7話 北方辺境領主
「なっ、なんだ!?」
上から吹き付ける暴風に、執務官が泡を喰ったように立ち上がる。
私は夜闇の奥に目を凝らしていたが、ややあってその正体が分かった。
「ドラゴン……!」
巨大な漆黒のドラゴンが、緩やかにホバリングしながら塔の上に降り立つところだった。
こんなに大きなドラゴンは初めて見た。
王宮のドラゴン舎の、半分くらいの高さはあるんじゃないだろうか。
黒い鱗はビロードのようになめらかで、筋肉がしなるたびにその角度を僅かに変え、松明が投げかける光を微細に揺らめかせていた。
瞳は金色。三日月のように鋭く私を睥睨している。
(一目で分かる。このドラゴンは――アルファだ!)
群れで一番の親玉、ドラゴンを統べる最も強いオス。
私は自然と膝をつき、頭を垂れていた。風圧で髪がぐちゃぐちゃになるけれど、構っている暇はない。
横を見ればケネスさんも同じように頭を下げていたので、間違った行動はしていないようだ。微かに安堵する。
「その娘が流罪人か、ケネス」
問いかけの声は美しいバリトンで、私は一瞬この気高いドラゴンの口から発せられたものかと思った。
けれど違う。ドラゴンの背から軽やかに飛び降りたのは、一人の男性だった。
がっしりとした体躯は、無駄な肉のそぎ落とされた美しさを湛えている。
それでいて、肩にかかるほどの銀色の髪は、どこか上品な印象を与えるものだった。
身に着けている宝石の数こそ少ないが、上着の胸元にあしらわれたピジョンブラッドのブローチは、私の手のひらの半分ほどの大きさもある逸品だ。アルファのドラゴンに騎乗する者に相応しい。
髪の色に似たグレーの瞳が、私を検分するように細められている。
私は冷静さを装って口を開いた。
「初めてお目にかかります。ミルカと申します。これよりこちらの北方辺境で暮らすこととなりました」
「私はヴォルテール・バルトだ。この北方辺境の領主を務めている」
(領主がいたのね。こんなところにわざわざやって来たのは、どうしてかしら)
初めて知る事実への驚きを隠しつつ、私は膝を折る正礼をした。
ヴォルテール様は頷いて返礼すると、
「今日ここに連れて来られるのは流罪人と聞いた。どんな罪を犯したのだ?」
「ええと……」
私はどんな悪いことをしでかしたのだっけ。
一瞬考え込んでいると、執務官が横から補足した。
「この女が流罪となったのは、皇子の婚約者でありながら宝石に金を費やしたあげく、プラチナドラゴンの仔を正しく成長させられなかったせいだ」
「……それが罪だと? あなたは何も反論しなかったのか、ミルカ嬢?」
「何度か反論はしてきました。この身に纏った宝石は、ドラゴンと渡り合う為には必要なものなのだと。プラチナドラゴンの仔は――育つためには、王の聖なる力が必要なのだと。ですが、」
「苦し紛れの言い訳だ。聞くに値せん」
執務官の言葉に、私は苦笑する。
「要するに、初めから定められていたことなのです。皇子との婚約破棄も、流罪も、アールトネン家の断絶も」
「アールトネン……。確か何年か前にここを訪れた方だな」
「それは父です。数年前に亡くなりましたが、こちらを訪問した際はとても楽しかったと申しておりました」
「ドラゴンに関する有意義な意見交換を行った。知見があり、勇敢で、優しい方だった。……そうか、亡くなられたのか。お悔やみ申し上げる」
ヴォルテール様から優しい言葉をかけられ、私は静かに頭を下げて礼を述べた。
この地で、父へのお悔やみの言葉を貰うとは思わなかった。
返答の言葉を探していると、ヴォルテール様の灰色の眼差しが、さっと空に向けられた。警戒の色を浮かべている。
「……あれは、あなたが連れて来たドラゴンか?」
「えっ?」
ヴォルテール様の視線の先を辿ると、そこには――。
危なっかしそうに羽ばたく、小さな白いドラゴンの姿があった。
今にも墜落してしまいそうなほど、高度を落としている。
「あれは……ブランカ!」
どうしてここに。どうしてあんなに疲れ果てて。
けれど必死に羽ばたくプラチナドラゴンの仔は、私の声を聞き付けて、懸命に首をもたげた。
そうして私を見つけると、嬉しそうに鱗をこすり合わせ、ぐうぐうと甘えた声で鳴いたのだ。
だがそれが限界だったのだろう、ブランカの体が、まるで下から引っ張られたように、がくんと高度を下げる。
「危ない!」
(このままでは墜落する――!)
