20 1Gの世界ということ

「それはそうと樹海まで、どのくらいかかるんだ? それ以前にここはどこだ? まだ東北なのか? それとも関東? あのチラシが青森で貼られてから、どれだけ時間がたったんだ?」

 スラリンガンにつめよる山村刑事。サイフや携帯電話だけでなく腕時計も警察バッジも、服以外のものすべてを米軍に回収されていた彼に、今の時刻がわかるわけがない(ボクもだけど)。美晴にいたっては、それなりにかせげるユーパイパーである今の彼氏から贈られたというネックレスや指輪、貴金属まで奪われたのだそうだ。

「そうよ! 私のお父さんや、お母さん、もう殺されちゃったかも!」蒼白になる美晴。「カレーなんか食べてる場合じゃなかった!」

 エグエグとしゃくりあげる美晴をなだめるようにいうスラリンガン。

「お嬢さん、大丈夫。まだ、あれから二時間もたっていませんから」

「本当に!?」

「はい。この3Dシアターの外は、まだあの日の夜。いくら米国が嚙んでいるとしても、まだ日本政府は動いていません」

「よかった……」

 うなずきあう、美晴と山村刑事。

 やれやれと思うボク。そんなわけがないだろ? 市販のルーで作ったカレーが、そんなに短時間であれほどうまくなるわけがないのだ。子どものころから日本式カレーライスばかりを食わされてきたボクがいうのだから間違いない。だけどここで美晴をこれ以上、泣かせるのは気が引けるし、意味がない。

「で? ここは日本のどのあたりなんだ?」

 ボクがいった。

「だからいったでしょ? ここは秘密基地だと。教えられるわけがない」

 いいあらそっている場合ではないのだが、ボクはちょいキレしてしまう。そして会話の流れで忘れていた疑問を口にしていた。

「政府公認の大使館でもない秘密基地とやらに治外法権が適用されるわけがないだろ! いいかげんにしろ、スラリンガン!」

「そりゃそうだ……」

 ささやくようにいう山村刑事。

「いわれてみれば、そうですね。いや、まいったなぁ」

 アチャーという顔をするスラリンガン。それでも笑っている。こいつマジ、ムカつく。

「で? 富士の樹海にはどういくんだ?」

 ボクらは美晴の彼、ユーパイパーの男に会わなければならない! それも早急に!

「うるさいなぁ……なにか問題か?」

 大木の根もとで寝かせていたマサメが目をさました。いずれおこさなければならなかったので手間がはぶけた。

「ほら、マンサメリケスをおこしてしまったじゃないですか?」 

「いいかげんにしろ!」

「早くしてよ!」

 ふざけた態度を取りつづけるスラリンガンに山村刑事と美晴がブチキレた。

「しかし、樹海まで連れていくとはひとことも明言していませんが」

「マサメの願いがかなうまでは協力するといっただろ!」

 ボクがどなると、こまり顔で苦笑いをうかべるスラリンガン。

「そうでした。そうなると……また麻酔薬でお眠りいただくことになりますが?」

「なんだと?」

 いよいよ我慢の限界をこえたらしい山村刑事がスラリンガンの襟もとへつかみかかった──のだが、同時にスラリンガンは山村刑事の心臓へハンドガンを押しつけていた。

 風があり、ザワザワとうごめく周囲の樹々の葉と同様に騒然となるボクたち。

「よせよ、スラリンガン。殺されたいのか?」

 マサメが指をボキボキと鳴らしながらスラリンガンを威嚇する。

「マンサメリケス、あなたに人は殺せない。結果、私は半殺しの目にはあうかもしれない。が、その前に刑事さんが死ぬ。どうします?」

 ミノウタス語に切りかえてマサメにこたえながらも、一切のすきを見せないスラリンガン。柔道の達人であるらしい山村刑事は反撃の機会をうかがっているようだが、当然ピクリとも動かない。動いた瞬間、殺されるとわかっているのだろう。

