第27話 幼少期編27 裏で動く者

 ノルンの屋敷――ノルザンディ家の本家の書斎部屋。そこに二人の男がいた。

 片方は窓際の書斎椅子に腰かけた男だ。鋭い目つきと精悍な顔立ち、少し老け顔ではあるが見るものは皆、美丈夫と思うだろう。

 対する男は、書斎机の前で頭を下げたまま直立している。執事服に身を包んだ彼は、座り込む男よりも若く見えた。

 明らかな上下関係を感じさせる二人の間には、重苦しい空気が流れていた。

 

 手元に広げられた書類を眺めながら、鋭い目つきの男――アーノルド・ドライ・フォン・ノルザンディがその顔の皺をさらに深くした。


 「……これを、が?」


 アーノルドがめ付けるように顔を上げて、目の前の男に問いかける。

 それに対して、執事服の男――ヨーナスは姿勢を崩すことなく返答した。


 「左様でございます」


 アーノルドは再び書面に目を移すと、さらに渋面を深くした。

 

 書類の内容は近く行われる第三王女の王族辺境訪問、その全計画に関するものだった。

 それも、アーノルドがあのに対して書くように命令した全文書である。


 「アレは本物か」

 「ヤツ……失礼しました。グレイズラッド様のことでしょうか?」

 「……様など不要だ、ここにはお前と私しかいない」


 アーノルドはそう言いながら、不快そうな態度を隠しもせず、ヨーナスの方へと書類を投げた。

 紙の束が宙を舞う。本来ならそのままばらけて落ちていくはずの書類はしかし、ヨーナスが視線を向けた途端に、不自然な軌道を描きながら1つになっていく。そして、最終的にはヨーナスの手元に納まった。

 ヨーナスがアーノルドへと目を向けてくる。アーノルドは読め、とばかりに顎でしゃくった。


 その意図を察したヨーナスは、書面へと視線を下げた。

 その後、しばらく読み進めていたヨーナスの目が、徐々に驚きに見開いていく。

 

 「こ、これは……!」


 言葉を失うヨーナスの気持ちがアーノルドにはよくわかった。

 なぜなら。


 提出された計画書が

 

 「……私がアレに命じたのは半月前、つまりたったの15日前だったはずだ」


 自分に確認するように、アーノルドがこぼす。


 そもそもの話、だ。

 

 王族辺境訪問の計画の骨格はもうとっくの昔におおよそ完成していた。王族が一定の年齢になれば行われる行事であるこの王族辺境訪問は、時期の推測が容易い。事前準備など簡単にできる。大雑把な骨組みは作り、あとは時期が決定してから子細な取り決めを交わす。そんな誰でもわかり、できるようなことを怠るわけがない。


 ならばなぜ、アーノルドはアレグレイズラッドに計画書の作成をやらせたのか。


 1つはただの嫌がらせ。そしてもう1つはグレイズラッドのである。


 アーノルドはグレイズラッドが天才であるという話を多々聞いてきた。

 しかし、その全てはほぼ側室コルネリアか、一部の侍女メイドからの聞き伝手だった。実際に顔を会わせることがほとんどなかったアーノルドはグレイズラッドの才能に関しては完全に無知だったのだ。


 とはいえ、アーノルド自身、そこまで気になっていた事柄ではなかった。いくらグレイズラッドが天才と呼ばれていようと、彼は所詮10歳である。十年の節目アルフ・ティアを経たとはいえ、まだ成人の域には達していないのだ。

 それに加えて、アーノルドはグレイズラッドが魔術を使えないことも知っていた。それもあってか、アーノルドにとってグレイズラットが麒麟児であるという噂は眉唾ものだったのである。今回、アーノルドが計画書を作成させたのも別に成果を求めてのことではない。ただ一応、現状の能力を確認しよう、そう考えただけである。


 だが、それがどうだ。


 奴がたったの15日で完成させてきた計画書は、その鬼才を際立たせるものであった。


 この計画書はそのまま実行に移せるだけの完成度を誇っている。この手の仕事を経験したことがないはずの子供が為せるようなものではない。まるで、が綿密に作り上げたような書類だったのだ。

 そしてアーノルドが戦慄したのは、それだけではなかった。この計画書の極めつけ、それは恐ろしいほどのにあった。

 

