第26話 幼少期編26 お仕事

 クソ親父アーノルドから命令を受けた僕は、とんぼ返りするようにイースタンノルンへと戻った。

 

 王族辺境訪問の日時は100日後だそうだ。そこから15日にわたって王女は東辺境伯の領土を見て回ることになる。

 

 今日は年初から45日が経過しているから、この国の暦でいうと、上陽2月の15日目となる。この国の1年は360日。そのうちの上半期は上陽、下半期は下陽と分かれており、それぞれがさらに6分割されている。地球の暦との違いは1年の日数と1か月の日数。それ以外は呼び名こそ違うもののかなり似ている。

 

 王族辺境訪問の日時は100日後、つまり上陽5月の25日目が王女が訪れる初日だ。そしてその日から15日――上陽6月の10日までのプランを僕は考える必要がある。

 地球の暦に慣れていた僕からすると若干ややこしいけど、仕事となればしっかりと把握しないといけない。

 

 アーノルドからの命令で、王女を受け入れる計画書は上陽2月の30日目までに提出するようにと言われていた。つまり、今日から15日後だ。期限は地球の尺度でいうところの2週間ほどしかない。前世と違ってネットで資料を送る、なんてことはできないから、実際の期日はもっと早い。


 つまり、今からでも全力で取り掛からなければ間に合わなくなるのだ。


 「というか、王族が来るってわかってるなら、もっと早くから準備しとけよ!」


 悪態をつきながら、僕は資料をまとめていた。第三王女の年のころはアーノルドも把握していたはずだ。つまり王族辺境訪問の時期の推測は簡単にできる。それならば、もっと前々から準備しておくのが普通だろう。


 なんでこんな直前になって僕に押し付けたんだ? 嫌がらせかなにかなのだろうか?


 しかしながら、文句を言っても状況は変わらない。この世に理不尽というのは多々あるものだ。そう思ってやるしかない。


 (どうせなら、文句の1つも言えない出来にしてやる)


 そう僕は心に誓って、羽ペンを手に取ったのだった。



 

 *




 「へぇ、それでグー君はお仕事してるんだね」

 「そうなんだよ」


 僕は自身がしている精霊術が途切れないように注意しながら、返答した。話しかけてきたのはアールヴの美少女ことルディである。

 隣から僕の精霊術を覗き込む彼女の神の如き造形美は、相変わらず色褪せることがない。

 

 「ふーん? なんだか、人間って大変だね」

 「アールヴには仕事はないの?」

 「うーん。あるといえばあるけど、別にやらなくてもいいからねー」

 「えー? なにそれ?」


 緑に光り輝く魔力を維持しながら、僕はルディと雑談をする。

 精霊術の腕はだいぶ上がった。今では、話ながら精霊術を使うことも可能だ。もっとも比較的簡単な精霊術なら、だけど。

 体に吹く風が気持ちよい。今日も今日とて、天気が良い。絶好の精霊術日和といえるだろう。

 そんな風に若干機嫌のよい僕に声がかかる。

 

 「そ、その、ご主人様?」

 「うん? どうかしたの? シラユキ」


 声の主は、僕の側仕えのメイドであるシラユキだった。その声は震えている。彼女は僕の問いには答えず、恐る恐るといった様子でに目を向けた。


 「ひぅ」


 小さな悲鳴と共に彼女の耳が逆立つようにピンと張って、萎れた。綺麗な尻尾が縮こまっている。再び僕に顔を向けたシラユキは今にも泣きそうだった。


 僕はに目を向ける。


 そこには映るのは――広大な平原だった。視界に映る景色、人や家、その全てが豆粒のように。北方の水平線に目を向ければ、遠く山々を超えた先、本来なら見えるはずのない青い海のようなものが望めた。


 そう。僕たちは今、空を飛んでいるのだ。


 シラユキは可哀想なくらいに震えながら、僕にしがみついていた。本来なら主人にしがみつくなんてとんでもないことなんだけど、今の彼女は恐怖でそれどころじゃないみたいだ。


 「シラユキ、大丈夫だよ。その、失敗しないようにするから」

 「い、いえ、ご、ご主人様を、信頼していない、わけではない、のですが……」


 ゴクリ、とシラユキが唾をのんで、またしても目線を下に向ける。たぶん、それが恐怖をあおる原因だと思うんだけど。


 真下を覗いたシラユキが悲鳴にも似た声をあげた。

 

 「そ、その、た、高すぎないですか!?」

 「確かに普段よりは高いかもね」


 あっけらかんと言った僕に対して、シラユキが「うぅ、ご主人様……」と若干涙目になっている。


 普段空を飛ぶときも彼女はこんな風に怖がる傾向にある気がする。

 でも、ちょっと前にシラユキは空中ジャンプとかしてたと思うんだけど、どうなんだろう?


