第4話 衝〈shock〉撃

 今日俺は、いつになく気分が悪い。

 理由は明白。数日前、母さんが睡のことを「充くんのお嫁さんにして貰えれば安心なんだけど」なんて言ったのが原因だ。別にその言葉だけなら、よくある親の戯言だと割り切ることができる。だけどよりにもよって充がまんざらでもなさそうだったのが、ずっと心に引っかかっているのだ。

 なんでこんなことでモヤモヤしているんだろう、と思いつつも、どうにも嫌な感じがして充とまともに話せていない。メッセージが届いても適当に返すし、面と向かって会話なんてもってのほかだ。自分でもガキくせぇとは思うが、こんな経験初めてでどうすればいいのかわからない。

 だから今日もこそこそと屋上で時間を潰している。充とふたりで帰るなんて気まずくて仕方ないから、大体の生徒が帰ったころを見計らってひとりで帰っている。

 六限目のチャイムが鳴ってから一時間は経っただろうか。まだ陽は高いが、最近は夜になるのが遅いからこんなもんだろう。いつものように音を立てず慎重に屋上の扉を閉め、扉を施錠した鍵をタイルの下に隠す。下に人がいないことを確認し、封鎖用のテープをくぐった。

 誰もいない。ほっと安堵の息を吐き、自分の教室に向かった。

 外はよく晴れている。少なくとも今日の間は崩れることのなさそうな清々しいまでの青空を見ていると、元に戻るために必要な落雷の日なんてしばらく来ないんじゃないだろうか、なんて考えてしまう。

 もう誰もいねえだろ、とたかをくくって思い切り扉を開けたのがまずかったかもしれない。

「ん……あれ、睡蓮」

 机に伏せて寝ていたらしい充を起こしてしまったのだ。

 なんだこいつ、六限終わってからずっと寝てたのか? よく寝る奴だとは思ってたけど、まさか俺を待ってたとかじゃねえよな。

「充……まさかお前ずっと寝てたのかよ?」

「あー……お前待ってるうちに寝ちまってたみたいだわ」

 やっぱり待ってたのか。呆れか諦めか、「帰ろうぜ」と呑気そうに立ち上がった充に対してもう適当な言い訳を並べる気も起きず、「おう」と肩を並べて歩き出した。

「あっ! 杢葉さん! 日野さん!」

 教室を出ると、一年の小柴こしばに声をかけられた。「なんだ」と足を止めると、「今日の試合出てもらえませんか?」という提案を受けた。

 小柴は喧嘩賭博の本部の人間で、試合とは十中八九そのことだろう。

「今日は選手が足りてなくて……だから賭けの人数も少ないんです。 でも杢葉さんか日野さんが出てくれれば盛り上がると思うんです!」賭博の方も最近勢い衰えてて……と眉を下げて頼んでくる小柴。

「どうする、睡蓮?」

 ウチの喧嘩賭博には何度か出場したことがある。武器、金的、目潰し以外ならなんでもアリで、ただの喧嘩からボクシング、プロレス、レスリングや相撲まで自分の得意分野で勝負できるというイカレた大会だ。

 強さに分かれたS~E級の六つの試合がそれぞれあり、俺はもっぱらA級以上の試合にしか出たことがなく、番長を継いでからはS級に二回ほど出場したくらいだ。

 久々に出ても良いのだが、正直そこまで乗り気になれない。

「んん……悪ィな小柴、今日は気分じゃねえんだわ。 また今度誘ってくれや」

「えぇ~……」あからさまに肩を落としているのを見ると、少し申し訳なくなる。

 またな、と手を振れば、「今度は出て下さいよ!」と念を押された。それを聞きつけたらしいある人が、曲がり角から顔を出す。

「なんだ杢葉、今日の賭博は出ねぇのか?」現代国語の五味ごみ先生だった。

 この学校の教師は「自由な校風」とか言って基本俺たちのやることに目を瞑っている(見なかったことにしているとも言う)が、この人は賭博に堂々と参加しているというある意味潔い先生だ。

 今日も無精髭を生やし、死んだ目の下に隈を作っているが、また徹マンでもしていたのだろう。つくづく思うが……なんで教師になれたんだろう、この人。五味先生もベラ高出身らしいが、なるほど、うちの学校を出るとこうなる可能性もあるのか。肝に銘じておこう。

