第3話 6月
「和泉! ねえ、今日は私と。いいでしょ?」
「……よくない」
「約束のこと? それならちゃんと知ってるよ」
「……どいて」
「そんな事言わないで。守ればいーんでしょ? ね、行こ」
しつこくまとわり続ける女。
和泉は深い溜息をつき、引っ張られるまま校内へ消えていった。
◇
「──でね、一度寝たら二度と関わらないって約束でセックスできるんだって!」
ブホッ!!
「ぎゃーっ、亜姫汚い!」
「っ、えっ? セッ……!?」
突如聞こえた卑猥な言葉。亜姫は飲んでたカフェオレを勢いよく噴き出した。「何してるの、早く拭きなさい」と麗華が怒るのを聞き流し、呆然とする。
「
「もー、また聞いてなかったの? だーかーらー! 和泉の話だよ!」
「あ、あぁ……イズミとやらの話……なるほど、だからセッ……ごほっ」
汚れたところを拭きながら、聞こえた言葉を反芻して……
「えぇっ? それ、いったいどんな約束!?」
「もー! 最初からちゃんと聞いといて!」
琴音にも怒られた。
琴音は入学してからの友達で、最近は三人で過ごしている。
彼女は和泉の大ファン(自称追っかけ)。せっせと情報を仕入れては逐一聞かせてくるので、亜姫達も詳しくなってしまった。
だが、亜姫は実物を見た事が無い。
このイズミとやら。正確には
「私、知らないけど?」と言った亜姫は、琴音から化石扱いされた。
それはさておき。
なにより有名なのが、とにかく女が絶えないという噂。
彼はフェロモンを撒き散らしていて、常に数人の女がひっついているとかいないとか。そして、その全てを美味しくいただいているらしい。
亜姫は、ふと疑問に思う。
「ねぇ、美味しくいただく……って、イズミとやらが食べたいんじゃないの? その約束だと、まるで女の子の方が食べたがってるような……?」
「そうなのよ! 亜姫、鋭いね」
琴音が仕入れた情報では、取っ替え引っ替えしてるのは事実だと。
「でも、和泉から誘うことは絶対に無いんだって」
意外な話に、亜姫は目を瞬かせた。
「基本は断られるらしい。和泉はすごく嫌がるんだって」
「どういうこと? 食べまくりなのに?」
「その約束守るからシよー! ってごり押しするんだって、和泉を食べたい女の方が。
断られてもしつこく粘り続けると相手してくれるらしい」
「なにそれ? えっ、じゃあ沢山のお相手は、嫌がる彼に強引なオネダリをしてきたってこと?」
「そう。全員オネダリ」
「たった一回の為だけに?」
「そう」
亜姫と麗華は顔を見合わせた。
亜姫は恋愛に興味が無い。初恋すらまだだ。
ある時「トキメキって何?」と真剣に考えた事があったのだが。
あまりのしつこさに面倒臭くなった麗華が
「好みのおっぱい見つけた時に高鳴る気持ちがあるでしょ。それよ」
と適当に答えると、
「なるほど!」
と満足して終わった恋愛ポンコツ。
麗華は『男なんてろくでもない生き物』と思っているので、そもそもシモがだらしない男は論外。イズミとやらなど、語る価値なし。
なので、二人ともオネダリしまくってまでシたがる気持ちがわからない。
「そこまでして彼と、って……どうしてだろう?」
琴音は、よくぞ聞いてくれました! と言うようににやりと笑う。
「とにかく、スゴいらしい」
「へ?」
「話しかけても返事ひとつせず、会話は不成立。行為は一方的で態度は冷酷そのもの、だけど乱暴なわけではなく。あの見た目と仕草が壮絶な色気を放ち、視覚だけでもヤバいのに、行為も上手くて激しいと。
一度したら忘れられないんだってさ、和泉のセックス」
亜姫は再び大量のカフェオレをぶちまけた。
そしてまた二人に怒られ、これは全部イズミとやらのせいだと思った。
◇
耳に入る卑猥な音。今日も同じ繰り返し。
和泉はうんざりしていた。
会話なんかしない。女が興奮すればするほど逆に冷める。これの何が楽しいのか。
目の前の女が誰かなんて知る気もない。この先視界に入らなければそれでいい。ただ、それだけ。
しつこくつき
たった一度をこんなに望む。その気持ちは、和泉には全く理解出来ないものだった。
しつこい女には慣れている。というか、諦めている。無視や否定は無駄なだけ。
近づく奴らも、遠巻きの不躾な視線も、好き勝手言われる事も。全て、どうでもいい。
毎日こんなんばっか。言葉も会話も要らねぇな、それに何の意味がある? 何もかも邪魔、面倒くさい、つまらない。
なんで生きてるのか……それこそ意味が分からない。
こんなの、誰としてても同じだし。同じ行為、同じ光景。そもそも、子作り以外にセックスなんて不要だろ。
和泉がとりとめのないことを考えていると、足音が聞こえてきた。何気なく入り口へと目を向ける。
すると、少し開いた扉……そこを通った女と目が合った。女、と言うより「女の子」という表現が合いそうな子だった。
目を見開いたその子の顔が一瞬でトマトみたいに赤く染まる。だが、それは次第に軽蔑の表情へと変化した。
そして、「最低……」と呟きながらその子は立ち去った。
和泉は校内でしかシない。外に出てまで関わりたくないから。
望んだことは一度も無い。だが、仕方がないと遥か昔に諦めた。
二人きりの状況や誤解を与えるようなことは一切ない。面倒ごとは御免だ。
室内なら扉を少し開けておく。
屋外なら、人に見られそうな場所で。
見られたくないならやらなきゃいい。それで女が去ったら好都合──そんな奴、見たことないけれど。
今日の女は、見られたことに気づきもしない。
変わらぬ現実に、ますます生きる気をなくした。
────あ。
和泉は不意に思い出した。
あの子。前、校門に立ってた。
あの時は笑ってた。
今日は笑ってなかった。
……笑わないか、こんなの見たら。
そう思ったのは、ほんの一瞬。
和泉はいつものように、考えることを放棄した。
◇
「麗華……見た?」
「一瞬ね」
初めて見た。衝撃的すぎて言葉にならない。
なにあれ、何あれ、ナニアレ!! あんな所であんなこと!
だけど、男の人は冷たそうだった。いや、つまらなそう? どうでもいい……? その表現が一番合いそうな……
「亜姫!」
麗華の呼ぶ声にハッとする。
「大丈夫?」
「あっ……ごめん、ボーッとしちゃった」
「でしょうね、亜姫には刺激が強すぎるもの。……あれよ。例の、和泉魁夜」
あれが! イズミとやら!!
「あれが、オネダリしてまでしたいこと……?」
どう見ても、楽しそうには見えなかった。
女の人はあれがいいのかな。
でも、イズミとやらはそう思ってないような……?
オネダリで渋々だから? 本当は嫌だから?
でも、結局彼は受け入れてるわけで。
なら、相手に対してあの態度は失礼じゃない?
亜姫の口から低い声が漏れた。
「やっぱり、最低……」
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