第30話 幼少期編30 王族辺境訪問3

 グレイズラッドがシラユキをモフモフしていた頃。


 ミッテ村に到達した東辺境伯の軍勢は慌ただしく馬を走らせていた。


 軍隊というのは統率が難しい。逐一、伝令使を後方部隊に届け、迅速に情報を伝達をすることが重要になる。魔術を使って声を届けるという手法もあるが、かなり大雑把であり、周りに漏れる可能性が高い。軍の情報は秘匿性が重要であるため、東辺境伯が持つ魔術師ではそれを担保できず、結果として早馬を使った情報伝達が主流となっていた。


 「後方まで情報が行き渡りましたことを、報告させていただきます。各指揮官より、了解の言葉を頂きました」

 「そうか、ご苦労」

 

 伝令使からの報告を受けた東辺境伯の第一近衛軍の軍隊長――オスバルト・デリンガーは敬礼をする伝令使に労いの言葉をかけた。

 そして、馬に乗る彼の姿が離れたところで、小さくため息をついた。


 そしてちらり、と後方に目を向ける。

 遠く見えるノルザンディ家の家紋が付いた馬車。

 それを見たオスバルトは、今度は大きく嘆息した。

 

 その様子を見ていた馬上の男が、オスバルトに声をかけてきた。

 

 「軍隊長、お疲れですか?」

 「いや、そうでもない。ただ、厄介だな、とね」


 声をかけてきたのは第一近衛軍の副隊長であるアンドリュー・スローンである。金髪の優男といった風貌の彼は、若くして第一近衛軍の副隊長に上り詰めた、東辺境伯の軍きっての新鋭だ。彼はオスバルトの視線の先を見て得心したように頷いた。

 

 「あぁ、例のご子息、ですか」

 「ご子息、ね。何と呼べばよいかもよくわからないが」


 アンドリューの言葉に、オスバルトは苦い顔をした。

 

 ノルザンディ家の次男は忌み子である。それはノルザンディ家に仕える者であれば誰しもが知っていることだ。

 

 ノルザンディ家の第一近衛軍の軍隊長という東辺境伯の軍で最高位の役職に任命されたオスバルトも、例に漏れずその事実を把握していた。


 金眼の忌み子。悪魔付き。英雄を騙る者。


 グレイズラッドの呼び名は様々であり、その全てが蔑称である。

 ノルザンディ家からグレイズラッドがどう思われているのか、それが如実にわかるだろう。

 

 そういった評価もあり、忌み子である彼は表にほとんど出てくることがない。

 イースタンノルンの屋敷に軟禁状態にされている、という話はオスバルトも当主アーノルドから伝え聞いていた。


 それが意味することは、オズバルトも容易に推測できる。

 大人になるまで飼い殺し、時期が来たら存在をする。教会の教えが及ばない年齢に至れば、ある程度は融通が利くようになる。


 <英雄教>の教えが根深いこの国では、ともすれば異様なほどに子供に対する慈悲がある。いくら忌み子と言えど、大義を以って殺すのは難しい。

 だが、大人になれば話は別だ。グレイズラッドもすでに10歳になった。成人まで5年。もう幾ばくも時間はない。

 

 故に、オズバルトは今後彼と関わることはないだろうと思っていたのだが。


 「まさか、王族辺境訪問で代表者としてやってくるとは、ね」

 「それは、私も本当に驚きました」


 アンドリューの言葉にオスバルトは頷く。この件に関して当主アーノルドは「やむを得ない事情だ」と言葉を濁していた。彼にとって、この人選の理由をオスバルトに伝える必要はない、ということなのだろう。

 

 だが、それにしても、だ。


 王族辺境訪問、それも英雄の生まれ変わりと名高い第三王女の受け入れに、忌み子を使うとは。その真意のほどが気になるのも当然だろう。


 「…………」

 

 オズバルトはふぅっと息を吐く。考えても仕方がない。当主の考えはわからなくとも、部下であるオズバルトがやることは変わらない。ただ、当主の命令を遂行するのが、オズバルトの仕事である。