「お前が出れば安パイなんだけどな~」

 しゅ、しゅ、となよなよしたパンチもどきを俺に向かって振る。それを手のひらで軽く受け止めながら、「気分じゃねーんだよ」と答えた。

「ありゃ。 まだ本調子じゃねえの?」

「別にそういうんじゃねえけど……だいたい教師が賭け事なんてしていいのかよ?」

「いやいや、これも仕事の一環だぜ? 生徒たちが変なことをしてないかの見回りで、その延長で金が出たとしても……まあいわば必要経費だ」

「センセそんなんだから奥さんに逃げられたんじゃないの」

 俺の言葉に充と小柴が噴き出す。図星を突かれたからかわなわなと震えていて、俺たちはやべ、と一斉に駆け出した。ベラ高出身だけあって、いつもは適当だが怒らせるとおっかないのだ。

「奥さんじゃなくて彼女だ!」俺たちに向かって叫んでいるが、同じようなもんだと思う。どっちにしろ情けないことに変わりはない。



 校門に向かうまでの間も、色んな奴らに喧嘩賭博のことで声をかけられた。そのたびに気分じゃねえとか病み上がりだとか適当に言い訳を並べて断った。

 なんだ、そんなに今日のは盛り上がらなさそうなのか? そういや小柴が最近は衰えたとか言ってたけど……今度様子観に行ってやるか。

 そんなことを考えながら校門を抜ける。すると、塀のところに見覚えのある制服を着た女が立っていた。芍薬牡丹の制服だ。睡とは学年が違うのか、水色じゃなくて黄色いリボンをつけている。艶のある黒髪を三つ編みのお下げにしていて、端から見れば大和撫子のような印象を受ける。顔もそんなに悪くないし、校門から出ていくウチの生徒たちもその子に目を奪われているようだった。

 誰かを待っているような感じだが、芍薬牡丹の女がベラ高に用事なんて……まぁ俺には関係ないか、とそのまま通り過ぎようとした時だった。

「なあなあお嬢ちゃん、何しにこんなトコに来たの?」

 なんとウチの奴数人がその女を囲んでナンパしだした。彼女は目を見開いて「あ、あの」と狼狽えているが、お構いなしに気を引こうと話し続けている。

「こんなトコいたら変なのにとって食われちまうぜ~?」

「そうだそうだ。 俺らがもっと楽しいトコつれてってやるよ」

「面白い話聞かせてやるよ、この前俺鼻の穴からピーマンの芽が発芽したんだけどさ」

 最後の話気になりすぎるな。……じゃなくて、あいつら何テンプレなナンパしてやがんだ。

 充と顔を合わせ、同時にため息を吐いた。一歩前に出て「オイ」と声をかける。

「あ? ……ば、番長!」

「うわッ⁈ お、お疲れ様です!」

 俺に向かって慌てて頭を下げる。女の方も俺を見て驚いている様子だったが、俺は構わず続けた。

「テメェら、なにバカ丸出しのナンパしてやがんだ」

「い、いやあ……へへ」誤魔化すように後頭部を掻くそいつらの頭を一度ずつ軽く小突く。小さく悲鳴を上げた奴らに「行け」と言うと、「失礼します!」とその場から逃げていった。

 ……あ、ピーマンの話聞き忘れた。

 残念、と女の方を見ると、まじまじと俺のことを物珍しそうに見てくる。その視線がなんだかいたたまれなくて、充に「帰るぞ」と促す。

 だが、その少女は俺に「あ、あの!」と声をかけてきた。見た目に違わず、鈴のようなかわいらしい声をしている。

「……え?」

「あのっ……えっと……」

 もごもごとなにかを言いたげに口を動かしているが、いまいち聞き取れない。

 芍薬牡丹の制服を見ていると、強制的に睡が浮かぶ。連鎖的にこの前のことを思い出してしまって、苛立ってきた。そのせいで目の前の少女につい強いベラ高のやつらに使うような口調で「なんだよ」と訊いてしまう。ビク、と少女の肩が揺れた。

 しまった。怖がらせるつもりはなかったのについ……やっぱ女の扱いは苦手だな……

「かっこいいぃ…………」

 ……かっこいい?

