第29話 幼少期編29 王族辺境訪問2

 道中は何事もなく、時間が過ぎ去っていった。


 基本的に領内を移動する際に脅威となりうるのは、魔物くらいなものである。だが、魔物なんていうものは滅多に出会える存在ではない。精々、大きめの動物くらいが関の山だろう。実際、僕も魔物は見たことがないし。

 

 正直、僕は最近、魔物が本当に存在するのかちょっと疑わしく感じている。

 

 それは、魔物の住処とされるノルン大森林には何回も行っているのに、一向に出会える気配がないからだ。

 ルディにも魔物のことは聞いたことがあるけど、彼女も「今は滅多に会えないんじゃない?」みたいなことを話していたし、いるとしてもよっぽど希少な存在なのだろう。

 

 しかし、そうなると僕の周囲の人間の反応に違和感が生じてくる。


 それは、どうして滅多に出会えないはずの魔物の目をそう恐れるのかということだ。出会えない存在を恐れるという感覚は正直理解しがたいものがある。


 魔物の逸話を代々受け継ぎ、聞いてきたとしても、実際にその存在と相対しなければ、それに対する恐怖というのは本来薄れていくはずだ。だが、僕が出会う人達の反応はそうではない。まるで、出会ったことがあるかのような、実感が伴っているのだ。

 

 もしかすると、金の眼を恐れるという感覚は、この世界の住民の骨の髄にまで染み込んだ本能的なものなのではないか。その血に、遺伝子に刻まれた本能的な畏怖。それならば確かに納得できる、かもしれない。とはいえ、母や妹みたいにその限りではない人もいるから実際のところはよくわからない。

 

 どちらにしても、前線基地<フロンミュール>に行けば、魔物の存在はわかるだろう。ノルン大森林から溢れる魔物を討伐する、というのがその基地の役目なのだから、その可能性は高い。


 僕は嘆息すると、馬車の席に深く腰掛けた。


 そろそろ夕暮れどきだ。山の影に日の光が隠れかけている。空が赤く染まっていた。野営の準備をしないといけない時間帯だ。

 

 歩兵も連れると、どうあがいても一日では前線基地まで到達できないのは事前の調査でわかっていた。だから、僕はいくつかの野営ポイントを考えて計画書に盛り込んでいたのだが……。


 そんなことを考えていると、馬車がその歩みを止めた。車内の揺れが収まる。


 「ご主人様、村に到着したようです」


 シラユキの言葉に促されて、僕が前方に目を向けると、簡易な柵に囲まれた家々が立ち並んでいるのが見えた。


 ノルンと前線基地の間にはいくつかの村がある。目の前に見えるのは、その中でもノルンと前線基地の中間にある村――ミッテ村だ。

 

 ここは僕が考えていた野営場所、その中では一番マシな場所だった。村の近くで野営できるというのはポイントが高い。場合によっては寝所を提供してくれるかもしれないし、村があるということはそれだけで飛躍的に安全度が増す。


 この村は、事前に考えていた野営場所の中でも一番ノルンから遠い場所だったため、かなり順調なペースで移動できていることになる。それが知れたのは喜ばしいことだ。


 「……ご主人様、降りられますか?」

 「うーん、いや、大人しく待っていようか」


 シラユキが聞いてくるが、僕は静かに首を振った。


 今回の遠征における代表者は僕ではあるけれど、実際のところ権限が何1つない。代わりに全権を委任されている隊長が存在する。彼が基本の交渉事をしてくれるだろう。なんなら、僕が出しゃばることに良い感情は抱かないと思うし。ただでさえ、この行軍における僕の扱いは腫物みたいなものなので、下手に神経を逆撫でするようなことは慎むのがベストである。


 ということで、目下やることはないのでシラユキを労わることにする。


 「シラユキ、お疲れ様」

 「ありがたきお言葉、恐縮です」

 

 すまし顔で頭を下げるシラユキだが、ローブの隙間から覗く白い尻尾がぶんぶんと揺れている。感情が高ぶった時のシラユキはあんな感じに尻尾が揺れる。表情はきりっとしてるのに、尻尾の感情が激しい。そのギャップに僕は吹き出しそうになる。


 「シラユキも休憩していいよ、馬は僕が見ているから」

 「っ! い、いえ、流石にそれは……!」


 ブンブンと首を振るシラユキに僕は苦笑する。

 シラユキは僕に仕事をさせたがらない傾向にある。彼女自身も、僕の目の前では極力休みたがらないのだ。

 

 「……じゃあ、二人で見ようか」


 ここらが妥協案だろう。


 僕は荷台から降りると、御者台に乗り込んだ。そして、シラユキの隣に座り込む。フードに隠れた彼女の耳が、緊張からかピンと張っていた。ちらりと覗く彼女の綺麗な横顔が微かに朱色に染まっている。


