捨て駒にされた奴隷ですが、敵国の王女様に助けられました〜今更戻ってこいと言われても絶対に戻りません。さようなら〜
終夜翔也
第1話 エピローグー終幕ー
「■■■■■■様! 本当に行ってしまわれるのですか?」
悲愴感を湛えた声色で一人の男が叫んだ。
腰から剣を下げ、荘厳な鎧を着こなした偉丈夫だった。そして、その上からでも分かる鍛え上げられた身体は彼が戦いを生業とする者――騎士であることを示していた。そんな立派な風体の男が情けなく涙で顔を歪めている。
同じく彼の周りでも騎士と思われる男たちが悲しげな表情を浮かべていた。
「そんな顔をするな。生きていたらまたどこかで会えるかもしれないだろ?」
振り返る形であっけらかんとした様子で言うのは彼らと同い年か、それよりも年下に見える青年だった。
「お前たちは覚えているか? おれたちが出会った日のこと。そしてここに至るまでの旅路を」
「もちろんです。昨日ことのように克明に覚えております」
そう答えたのは叫んだ男とは別の、過不足なく整った顔立ちが特徴の騎士だった。
彼に同意するように一同もうんうんと深く頷いている。
「初めは大変だったよなぁ。お前たち言うことは聞かないし、すぐに喧嘩するしで全然旅が進まない」
そう愚痴るように青年が言うと皆が皆、気まずそうに視線を逸らした。
どうやら心当たりがあるらしい。
「特にやっとの思いで貯めた資金を一晩で娼館に使われた時は――」
その言葉の途中で何人かが「うぐっ!」と呻き声を上げて頽れた。
それだけで当人らにとっても余程の負い目になっていることが分かる。
「でもな……」
ここで青年は初めて一同の方へ体を向けた。
「おれはそんな日々が楽しかったよ」
そして、感慨深げに目を細める。
「大変なことばかりだったけど、本当に楽しかった。お前たちと過ごした日々はおれの中で一生忘れられない思い出になったよ」
一転して嬉しそうに語ってみせる青年に一同は涙をこらえることが出来なかった。
皆声を殺し啜り泣いており、中には顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしている者もいた。
「それに……本音を言うとお前たち全員が生き残るなんて俺は思ってなかったんだ。この厳しい戦いの中で死に別れることを覚悟していた。なのに蓋を開けてみれば……」
誰一人欠けることなく勝利を手にした一同に青年は呆れたような、しかし確かな喜びを滲ませた笑みを見せた。
「とにかく、おれがやるべきことはもう終わった。後のことはお前たちに任せる。……それじゃ頼んだぞ」
僅かに声を震わせると青年は背を向けた。泣き顔を見られないように。
「■■■■■■様あーーーーー!」
こらえきれない涙をこらえながら、最後は笑顔で送り出したいと騎士たちは青年を歓声で送り出した。
これまでの感謝とこれから歩む彼の道先に幸あれという願いをこめて。
青年は片腕を挙げ、それに応えた。
その双眸から既に涙は消えており、代わりに覚悟の念が宿っていた。
◇
◇
少年は意識を覚醒させた。
合っていなかった瞳の焦点が合い、目の前の光景が鮮明に広がる。
見窄らしい格好の少年だった。
既に一昔前の防具と化している革鎧を纏い、手には弓、背中には矢筒、そして長く青みがかった黒髪を後ろに束ねた短身痩躯の少年だ。
「――――」
二本足で地を踏みしめていながら先程まで寝ていたのではないかと思わせるほどの惚けた顔で周囲を見回すとまだ開ききっていない瞼から覗く蒲公英のような黄色の瞳を世界への失望と諦観の色へ染めた。
「……憂鬱だ」
そこは戦場だった。