 それに、そのようなことを考える暇などないのが正直なところだった。

 当主の代理であるグレイズラッドが忌み子であるが故の弊害で、オスバルトは意図しない仕事を抱え込むことになっている。

 

 それは――オスバルトへの今回の行軍の全権限の委任である。


 通常こういった貴族を代表者とする行事に関しては、その多くの交渉事を代表者である貴族本人が行うという通例がある。例えば、今回の行軍であれば、村への駐屯に際する挨拶や、彼らが準備してくれる歓待に関しては当主の代わりであるグレイズラッド自らが言葉を交わすのが普通である。その行動が領主への忠誠、あるいは敬愛へとつながる。領主の庇護下にあるという印象を強くするために、重要なことなのだ。


 だが、今回はそれができない。


 むしろ、忌み子であるグレイズラッドを民の前に出せば、市民からの不信感は増すだろう。それはいくら仁政じんせいを敷くアーノルドであろうと変わらない。それほどに、金眼というものは民に恐れられている。


 オスバルトは今日初めて会ったグレイズラッドの姿を思い出す。


 その出で立ちは普通の人間となんら変わりがなかった。背格好はフード付きのローブ姿と、貴族のような装いではなかったが、彼の現状を考えれば理にかなった服装と言えるだろう。ここまでなら、ただの10歳の子供だ。だが。


 フードの奥から覗いた怪しい煌めきを思い出す。

 それは心の奥底まで見抜かれているかのような黄金色の輝き。

 魔物の瞳、それと同じだった。

 魂の奥底に語り掛けてくるそれに、オスバルトは骨の髄まで冷え切ったような感覚を覚えたのだ。

 

 思い出したオスバルトは思わず身震いした。爛々とした金眼が今も自分を射抜いているような気がした。そんなことは、ないはずなのだけれど。


 「あんなのと訓練をしているという第三近衛軍のやつらは、頭がおかしいのではないか?」

 「あまり目を見なければ、普通の子だと第三出身の奴は言ってましたね」

 「なんだ、それは」

 

 アンドリューの言葉にオスバルトは鼻白んだ。大方バルザークの気性が伝染したのだろう。良くも悪くも大雑把で寛容なあの男には、周りにも強い影響を与える傾向にある。あとは、第三近衛軍が比較的新人の育成に重きを置いている部分もあったからだろうか。

 

 純粋に魔物との交戦回数が少なく、その危機感のなさが彼らを寛容たらしめているのかもしれなかった。事実、第三近衛軍から移ってきて、前線基地で更なる研鑽を積んだ者の多くは、いまやグレイズラッドのことを不気味がるようになっている。


 そんな第三近衛軍も、今は新人教育的側面がだいぶ減って、実戦経験の多い者が多く送り込まれている。アーノルドが大規模な軍の再編成を行っているからだ。それゆえ、当時に比べてグレイズラッドを受け入れる存在はだいぶ少なくなっていることだろう。


 哀れだな、とオズバルトは思った。

 

 まさか自身の目が原因でこのようなことになるとは、かの忌み子も思ってはいなかっただろう。

 

 だが、すべては彼の目に問題がある。聞けば、グレイズラッドは幼少の頃は金眼ではなかったというではないか。

 ならば、その目が変化したその時に、グレイズラッドは悪魔との密約を交わしたのだろう。

 

 一言話しただけでもわかるあの子供の聡明さは、悪魔譲りの産物だと考えれば納得がいく。

 風の噂で聞く彼の天才性も、その一端であろう。

 

 「因果応報、か」

 

 ぽつり、オスバルトが呟く。

 幼さ故の過ちか。あるいは甘言に誘導されたか。いずれにせよ、彼は人生の選択を間違えた。悪魔という存在に魂を売り渡してしまった。

 オズバルトは悪魔という存在に出会ったことはないが、この世に彼のような人物がいる以上、その存在を否定することができなかった。

 

 オズバルトが手を握りしめたそんな折に。

 

 前方より、先ほどとは違う伝令使が馬を走らせてやってきた。

 手綱を引いてオズバルトの目の前で止まった伝令使はオズバルトへと告げる。


 「村長より、会合の準備が整ったとのことです」


 それは、オズバルトの次の仕事の開始を告げる合図であった。

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