5話 北方辺境のドラゴン


 馬車を六日走らせて、辿り着いたのはクイヴァニール。

 こぢんまりとした村で、近くの森で狩りをしていた男たちが、笑い声を交わしながら後始末をしていた。

 夏の終わりとは思えない程の冷たい風が吹きつけ、私たちは上着を引っ張り出して着用した。

 私の上着にはもちろん宝石がちりばめられていて、執務官は嘲りとも羨望ともつかない眼差しで私を見やった。


「まだ九月だというのに、これほど冷え切っているとは!」

「風が強いんでしょう。ドラゴンにとっては良い風ですが」


 強く吹きつける風は、ドラゴンの翼を鍛え上げてくれる。北方辺境のドラゴンは体が大きいと聞くが、さて、どんな生き物だろう。

 私の今の感情は、アールトネン家を断絶させてしまった後悔が九割。

 そして残りの一割は、異なる環境に置かれたドラゴンを、この目で見ることができるという喜びだった。

 どきどきしながら辺りを観察していると、冷静な男性の声が聞こえた。


「おや、あなたが流罪人ですか」


 振り返るとそこには、長い外套を纏った、長身の男性の姿があった。

 褐色の髪に白い肌。とび色の眼差しは厳しく私たちを観察していて、どこか忠実な猟犬のような印象を受ける。

 何よりも私の目を惹いたのは、その後ろに控える三頭のドラゴンだった。


 チョコレート色のドラゴンが一体と、黒色のドラゴンが二体。大きさは軍用馬の二倍程。

 鱗の質感、角の小ささ、そして翼の大きさからして、皆ヴィトゥス種と呼ばれる小型のドラゴンだろう。飛行に特化していて、人間を乗せてくれるほど友好的な種だ。

 ちなみにヴォーハルト王国も五体ほどヴィトゥス種のドラゴンを所有しており、私もよく面倒を見ていた。


「綺麗な翼! やっぱり自然の風で鍛え上げられているから、王宮のドラゴンとは体の大きさが違いますね」


 思わず口走ると、男性の横に付き従っていたチョコレート色のドラゴンが、得意げに首をもたげ、高い所から私を見下ろした。

 よく人語を解するのが、ヴィトゥス種の特徴だが、それでもこの反応は人間みたいで何だか可愛らしい。

 もっとも、隣の執務官は「気味が悪い」と呟いて、ドラゴンから慎重に距離を取っていたが。

 私は改めて男性に向き直り、膝を折ってお辞儀をした。


「ご挨拶もせず失礼致しました。ミルカ・アールトネンと申します」

「アールトネンの家は途絶えた。その名を名乗ることは許されない」


 執務官の冷徹な言葉に、私は苦笑して訂正した。


「というわけですので、今はただのミルカです。あなたとこのドラゴンたちが、私を北方辺境まで運んで下さるのですか」

「ええ、こいつらはよくクイヴァニールとの往復を担当してくれています。慣れた道なので心配なさらなくても大丈夫ですよ」


 そう言って男性は、胸に手を当てて腰を折る、正式なお辞儀をした。


「俺の名前はケネスといいます。見たところミルカ嬢は、ドラゴンに詳しいようですね」

「王宮でドラゴン舎をお預かりしていました。ヴィトゥス種に乗って空を飛ぶことには慣れていますし、自前の飛行用ベルトもあります」

「見せて頂いても?」


 私は数少ない自分の荷物からベルトを取り出した。

 革と金属のバックルで出来たもので、脚の付け根と腰に巻いて使うようになっている。

 このベルトを、ドラゴンが身に着けているハーネスに装着して飛行することで、落下を防ぐのだ。

 ケネスさんは私のベルトを改めると頷いた。


「ミルカ嬢はこちらの、ご自身のベルトでお乗り下さい。そちらの男性はどうされますか?」

「どう、とは?」

「見たところ、あまりドラゴンがお好きではなさそうだ。ミルカ嬢は私が責任を持って北方辺境へお連れしますから、ここでお帰りになっても構いませんよ」

「馬鹿を言え! 私はこの女が北方辺境へ追いやられる様を、この目で確かめなければならんのだ」

「それは構いませんが、ドラゴンは一人乗りです。騎乗している間は、私の指示に従って下さい」

「やむを得ないな。承知した」


 不機嫌な顔で呟く執務官。

 彼がドラゴンを見る目は、不審と拒絶に満ちていて、率直に言えば感じが悪い。

 ああいう態度はドラゴンにも伝わる。黒いドラゴンの内一頭が、顔を上げてぎろりと執務官を睨み付けた。


「あんな生き物のどこに乗るんだ。鞍もないじゃないか」

「一人乗りなら首の所にまたがるのが普通です。そこならドラゴンの羽ばたきを邪魔することもないですし、指示も出しやすいですから」

「指示? 指示を出すのか、私が?」

「いえ、集団飛行であれば、先頭のドラゴンに勝手についていってくれますから、大丈夫ですよ」


 心の中でこっそり付け加える。


(初めて会った人間の指示を聞く程、ドラゴンは気安い生き物ではないのよ)


「ケネスさん、あちらのドラゴンに近づいても良いですか」

「どうぞ。メスの方はサヤ、オスの方はティカといいます」


 私は二頭の前に慎重に近づいた。彼らが私の身に着けた宝石をちらりと見る。

 ドラゴンを支配したいわけではないが、彼らに侮られないようにするためには、この宝石が重要だ。ドラゴンには「宝石を多く持つ者ほど強い」というシンプルな価値観があるからだ。

 果たしてドラゴンたちは私を強者と認め、近づくことを許してくれた。

 私はさっと手を伸ばし、ドラゴンの顔周りに触れる。いずれも健康状態が良く、若い個体だ。


(さっき執務官を睨み付けた方はオスだから、こっちがティカね)


 もう片方はサヤで、私に顔を触られても落ち着いた様子でいる。それに首の鱗に、何度もハーネスを装着したであろう跡が残っていた。


「もしかしたら執務官さんは、サヤに乗られた方が良いかもしれません。メスで穏やかですし、人間を運び慣れている印象があります」


 ケネスさんが片眉を上げた。執務官はふんと鼻を鳴らしてそっぽを向く。


「そう言って私を荒くれドラゴンに乗せるつもりなのだろう? その手には乗るか」

「いえ、本当です。オスのドラゴンはどうしても気性が荒いですし、見たところティカはサヤよりも飛行経歴が浅そうですから、初めてドラゴンに乗る方は難しいのではないかと」

「お前の言葉は聞かん。私はそちらのオスの方に乗るぞ」


 どうなっても知りませんよ、という言葉はそっと呑み込んでおいた。

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