「どいつもこいつも人質か……どうなってるんだ、この時代はよ」

 戦意を喪失したらしいマサメは、スラリンガンに背を向けた。

「三ノ輪さん。刑事さんとお嬢さんに日本語訳をお願いします」

「わかった」

 と、しかいえないよ。

「マンサメリケス、私はみなさんをユーパイパーのいる富士の樹海へ連れていかないともいってない。ただ、この拠点がおかれている場所を知られたくないだけなんです」

「だからなんだ?」

「ここへきたときと同じように眠っていただければ、平和的解決が望めますが?」

「寝てるだけでいいのか?」

「もちろん。毒を盛る気ならとっくにそうしてました」

「……確かにそうだ。あのカレー、確かにうまいだけだったよ」

「はい」

「バカだな、スラリンガン」

「どうして?」

「本当はヤマムラに銃なんか向けたくないんだろ? だったらもっとうまくできただろうが? 不器用なんだよ。サトルみたいだ」

「はぁ?」

 日本語訳をしていたボクとスラリンガンが同時に叫んだ。

「寝てるだけでいいなら私はかまわないぞ。まだ全然、寝たりないからさ。なんか疲れが取れないんだよな」

「それは当然ですよ。マンサメリケス」

「なんでさ?」

「ええ……ああ、刑事さん」

「な、なんだ?」

 ハンドガンを左胸に押しつけられたままの山村刑事がうめくように、かすれた声でいう。

「マンサメリケスに、慢性疲労の原因について私なりの仮説を解説したいんですが、銃をはなしても私を襲いませんか? 元オリンピック選手に不意打ちをくらったら、はずみであなたを銃殺してしまうかもしれない」

「しない、しない!」

「では信じましょう」

 スラリンガンが銃をおろすと、山村刑事はどうと倒れた。枝葉をけちらし、あわててかけよる美晴。

「マンサメリケス、宇宙飛行士を思いうかべてください」

「なんの話だ?」

「重力1Gの地球にいた宇宙飛行士は、無重力状態の宇宙にでるとどうなります?」

「知らないよ」

「骨からカルシウムが尿として流れだし、筋力は極端におとろえます。人間の体は不思議ですね、無重力の中にいては高い骨密度も筋力も必要なくなるからです」

「なるほど……それがどうした?」

「スパイをなりわいとしているのもので、柴門博士との会話を傍受ぼうじゅしていたのですが、あなたは未来の世界で2・5Gとか、ときにはもっと激しい重力嵐にさらされてきたといっていた。もちろん未来からきたなんて話は信じていませんが」

「いちいちうるさい」

「すいません。では信じるとして、そんなマンサメリケスが、1Gの世界にきたらどうなります? この世界はあなたにとって無重力も同然なのです」

「まさか!」

 ボクが叫んだ! だからマサメは警察の装甲車両の後部ドアを一撃で蹴やぶれなかったのか!

「三ノ輪さん、そうです。1Gの時代にきて彼女は、並はずれた強靭な肉体を得た。しかし長くとどまれば、やがてマンサメリケスは廃人となります。自力では立てなくなるほど骨も、筋肉も弱く、もろくなっていくでしょうね」

「そんな……」

「無敵のイルミネーターも、人体のメカニズムの前では無力。だからそうなる前に本国に帰還して治療を受けさせなければならないのです。もしも本当に未来人であるならば、ですけどね」

「マサメ……」

 彼女はボク以上に衝撃を受けているようであった。ある意味、この時代での自身の肉体に絶対的な自信をもっていたせいなのかもしれない。

「マンサメリケス、あなたには時間がない。それに私は刑事さんも、お嬢さんも、もちろん三ノ輪さんも今、この時点で死なすことを望んでいない──え?」

 スラリンガンの視線の先に、哺乳動物が群れをなして集まっている。息も絶え絶えの山村刑事によりそっていた美晴がつぶやいた。

「犬? 野犬?」

「あれは犬じゃない……さがれ、みんな」

 スラリンガンはいいながら、銃をかまえる。

「犬じゃない?」

 そうだ! 母さんに連れられて、子どものころ博物館で剥製はくせいを見たことがある、確かあれは……。

「犬でも、違っててもどうでもいいです。スラリンガンさん、お願いしますから早く樹海に連れていってください」

 銃を手にしているスラリンガンにおびえているのか、美晴はひかえめに懇願している。

「お嬢さん、いいから黙れ……」

 スラリンガンが真顔で美晴の口を片手でつかむようにしてふさぎ、空に向かって数発、威嚇射撃した。とたんクモの子を散らすようにすばやく逃げていく犬のような動物たち。ほっとため息をもらしたスラリンガンは美晴の口から手をはなし、非礼をわびている。

「おかしいじゃないか、スラリンガン。今のもなんでもありの3Ⅾ映像なんだろ? どうして銃なんか使う必要があるんだ?」

 ボクの言葉にスラリンガンは口角をあげるのみであった。

「確かにな……」

 ようやく体をおこした山村刑事がいった。

「子どものころ犬にかまれたことがあって、それがトラウマに……なんて話しても信じませんよね?」

 ひょいと肩をすくめてみせるスラリンガン。

「あんたがいったんだ、あれは犬じゃない。あれは、日本じゃ明治時代に絶滅したはずのニホンオオカミだった」

「オオカミ? ニホンオオカミ!?」

 仰天ぎょうてんする美晴、そして山村刑事。

「スラリンガン、ここがどこなのかをあかすわけにはいかないんだよな?」

「その通りです」

「では質問を変えよう。ここはなんだ?」

とは?」

の時代の日本なんだ? そう聞いている」

「おやおや。刑事さん、お嬢さん。三ノ輪さんがおかしなことをいいだした。樹海にいきたいんでしょ? こんなヨタ話につきあう時間はありませんよね?」

「悟、本気でいってるの? 本気でここが明治以前の日本だと思っているの?」

 美晴の問いにボクはうなずく。

「ニホンオオカミが本物なら、野生のトキも本物だろ? 二〇二三年の日本にいるわけがない」

「私たちがタイムリープしたってことなの? どうやって?」

「スラリンガンは未来人だ。マサメがいる以上、ほかにいたって不思議はない。ただし彼女の話では百年後に人類は絶滅する。つまり絶滅は避けられたもっと先の別の未来、タイムトラベル理論が確立した別の可能性の未来からきた人間だとボクは思う」