剣や槍がぶつかり合う金属音、銃声、砲音、爆発音、雄叫、悲鳴が響き渡り、耐性のない者であればむせ返る血と火薬の混じり合った独特の臭いが辺り一面に立ち込めている。
自分が戦場に一人でいる経緯を思い出した少年――シンは一緒に魂が出るのではないかと思わせるほど気落ちした溜め息を吐く。
シンはセスペデス共和国というこの世界では珍しい共和制国家の徴兵された奴隷だった。
共和国は多くの国で廃止となっている奴隷制を未だに採用しており勢力下においた国々の民を奴隷として扱うことが多い。
シンも元は共和国とは別の国の出身だったが、幼い頃に国を滅ぼされ気が付けば奴隷となっていたというわけだ。
共和国の奴隷はその大半が愚にもつかない強制労働に人生を捧げることになるのだが、シンの扱いは少々特殊だった。
それはシンが『
『
シンの能力は《
要するに農作物や家畜を一気に成長させたり、そのクローンを作り出す能力だと思ってくれればいいだろう。
食とは人が生きてゆくのに必要不可欠な要素。そして必要とされる量は人の数が多ければ多いほど、それに比例して増えていく。国家という人の集合体にとって食糧の確保とは永遠に向き合い続けなければならない課題なのだ。
しかし、そんな課題もシン一人がいればそれに関して困ることはなくなる。
物価高に頭を悩ませることも、飢饉に喘ぐことも、人同士が食らい合うこともなくなるのだ。
こう言えばシンという存在の希少性がよく分かるだろう。
だが、共和国で起こった革新がシンを窮地に追いやることとなった。
それは最近共和国が大量生産に成功した『人工食物』だった。
古くは錬金術と呼ばれた技術を用いて生成される、文字通り人工的に作られた食物で農作物や家畜を一から育てる手間を必要とせず、コストも一般的な農業や畜産業よりも安く抑えられるという、これまでの食糧事情の常識を覆す革新だった。
しかしこれを聞いて不可思議に思う者もいるだろう。
それで何故、シンの立場が危うくなるのだろう、と。
確かに『人工食物』は従来の方法と比べて安価で食糧を生産できる。
だが、それでもシンに任せた方が圧倒的にコストパフォーマンスが良い。
何せかかる費用がシンの生活費のみなのだ(正確に言えばそれ以外にもかかる費用はあるのだが)。シンを生かしてさえおけば食糧を作り続けられる。
それは魔力という制約を加味しても揺るがない大きな長所だった。
にもかかわらず、何故共和国はシンを捨てたのか。
それは共和国の国民性にあった。
『この役立たずが! 最後くらい死んで役に立ちやがれ!』
シンは自身が所属していた部隊の隊長が最後に言い放った言葉を思い出していた。
共和国人は愛国心が強い反面、異国人への当たりが強い。
故にシンは共和国に大きな貢献をしていたにもかかわらず虐げられ続けた。
保護という名目で牢屋に監禁され、与えられる食事は不味い冷や飯だけ。暴力を振るわれることは日常茶飯事で、理由もなく痛めつけられ、慰みものにされ、時には殺されかけた。
そこに自分たちへ日々の血肉となる食糧を作り続けてくれるシンへの感謝の念は微塵もなく、むしろ薄汚い奴隷が生み出した食物を口にしなくてはならないという理不尽な屈辱と怒りを抱いていた。
そして挙げ句の果てに自分たちが撤退するため、捨て駒の殿に利用するという始末。
そんな国に義理立てする理由はどこにもない。逃亡するのが最適解だ。
だが、シンの頭に逃げるという選択肢はなかった。それは生き残る手段があるわけでも、勝てる見込みがあるわけでも、英雄のような圧倒的な力を有しているからでもない。
奴隷だから。その一言だけで事足りた。
奴隷が他の人間と違うのは何か?
人として自由がないことか?
それとも人でありながら物のように扱われることだろうか?