 「でも、前に空を跳んでなかった?」

 「じ、自分で跳ぶのとは違うんです……。……そ、それに、こ、こんなに高くないですし……」


 空中蹴りをしていたシラユキを思い出しながら僕が聞くと、シラユキが消え入りそうな声で返答した。


 完全に恐怖にやられてしまっている。ちょっと可哀そうになってきた。

 そんな、シラユキを見てルディが面白そうな顔になる。

 そして案の定、ルディがシラユキのことを揶揄からかいだした。


 「グー君、の術式にしては上手だね~」

 「っ!」


 シラユキがものすごい勢いで僕の方を見た。言外に「嘘ですよね?」と書かれた顔を見て、僕は目を逸らした。

 

 ルディの言葉は半分ほど事実だ。


 普段、ノルン大森林に行く際などには<風精跳躍Spiritus ventus, effer>という精霊術を使っている。この精霊術の中では比較的簡易な術であり、僕が普段よく使う精霊術の1つである。この術は一瞬の魔力操作で素早く移動できるという特徴があり、比較的低高度を飛ぶのに適していた。


 一方で、今回のように呼吸すら苦しくなるほどの高い高度にはあまり向いていない。そのため、今回は高高度を飛ぶために、あまり使い慣れていない精霊術である<風精飛翔Spiritus ventus, volans>を発動していた。

 

 より高い高度を飛ぶためには必要な工程が多い。例えば、周辺温度の維持、呼吸するための空気の確保、揚力及び浮力を維持するための風などなど。様々な要素を含む精霊術を発動する必要がある。低い場所なら浮力を維持するだけで良いが、空高く飛ぶとなれば話は別なのだ。

 

 一応、飛ぶ前に一人で実験はしているから正確には初めてではないんだけど。3に飛ばすのは初めてだから、ルディの言葉もあながち間違いではなく否定がしづらかった。

 

 僕の反応を見たシラユキの顔が絶望に染まる。


 一応慣れた術式の応用みたいなものだから、そうそう失敗することはない、と思う。いざとなればルディもいるわけだし。


 僕は「もう少しだから」とシラユキを宥める。正直、怯えるシラユキはちょっと可愛い。つい、いたずら心が芽生えそうになってしまう。気を付けよう。


 僕は気を取り直して、広大な土地を眇めた。


 さて、僕が普段よりも空高く飛んでいるのにはちゃんとした理由がある。なにもやみくもに飛んでいるわけではない。


 これは仕事なのだ。クソ親父アーノルドから命じられた仕事、その一環として僕らは空高く飛んでいる。

 

 僕は精霊術を維持しつつ、自身の懐から丸まった羊皮紙を取り出した。

 広げた紙には土地や河川、森の名前や位置などが描かれている。

 これは王国で流通している地図だ。

 僕はそれと眼下の景色を見比べながら、ぼやいた。


 「うーん、位置関係、距離感が絶妙に間違っているよねえ」


 中には地図に書かれていない場所もちらほらとある。前世の世界にあった正確な地図からすると、随分な出来である。


 とはいえ、これは王国を責めることはできない。地図というのは作るのが意外と難しいからだ。この地図がどうやって作られたのかは知る由もないが、もしも地上で歩いたりして作ったのなら、この出来でも十分上出来である。


 それに、正確すぎる地図というのは防衛上不利になるという欠点がある。敵国に流出したら防衛の穴を突かれる可能性があるからだ。だから、地上から作るにせよ、空から作るにせよ、大雑把に正しい地図を作り、流通しているのだろう。その地図が敵国に伝われば、その地図はそのまま敵にとっての罠となるという利点もあるし。

 

 だが、王族を領内に受け入れるとなると話は別だ。正確な土地勘は護衛するにあたり非常に重要だからだ。加えて最適なルート選びをするのにも、正しい位置関係の把握が必要である。今回の護衛に万が一があってはいけない。どうせやるなら徹底的に。その精神で僕は現地調査に来たのである。


 僕は精霊術を維持しながら、羽ペンで正確な位置関係やルートをメモしていく。

 

 (境界線から近場の川――エルドーラ川が大きい。ここは迂回ルートがないから、橋を渡るしかないのか。で、こっちのルートは……森に近いな。もう少し平原寄りの道筋は……)


 精霊術との同時並行だからだろう、想像以上の集中を要した。しばらくして、正確な地図や懸念個所を書き終えた僕は、すっかり疲労困憊ひろうこんぱいになっていた。精霊術の維持がやっとである。


 ちなみに、ルディにも<風精飛翔Spiritus ventus, volans>は使えるのだが、彼女は意外とスパルタなので、僕が発動させられていた。今回の件も話してみたら、「ちょうどいいから、訓練も兼ねようー!」とか簡単に言ってたし。


 「終わったよー、そろそろ帰ろうか」


 僕は2人に声をかけながら徐々に高度を下げていく。シラユキがほっとしたように息を吐いた。ずっと緊張したままだった獣耳がへたり込んだ。……あとで労わってあげよう。


 豆粒くらいだった建物が徐々に大きくなってくる。周囲の風の流れを読みながら、僕たちがもっとも安定できる空気の流れを調節し、生成していく。


 この高度を下げる作業も意外と難しい。集中力を切らさないように慎重に、慎重に……。

 僕が残った気力を総動員していると、ルディが思い出したように話しかけてきた。

 