 その声は、確かにその女から発せられた。でろでろに溶けたような粘り気のある声だ。

 いや、なんて言ったこの女。かっこいい? まさか俺に? こっちはかっこいいなんて喧嘩に勝ったときか筋肉自慢の時くらいしか言われねえぞ。あとゴキブリ退治した時とか。それも男にしか言われたことがない。

「なぁアンタ、一体……」

 顔を覗き込むと、その声に違わず表情金が緩み切っていた。オイオイ、いや、それ女がしていい表情なのか? と問いたくなる。ガシガシと自分の目をこすってみるが、その女の表情は幻覚じゃなくて現実だった。

「え……ど、どうし……」

「好きです!」

 発した声を予想もしなかった言葉で遮られ、驚いてそのままなにを言おうとしたかが頭から吹き飛んだ。

 俺の認識が間違っていなければ、この女は俺に告白をした。言っちゃった~なんて頬に手を当てて顔を赤くしているところを見るに、恋愛的な好意であるように思える。

 向こうはチラチラと期待するような眼差しで俺を見てくるが、申し訳ないことに俺は驚きのせいで感情が追いついてきていないため、心の中になんの波も立っていない。

 むしろ俺の脳内に浮かんだのは、あの日俺に好きだと告げた充の顔だった。充のタイミングの悪さと、この女の突飛さが俺の中で重なったのだ。

「す…睡蓮、こりゃあ……」

「ハッ⁉ い、いや、ちげぇぞ! これは違う!」

 何が違うんだよと自分でもツッコミたくなるが、充に対して謝罪をしなくては、ととっさに浮気男のようなみっともない言い訳をしてしまう。

 そんなことをしていると、先程の大声の告白のせいでなんだなんだと人が集まって来ている。当たり前だが大半はベラ高の生徒だ。まずい、と気付いた俺は「ちょっと来い」とその女の腕を掴んで駆け出す。

「ま、まさか愛の逃避行ですかぁ⁉」

「んなワケあるか!」

「こんなにも熱烈に想いを返して頂けるなんて、感激ですッ!」

「ちょっと黙っててくんない⁉」

 待てよ睡蓮! と追いかけてこようとする充に向かって「そこで待ってろ!」と言い置き、この女の歩幅も考えずにとにかく走った。



「ここなら大丈夫だろ……」

 ゼイゼイと肩で息をしながら、学校から少し離れた公園に入った。今なら人もいないし、ゆっくり話を聞けるだろう。ベンチに腰掛け、目の前の少女に質問する。

「で? アンタはなんなわけ?」

「一目惚れしました!」

「じゃなくて! 名前とか素性を言えって言ってんの!」

 あぁ、とまだ弾んだままの息や乱れた髪を整えながら、その少女は淑やかに自分の

 ことを話し出した。

西園美波にしぞのみなみと申します。 芍薬牡丹女学園の一年生です」

 思った通り睡と学年は違うらしい。「俺のこと好きだとか言ってたけど、そもそも会ったことあったっけ?」と質問する。

「いえ、一方的に私が知っただけなんです」

「いつ?」

「えぇと……先日、うちの学校にいらっしゃいましたよね?」

 最近芍薬牡丹に行ったことといえば、睡の迎えに行った時くらいしかない。確実にそれだろう。「あぁ、まあ」と返事をすれば、今度は恥じらうように「その時、遠目で拝見しまして……」と続けた。

「運命だと思いました。 服の上からもよくわかる鍛え上げられた美しい体躯も、人を寄せ付けない雰囲気も、学ランがよく映える白い肌も……」

「お、おう……」なんだろう、なんでかものすごく背中がむずむずする。

 同年代の女子から容姿を褒められた経験なんて皆無に等しいから、「もしかして俺ってかっこいいんじゃねえか?」なんて調子に乗ってしまいそうだ。正直、悪い気はしない。

「あなたは私の王子様なんです!」

「……うん?」

 気分が調子に乗りかけてたが、一瞬で現実に引き戻された。

 王子様? 王子様ってアレだろ、おとぎ話で姫に口付けして起こしたりガラスの靴を片手に一緒に踊った女を探すやつだろ。少なくとも俺のイメージする王子様ってのはそういう『爽やかで華やかな青年』なんだが、喧嘩三昧で口の悪い俺からは一番遠いはずのイメージだろ。間違ってもこんな三白眼で凶相な男を王子とは呼ばないはずだ。

