26話 暖炉の前にて



 落ち着かなくて、何度も何度もスカートを手で直す。

 髪を結ばないで下ろしたままになっているのが、何となくそわそわする。普段巻かない髪の先が、ふわふわと鎖骨や腕に触れてこそばゆい。


(うう、タリさんが『髪は下ろした方が絶対に可愛いので! 下ろしましょう! ついでに巻きましょう!』なんて言うから……!)


 私が身にまとっているのは、白いシンプルなドレスだ。けれど織りの入った生地でしっかりしているし、ベルトには緑と銀の緻密な刺繍が施されていて可愛らしい。

 何でもこれは、ヴォルテール様から私への贈り物なのだそうだ。


(同じような室内用のドレスが他にも数着あったから、きっと私の持ってる室内着がボロボロだってバレたんだわ……。背中が開いてないデザインだったのが幸いね。そうじゃなきゃ、せっかく頂いたのに着られないもの)


 全てのお金は、ドラゴンの餌代と自分の外出着に施す宝石に費やしてしまったので、室内着に割く余裕がなかった。

 もちろん皇子は私に何か贈り物をしてくれたり、お金を援助したりなどはしてくれなかったので、必然的にぼろばかりになってしまったのだ。

 そしてそれは、この屋敷の人には筒抜けだった、というわけ。


(二重の意味で恥ずかしい……。これ、袖が広がっててちょっと可愛いデザインだし、私には似合わないし……)


 だが、これからヴォルテール様にお会いするのに、贈って頂いたものを着ないのも失礼だろう。

 私は意を決して、ヴォルテール様の私室のドアをノックした。


「どうぞ。鍵は開いている」

「し、失礼します」


(ええい、ままよ!)


 ヴォルテール様の私室に入った私は、その散らかりようにびっくりした。

 整頓されていた机の上には、古い書籍や羊皮紙、タペストリーといった古色蒼然こしょくそうぜんとしたものが、所狭しと並べられている。

 椅子の上にも資料が溢れているから、部屋の主がソファの手すりに腰かけている始末だ。


「ああ、すまないな。今火吹き種について調べていたところだ」

「すごい、こんなに古い記録があるのですか。このタペストリーなんて、触ったらぼろぼろになってしまいそう」

「ドラゴンに関する資料は高く買っているからな。商人たちもそれを聞き付けて、どんな情報でも持ってきてくれる。玉石混交だから見分けるのが大変だが」


 そう言って、くつろいだ白いシャツ姿のヴォルテール様が顔を上げる。

 少し怖い印象を与える顔が、ふと緩んだ。


「贈ったドレスを着てくれたのか。似合っている」

「え、ぁ……ありがとうございます。こんな素敵なものを……頂き、まして……」


 言葉が尻すぼみになってしまったのは、私のせいではないと信じたい。

 ――だって、ヴォルテール様が、やけに熱っぽく私を見てくるから。

 いつも冷静に辺りを観察している灰色の瞳が、まるで狼が獲物を狙うように、じっと私に注がれているから。


(私いま、顔、赤いかも……。いけない、こんなことじゃ。しっかりして!)


 私はぎゅっと目を閉じてから、頭を切り替えた。


「火吹き種について、何か分かりましたか?」

「ああ。幼体はヴィトゥス種のそれとかなり似ているらしい。火を吹く器官が発達し、体に朱色か薄桃色の模様が出ると、成体になったという合図なんだそうだ」

「なるほど……」

「ミルカ嬢が言っていた通り、飛行を繰り返すことで、火を吹く器官を発達させるのだそうだ。推測だが、野生のドラゴンから逃げる為に、全速で飛んだのが良かったのかも知れないな」


 ヴィトゥス種に比べれば飛行するのが下手くそなイスクラは、あまり飛ぶ機会に恵まれなかったのだろう。

 少しずつ育ちつつあったイスクラに、最後の一押しを加えたのが、野生のドラゴンからの逃走劇だった……ということか。


「ミルカ嬢は火吹き種のことをどこで知ったんだ?」

「アールトネン家は先祖代々ドラゴンの飼育に関わって来た一家でして、秘伝のスケッチブックがあるのです。そこに書いてありました。といっても、曾祖父が少し話を聞いた程度の情報しかないのですが」


 そもそもドラゴンは暖かい土地を好む種族が多いので、セミスフィア大陸にはあまり棲息していないのだ。


「南の大陸に行けば、もっと情報があるんでしょうけれど」

「あそこは妙な風が吹くからな。ドラゴンでも越えられる個体は少ないし、人間の船もなかなかたどり着けない。情報も入って来づらいのだ」

「そうですよね。火吹き種がこの大陸にいるなんて、初めてのことじゃないですか?」

「そうすると、ブランカはどこから来たんだろうな」


 ヴォルテール様はそう呟いて、一冊の帳面を私に差し出した。


「これはイスクラの飼育記録だ。最初のページに来歴が書かれている」


 言われたページを見ると、イスクラはヴィトゥス種の幼体として、隣国ク・ヴィスタ共和国のドラゴン商人から買い取ったらしい。


「この商人は、イスクラを卵から孵したんだそうだ。ヴィトゥス種の卵だと思っていたのだろう」

「ということは、火吹き種の卵が何らかの形で、ク・ヴィスタ共和国に紛れ込んだ……?」

「矛盾のない考え方をするならば、そうなるな」


 ちなみに、ドラゴンを手に入れる為には三通りの手段がある。

 一つ、卵を孵す。

 一つ、ドラゴン商人から、人に慣れた個体か、孵っていない卵を買う。

 一つ、野生のドラゴンを手なずける。

 上から順に、人間に慣れやすくなる。だからヴィトゥス種のように、人を乗せて飛んでくれるような種については、卵から孵すのが望ましい。


 けれど、ドラゴンの卵を人の手で孵化させるのは、非常に難しい。

 ゆえにドラゴン商人から買う、という選択肢が出てくるのだ。


「分からないのは、火吹き種の卵がなぜ隣国に紛れ込んだか、ですね。母ドラゴンがぽんと産み落としていったとは思えません。卵を産んだドラゴンは、卵にとても執着しますから」

「母ドラゴンが死んだか……。もしかしたら別の人間に売られる予定だったのかも知れん。それが何かの手違いでドラゴン商人の手に渡った――か?」


 ヴォルテール様は険しい表情をしている。

 眉間に深いしわが刻まれて、灰色の眼差しが微かな陰りを帯びる。


「――デザストル商会の仕業か?」

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