3話 別れの挨拶
ドラゴン舎の横、白い石造りの
観音開きの扉を押し開けると、既に私の気配を聞き付け、すぐ近くにちょこんと座っていた。
プラチナドラゴンの仔の第一印象は、白くて巨大な狼、といったところだろうか。馬よりは小さいが、犬よりは大きい。
長い首、鱗、角、翼、細い尾といった、東洋北方系ドラゴンの特徴を兼ね備えているのだが、触れると滑らかでシルクのような感触なのが、他のドラゴンと異なっている。
そして何よりも特徴的なのは、
オパールのような体色とあいまって、存在そのものが芸術品のように見える。
彼は目を見開いて、私のお腹に頭をこすりつける挨拶をした。これは信頼の証だ。
力加減を教えるのに苦労したけれど、おかげでもう挨拶のたびに私を吹っ飛ばすことはない。
頭をこすりつけられている間に、素早く健康チェックを済ませる。
「……うん、目も綺麗だし体色もいつも通り。顔周りの鱗にも引っかかりはなさそうね」
逆鱗というものがドラゴンにあるというのは、迷信だ。
だが顔周りの鱗は、そのドラゴンの機嫌と体調を如実に表すため、常にチェックが必要である。
こういったことは常に記録に残し、誰にでも引き継げるようにしている。どうか次の飼育人が、その記録を見てくれることを願う。
私は誰にも聞こえないよう、こっそりとドラゴンの仔の名を呟いた。
「ブランカ」
ドラゴンの仔は尾を振って応える。
ブランカというのは、私が彼につけた名前だ。
本当は勝手にそんなことをしてはいけないのだけれど、成体にならないと王族から名を貰えないというのも不憫だし、名前という概念を教えるためにこっそりつけた。
「私はここを離れることになったわ。名残惜しくはあるけれど、あなたのようなドラゴンと出会えたことは何よりの喜びだった。本当にありがとう」
深々と頭を下げる私を見、ブランカは首を傾げた。
この賢い生き物は、人間の言葉を正しく理解する。
踵を返す私の袖を、ブランカは優しく食んだ。
引き留めるような仕草に胸が締め付けられるが、私は努めて笑顔を浮かべ、そっと袖を引く。
「お願い、行かせて。私だってあなたと離れたくない、だけど……第二皇子の言葉には逆らえないの」
その言葉を裏付けるように、ドラゴン舎に仰々しい足音が近づいてくる。古馬車の、車輪がぎいぎいと軋む音も。
私は素早く身を翻したが、それより早くドラゴン舎の扉が荒々しく開け放たれた。
現れたのは、意地が悪そうに口元を歪めた、初老の執務官だった。
確か第二皇子の書類管理をしている男で、仕えている主と同様、私のことを嫌っていた。
執務官は十人もの衛兵を引き連れてドラゴン舎に入ってくると、私の腕を強く掴んで引っ張った。
「行くぞ。ぐずぐずするな」
「引っ張らないで……! 逃げようなんて考えてもいませんから」
「どうだかな。ここへ来たのも、このドラゴンを連れて行こうと考えていたんじゃないのか」
「とんでもございません!」
まるで罪人のような扱いだ。
ほとんど引きずられるようにしてドラゴン舎を後にすると、背後でブランカがきゅうきゅうと鳴いた。
子犬が母犬を呼ぶ時の声に似ているが、間違えてはいけない、あれは警戒音だ。
ドラゴンが怒る一歩手前の音。あれを聞いたら、すぐにでも頭を垂れ、赦しを請わなければならない。
けれど、男に腕を引かれている状態ではそれも叶わず、私は必死に叫んだ。
「きちんとお別れができなくてごめんなさい! さようなら!」
「きゅうっ!」
ドラゴン舎の扉は衛兵の手によって閉じられた。
私はそのまま、待ち構えていた古馬車に押し込まれた。
かび臭くて湿っていて、鼠の糞の匂いがする。
執務官は私の横にぎゅうっとお尻を詰め込んでくると、溜息をつきながら言った。
「まずは馬車でクイヴァニールまで向かう。そこから北方辺境まではドラゴンに乗る予定だ」
「ドラゴン……。確かにその方が良いと思います。北方辺境に行くためにはクリスト山脈を越えなければなりませんが、馬では難しいと聞きますから」
「知っているのか?」
「父が以前、ドラゴンの仕事で北方辺境まで行ったことがあります」
執務官は私の言葉を鼻で笑った。
「流罪地である北方辺境に行ったことがある? やはりアールトネン家はおぞましい一家だな。絶えるのも当然のことだ」
「――仕事ですから」
父が亡くなってから、この手の罵倒が直接私の耳に入るようになっていた。
無知な彼らにとって、ドラゴンを世話する人間は全ておぞましいものなのだ。いちいち反応していたらきりがない。
(そう思うけれど……どうしてそんなことを言われなくちゃならないのかしら)
セミスフィア王国が所有しているドラゴンは、プラチナドラゴンの仔を含めて十七頭。彼らの姿は国王の文様にも刻まれており、国威発揚のシンボルでもある。
しかしながら、彼らの生態は謎に包まれており、種族によってその性質も様々だ。
ドラゴン全体に共通して言えるのは、誇り高い生き物であるということと、宝石を好み、それを多く持っている者を上位者だとみなすこと。
その程度しか分かっていない生き物を育てていたのが、私たちアールトネン家だ。彼らの生態や風習を実地で学び、その技を受け継ぐこと百五十年。
唯一無二の技術者であるはずなのだ。けれどなぜか、最も汚らわしい仕事をしていると考えられている。
「ハンス皇子に感謝しろ。その身に帯びた宝石を没収しなかったのは、皇子の温情ゆえだ」
「……ありがたいことです」
(何が温情よ。女が身に帯びた宝石を取り上げるなど、蛮族だってしない行為だというのに)
ハンス皇子――第二皇子が産まれてから、特に私たちを蔑む傾向は強くなった。
父はどうにかその流れに抵抗しようとしていたけれど、ドラゴンと接している最中の怪我が元で亡くなった。
アールトネン家には私が残ったが、たかだか十六の小娘が何を言ったって、社交界の趨勢を変えられるはずもない。
「……」
そうして今日ついに、アールトネン家は途絶えた。私の代で。
それは、これから北方辺境に追いやられることが霞んでしまうくらい、恐ろしいことだった。
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