ある男の悲劇

青冬夏

ある男の悲劇

 一

 

 こうなってしまったのは、すべてあのウイルスのせいだ。


 俺は白い錠剤を見る。


 もう、終わりだ。

 

 俺の人生なんて。

 

 あのウイルスがなければ、《こうするつもり》はなかった。

 

 脳裏に、昨年のクリスマスを思い浮かべる。


 ◇

 

 一


 俺は彼女とデートをしていた。


 「このクリスマスツリー、良いね」


 「ああ、そうだな」


 彼女の笑顔が、イルミネーションに照らされる。


 そんな笑顔がまた、俺の頬を綻びてしまう。


 「ねぇ、お腹すいたし、どこかすいているところでご飯食べよ」


 「ああ、そうだな。ちょうどそんな時間だし」俺は腕時計を見ながら言う。


 「あ、そうだと思っておいて、昨日予約したところがあるんだ。そこに連れて行くよ」


 「まじ!? ありがとうー!」


 彼女は笑顔で言う。


 ーーああ、かわいいな。


 俺は彼女とディナーしているときに、プロポーズしようと計画を立てていた。


 そして、ついにその時がやってきたのだった。



 彼女と歩くこと、二〇分。ディナー場所へ到着した。


 ここは、夜の横浜が一望して見ることができる絶景のレストランとして、メディアにも取り上げられている超有名なレストラン。確かに、言われてみれば、明らかに大人向けのレストランのような気がする。


 俺と彼女はそんなレストランに入ると、スタッフがやってくる。


 「いらっしゃいませ。何名様でしょうか」


 スタッフが慇懃に言う。


 隣で手を繋ぐ彼女が言おうとするが、俺は先に答える。


 ーーレディーファスト。それが、俺の、いや、男の基本。


 「はい、二名です」


 俺は指で二という数字をつくり、示す。


 「それで、本日御予約とかは・・・・・・?」


 「はい。してます」


 そう言うと、彼女が驚くように「え? してくれたの?」と言う。


 「そうだよ。この日のために予約しておいたんだ」


 「ありがとっ‼」


 彼女は俺の顔を見て、笑う。


 ーー可愛い。嗚呼、早く指輪を渡して結婚してしまいたい。


 「ご予約の確認が取れました。水巻様でよろしいでしょうか?」


 店の奥に行っていたスタッフが戻ってきて、そう言う。


 俺は頷く。


 「はい。それではこちらへどうぞ」


 そう言い、スタッフは俺たちをレストランの中へ案内していく。


 辺りは薄暗かったが、夜空の明かりで大人の雰囲気を醸し出していた。


 ーーまさに、プロポーズの場としてふさわしい。


 内心にやつきながら思っていると、彼女がこう話す。


 「私、こういうところは初めて~。水巻くんはこういうお洒落なところって初めて?」


 「う~ん、どうだろ。こういうところには、一回だけ行ったことがあるかな」


 「一回だけなんだ。仕事って、お偉いさんを接待する仕事とか?」


 「まあ、そんなところかな。でも当時、俺みたいな下っ端みたいな会社員は、こんなところにお金を払えないから、その時は一緒に仕事をした上司のお金で使ったんだけど」


 「ふーん。でも、今はお金が払えるってこと?」


 「そうそう。今は管理職に無事に昇進出来て、給料も上がってきて、貯金も貯まってきて、いつかは貯まってきたお金で、こういう洒落たレストランに、大事な人と行きたいなぁ~、って思っていたんだよね」


 「その大切な人というのが?」彼女は笑顔で訊いてくる。


 「そう、大切な人というのが君というわけだよ。」彼女に微笑みながら言う。


 「ありがとう~‼」


 彼女が俺の腕をギュッとする。


 すると、スタッフの足が止まり、俺たちに振り返る。

 

 「では、ごゆっくりなさってください。こちらのベルで鳴らして貰えれば、いつでも駆けつけます」

 

 テーブルにベルを残し、その場を去っていった。


 案内された座席は個室であり、彼女とゆっくりと過ごすにはちょうどいい空間だった。無論、予約するときに事前に言ったのだが。


 彼女が先に座るのを見て、俺は彼女の前に座る。


 早速、彼女はテーブルの脇に置いてあるメニュー表を取り出し、それをテーブルに広げる。


 「どれにする~?」


 彼女は顎に人差し指を当てながら言う。


 「確かに。どれもいざレストランって感じがする」


 「ほんとだよね。ーーってかさ、なんで水巻くんはこの店にしたの?」


 彼女は俺の目を覗くように言う。


 ーーそう。このレストラン、実はフランス料理のレストランに見えて和食なのだ。


 「てっきりフランス料理のレストランなのかなって思ったけど、まさか和食とは」


 「驚いたでしょ? 俺もこのレストランに来た時もそう思ったもん」


 「そうだよね~。で、何にする?」


 再び俺たちはメニューに目を落とす。


 写真を見る限り、まるで有名料亭で出てきそうな料理ばかりだった。


 「・・・・・・懐石料理だって。これにする?」


 「良いね。じゃ、それにしよ」


 俺は近くにいた女性のスタッフを呼び、メニューに掲載されている“懐石料理A”というものを指で示す。


 「かしこまりました」


 そう言い、女性は店の奥へ消えた。



 俺はワイングラスに入ったお水を一口、飲む。匂いが普通のお水とは違い、檸檬の香りが鼻腔を優しく刺激させる。

 

