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 振り返りながら立ち上がると、拍手をした老人と目が合った。少し汚れてはいるものの上質な素材のブラウンのつなぎに白のワイシャツ、靴はおそらく外出のために履き替えたベージュの革靴。

 店主夫婦が「ホックさん! ようこそお越しいただいて」と慌てて背筋を伸ばしたものだから


 王城の人間か……………


 とリリーナは察した。


 何も言わずに静かに手を添えながら礼をすると

「いやいや、お嬢さん、大したもんだよ、ほんとに。こんなに植物の扱いに手慣れた人は初めて見た」

 ホッホッホと髭を生やした口で笑い声を上げ、

「顔を見せておくれ」

 と一歩リリーナに近寄り、穏やかな声色で声をかけた。

 リリーナは普段の無表情のまま上半身を起こし、じっと老人を見つめていると

「うむ、良い顔をしている」

 と突然老人に褒められたものだから少したじろぐも、老人は構わず

「土いじりをしている手だな」

 少し荒れたリリーナの手にも目をやった。

 どう反応をすれば良いのやらとリリーナは返す言葉を探すも今度は花屋夫婦が

「ホックさん、本日はどのようなご用事で」

 と期待の目で話しかけ、すると老人は「お、そうだ」と身体の向きを店主に移し

「花苗を大量にお願いしたい。来月の中旬までに。殿下のお誕生日祝いのパーティーに使いたくてね。花苗は200ポット、殿下の髪と似たダークブルーの花を頼む。予算は特には問わないよ」

「承知しました!」

 大量注文に夫婦は笑顔を隠せないでいる。リリーナはというと、花瓶に飾る切り花ではなく、苗を注文をすることに意外性を感じていた。それが無表情ながら雰囲気に出ていたのか老人はニカッと歯を見せて笑い

「花は美しく長生きしてもらいたいからね。プランターを凝った物にして飾るのさ」

 と得意気に言った。思わずリリーナも「ふ……っ」と僅かに笑みが浮かぶ。

「ワシは王城で庭師をしているんだが、お嬢さんは失礼だがどこかに務めているかい?」

「いいえ。普段家の庭の植物を手入れしております」

「なるほど。良かったら、ワシの跡を継いではくれないだろうか。王城の庭師に」


 雑に結ばれたリリーナの髪を揺らすは春の風。


 思いも依らぬ誘いに彼女は困惑、期待、喜び、様々な感情を内の中で春風のように暖かくも荒々しさを渦巻いていた。


 庭師…………私が……………

 家の庭はどうなるの………?

 誰にみんなの手入れを頼むのか……

 それとも私が週末に帰宅すればなんとかなるのかしら…

 いやいや、王城の庭って家の何倍かしら

 いくら名高い貴族の庭でも王城に比べたら……

 務める…………それって、ロズウェル家の長女は引き籠もりだと揶揄されずに済むのかしら。

 そうしたら、カロの恋愛に迷惑をかけなくなるのではないだろうか………


 でも、出来ることなら……………


 黙って考え込むと

「珍しい草花にも会えるぞ」

 と笑って言うのだから

「会ってみたいです」

 リリーナは反射的に答えてしまった。

 あ……と思ったときには

「すごい、お姉さんお城の庭師さんになるの?」

 子どもたちが目を輝かせていて後には引けなくなっていた。

「父に相談をしてみます」

 それだけ言うと頭を下げ、リリーナは店を後にした。当初の目的だった肥料を買うことも頭からすっかり抜け落ちたまま。




 その日はどうやって帰ったのかよく覚えていない。

 ローブをすっぽり被り、ただひたすら速歩きで家路を通り過ぎて行ったように思える。

 外門を掃き掃除していた侍女に「おかえりなさいませ、お嬢様。今日はどちらかに寄られていたんですか?」と聞かれ、「ええ、ちょっと花屋に」とローブを頭から外しながら言い、屋敷には入らずにそのまま庭へと急ぎ足で突き進んだ。


「おかえり、リリーナ! 今日は帰りが少し遅かったから心配したよ」

 大勢の植物たちがリリーナを出迎え、嬉々と揺れている。

 リリーナの額からは汗が流れ、珍しく息を乱しながら肩を上下に揺らしている。

 彼女の言葉を待ち構えんばかりに花たちは彼女に咲き誇らせ、庭の主のユズの木は堂々と庭の中央で枝を広げ、彼女を迎え入れた。

 リリーナは緊張した面持ちで、唇を結んで軽く鼻から息を吸い、真正面からユズの木を見上げ


「私、王城庭師になりたい………!」


 庭一面に澄んだ彼女の声が風に乗って響き渡った。

 春風が髪と植物たちを揺らす。何と返答をされるのか、リリーナは手汗混じりに手を握った。


「………良いではないか!」


 ユズの木は喜んで葉を揺らし、甘酸っぱい匂いを漂わせ、まるでリリーナに祝福を贈るかのように庭一面がユズの香に包まれる。

 リリーナは予想外にもすんなりと植物たちが賛成をしたことに安堵し、片方の肩を崩し珍しく砕けた姿勢となり、ツル性植物のサージは花弁を鮮やかに広げてケタケタと笑って揺れながら

「まぁリリーナったら、私たちが反対をすると思ったの!?  そんなはずないじゃない! 庭師なんてあなたに打って付けよ。そりゃあ、毎日会えなくなるのは寂しくなるけれど、私たちはちゃんと自生していけるから、リリーナには人生を謳歌してもらいたいわ!」

 サージの明るいエールに他の植物たちも賛同し、揺れ動く。

「みんな……………っ」

 少し涙ぐみながらリリーナは庭中を見渡し、再びユズの木を見上げ、


「ユズ、王城に行っても私は約束を守り続けるわ」


 ザザァッと春風が舞おうがユズの木は微塵にも動じることなく


「ああ、必ず」


 一言だけ返事をし、一枝を降ろすとまるで妹を慈しむ歳の離れた兄のようにそっと枝先で彼女の頭を撫でた。

 リリーナはしゃんと背筋を正してユズの木を見つめ直すと、庭にある井戸へと歩み、慣れた手付きで滑車の綱を回しながら


「恋愛はしないわ。興味も無い」


 と話しながら木桶に水を汲むと桶を両手に持ち


聖水生成アスモス・ホイエン


 落ち着き払った声色で唱えると桶の水が一瞬輝き、元の色に戻り、彼女は顔色一つ変えることなく聖水を作った。


「誰にも話さないわ、力のことも」


 無論、ロズウェル家には魔法を使えるなど者など誰もはいないのであった。

 彼女はジョーロに水……といっても聖水を入れ、草花に水やりならぬ聖水やりを始めた。


 そう、これがこの庭の日常。

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