それらももちろんだが、奴隷はもう一つ重要なものを奪われている。
人間としての矜持だ。
奴隷となった人間に求められること、それは主人の命令に逆らわず従順に従うこと。この一点に尽きる。
そのために奴隷は躾けられ、調教され、犯される。
逆らわぬように、余計な考えを抱かぬように、自分の身を顧みなくなるように。
その過程で奴隷は人間として矜持を失う。唯一持っていた不可侵の心さえ奪われるのだ。
こうなった奴隷に命令に従わないという選択肢はない。
シンも例外なく、その軛に囚われていた。
そんな奴隷としての宿命に誘われるように、惰性で死地へ赴こうとするシンにある言葉が甦ってくる。
『絶対に生きて帰ってきて』
同じ部隊の少女が別れ際に言ってきた言葉だ。
身勝手で気性が荒い者が驚くほど多い共和国人の中で、奴隷の自分に対しても分け隔てなく接してくる変わり者でお人好しだった。
「……ヘレン」
無意識に少女の名前がこぼれる。
他の連中がいくら死のうがシンにとってはどうでもいいが、あの子が死ぬのは少し嫌だった。
ヘレンには幸せになって欲しいと思う。
あの魔窟とも呼べる国で生きながら底抜けに善良で無垢な顔で笑う彼女に。
「……少し頑張ってみるか」
約束は果たせそうにないが彼女を逃すことくらいはしてみせる。
そう決心するとシンは地面へ手をつけた。
「《
大地が動いた。
それは命の誕生を告げる蠢動。生命が地上へ生まれ落ちる産声。
そして泉から湧き出るように地中から次々と生命の息吹が噴き出る。
噴き出したそれはシンを囲むように成長を続け、あっという間に森林を形成した。
地中に埋まる木の種を増殖させ、それらを一気に成長させたのだ。
「いくぞ」
戦ったことなどないが、やれるだけやってやる。
シンは一度大きく深呼吸すると、これからやってくるであろう追跡者への迎撃の準備を始めた。
◇
それは血腥い戦場に吹いた一陣の風だった。 装飾が映える白の軍服を身に纏い馬に跨った軽騎兵隊が、一糸乱れぬ列を作り屍山血河の平原を駆け抜けていく。
見る者全てを圧倒する雰囲気を醸し出す彼らの先頭を走っていたのは、男たちと同じく軍服に身を纏った、まだ成人手前ほどの年若い少女だった。
周囲の男達と比べると体躯も小さく年若い。馬の上よりも舞台の上が似合う金色の髪を靡かせた可憐な美女だ。
しかし、騎兵帽の下から覗かせる正義心に満ちた目つきはただ少女のものではなく、多くの修羅場を乗り越えてきた戦士の目であった。
彼女の名前はアストレア・ゲンチアナ・オブ・ザンザス。通称アストレア三世。ザンザス王国の第二王女にして陸軍少佐。自らが創設した星乙女騎士団の団長を務めている。
「止まって!」
アストレアの一声で後続の騎兵が一斉に止まった。
一同の先には行く手を遮るように鬱蒼と茂る森林がある。
平原の真ん中にポツンとあるそれは不自然以外のなにものでもない。『
「どうされますかアストレア様?」
そう指示を仰いだのはアストレアと同い年ほどの太陽のように揺らめく赤髪の青年だった。
「このまま突破するしかないでしょカストル?」
「ですが……罠が待ち構えているのは確実です。ここは多少時間をかけてでもここを迂回するべきかと……」
青年――カストル・ヘリアンサス・オブ・ルブラは主君の意見に異を唱えた。
彼は幼い頃から王女であるアストレアの従者を務めており、星乙女騎士団の中で彼女との距離が最も近い。
そのため王族の威光に忖度することなくアストレアに意見することが出来る数少ない人物であった。
「そんな悠長なことをしていたら確実に敵を逃してしまうわ」
だが、アストレアはその意見を却下した。
彼女の言う通り森林は縦横とともにキロメートルとは言わないもののそれに近い規模であり、迂回をしてしまえば中を直通するのと比べて倍の時間がかかってしまう。
ここに時間をかけてしまうことは眼前の敵に逃げる時間を与えてしまうことと同義なのだ。
「それに……【
その言葉にカストルは重く押し黙った。
【
その名の通り他人に姿を擬態する『
しかし、今回の共和国との戦争で遂にその正体を掴むことに成功した。
アストレアとそう歳の変わらない少女だったということには驚かされたがやることに変わりない。
ここで彼女を捕まえることが出来なければ今後も犠牲者が出ていく。
それら全てを理解しての沈黙だった。
「そんな顔しないで。ウチの団員はそう簡単に折れるほどやわじゃないでしょ?」
アストレアはそう言うとウィンクした。
「……ええ! そうですとも! 我々星乙女騎士団は何者にも屈しません! お前もそう思うだろ? ポルクス」
「もちろんだよ、兄さん」
カストルの言葉に一同は力強く頷いて応えた。
「じゃあ、皆んな行くわよ。進めーー!」
アストレアの声に一同は勇ましい雄叫びで答えるとその後に続くように森林の中へ馬を走らせた。
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