 「アレは街の外にほとんど出ていない。そうだろう?」

 「そう、伺っていますが」


 ヨーナスの言葉に、アーノルドは苛立ちが表に出そうになるのをぐっと堪えた。


 ならば、これはどう説明するのか。

 王国の地図に護衛ルートを記したこの計画書を、どう説明するのか。


 流通するような国の地図は正確に描かないのが通例だ。国を守る上でその重要性をアーノルドはよく知っている。だから、正確な地図というのは一部の上流階級しか知らないのである。無論のことながら、グレイズラッドが知るはずがない。

 

 ならば、なぜ王国の地図にない場所をグレイズラッドは知っている? 街の外に出ていないというグレイズラッドが、自分で確認する手段はないはずだ。つまり、奴は知らないはずのことを知っている、ということになる。

 思わずアーノルドは身震いをした。

 奴の悪魔的な知性、それが本物であるという可能性が末恐ろしく、そして不気味だった。


 「やつに加担する人間がいるとでも?」

 「……それは、考えにくいかと」


 ヨーナスが首を振る。

 考えやすいのは、グレイズラッドを味方する存在だ。

 だが、その可能性は限りなく低いだろう。あの家のほとんどの者はグレイズラッドを疎ましく思っている。今のところ、味方してもおかしくなさそうなのは第3近衛軍の面々と側室コルネリアくらいではあるが、彼らは本物の地図の存在を知らないため、今回の件に絡んでいるとは考えにくい。それに第3近衛軍もだんだんとグレイズラッドを除け者にし始めているという話を聞く。アーノルドが積極的に第3近衛軍の人員入れ替えを行った成果が出始めているのだろう。


 そのうちの人間に対する味方はなるべく少ない方がいい。アーノルド自身に対して叛意はんいを抱きかねない事柄は極力なくしていくべきなのだ。といっても、奴にそこまで味方はいないから、深く考えることでもないが。

 

 「……どうしたものか」


 厄介事、と言えば、グレイズラッドの側仕えの奴隷もアーノルドにとっては悩みの種だった。

 あの獣人族は、たまたま裏組織からノルザンディ家が救出してしまった存在だ。しかし、白い毛の一族はである場合が多く、手元に置くメリットは少ない。故に、奴隷商に確保してもらったのだ。それが、何故か巡り巡ってグレイズラッドの元へと渡ったのである。


 ただでさえ、グレイズラッドの存在によって、ノルザンディ家は王家と他の辺境伯から目を付けられている。非常に動きづらい現状にもかかわらず、奴は獣人族の奴隷まで家に引き込んでしまった。まさに、グレイズラッドはノルザンディ家にとって疫病神と言えるだろう。


 アーノルドとしては、こんな厄介な人間はさっさと殺してしまいたかった。だが、教会がそれを許してくれないのだ。下手に教会の教えに背けば、王族や他の貴族にノルザンディ家が糾弾される。忌み子を産んだ上に、子供殺しまですればノルザンディ家の権威は失墜する。


 アーノルドの苛立ちは増していた。教会が認定しておきながら、殺させないという理不尽さ。我が意を得たりと、非難してくる狸ども。そして元凶のグレイズラッド。その全てに対して。


 ドン、と机を叩いた。机上の書類が舞い、床へと落ちる。

 アーノルドは落ちた紙束に目を向けず、その鋭い眼光をヨーナスへと向けた。


 「今回で終わらせる」

 「……よろしい、のですか?」

 「ああ」


 王族がグレイズラッドを指名した真意はわからない、が。おおよそアーノルドの権威の失墜を狙ってのことだろう。王女に何かがあれば、アーノルドは責を問われる。同時にグレイズラッドも責を問われるだろうが、痛み分けではアーノルドの腹の虫が収まらない。

 ならば、王女は無事に守り切り、

 

 今回はある意味では好機だ。あらゆる手段を以って奴を始末できる絶好の機会。

 そもそも、アーノルドはずっと待っていた。グレイズラッドが十年の節目アルフ・ティアを経て、公に出る時を。


 事故を以って死を演出しよう。他者の目がある状況ならば、奴の死に対する事由をでっちあげることも容易だ。


 「追って、詳細を伝達する。今は退け」

 「畏まりました」


 部屋から出ていくヨーナスの後姿を見ながら、アーノルドは大きく息を吐いた。

 この10年の呪縛から、ついに解き放たれる。その理想を実現すべく、アーノルドは動き出した。

 

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