私は駆け出していた。こう見えて体力には自信がある。
よろよろと落下するドラゴンの仔を受け止めるべく、城壁の上をひた走る。
「間に合って……!」
足に力をこめ、城壁の上にジャンプして立つ。そして落ちるブランカ目がけて、空中に躍り出た。
腕をいっぱいに伸ばし、ブランカの体を抱き留める。
と同時に、自分が何も考えていなかったことに気づく。下がどうなっているかも確かめないまま飛び出してしまった。
(でも、私がクッションになれば、この子は助かるだろう。私の命なんて、プラチナドラゴンの仔の命に比べれば、ちり芥も同然)
それに、このまま死ねば、父と母の所へ行けるし。
ブランカの体を抱き込んで、強く目を閉じた。
その瞬間、私たちの下に黒い影が滑り込んできた。
「きゃっ!」
私はブランカを抱いたまま、何か暖かいものの上に落下した。
死んだ、わけではないようだ。
恐る恐る目を開けると、私たちはドラゴンの背中に乗って、空を飛んでいるところだった。間一髪のところを助けてもらったらしい。
そうだ、ブランカ!
「ブランカ、大丈夫!?」
腕の中のブランカは、ぐったりとして熱を持っている。目立った傷はなさそうだが、息が荒い。
けれど意識はしっかりとしていて、銀色の美しい目で私をじっと見つめている。
頭をそっとすり寄せられて、その体温に胸が締め付けられるような気持ちになった。
「もしかしてあなた、ここまで私を追いかけてきたの!? あの距離を、こんなに小さな体で……!」
ああ、きちんとお別れをすべきだったのだ。一方的にこのドラゴンの元を去るなんて、あまりにも不義理だった。
ブランカを抱きしめながら自責の念に駆られていると。
「ミルカ嬢」
「わっ」
ヴォルテール様が、どこか怒っているような顔でこちらを見ていることに気づいた。
(今になって気づいたけど、私たちが乗っているこのドラゴンは――アルファドラゴンね!)
「す、すみません、助けて頂いたのにお礼も申し上げず……!」
「問題はそこではないだろう。飛行用ベルトは」
「あっ、は、はい、これです」
ヴォルテール様は私のベルトと、ドラゴンのハーネスをカラビナで繋いだ。
それから私をじっとねめつける。さすがは領主、凄い眼力だ。居たたまれなさでお尻がむずむずする。
だがそれもつかの間のことで、彼ははーっと長い溜息をついた。
「とんでもないじゃじゃ馬が来たものだ。普通、ドラゴンを追って塔の上から飛び降りるか?」
「えーと……まあ、そこまで高くなかったですし。プラチナドラゴンの仔と私の命を天秤にかけたら、このくらいは……」
「天秤にかけるな」
ぴしゃりと言われて言葉を失う。
「王宮ではそんな贅沢が許されていたかもしれないが、ここは北の最果て、ろくなものが揃っていない北方辺境だ。人間、ドラゴン、いずれの命も大変貴重なものだ」
「貴重な……」
「だからむやみに投げ出すな。私も最後まで見捨てないから。……分かったな?」
最後まで、見捨てない。
その言葉がやけに胸に染み込んだ。私は何度か瞬いてから、微かに頷く。
ヴォルテール様は表情を緩めると、私が抱きかかえているブランカを見やった。
「よろしい。さて、まずはそのドラゴンの介抱をしてやらなければな」
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