いやしけよごと
せりもも
南洋の島で
第1話 武運長久
軍服の肩に日の丸を掛け、同じかっこうをした、大勢の青年たちと一緒に、行進している。
腹に、千人針のさらしを巻いて。
武運長久。
腹のさらしには、赤い糸でそう縫い付けてある。
母が、知っている限りの女性に頭を下げ、赤い糸の縫い目を貰ってきたものだ。家では、寅年の妹が張り切って、自分の年齢の数だけ、不器用な針目を作っていた。
今朝、母と妹は、笑って俺を送り出してくれた。
玄関先には、近所の人が、たくさん見送りに来ていた。
出征は家の誉れだと母は言った。
良く晴れた、穏やかな日だった。春の終わりの空気が、さわやかな風となって吹き寄せる。
気が重い。
行きたくない。
俺は、俺だ。人を殺したくないし、殺されたくもない。俺は俺の命を全うしたい。
なぜ、戦場になんて行かなくちゃならないんだ?
噴きあがった怒りが、全てを凌駕した。
黒い頭、同じ軍服の列をぶった切り、ぱっと横道にそれようとした。
「馬鹿」
隣を歩いていた誰かが、俺の二の腕を強く掴んだ。
勢いがついていたので、転びそうになった。
その時、大音量が轟いた。
陶器を打ち鳴らす、派手な音。金属同士を打ち合わせた、耳障りな響き。
道端に居並んだ子どもたちが、鐘や太鼓をたたいていた。
否。楽器なんかがあるわけがない。鍋や器を打ち鳴らしているのだ。
音に気を取られて、周囲の人間には、俺の行動がわからなかったようだ。
俺を引き留めたやつも、素知らぬ顔で、隣を歩いている。
何事もなかったかのように、出征兵士たちの行進は続けられた。沿道からは、歓呼の声が飛ぶ。
「ばんざーい、ばんざーい」
「小林君、ばんざーい。田辺君、ばんざーい」
名前を上げられるたび、青年たちは、沿道の人に手をふる。
桐原君、ばんざい、と言われて、隣の青年が、手を振りかえした。
さっき、俺の腕をつかんで、引き戻した男だ。華奢な、少年のような体つきをしているのに、凄い馬鹿力だった。
沿道に、一人の少女が立っているのが、目に入った。
いささか痩せすぎのきらいはあったが、すらっとした美しい少女だ。すっと通った鼻筋に、大きな瞳。その大きな瞳が、怒ったように、俺を睨んでいる。
「吉塚君、ばんざーい」
沿道から蛮声が飛び、隣の桐原が、俺の頭を軽くこずいた。
仕方なく、俺は、声のする方へむかって手を振った。
歓呼する人々の傍らで、少女が背を向けた。一瞬見えたその表情は、紛れもなく、怒りのそれだった。もんぺの裾を膨らませて、走り去っていく。
*
「ずっと一緒だって言ったよね」
耳に少女の声が蘇る。
「自分は自分だって言ったよね。国の為に生きているんじゃない、自分の為に生きてるって」
「君の為に生きている」
少女に答えた、自分の言葉。
「それじゃ、なぜ、死にに行くの?」
「そうしなくちゃならないから」
「なぜ?」
「国を護る為だ」
「偽善者!」
頬に痛みが走った。
「あなたなんかが死んだって、この国は、少しも護られはしない。あなた、人を殺せる? 敵兵にだって人間だ、家族がいるって、あなた、言ってたじゃない!」
「これは戦争なんだ。だから、自分が死ぬ気で突っ込んで……」
「馬鹿! バカバカバカ!」
少女は俺の胸に飛び込んだ。受け止めた俺の胸を、両手で力いっぱい、何度も叩く。
「あなたなんかが死んだって、何も変わらない。日本はもう、負けたも同然よ」
その声が、涙で潤んだ。
「私、決して許さないんだから。あなたが無駄に死ぬことを、決して許さない」
自分の胸の中の少女を抱きしめる暇もなく、彼女は俺の胸を離れた。
ぐっと強いまなざしで睨みつけ、走り去っていってしまった。
家に帰ると、母と妹が泣いていた。
母の手には、完成した千人針が握られていた。
泣きながら、二人は、それを、俺に手渡した。臆病でも、卑怯でもいいから、絶対に生きて帰ってくるようにと、母は言った。
*
桐原に隊列に引き戻され、俺は思った。
逃げてはいけない。
絶対に、「非国民」になってはいけない。
母と妹を、「非国民の家族」にしない為に。
近所の人の監視の目は厳しい。
今朝、俺を送り出す二人が誇らし気に微笑んでいたのは、近所の人達が集まってきたからだ。悲しい素振りなんてしたら、非国民扱いされる。
彼らもまた、家族を戦争に取られている。俺だけが逃れることは許されない。
最愛の家族が、生まれた国で、この非常時を生き延びることができるよう、俺は、戦地へ赴く。
戦い、力及ばずば、正しく死んで、「お国の為」にならなければならない。
この戦いに勝ち目がないことは、肌で感じていたのだけれど。
*
故郷から一緒に出征した者たちは、ばらばらになって、それぞれの配属先に派遣されていった。
ひとり、この桐原だけは、最後まで、一緒だった。
俺達は、南洋の島に送られた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます