第六話 魔法の炎

 それから俺は服を着させられた。それは日本で着ていたようなものでは断じてない。


 恐らくは麻製だと思われる、非常に肌触りの悪い衣類だ。熱い気候のこの国では良いのだろうが、どうにも肌がかゆくなる。


 それでも、全裸よりはずっと良い。寒くはあるが衣類を纏っていると安心感があるし、恥ずかしさも薄れていく。やはり衣類というのは身に着けておくべきだ。


 俺に着替えを持ってきてくれた大男に着いて、薄暗い通路を歩いた。


 先程の女医さんのおかげで多少緩和されたとはいえ、やはり疲労や空腹感が完全に消えたわけではない。この道を歩くだけでも相当な苦痛だ。


 というか、さっきのは本当に何だったのだろうか。あらぬ勘違いをさせてしまい女医さんに土下座する結果になったが、とても不思議な体験だった。


 女医さんの手が患部をなぞるだけで、俺の傷は癒されたのだ。


 それどころか、俺を苦しめていた疲労やその他も薄めてくれた。しかし、その技術があまりにも不自然であったのだ。まるで、魔法とでも言うかのように。


「ジャック、……――……」


 そんなことを考えていると、男が俺に話しかけてきた。相変わらず何を言っているのかは理解できない。しかし、どうやら先を行くように示しているようだ。


 通路の先には、石でできた重厚な扉がある。これを開けろと言うことだろう。


 重たい身体を引きずり、万力を込めて俺はその扉を開ける。やはり重たい扉だ。戦闘で振り絞った筋肉が、またも悲鳴を上げている。


「……――ッ!」

「――……――……。……――!」

「――……クロノ! クロノ!」


 扉の向こうは、阿鼻叫喚の地獄であった。

 多くの者が地面に横たわっている。多くの者が咳こみ、またほとんど全ての者が細い体を寄せ合っていた。


 そしてある程度元気な人の全員が、大声を出して誰かを呼びかけている。


 よくよく見てみると、それは先程俺が倒して見せたクロノであった。


 鼻が折れ曲がり、顔面が腫れあがっている。全身には打撲の跡もあった。当然、俺が先程付けたものである。


 しかし、いったいどういうことだ。さっきの女医さんのような技術を持っているのならば、クロノも癒してやればいいじゃないか。別に、それほど時間が掛かるものでもない。女医さんも特別疲れている様子はなかった。何故、彼の傷を治してやらないのだ。


 不思議に思って、俺は後ろを振り返る。当然、そこには俺を連れてきた大男がいた。


「なあ、どうしてクロノは治してやらない。あのままじゃ、アイツは重たい後遺症を背負うことになるぞ。すぐにでも治してやるべきだ」


 俺の言葉を、やはりコイツは理解していない様子だ。

 まったく、言葉が伝わらないというのはどうしてこうも難しいのか。クロノを癒してやって欲しい。それだけのことを、どうして伝えられないのか。


「ハハハ! ……――」


 ……意思が伝わらないどころか、コイツはどうやら同じ言語を扱えない俺を嘲笑しているようだ。それもそうか。こんな倫理観のぶっ壊れた国で、言葉を話せないものは蛮族以外の何者でもないだろう。


