32話 魔法について
「この辺りなら大丈夫そうかしら」
冷え込みが厳しくなってきた早朝、私とイスクラは、二人だけで山の上を飛んでいた。
一応ケネスさんからも了承をもらっている。この時間なら、野生のドラゴンは眠りにつく頃なので、危険は少ないのだそうだ。
東の空には既に朝日が見え始めている。
イスクラの白い体表に、
「『体』『ぬくい』」
「体は温まった? じゃあ、あの岩肌に火を吹いてみて」
イスクラはすうっと息を吸い込むと、何もない岩に向かって焔を吐いた。
それは彼女が最初に見せた焔よりも遥かに小さかったが、馬一頭分をやすやす飲み込んでしまえるほどの大きさだった。
「ちょうどいい大きさの焔よ! コントロールできてるじゃない、イスクラ!」
「『嬉しい』『できた』」
「すごいわ。もう一度できそう?」
イスクラは再び同じ大きさの焔を放つ。それは岩肌を撫で、空中に散っていった。
彼女の様子を見る限り、この程度であればあまり体力も消耗しなさそうだ。
(それに、大きさの焔ならいつでも出せるみたいね。問題は最大火力……)
「大きな焔は出せそう?」
「『もっと』『熱く』『早く』」
「この間のように、加速して体温を上げてからでないとだめなのね。火吹き種はそういうものなのかしら、それともイスクラがまだ若いからかしら……」
私はイスクラの上で、首から下げた帳面にメモを取る。
イスクラは滅多にお目にかかることのできない火吹き種だ。観察項目は
(あのくらいの大きさの火だって、人間に向けられればひとたまりもないわ。やっぱり火吹き種は、攻撃能力が高い……。でも、その力を人間が勝手に使うなんて、絶対にあってはならないこと。用心しないとね)
思いついた仮説を書き留めていると、イスクラがふいにホバリングを止めて翼を畳んだ。
「きゃっ……!」
落ちる、と思った瞬間、イスクラがまた翼を広げてホバリング体勢に戻る。
彼女は首をこちらに向けると、不服そうに鼻息を吐いた。
「『見て』! 『私だけ』!」
「もう、イスクラったら……!」
私がメモにかまけているからすねたのだ、このドラゴンは。
(まったく、人間の子供みたいなことをするんだから……! まあ、そういうところが可愛いのだけれど)
他のドラゴンも、言葉が通じれば、こんな風に豊かな感情を持っていることが分かるのだろうか。
「そう、感情も研究ポイントよね。人間が勝手に感情のようなものを見出しているだけなのか、ドラゴンたちに元々備わっているものなのか、それとも人間との生活の過程で習得したものなのか……」
例えば野生の火吹き種がいたとして、彼らは人間に話しかける時にどんな言葉を使うのだろう。
南方の大陸では当然こことは違う言葉が使われているようだが、そこに生息する火吹き種が仮に私に話しかけたとして、それは何語になるのだろう。
そもそも、今イスクラが用いている言語は何?
「あなたの声って、あなたが喉から声を発しているっていうより、頭に直接届いている感じがするのよね。他の人は鳴き声さえも聞こえていないみたいだし」
きゅう、という鳴き声が、私には「見て」という呼びかけに聞こえる、というわけではない。
ただイスクラが望んだ時、言葉を介さずに、私だけに意思を伝えているようなのだ。
もっとも、それは素朴な言葉の連なりで、人間の会話のように流暢にはいかないのだけれど。
「これが魔法なのかしら。だとしたら凄いことよね。ドラゴンはどうやって魔法を使っているのかしら」
ドラゴンの使う魔法については、正直分かっていないことの方が多い。
というか、ドラゴンの生態の謎めいた部分を、魔法という言葉で済ませているといった方が正しい。
「魔法。千年前に滅びたと言われている、大気の力を用いた不思議な術……」
魔法についての記述はさほど多くはない。だが千年前は、人間の八割が使用できる技術だったのだそうだ。
何もない場所に火を灯したり、物体の温度を下げたり、水を固定して、バケツなしでも運べるようにしたり。
昔の人々はこの魔法を使って、ドラゴンと共に一日千里を駆けたという。
「人間もそういう魔法が使えたら、きっと楽しいでしょうね。あなたたちが食べる五十キロ超えの餌を、息を切らせて運ばなくても良いし、こんな風に乗せてもらわなくても、肩を並べて空を飛べたかも」
空を飛ぶというのは、人間の夢だ。
だから王宮でも、ドラゴンに乗って空を飛ぶというのが、賓客への一番のもてなしになったわけなのだから。
(それに魔法が使えたら、女だって男と同じことができるはずよね。そうしたら、お婿さんを取らなくても、私一人でアールトネン家を存続させられたのかしら……)
子供っぽい妄想だとは分かっている。でも、考えずにはいられなかった。
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