 そう突っ込みたくなるのを抑え、とりあえず話を聞く。

「……でも、お名前もわかりませんし、他の人の話で制服が遍羅暴高校ということだけを知って……一か八か、学校に訪ねてみようと思いまして」

 なるほど、まぁ確かにそれしか方法はないか。だけど急に告白してくるのはさすがにぶっ飛びすぎている気がする。……なんか、こういうの多いな。最近の俺。

「あの、よろしければ……お名前を教えて頂けませんか?」

「あ、あぁ……杢葉睡蓮だ」

「すいれん……お花の睡蓮ですか?」

「そうだけど」

「睡蓮様……良いお名前ですね」

「す、すいれん……さま?」

 胸の前で手を組んだ西園は、さっきと同じように顔を赤らめて俺の名前を反芻する。様付けもそうだが、なんかいたたまれない気持ちになるからやめて欲しい。

「で……惚れてくれたのはいいんだが、今はそういう状況じゃねえんだわ、俺」

「そんな……」

 一変して絶望の色を浮かべる。表情がコロコロ変わって忙しそうだ。そんな顔を見ていると少し罪悪感が芽生えるが、正直に話してるだけなんだから俺は悪くない、と頭を振った。

「……睡蓮様?」

 考え事に没頭していると、西園が様子を窺うように俺に声をかけた。一気に現実に引き戻された俺は、苛立ちを隠したまま「とにかく、アンタとは付き合えねえんだ」ときっぱり断った。

 西園は今度はうんうんと納得したように頷き、「愛に障害はつきものですからね……」とひとりで勝手に良いように解釈して納得していた。

「え、アンタ俺の話聞いてた?」

「睡蓮様、私の睡蓮様への愛は簡単に尽きませんよ! また来ます!」

「来なくていいって、ねえ、おい」

 それでは! と手を振って去って行く西園の背中に「話聞いてたぁ⁉」と投げるが、そのままその背中は小さくなっていってしまった。その背中を見ながら、また面倒ごとが増えた、と溜め息を吐く。

 頭が痛い。もうとっとと帰って寝ようかな、なんて考えていると、「睡蓮」という充の声が入口の方から聞こえてきた。あの野郎、待ってろって言ったのにわざわざ追いかけてきたのかよ。

 そういえば、と俺の頭に重要な情報が思い起こされ、冷や汗が頬を伝った。

 充って、俺のこと好きだよな? 今のやりとりが見られてたとして、まさか機嫌悪くなってたりしてねえよな。

「お、お前……見てたのか」

「……悪い、どうも気になって」

「どこから聞いてたんだ?」

「あの子がお前の身体褒めてたところから……」

 ほぼ頭からじゃん。アウトじゃん。それじゃ言い訳したところでなんも意味ないじゃん。

 なんでか今の俺の中では、西園を振った罪悪感よりも充を傷付けているかもしれないという疑念の方が勝ってしまっている。よくよく考えてみれば充の様子を知ったところでどうにもできないのだが、とにかく気になって仕方がない。恐る恐る充の方に視線をやる。

 充は──充は、眉ひとつ動かしてしなかった。

 いつもとなにも変わりない、冷静な表情をしている。今のこの状況を気にしていません、なんて、そんな感じのツラだ。

 充に気付かれる前に視線を外し、そのまま俯いた。

 なんだよ、こいつ。やっぱり俺のことなんて好きじゃなかったんじゃねえか?

 そりゃそうだよな、この前のも嫌じゃなさそうだったし、睡が出てきちまえばそりゃ男の俺なんていらねぇよな。……あれ。なんで俺、こんなにイラついてんだ?

 まるで、充に嫉妬して欲しかったみてえじゃねえか──……

 自分が苛立つ理由がわからない。だって、俺は別に充に恋愛感情を抱いてるワケじゃねえのに、そんな風に思うなんておかしいだろ。でも、じゃあなんで……

「睡蓮……?」

 いつの間にか近付いてきていた充は、俺の顔を心配そうに覗き込んでいた。俺の方が色素は薄いはずなのに、黒い艶のある髪のせいかその肌は白く見える。俺とは違って整った顔立ちで、王子様って言葉は俺よりも充の方がよっぽど似合うだろう、と直感的に思った。

 黒曜石みたいな黒い瞳はガラス玉のように光を反射させている。それに映る俺は眉をひそめた情けないツラをしていて、思わず目を逸らしてしまった。



「オイ、杢葉睡蓮」

 その時、突然後ろから声が飛んできた。振り向いてみると、屑ヶ谷の制服をきた連中が公園に入って来た。次から次へと……なんだ? 今朝の占いに『ラッキーパーソンは杢葉睡蓮』とでも出てやがったのか?