「ゲホッ、ゲホッ!」


 俺がどうにかこの男に抗議しようとしていると、後ろから咳こむ声が聞こえる。

 それは周りの病人とは違うものであった。


 クロノだ。クロノが、赤黒い血の塊を吐き出していたのだ。


 おかしい。さっきの闘争で確かに怪我をしたが、それは肺や喉から出血するほどのものではなかったはずだ。喀血など、ありえない。


 いや、クロノもここにいる連中と同じく、何らかの病を患っているのか。

 そんな状態で俺と本気の勝負などしたから、病状が悪化してしまったのだ。


「――!」


 髪の赤い少女が、溜まらずクロノに抱き着く。恐らく家族なのだろう。クロノは黒髪だが、それでも目鼻立ちがよく似ているのが分かった。


 少女がクロノの胸に手を当てると、それをクロノが力強く押さえつけた。


「……――……――」


 何を言っているのかは、やはり分からない。だが、クロノは少女が何かしようとしているのを遮っている様子だ。恐らく、この男に見られるのが良くないのだろう。


 それを呆然と眺めていると、クロノに声を掛けていた内の一人が、俺に近づいてきた。


 身長は低い。俺よりも頭一つ分は低いだろう。年齢もまだまだ若い。しかし、ある程度成長した男にしては、不自然なほど筋肉が付いていなかった。


「……――……――……――!! ジャック、……――! クロノ――……――!!」


 早口でまくし立てる少年。どうやら、俺に対して何か怒っているようだ。


 多分、俺がクロノを倒してしまったからだろう。俺が早々にやられていれば、クロノの病状が悪化することはなかった。


 しかし、そんなもの俺には関係ない。実際、あの時俺が反撃せずされるがままであれば、体力の限界が来ていたのだ。顔面に数発喰らえば、それだけで死んでもおかしくはなかった。


 俺は他人のために死んでやるほどお人好しではない。

 それこそ、珊瑚のため以外に命を賭けることなど絶対にないと断言できる。他人よりも自分、そして自分よりも珊瑚。それが俺の信条であり、信念なのだ。


 ついに少年は、俺に拳を繰り出してきた。まさかこんなところで攻撃を受けると思っていなかった俺は、これを甘んじて受け入れてしまう。


 そりゃそうだ。今まで喧嘩もロクにしてこなかった男が、ラッキーパンチで彼に勝利してしまっただけなのだから。


 背中から倒れこんだ俺に、少年は馬乗りになりまた叫び始める。


 クロノがあんな状態になってしまい、気が動転しているのだろうか。俺への罵詈雑言を並べ立てている。


 これは、Fワードの方が先に覚えてしまいそうだとバカなことを考えていた。

 もう、昨日今日で起きた出来事が不可思議すぎて、俺にはどうでも良くなっていたのだ。ただ何をするでもなく、珊瑚との再会を誰かに願っている。


 恨みのある人間に馬乗りになったら何をするか。そんなものは決まっているだろう。


 当たり前のように、少年は俺の顔面に拳を突き出してきた。それも、一度や二度ではない。今すぐこの場で殺さんというばかりに、彼は感情のまま俺を殴る。


 しかし、もう俺に抵抗する気力など残されてはいない。これ以上戦うことに、いったいなんの意味がある。

 たとえ勝てたとして、またクロノのようにこの少年もズタボロにしてしまうのか。


 痛い。少年の拳は鋭く、そして体重の乗ったものだった。戦いの中で生きている彼らの拳に、現代の平和な日本で暮らしていた俺が敵うはずはなかった。


 ああ、せっかく治してもらった顔がまたあざだらけになっていく。これは、恐らく長引くだろうな。頭蓋骨のダメージが凄まじい。今にも失神してしまいそうだ。


『……――……』


 突如、俺の視界が赤と閃光で包まれる。次に目を開いた瞬間、もうそこに少年はいなかった。


 激しく痛む頭を抑えて立ち上がり周囲を確認すると、衣類が燃えて全身火だるまになり転げまわっている少年がいた。


「これはいったい、何が起こっているんだ!?」


 凄まじい出来事の連続。ついに俺の頭は、それらに追いつけなくなりパンクしてしまった。もう慌てふためくことしかできない。


 そうだ、ひとまず先程の男にまた女医さんを呼んできてもらって、少年の手当をしてもらうのが先だ。


 そう考えて後ろを振り返ると、人差し指から僅かに煙を立ち上らせている大男がいた。


「……――……」


 彼は冷徹な目を向け、少年に何か言っている。そして次の瞬間、驚くべきことが起こった。


 なんと、男の人差し指から炎が吹き出したのだ!


 ガスの入っていそうなタンクなど持っていない。まして、着火装置なども持っていない様子だ。それなのに、いったい何処から発火させたのか。


「……――……――」


 声が聞こえ振り返ると、ボロボロの状態でクロノが土下座をしていた。深く、深く頭を下げている。俺にはもう、何が何やらまったく分からなかった。

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