 「グー君、幻術はどうするの?」

 「あー……、ちょっと厳しいかも?」


 ルディの言う幻術とは、闇の精霊術のことだ。高い高度ならまだしも、低い位置を飛ぶと地上の人にバレる可能性がある。だから、僕は屋敷を抜け出すときから空を飛んでいる時に至るまで、闇の精霊術による幻術を用いて姿を隠すようにしていたのだ。


 しかしながら、現在の僕は複雑な精霊術の使用によって脳が悲鳴をあげている。一応、近くにいた闇の精霊の魔力を貸して貰って試してみたけれど、うまく陣が作れない。今日はもういっぱいいっぱいみたいだ。


 「しょうがないなあ、グー君は」


 ルディが致し方なしとばかりに、闇の精霊を呼び出した。獣のような出で立ちのその精霊に僕は見覚えがあった。彼女と仲が良い、闇の高位精霊だ。ルディと精霊術の練習をしている時に、僕はなんどか見たことがあった。


 「闇精の姿隠しspiritus tenebrarum,abscondere te」という言葉と共に、ルディの精霊術が発動した。相変わらず、無駄のない流れるような魔力操作である。陣の形成から発動までが淀みない。僕もいつかはこれくらいできるようになりたいものだ。


 黒い精霊術の陣が一瞬で僕らを覆い、そして消失した。よく見ると微かに黒い影が見えるが、それは僕やルディのような目を持っているからこそわかる変化だ。この国の人間からはまず気づかれないと思う。


 ただし、今回ルディが使った精霊術は音や匂いまでは消せないからそのあたりだけ注意が必要だ。そこまで完璧にカバーするにはもっと複雑な精霊術を使う必要がある。


 ルディの精霊術で姿を隠した僕たちは、イースタンノルンの街に戻ってきた。上空から見る街は高い城郭に囲まれており、その規模はかなり大きい。

 

 イースタンノルンは東辺境伯の領土の都市としては最もノルン大森林に近い。またルーフレイム王国東部で面するエッタ聖公国の国境に最も近い主要都市である。つまり魔物への対策と国防上の視点から、イースタンノルンは防衛を担う都市としての側面が強かった。そのため、イースタンノルンは城郭都市としてかなり発展してきた歴史がある。

 

 僕らは静かに城郭の上へと降り立った。地に足着く感覚はなんだかんだで安心感がある。僕はほっと息をついた。シラユキはというと、地上に着くと同時にその場にへたり込んでしまった。どうやら、力が抜けて立てなくなってしまったらしい。少し休ませてあげよう。


 城郭から街を見下ろす。壁の中には所狭しと家々が立ち並んでいる。城郭外にも家々は連なっており、遥か先まで広がっていた。

 

 都市というのは人が集まるものだ。それも内陸の国境沿いに位置するこの都市は、陸路の行商人が集う場所となっている。人や物、仕事が集まりやすい場所だ。また、奴隷という労働力があるこの国では、農村の仕事などの重労働がその手の労力に奪われがちである。その結果、都市外で生まれた者が仕事を求めて都市の周辺に集まることになる。中には一攫千金や成り上がりを目論んで都市に集まる者もいるだろう。城郭外の広がる街はそういった者たちが築いていったものだ。


 「人間はいろんなものを作るよね」


 街並みを眺めていたら、ルディがそんなことを言い出した。夕日に照らされた彼女の相貌は相変わらず神憑りの造形美である。その顔に哀愁のようなものが浮かんでいるような気がした。


 「いつの時代も人間はいろんなものを作るんだ。そして……すぐに死んでいく」

 「……? ルディ?」


 一瞬悲しそうな顔をしたルディはしかし、すぐに朗らかに笑った。

 

 「……ささ! 今日はこのあとやることあるんでしょ? 見学していい?」


 そこには先ほどまでの憂いの表情はない。僕は釈然としない心を隠しながら、ルディに返答する。


 「いいけど……邪魔はしないでね?」

 「しないよーそんなことはー!」


 ぷんぷんと頬を膨らますルディ。もう完全にいつものルディである。

 彼女の意味深な言葉は少し気になったが、今は話す気はないのかもしれない。すでに2年以上の付き合いになったルディではあるが、僕はルディの話をあまり聞いたことがない。まだ、信用されていない、ということなのか。純粋に話したくないから話してないのか。その真意はわからないけれど。あまり踏み込まない方が良いのかな、と僕は思っていた。

 

 それに僕にはやることがあった。時間は幾ばくも無い。この後すぐに、王族辺境訪問の計画書作成の続きをしないといけないのだ。

 

 「じゃあ部屋に戻って続きをやろうか」


 いつか、話してくれる時がくればいい。そう思いながら僕は彼女たちと共に自分の部屋に戻るのだった。

 

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