「別の世界線、いわゆるパラレルワールドってこと?」

 いちおう理系の大学生である美晴は興味をもったようである。逆に山村刑事などはキョトンとしている。

「世界線という単語は、正直どうかと思うけど。でもそんなようなものかな?」

「刑事さん!」

 美晴の目に輝きがもどってきた。

「な、なんだ?」

「いったでしょ? 悟は人間性はともかく、科学に対してだけは嘘をつかない人なんだって!」

 人間性はともかく? おいおい、またかよ美晴。

「ああ。だが、これは科学なのか? 俺には空想科学としか思えない」

 山村刑事の言葉に、口をはさんでくるスラリンガン。

「いやまったく。私も刑事さんに同意する」

「だったら、どうしてニホンオオカミの件をうやむやにしたの?」

 鋭く突っこむ美晴。いいぞ、美晴!

「あれがニホンオオカミだったという証拠はあるのかな?」

「ないわ。ないけど記憶力は抜群の悟がいうんだから、あれはニホンオオカミよ」

 ね。はいはい。

「理屈になってないな。それにいいのか? こんな話をしていて。家族が心配なんでしょ?」

「心配よ! でもあなたがタイムマシンを使っているのなら大丈夫、あわてることはない。私たちの家族が政府や米軍になにかされる前の樹海へ跳べばいいんだから! ねえ悟、そうでしょ?」 

「スラリンガンが使わせてくれればの話だけどね」

「そうね……」

 しばし爪を噛んでいた美晴は、突然ガバッと落ち葉や枯れ枝だらけの粘土質の土の上に土下座して、額までこすりつけた。

「お嬢さん、なにを──」

「お願いします! お願いします! 助けてください!」

 美晴に触発されて、山村刑事までが地面にひざをついた。このようすを見て、このまま二〇二三年にとどまれば廃人になるかもしれないという恐怖に震えていたマサメがボクの背中をつついた。

「どうした? なにがあった?」

 ボクが手みじかに説明するとマサメはうなずき、音速なみのスピードでスラリンガンの襟首を右手でつかみあげた。そしてもちろん左手は彼のもつ銃を奪っていた。

「こんなに頼んでるんだ。願いをきいてやれ」

「マンサメリケス、私の体には無数の武器が……がはっ!」 

 マサメはスラリンガンを片手で高々と持ちあげる。まるで縛り首のように。ジタバタと両手足を振って暴れるがマサメはものともしない。

 場違いな発想かもしれないが、ボクはせつなくなった。マサメ、今はこんなに強いのに……。

「スラリンガン、承知か? 不承知か? 私は今、機嫌がすこぶる悪い。首の骨を折るかもしれないぞ」

「ま、まま、待て! 私、を殺せ、ば、三ノ輪さんたち、だって、元の時代に……」

「もどれないか? あんたのタイムマシンをさがせば解決だ。サトル、そうだろ?」

「そうだね」

 本当はスラリンガンに死なれたらタイムマシンを見つけても操作方法がわからない。宝の持ち腐れとなるだろう。頼むスラリンガン、早いとこギブアップしてくれ! それにそうだ! スラリンガンは廃人となる運命の待つマサメを、おそらくは彼女とは別の未来から救出にきてくれたに違いない! ここで死なせるわけにはいかない。スラリンガンが死ねばマサメはどうなる? こんなにカッコいいマサメはどうなる? 

 ──ただ、なんでだろ? ボクはマサメのそばにいたい。なんでだろ? 連れさってほしくない……そうか……ボクはマサメを……でも、だったら、だったらボクは……。

「マサメ! 殺すな! 殺せば、サンタマスクと同じになるぞ!」

「……そいつはいやだな」

 口をへの字にゆがめるマサメ。

「マサメさん、殺してはダメ!」

 顔をあげた美晴が叫ぶ!

「マサメさん! いけない!」

 どなる山村刑事!

「わかったよ……命びろいしたな。スラリンガン」

 マサメに美晴らの言葉がわかるはずがない。しかしふたりの必死の形相から伝わるものがあったのだろう。マサメは白目をむいたスラリンガンを、ジメジメと濡れそぼる落葉のクッションの上にそっとおろした。

                        (つづく)

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