24話 火吹き種
それは不思議な眺めだった。
割れたコップから牛乳が流れ出すみたいに。
牧羊犬に追い立てられる羊みたいに。
――空にラジャニ・カラ種のドラゴンが解き放たれてゆく。
「っ、眺めてる場合じゃなかったわね!」
背後のドラゴンも危ないところまで迫っている。
パールは身を翻してそれを避けると、加速した。体が燃えるように熱く、ぐらぐらと煮え立つような音が耳を
解き放たれたドラゴンたちは、一直線にアンドルゾーヴォの街へ向かっていた。
「密集して飛行している今がチャンスよ……! パール、あの群れの上に出て!」
「『あと少し』『速く』『熱く』!」
風向きを確かめる。逆風でないことだけは慎重に確かめなければ。
パールは私の指示通りに、ラジャニ・カラ種のドラゴンたちの上に陣取った。
太陽光を浴びても、
(ここからなら……! うん、風向きも大丈夫!)
「『今』『あふれる』!」
「今よ! ――火を吹いて!」
それは、賭けだった。
パールが火吹き種である、という、根拠の薄い賭け。
けれど次の瞬間、パールの小さな口から吐き出された橙色の焔は、私が賭けに勝利したことを告げていた。
焔は風に乗り、頭上からラジャニ・カラ種のドラゴンに襲い掛かる。
小さな体から発せられたとは思えないほど、広範囲に渡る焔の攻撃。さながら天から降り注ぎ、地上を焼く神の鉄槌のようだった。
それを食らった哀れなドラゴンたちは、翼を焼かれて落下するか、逃げ惑っていた。
乗っている私でもかなりの熱を感じたのだから、焔の直撃を受けた彼らは、どれほど熱くて痛かったことだろう。
「これで、街へ向かうのは阻止できたかしら……!?」
ほうっと安堵の息を吐いた瞬間、背後にドラゴンの羽ばたきを感じた。
振り向けばそこには、私たちを追いかけて来たラジャニ・カラ種のドラゴンがいて――。
「しまっ……!」
鋭い爪の一撃を覚悟した時、黒い影が槍のようにラジャニ・カラ種のドラゴンを突き上げ、そのかぎ爪で首を捻り上げた。
巨大なそのドラゴンは、カイルだ。ヴォルテール様も乗っている。
首を捻られたラジャニ・カラ種のドラゴンは絶命し、静かに落下していった。
「ヴォルテール様……!」
「全くあなたは無茶をする!」
パールが火を吹くのをやめ、けほけほと咳き込んだ。
私は慌てて彼女の首をさすってやる。
「ありがとうパール、よくやってくれたわ!」
「パールは火吹き種だったのか……! 気づかなかった。ミルカ嬢はそれを知っていたのか?」
「まさか! ただ、彼女の様子に覚えがあったんです」
火吹き種のドラゴンは熱帯地方にしか棲息せず、ここ寒い地方ではほとんど伝説のような存在だ。
だから私も本物は見たことがない。
ただ書物の中で、火吹き種のドラゴンが幼体から成体になる瞬間について、読んだことがあるだけだ。
「その本によると、幼体のドラゴンはまだ火が吹けないんだそうです。体の中にある、火を吹くための器官が育っていないから。彼らは飛行を繰り返し、加速を続けることで、その器官を成長させていくらしいです」
ヴィトゥス種は、幼体の頃から飛行によって肺を鍛えることで、長距離の飛行が可能になると聞く。
恐らく火を吹く器官というのは、肺の機能と似たようなものなのだろう。
そうして火を吹く器官を成長させた火吹き種は、ある日物凄く早く飛ぶことでその器官を暖め、火を吹けるようになるのだという。
飛んでいる間ずっと聞こえていた、ぐつぐつ煮えるような音は、火を吹くための器官が熱されている音だったのだろう。
硫黄の匂いも、きっとその器官から発せられたに違いない。
咆哮が苦手なのも、ヴィトゥス種とは体のつくりが違うからだと推測できる。
「それに、私の頭の中に声が聞こえたんです。速く、熱く、って。きっとパールの声だと思ったんです。火吹き種は魔法を使うと言われていますから、人間に意思を伝えることもできると思いますし」
「そうだな。ドラゴンは魔法によって、私たちに意思を伝える。カイルがやっていることだ」
ヴォルテール様は呟くように尋ねた。
「あなたはその声を疑わなかったのか?」
「信じる理由もありませんが、疑う理由もなかったので……。火吹き種が火を吹く仕組みは不明な点が多いので、正直賭けでしたが、どうにかなって良かった」
「よく分かっていないのに、あんな位置に飛び出したのか?」
「えっと、は、はい」
「向こう見ずなことをする。あなたは武器を持っていないんだ、網から逃げたドラゴンたちにとっては良い獲物だ!」
「申し訳ございません。ラジャニ・カラ種のドラゴンに目をつけられまして、逃げている途中だったんです。あそこに飛び出すとは思ってもみなくて……」
何しろこの辺りの地形については不案内なのだ。
ヴォルテール様もそのことに気づいたのだろう、珍しくばつの悪い顔で、
「そうだったな。あなたは初めて狩りに参加したのだし、この辺りに来るのも初めてだった。すまない」
「いえ、実際危ない状況ではありましたし。助けて頂いてありがとうございました」
「いや……。むしろ礼を言わなければならないのは私の方だ」
ヴォルテール様は、焼け落ちるドラゴンたちを見下ろす。
翼を焼かれてもなお逃げ出そうとするドラゴンたちは、味方のドラゴンたちがきっちりと仕留めていた。
「黒朱病の治療方法は見つかっていない。ああして殺すしかないんだ」
「病気なら仕方がありません。他のドラゴンに伝染するのが一番怖いですから。戻り次第、ドラゴンたちに寄生虫が付着していないか、確認しないとですね」
「ああ。黒朱病は、本来であれば秋の終わりに見られる病気だ。この時期に見かけるのは珍しい。今後の狩りも注意しなければならないな」
頷いたヴォルテール様は、私に向き直ると、改まった様子で頭を下げた。
「助かった。あなたとパールのおかげで、ラジャニ・カラ種のドラゴンが街に殺到するという、最悪の事態を防ぐことができた」
「運が良かっただけです。あ、でも、パールにはたくさんご褒美をあげて下さいね」
パールが得意げにきゅうっと鳴いた。
改めて彼女の体を見ると、真っ白だった体色に、薄紅色の模様が入っているのが分かった。
首の辺りと角が、ほんのりとピンクに染まっていて、何だか愛らしい。
きっとこれが成体になった証なのだろう。
(珍しいドラゴンに乗れてラッキーだったわ! そうだ、地上に降りたら色々とパールのことを調べさせてもらえないか聞いてみよう。火吹き種なんて初めて見るもの、確かめたいことがありすぎる! ……あ、でもまずは、寄生虫が付着してないかどうかを調べる方に集中しなきゃね)
これからのことについて考えを巡らせながら、私はヴォルテール様の後に続いて地上に降りた。
地面に降り立つと、何だか全身がいつまでもぐらぐら揺れているような錯覚に襲われた。
よろけた私の腰を、パールが首でそっと支えてくれる。優しいドラゴンだ。
少し離れた場所に降り立ったヴォルテール様は、カイルから滑り降りると、そのまま私の方につかつかと歩み寄って来た。
そして、衝撃的なことを口にした。
「ミルカ嬢。パールをあなたに贈ろうと思うのだが、どうだろうか」
「はい?」
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