50話 エスコート
私は右側にイスクラを、ヴォルテール様は左側にカイルを従え、扉の前に立つ。
この日の為に着飾った従者たちがどこからともなく現れ、扉をそっと押し開け始めた。
背の高い扉だから、開けるのも一苦労だ、なんて呑気に考えていたら、ふと気づいてしまった。
(あら? このままだと、パーティのホストと一緒に登場することになってしまわないかしら?)
それはホストの家族か、近しい知り合いのみに許された行為だ。
だが扉は既に開かれつつあり、ホール内のまばゆい光が廊下に差し込んでいた。
もう後戻りはできない。
(腹を括るしかなさそうね)
急に緊張してきた。王宮で学んだ立ち振る舞いや細かいマナーを、私は覚えているだろうか?
数少ないパーティ経験を振り返っていると、あの時味わった苦い思い出まで蘇ってきた。
(ああ、だめ。思い出してしまう)
誰からも誘われなかったダンス。聞こえるようにささやかれた陰口。
皇子の婚約者でありながらないがしろにされるという屈辱。
傷のあるドラゴン女と言われ、誰からも相手にされず、窮屈なヒールの痛みに耐えていたあの夜。
(でもきっと、あれが私にふさわしい扱いだったのかもしれな――)
「ミルカ嬢」
ヴォルテール様の声にはっと我に返る。
顔を上げると、ヴォルテール様の慈しむような微笑みが見えた。
「今宵のあなたは本当に美しい。ドレスも宝石もよく似合っている」
「ありがとうございます。ヴォルテール様が選んで下さった品のおかげです」
「いや。あなたが美しいのは、あなた自身の生きざまが美しいからだ」
予想だにしなかった言葉を受け、私は何も考えられなくなる。
「日々をおろそかにせず誠実に過ごし、慈しみを以て他者と接する。だが、困難に立ち向かうことも臆さない。そういった心の強さや美しさは、おのずと外見にも現れるものだ」
「あ……」
「どうせあなたのことだろうから、自分はこのドレスに値しないなどと自分を卑下していたのだろうが」
「ど、どうしてお分かりになるんですか」
思わず口走ると、ヴォルテール様はふっと笑みを深めた。
「分かるとも。あなたのことは、何でも」
「またそういうことをおっしゃる……!」
ヴォルテール様の手のひらで上手く転がされている。
少しだけ悔しくなって、私はカイルを見上げた。
「そんなにおからかいになるのなら、今回の夜会はカイルとイスクラにエスコートしてもらいます」
「ん?」
「良いでしょう、カイル?」
カイルは私とヴォルテール様を交互に見てから、喉の奥で唸った。イスクラが言葉を訳してくれる。
「『カイル』『良いって』『言ってる』」
「なっ」
「ありがとう、カイル」
澄ました顔でカイルに近寄ろうとすると、ヴォルテール様が割り込んでくる。
おほん、と咳ばらいをしてから、そっと腕を差し出した。
「すまない、からかいすぎた。あなたをエスコートする栄誉は、どうか私に与えてくれないだろうか?」
「……しょうがないですね? なんて嘘です、ごめんなさい。私の方こそ、ヴォルテール様にエスコートして頂けるなんて、光栄です」
私はヴォルテール様の腕に手を乗せた。
ぐっと体を寄せると、体温と息遣いが近くなって、少しだけどぎまぎする。
ヴォルテール様がため息をついた。
「焦った」
「え?」
「あなたが本当にカイルとイスクラと共にホールに向かうんじゃないかと思った」
きっと本心から出た言葉なのだろう、その声は安堵を色濃くにじませている。
私は思わず笑ってしまう。
するとヴォルテール様が、私につられて子供のように破顔した。
心底嬉しそうに、北方辺境領主としての威厳なんかなかったみたいに、にっこり笑ったのだ。
その顔を見て、胸がきゅうっとしめつけられるのを感じた。
(そんな顔もできるのね。……かわいい)
私は前を向き、唇を引き結ぶ。
もうここは王宮なんかじゃない。北方辺境、雪に閉ざされた、ドラゴンたちと共に生きる街。
そして私の横には、私を好きだと言ってくれるドラゴンがいて。
どういう理屈か分からないが、私を好きだと言ってくれる人がエスコートしてくれる。
もう、足と心の痛みに堪えながら、壁にへばりついていた私ではないのだ。
(大丈夫。今までとは違う、一人じゃないのよ)
扉が完全に開け放たれ、広間のざわめきが聞こえてくる。
ヴォルテール様は表情を取り繕い、北方辺境領主の仮面をかぶると、静かに一歩を踏み出した。
こうして私は、ヴォルテール様と二頭のドラゴンと共に、北方辺境の夜会に足を踏み入れたのだった。
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