「あ? なんの用だよ」

「ちょーっと顔貸して貰おうじゃねえか」

「悪ィけど、今日はそんな気分じゃねえんだ。 他当たってくれや」

「フン。 入院してタマナシになったってのは本当みてえだな」その言葉に笑いが起こる。

 まぁタマはなくなったな。なくなったのは俺の方じゃねえけど。

 そんなことと考えていると、笑っていたそいつは俺に携帯を差し出した。電話が繋がっているらしく、向こうのほうからは途切れ途切れに声が聞こえる。カチカチと音量を上げると、その声は鮮明に聞こえるようになった。

《睡蓮……》

 機械を通してその声が聞こえた瞬間、充と同時に息を呑んだ。その声は、確かに睡の声だったのだ。

「睡ッ⁉ お前なんで……!」

《悪い、しくった……帰ってる途中襲われて、抵抗したけど数が多くて、そのまま……》

「そんな……」

 ゴホッと咳混じりに話す睡。まさか屑ヶ谷の連中、睡を人質にするつもりか?

《杢葉睡は俺たちが預かった》

 次に聞こえてきたのは、睡の声ではなかった。低い男の声、それも、どこかで聞いたことのある声だった。

《覚えてるか? 端道はずれみちだ》

「端道……って、あの端道か⁉」

 端道。中学時代の同級生で、互いに鎬を削った相手だ。あの頃から俺は連戦連勝、負けなしのツッパリだったが、端道とはほぼ互角の戦いをしていて、俺たちの代では番長が決まらなかったくらいだった。

 端道は手段を選ばない奴だった。武器は当たり前、奇襲やリンチまがいのことまで仕掛けてくることすらあった。その上で腕っぷしもあったから、何度負けたかわからない。だけど俺も負けず嫌いだったから、再戦を申し込んではブッ倒し、それを互いに何度も繰り返した。

 中学の卒業式での決闘で俺が勝ち越したのを最後に、そこからどうなったのか知らなかったが……まさか屑ヶ谷にいたとは思わなかった。どおりで最近、やけに屑ヶ谷の連中に突っかかられることが増えたと思ったぜ。

《ほぉ、覚えててくれたか。 嬉しいぜ》

「テメェ……目的はなんだ」

 電話の向こうでクツクツと喉を鳴らす音がする。それを聞いていると、自分の中で苛立ちがこみ上げてくるのがわかった。

《最近ロクに喧嘩を買わねえって聞いたぜ。 だが俺はお前に仕返ししなきゃ気が済まねえ。だからこの女を使わせてもらうことにした》

 取り返したきゃ屑ヶ谷の体育館まで来い、という言葉を最後に電話が切れる。

「でももう手遅れかもなァ。 もしかしたらマワされでもしてるかもしれねえぞ、『睡ちゃん』♡」

 ギャハギャハと汚い声で笑う連中のひとりに、充が掴みかかった。

「テメェら……人質とるなんて汚え手使いやがって……!」

「おぉ怖ぇ。 でもそういう人なんだよ、端道さんってのは」

 充がさらに手に力を込めて締め上げるが、それでも余裕の表情を崩さない。激昂する充とは裏腹に、何故か俺は自分でも不思議なくらい落ち着いていた。

「端道がお前らのアタマってことか?」

「あぁ。 知ってると思うがあの人は手段を選ばねえ人だぜ」

 拳を強く握りしめると、生温い液体が掌を伝った。そこで初めて気付いたのだが、俺は落ち着いてなんかいなかった。血が煮えるような怒りではなく、腹の奥底から沸く、静かな怒りだった。未だかつて、こんな穏やかで激しい怒りを抱いたことはない。

「……よぉく知ってるぜ、アイツのことはよ」

 ザリ、と砂利を踏みしめながら一番近いところにいた奴の方に向かう。充も含め全員が疑問の視線を俺に送っている。

 血が滲むその拳を大きく後ろに引き、目の前のソイツの鼻っ柱めがけて飛ばした。したたかに打ったソイツは後方に大きく吹き飛び、そのまま倒れた。

「お前ら全員ブチ殺しても、眉一つ動かさねえクズだってこともな!」

 その様子を見ていた他の奴らは「ヒッ……!」と短い悲鳴を上げて一気に青ざめ、倒れているそいつを介抱することもなくバタバタと公園から逃げていった。

「な、なんだクソが! お前なんか、端道さんにブッ殺されちまえ!」

 果敢ない捨て台詞を吐き、怯えた様子で逃げていく屑ヶ谷の連中の背中を見送る。

 睡蓮、と不安げに俺を呼んだ充に、「ちょっと頼まれてくれ」と向き合った。

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