25 シュレディンガーの箱

「三ノ輪さん、あなたにだけ話しておきたいことがいくつかあります」

 深夜、酒もはいって盛りあがった食事がすんだ数時間後、スラリンガンが疲れきって眠るボクをゆりおこした。

 夕食前、ボクらは明日の正午の生配信に備えて何度もリハーサルを繰りかえした。なんだか子どものころの学芸会のようであった。ある意味、命がけの学芸会なんだけどね。

「なんだよ、スラリンガン。眠いんだけど」

「体力がおとろえているマンサメリケスはもっと眠い。あなたのなん十倍もね」

「わかってるよ、そんなこと」

 ボクは避難小屋のかたい床板の上から体をおこした。そしてかたわらで寝息を立てているマサメを見た。なんだろう? このせつない思いは。

「お話したいことのひとつは内藤元についてです」

「ハジメンがなんだよ?」

「あのユーパイパーはマンサメリケスの祖父、いわゆるおじいさんにあたる人物だということです」

「ああ、そうなの?って……なに!」

 ボクは一気に目がさめた。

「明日、配信予定の生動画、まず成功します。伸び悩んでいただけで三流でも二流でもない、実は超一流のユーパイパー、ハジメンが真摯しんしにのぞむ動画です。成功しないわけがない」

「そうか……スラリンガンの歴史観の中じゃユーパイプ作戦は成功するのか……まあ、よかった。けどなんで、あいつがマサメのおじいさんなんだ?」

「動画は成功するのですが、そのせいでハジメン、内藤元は彼の心配していた通り日本政府から圧力をかけられます、やんわりと目の敵にされます。安保条約を締結している米国を激怒させたのだから仕方がない。やがてあらゆるユーパイパー活動、経済活動に制限を科せられた彼は日本にいられなくなり、ミノウタス公国に亡命することとなるのです」

「なんだって? そんなことになるのか!」

 ボクは美晴のとなりで死んだように眠るハジメンを見た。ボクらが面倒を持ちこんだせいで彼の将来は激変してしまう……。

「だけど、なんで亡命先がミノウタスなんだ?」

「さあ……もしかしたらマンサメリケスに一目ぼれしたのかもしれませんね」

「なんだと!」

 思わずハジメンをにらみつけるボク。

「ま、そんなことはどうでもいい。結果、彼は亡命先のミノウタス公国で美容師の女性と恋におち、第一子、マンサメリケスの父親をさずかってしあわせに暮らします。よかったですねぇ」

「ちょっとまて、いいのか? それで」

「いいも悪いもそれが歴史的事実ですから」

「美晴はどうなるんだ?」

「さあ」

「そんな無責任な!」

「私はミノウタスの人間で、同胞であるマンサメリケスを未来から救出にきた。日本の女性である本条美晴の消息まではわかりかねます」

「そんな……」

「しかしながら私はお嬢さん、本条美晴も大いに気に入った。同じ時代に生まれていたなら、嫁にほしいくらいです」

「そうなのか?」

「逃がした魚は大きいですよ、三ノ輪さん」

「うるさい」

「彼女なら、どんな難局であろうと乗りこえていける。私はそう信じます」

「……そうかもな」

「はい」

「だけどなんで、そんな話をボクにする?」

「ダメ押しです。ハジメンにああはいったが、ユーパイプ作戦はやはりあなたの立案。先ほどのケアレスミスは、実はハジメンのせいではない。三ノ輪さん、あなたの責任です」

「……わかってるよ」

「いや、わかっていない。みなさんの頭脳であるあなたが細部まで統括しなければ、こたびの動画は失敗におわり、内藤元はミノウタスに亡命することもなくなります」

「それはそれで仕方がないんじゃ?」

「そうですか? そうなるとマンサメリケスは、この世に誕生しない。私が二〇二三年にきた意味がなくなります」

「明日、いや今日の動画が失敗したら、マサメの存在が消えてなくなるっていうのか?」

「はい」

「でも、それはおかしいだろ? あんたらの歴史では動画は成功するんだろ? さっきそういったじゃないか?」

「ははは……確かに」

「スラリンガン、なにをいっているんだ? なにがいいたい?」

 ボクは少しばかりイライラしてきた。あと数時間後にはユーパイプの生配信が決行される。台本ではボクのセリフはけっこう多いのだ。睡眠不足ではこなせないだろう。

「お話ししたいことのもうひとつをいいますね。明日の配信がおわったらマンサメリケスは私の時代に連れさり、治療を受けさせます。そして完治したのち、彼女いた二一二二年にもどします」

