ。しかし相手が王女ともなれば、それを拒むことなどできない。それもあって僕は今、非常に居心地が悪い。
とはいえ、無言が続くのも良くはない。こちらは王女を出迎える側だ。僕から動く必要がある。
それに、アリシアをずっと立たせるわけにもいかない。まずは、滞在場所に案内するのが先決だ。
そう考えて、僕が口を開こうとしたその時。
アリシアが僕の目から視線を外した。
目線の向かう先は……僕の真上。
ただ虚空を眺めたようには見えない。彼女の視線の先は固定されている。
時折何かを追うように、その金眼が泳ぐ。
僕はその姿に眉をひそめて。
(あっ)
そして自分の失敗に気が付いた。
第三王女は僕と同じ金色の目を持つ存在だ。ならばこそ、僕は思いつくべきだった。
彼女が
僕の頭上にいたスイとアイが僕のすぐそばにまで降りてくる。2人はすっかりと定着した3尺ほどの少女の姿だ。そして、スイとアイの移動に伴って、アリシアの視線が僕のもとへと戻ってくる。
間違いない。彼女は精霊を目視できている。
アリシアの精霊に対する認識がどのようなものなのかはわからない。だが、この国の常識にのっとれば、彼女は精霊という存在を知らない可能性は高い。
だけど、僕にとって
僕がよくわからない存在と何かしらの関係がある。そういった話が出回ると、僕のよろしくない立場はきっとさらに失墜する。
スイとアイには僕の葛藤は伝わっていないようだ。僕の周りを飛んで、体に触れたりしては楽しそうにはしゃいでいる。
動揺は表に出ていないだろうか。努めて平静に、僕はアリシアの方を伺った。
僕らの様子を見ていたアリシア、その感情のない瞳にわずかに好奇の色を灯した気がした。
僕は天を仰ぎそうになるのを堪えながら、無理くり笑顔を作ると。
アリシアを宿泊場所へと案内するべく、動き出すのだった。
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