第29話胡錦濤さん、西園寺一晃さんとの関係

これは、書いてもいいのか迷ったのですが。墓場まで持って行っても仕方ないので書きます。

中国の前国家主席、胡錦濤(こきんとう、フージンタオ)さんと、西園寺公望のひ孫、西園寺一晃(かずてる)さん。そしてわたしの父、弁護士根岸隆は同い年の80歳です。なぜ、この三人が繋がるのかというと。


話は戦前にさかのぼります。明治時代の総理大臣、西園寺公望には二男一女がいました。そのうちの長女が山口の「毛利家」の八男、「毛利八郎」に嫁ぎます。その子どもが西園寺一晃さんの父親、西園寺公一(きんかず)さんです。

公一さんは若い頃、新橋の芸者と駆け落ちして西園寺家を勘当されます。そして、できた子どもが一晃さんだったのです。

西園寺公一さんは、西園寺家を勘当されたにせよ、「西園寺」の名前は強いですから、侯爵として国から多額の恩給をもらって生計を立てていました。ところが。日本が太平洋戦争に敗れ、華族制度が一夜にして廃止されてしまったのです。


生活に困った戦後の西園寺公一家に数人の若い戦後成金が、「お世話します!」と手を差し伸べました。その一人が、わたしの母方の祖父。松井財閥創始者の「松井一貫(いっかん)」でした。


結局、浅草橋のガード下で、運送会社「丸一」、食堂「祝一」を営んでいた、松井一貫の下に西園寺家は身を寄せます。


当時、日産自動車創業家の鮎川というのが、わざわざ浅草橋まで来て、

「なんだ、お前こんなトコに住んでんのか(笑)」と嫌味を言いに来たそうで。

温厚で知られる祖母、松井一貫の嫁、松井みのが、のちのちまで、

「「こんなトコロ」だなんて失礼しちゃうわ!」

とプリプリ怒っていました(笑)。それはともかく。


松井財閥に身を寄せた西園寺公一さんは、戦後、参議院議員選挙に共産党系から出馬して当選します。祖父、松井一貫も西園寺公一さんを選挙に勝たせる為に随分奔走したようです。そして、政治家を数期務めたのち、突然、中国共産党から、西園寺家を国賓として迎えたいというオファーがあり、西園寺家は中国に渡ります。


これは、わたしの父、弁護士根岸隆の推測なのですが。恐らく、当時の中国首相、周恩来が、国際社会復帰を狙って仕掛けた手なのではないかと。当時の中国は、国連常任理事国と言えば台湾でしたから。アメリカも日本も、中華人民共和国を正式な国とは認めていなかった。

国家主席の毛沢東は「それで構わない」という立場でしたが。周恩来はもう少し現実主義者。国際社会復帰を焦っていた。そんなときに、西園寺公一さん一家に目を付けた。

「西園寺」のネームバリュー。共産党系から政治に出た経験。何らかの利用価値があると考えたのは間違いない。


西園寺家が中国に渡ったとき。西園寺一晃さんは高校生になるところでした。結局、西園寺一晃さんはそのまま北京大学に進学します。そこで、出会ったのが、精華大学の同級生、若き日の胡錦濤さんでした。


西園寺一晃さんにお聞きした話ですが。胡錦濤さんというのは、「自分の意見を言わない人」。皆が喧喧諤諤の議論をしていても、黙って静かに聴いている。でも、最後は皆、不思議と彼の周りに集まって行く。そんな不思議な魅力を持ったカリスマであったと。


ちなみに故安倍晋三首相の「安倍家」は西園寺さんの実家「毛利家」の家臣の家柄です。

そのため、生前の安倍晋三さんは西園寺一晃さんの事を「殿(との)」と呼び、西園寺さんも「安倍はわたしの家来よ」と言ってはばかりませんでした。


安倍晋三さんがgokiに優しかったのも、西園寺さんの存在が大きかったのでは、と推察されます(´・ω・`)。


西園寺一晃さんはうちの父弁護士根岸隆を相当頼っていたようでした。というのも、松井の一族の中で西園寺さんの本当の価値を理解できたのは父だけだったからです。

父は中国語は話せませんが、中国の歴史、政治、官僚体制には西園寺さんよりも造詣が深く、西園寺さんの話をすべて理解し、それを上回るアドバイスをできる唯一の人間であったからです。


中国の政治には、歴史的経緯から「親日派」というのは存在しないが、「対日穏健派」というのは存在する。その「対日穏健派」の筆頭格が胡錦濤さんであり、「対日強硬派」が江沢民さんであった。現在の国家主席の習近平さんは、はじめは江沢民さんに師事していたがのちに胡錦濤さんにくら替えし国家主席となった。


胡錦濤さんが国家主席であった時分、西園寺一晃さんは何度も極秘裏に中南海に呼ばれ胡錦濤さんに意見を求められたという。


安倍晋三政権初期、日本で排外主義的気運が高まっていた頃、西園寺一晃さんは胡錦濤さんに呼ばれ、

「わたしは最近の日本人のことが信じられなくなっている。わたしは昨夜2時間しか寝てないのでこれから仮眠を取るが、今の日本の情勢をわたしの側近に話しておいてくれ、西園寺」と。


そこで、西園寺一晃さんは当時の日本の状況を胡錦濤さんの側近に説明した。排外主義に傾斜しているのは一部の日本人に過ぎないこと。極右政権がそう長持ちするとは思えないということも。


筆者の父親、弁護士根岸隆は、

「少なくとも2010年代までは、日中関係のキーマンは間違いなく胡錦濤-西園寺一晃ラインだった。田中真紀子と王毅なんて問題外なくらい」という。


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