「ああ……そうだったな。マサメを頼むよ、スラリンガン」

 現代の医療技術では、おとろえゆくマサメを救える可能性は、ほぼない。

「いいんですか? それで」

「なにが?」

「わかりませんか? 明日の動画が成功すれば、マンサメリケスの時代は人類の絶滅をまぬがれる。かつて、あなた方の動画を見ていたという『スラ・リンガン社』を創設した一科学者の研究が、地球の破滅に歯どめをかけるからです。まあ彼は、その地球救済理論の論文のみをのこして、をとげるのですが……」

? 消されたのか? 地球の破滅を神の意志だとかなんとかいうバカが未来にもいるのか?」

 そうした宗教観は日本人には理解不能だ。

「わかりません。なにしろなので」

「いずれにしても、偉大な英雄だな。その科学者は」

「はい。ブラックホール接近によって荒廃はしたものの、その英雄のおかげで生きのこった地球で、マンサメリケスは希望をもって生きていくことでしょう」

「やっぱり地球の救済には『スラ・リンガン社』が関係するんだな。すごい企業だ、ボクも就職したくなってきたよ」

 今の成績では、まずむりだろうけれど。

「就職できるといいですね」

「ところであんたはなんで、スラリンガンを名のってるんだ? やっぱり『スラ・リンガン社』と関係があるのか?」

「さて。上のつけたコードネームなので。私には選択の余地はありませんでした」

「まあ、すごいな。英雄のコードネームをあたえられるほど優秀なんだ?」

「いやいや、それほどの者ではありません。では、ここで問題をだします」

「は?」

「三ノ輪さん、ミノウタス語で一、二、三。いわゆるワン、ツー、スリーってどういうか知ってます?」

アンツイスラだろ? 知ってるよ」

「ではミノウタス語でリンガンは?」

「は? 円とかサークルだろ? それがなんだよ?」

「おそらく、だから私はスラリンガンなんです」

「意味がわからない」

「いずれわかります」

 なんなんだ、この謎かけみたいな問答は? 眠いんだけど!

「……まあいいや。『スラ・リンガン社』の英雄のおかげで地球が助かるんなら結果オーライだ、よかったじゃないか。でもやっぱりスラリンガンはマサメとは別の未来からきたってことなんだな。なんだっけ? パラレル……違うな」

「多世界解釈ですか? 違います」

「だけどマサメは、人類が絶滅したって」

「いえ、悪いが彼女は人類が絶滅した瞬間を観測したわけではない。月がブラックホールの特異点に飲まれた以上、地球が無事でいられるわけがないという先入観。マンサメリケスの単なる思いこみです」

「じゃ、スラリンガンもマサメと同じ未来からきたってのか? だったら地球は助かっても、マサメの家族や仲間をボクらは救えないってことじゃないか……」

 たとえばスラリンガンの時代で治療をおえ、自身の時代に帰ったとしても、マサメは家族を救えなかったという事実に直面するだけなのか……マサメの泣き顔が見えたような気がした。そんなのダメだ! あってはならない!

「それも少し違います。いわゆる『シュレディンガーの箱』、重ねあわせ状態となるのです。未来はつねにゆらぐのですよ。マンサメリケスの家族が失われた世界と、救われた世界が重ねあわせとなりゆらいでいるのです。最終的に彼女が観測した二一二二年こそが真実となるのです。だってそうでしょ? 過去のできごとひとつでいちいち明確に未来が変化していたら、多世界分岐は果てしなく広がりますよ、そんなことあり得ない」

「かなり難解な思考実験だな」

「いえいえ、ごく単純です。未来への道筋は一本道、ただ重ねあわせとゆらぎがあるだけ」

「マサメはどっちを観測するのかな?」

「それこそ明日のあなた方の行動、未来への干渉しだいですよ」

「うん……ボクは、なんとしてでもしあわせな世界にマサメを送りだしてやりたい」

「はい。私もそう願います」

「ありがとう、スラリンガン。全力をつくすよ」

「それは当然ですが、本当にいいんですか?」

「だから、なにが?」

「あなたは明日以降、二度とマンサメリケスと会えなくなる」

「…………」

「今夜は三ノ輪さんにとって、マンサメリケスとの最後の夜なんですよ」

 そんなことはわかっていた。わかりきっているはずなのに、あらためて言葉にされると……そうかボクは、ボクはもうマサメと会えなくなるんだ。

「お嬢さん、山村刑事、ハジメン、みなさんの飲んだ、しめのお茶に薬を盛りました。現在、仮死状態です。そして私も……」

 スラリンガンは錠剤をかざして口にふくんだ。

「スラリンガン、なにを……」

「あと五分で私は寝ます。その後、仮死状態に入る。そのあとの時間は三ノ輪さんとマンサメリケスの自由時間……いや、眠い! どうか最後の夜を、後悔のなきよう……お過ごしくださいな……老婆心ながら……」

 昏倒する寸前、スラリンガンは小さくウィンクして見せた。キレイな片目だけのウィンクであった。

                         (つづく)

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