73話 望んでもいない再会
「少し想定と異なるが、まさか向こうからこちらに来てくれるとは思わなかったな」
呟いたヴォルテールは、アンドルゾーヴォの街中を影のように駆ける。
ハンス皇子の私兵団は、街中で遭遇する野生のドラゴンに怯えるばかりで、ろくな探索ができていなかった。
そもそもなぜミルカを追おうとしているのかも分かっていないので、街の人間への聞き込みもいまいちはかどっていない。
無様、の一言に尽きる。
「おまけに、アンドルゾーヴォの人間は、全て俺とミルカ嬢の味方だからな」
何人かの町人に、ミルカは湖のほとりに住んでいる、と証言するように伝えてある。
そうすればハンス皇子たちは湖へ向かうだろう。
ク・ヴィスタ共和国の国境と接し、冬の間は彼らとアンドルゾーヴォを繋ぐ道となってくれる、湖へ。
「カイル。首尾はどうだ」
ヴォルテールが声をかけたのは、首元の琥珀のペンダントだ。
その琥珀を通じて、上空を舞うカイルと魔法で会話ができるようになっている。
カイルの声がペンダントから響いた。
「『順調だ。ハンス皇子とその私兵団は皆湖に集まっている』」
「周囲の状況は」
「『ぬかりなく。武装した兵とドラゴン、約五十体に囲ませた』」
そうしてカイルは、からかうように尋ねた。
「『殺しても良いのだろうな?』」
「やめておけ。第二皇子を殺せば謀反だ」
「『つまらんな。……ならば早く湖まで来ることだ。退屈した私が、うっかり第二皇子を殺してしまわぬように』」
「ドラゴンのしたことならば許される、というほど人間社会は甘くないぞ。大体お前のようなアルファドラゴンが、うっかりで人を殺すことなどまずないだろう」
「『そこはお前が上手くカバーしろ』」
傍若無人な発言に、ヴォルテールは思わず苦笑した。
「傲慢なアルファドラゴンめ。――あと十分で着く」
「『了解。あまり待たせるなよ』」
そうしてヴォルテールが湖に着いた頃、ハンスとその私兵団は、寒さに震えながらありもしないミルカの家を探していた。
装備は不十分。指揮はめちゃくちゃ。
ハンスが思いつきでここまでやって来たことがよく分かる。
焦りと怒りを叫び散らかすハンスを見ながら、ヴォルテールはゆっくりと彼らに近づいた。
「何をお探しかな」
「お前は……はん、ヴォルテール・バルトか。ちょうどいい、ミルカを知らないか。ここへ流罪とした女だ」
「何のために彼女を探す?」
「あの女、私の恋人であるアンナに、妙な入れ知恵をしたんだ。だからアンナは王宮から去ってしまった! プラチナドラゴンの件もある、ミルカは私に説明しなければならないことがたくさんあるはずだ!」
口の端に泡を浮かべながら叫ぶハンスを、ヴォルテールは醒めた目で見ている。
「――本来であれば、このように狩りを締めくくるはずではなかった。アンナとやらが王宮から逃げ出したのは、我々にとっても寝耳に水。計算外の女であったが、狩りを早めてくれたことには礼を言わねばならないな」
「……何の話をしている?」
「お前には罪があった。ゆえに我らの獲物となった。――しかし、だ。第二皇子に敬意を払い、申し開きの機会を与えよう」
ヴォルテールが右手を軽く上げると、上空からカイルが下りてきた。
「な、な、なんだあの巨大な化け物は!?」
姿を消す魔法を使っていたのだろう。
空中から急に現れたように見える巨大なドラゴンに、ハンスと私兵団は口をあんぐりあけ、無様に雪面に尻もちをついた。
と同時に、ケネス率いるドラゴン部隊が、森の中から飛び立つ。
ドラゴンたちは円を描くように飛び、その上に乗った男たちは銃を構え、ハンスたちが逃れられないよう目を光らせている。
唐突な展開に、ハンスはただ瞬きし続けることしかできない。
しかし腐っても王族と言うべきか。彼は気を取り直したようにヴォルテールを睨みつけた。
「ヴォルテール・バルト! お前は……お前は、金に目のない男ではなかったのか。北方辺境の統治などに微塵も興味のない、享楽的な男ではなかったのか」
「いいや。私は北方辺境の領主だ。お前に見せていた姿は演技、かりそめのもの」
「なぜ演技など……!」
「お前を騙すために決まっているだろうが」
そう言ってヴォルテールは、何かを聞きつけたように顔を上げた。
「――来たか」
空を見上げればそこには、イスクラに乗ったミルカの姿があった。
*
時間は少し遡る。
今日は自室にいるように、と言われていたので、イスクラと共に長椅子に腰掛けている。
それにしても落ち着かない。何度も窓の外を見てしまう。
(ハンスはもうここまで来たかしら。それにしても、どうして北方辺境なんかに……?)
何をしに来たのだろう。タリさんはハンスのことを、狩られる獲物であるかのようなことを言っていたけれど。
私の膝に頭を置いていたイスクラが、はっと顔を上げた。
「……『呼ばれている』」
「えっ?」
「『ミルカ』『毛の鱗』『着て』『赤い宝石』『ついてる』」
毛の鱗とは毛皮のコートのことだ。
イスクラが鼻面で押してくるので、私は赤い宝石のついたコートを羽織った。
似合っている、とイスクラはご満悦の表情だ。
「これでいい? それで、私はどうすればいいの」
「『乗って』」
窓辺に足をかけるイスクラは、既に私のハーネスを手にしている。
これほど彼女が急ぐのは珍しい。窓から飛ぶのは危ないから、という私の言葉をよく聞いてくれていたのに、どうして今日はここまで急ぐのだろう。
「誰かが危ない目にあっているの?」
「『違う』『でも』『急いで』」
私は言われるがままにハーネスをつけ、窓から慌ただしく飛び立った。
どうやらイスクラは、湖の方に向かっているようだった。
真冬には凍り付いて、ク・ヴィスタ共和国との道になってくれる、湖だ。
湖の上にはカイルの姿があった。大きいからすぐわかる。
(それだけじゃない、上空にはドラゴンたちが飛び回ってる。まるで何かを取り囲むみたいに……)
目を凝らした私は、はっと息をのんだ。
私の姿に気づいたのだろう、その人もまた私を凝視し、憤怒の表情を浮かべた。
そこにいたのは。私のかつての婚約者。
「ハンス……!」
「ミルカめ、ついに見つけたぞ!」
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