 もっと気楽にしてくれてもいいのにな、と思うが、そうもいかないのが主人と従者の関係である。


 村の方に目を向けたが、あまり動きはなさそうだ。先ほどから伝令使が後方に馬を走らせているが、僕らには見向きもしない。


 暫く、暇になってしまった。

 

 隣に座っているシラユキを見ると、何やら落ち着かなそうにそわそわとしている。手綱を握ったり話したり、真っ白な尻尾がゆらゆらと揺れている。時折、僕に伺うような視線を向けてきていた。

 

 その姿を眺めていたら、僕はなんだか無性にいたずら心が湧いてきた。

 

 僕はこっそりと彼女の尻尾へと手を伸ばす。そして綿菓子のようなもふもふの尻尾に手を触れる。


 「っひぅ」

 

 びくっとシラユキの肩が跳ねた。触れた尻尾がピーンと伸びる。

 シラユキは、しかし反抗はしなかった。ただ僕の方を上目に見つめるだけだ。

 

 それを許可と捉えた僕は、これ幸いにと彼女の尻尾を膝の上へと乗せた。そしてその純白に優しく手を差し入れていく。


 「っ! っ!」


 手入れの行き届いた毛並みは、撫でるたびに僕の手を幸福に包み込んでくれる。ふわふわの心地よさに、僕は脳髄が痺れるような錯覚を覚えた。


 (あぁ~、気持ちいぃ)


 今の僕は随分とだらしのない顔をしていることだろう。シラユキの尻尾を触るとき、いつも僕はこんな感じだ。


 シラユキと距離が近くなってから、彼女は時々僕に尻尾を触らせてくれるようになった。

 その真意はわからないけど、信頼の証、なのだろうと僕は認識している。僕自身、シラユキの尻尾にはずっと興味があったから、ありがたく触らせてもらっていた。こんなにふわふわで心地よさそうな尻尾、もふもふしたいに決まっているのだ。

 

 「っん……、っっ! っ!」

 

 撫でる時は優しくするのが大事だ。どうせもふもふするなら、お互いに心地よい方が良いだろう。尾の根元から、先っぽまで、程よい加減で手を滑らせる。シラユキの尻尾の肌触りは格別の極みだ。極上の絹綿きぬわたでもこの感触はきっと再現できない。


 「っ! そ、その、っ! ご、ごしゅ、じんさまっ?」

 

 一心に尻尾を撫で続けていた僕にシラユキの声がかかった。シラユキの方に目を向けると、若干涙目のシラユキが口もとを抑えながら僕を上目に見上げていた。

 その頬は赤く紅潮し、心なしか汗ばんでいるように見える。潤んだ瞳と、甘い吐息がやけに色っぽい。息も絶え絶えな様子のシラユキの姿は、どこか官能的で思わず僕は視線を背けた。 

 自分の頬が熱くなっていくのを感じた。


 「ご、ごめん」

 「い、いえ……、大丈夫、です。……その、嫌、というわけではないですから……」


 シラユキの言葉を最後に沈黙が訪れる。

 我を忘れてもふりすぎたみたいだ。それがシラユキの琴線に触れてしまったのだろうか。

 見た目は子供と言えど、中身は大人の僕には、彼女の反応の何たるかがわかる。故に非常に気まずかった。


 「…………」

 

 シラユキの方をちらりと見ると、少し俯いたまま、時折僕の方に視線を向けてきている。

 頬を染めてもじもじとするシラユキは非常に可愛い。僕は思わず、彼女に手を伸ばしかけそうになり……。


 ――パンッ!


 僕は自分の頬を思いっきり叩いた。


 「ご、ご主人様!?」


 シラユキが驚いて声を上げたが、僕はそれどころじゃない。

 痛みによってクリアになった意識は、正確に今の僕を客観視した。

 

 大人の精神を持つはずの僕が、女の子に、あまつさえ10歳にも満たないような女の子にを抱いたという事実に。

 

 理性と前世の感性が僕の中の罪悪感を加速させていく。

 懺悔に似た感情が生まれてくると共に、僕は自分自身に失望した。


 いや、確かに。確かに、僕はまだ10歳だけど。そうだけども。いや、むしろ10歳になったから、こういう感情が生じるようになったのか?

 

 思考がぐるぐると巡るが、どちらにせよ、そういう問題でもない。


 僕は頭を抱える。そんな僕をおろおろと見ているシラユキ。その姿もとても可愛い。


 ――うん、冷静になろう。


 「アイ、お願い」


 その言葉に青い光アイが戸惑いながらその手を僕に近づけた。

 その後、精霊術の加減を間違えた僕は大量の水を被ってずぶ濡れになり、シラユキに怒られるのだった。

 

 

 

 

 

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