 「このお水、普通のとはまた違うよね」彼女はワイングラスを傾けながら言う。


 「そうだな。」俺はワイングラスを左右に揺らす。


 「ところでさ、なんでこういうところでディナーの予定があったの?」彼女はワイングラスを置いて、首を傾げる。


「それはだね・・・・・・。ーーやっぱり言うのやめた」


「えぇ~、なにそれ。勿体ぶらずに言ってよ~」


「ふふ。でもまあ、楽しみにしていると良いよ」


「分かった! じゃあ楽しみにしているね!」


 そう笑顔で交わした後、俺は“ある物”が入った革製の鞄を横目で見る。



 数時間が経つと、頼んだ料理が全て無くなる。

 

 「食べたねぇ~」彼女はピンクに染まった頬を緩ませながら言う。


 「あぁ、こんなに食べたらお腹が膨れるよ」俺も赤く染まった頬を緩ませながら言う。


 「それじゃ、お腹いっぱいになったことだし、そろそろ行こっか」


 そう俺が立ち上がろうとすると、彼女は「ねぇねぇ」と少し酔った声で言う。


 「『楽しみにしていると良いよ』って何~? 気になるんだけど~」


 「ああ、そのことか。ーーちょっと待ってろ」


 そう言って、俺は“ある物”を鞄から取り出す。


 その瞬間、彼女の目が輝く。


 「まさか・・・・・・、プロポーズ⁉」


 彼女が驚くように言う。酔っているからか、嬉しそうにも聞こえる。


 「ああ、そうだ」


 そう言い、俺は彼女の前に跪く《ひざまずく》。


 「俺と・・・・・・、結婚してくれますか!」


 そう言うと、暫しの間沈黙が走る。


 そして、その沈黙を破ったのは、彼女だった。


 「はい」


 この瞬間、俺は人生の中で感じたことのない喜びを感じる。


 内心ガッツポーズしつつ、俺は箱から指輪を出し、それを彼女に付ける。


 「良かった・・・・・・。本当に良かった・・・・・・」


 俺は涙を流しながら、彼女を身体に惹きつける。


 「うん。嬉しい。私、本当に水巻くんと一緒にいれて嬉しい」


 そう言い、彼女は俺の身体に顔を埋める《うずめる》。


 そして、俺たちは個室の中でひっそりと唇を合わせた。


 

 二


 その後、俺と彼女はそのままホテルへと行き、“あの夜”を過ごす。

 

 そう、“あの夜”。

 

 初めて経験したが、とても気持ちが良かった。


 そして、“あの夜”を過ごした後、俺は彼女と別れ、自宅へと戻っていった。


 翌朝。彼女からメールが来る。

 

 俺はそのメールを開くと、『結婚式、いつにする?』とだけ書かれてあった。

 

 俺はメールを早めに返信する方なので、すぐさま返信用のメールを作成する。


 ーーこれで良いかな。

 

 そう思って、彼女へ返信しようと思った矢先、背後から鈍い音がした。

 

 ーーうっ。だ、誰だ・・・・・・。

 

 そして、俺はその音と同時に倒れ、目の前の景色が真っ黒になる。

 

 俺は起き上がると、そこで目にしたのは、荒らされた部屋だった。

 

 ーーどういうことだ?


 一瞬俺は戸惑った。

 

 ーーまさか、さっきのは強盗?

 

 俺は踏み場の無くなった部屋を歩き、いつもアクセサリーのところに置いてある金品類を探す。

 

 だが、探していた金品類ーー指輪が消えていた。

 

 「くっそ‼」

 

 俺は思いきり壁を足で蹴り、気持ちをぶつける。

 

 スマホで一〇〇番をする。


 『はい、こちら通信指令室。何が起こりましたか』


 「強盗です」


 「強盗。詳しい状況を教えてくれますでしょうか?」


 「いきなり誰かに背後から襲われて、気づいたら部屋が荒らされて」


 あの時の状況を頭痛と共に思い出す。


 『分かりました』


 そう電話が切られ、俺は何とか息をつく。


 ーーなんで指輪のことを知っているんだよ。誰だよ、こんなことをするやつ。



 数日後、俺は警察署に呼び出された。

 

 無論捜査報告だと思うが、一体誰が俺たちの大切な指輪を盗んだと言うのだろう。

 

 しかし、俺を待っていた刑事が驚きのことを話す。

 

 そう、俺の金品類を盗んだのは、彼女だと。

 

 「・・・・・・嘘、嘘ですよね? あの彼女がそんなことを・・・・・・」

 

 「残念なことに、あの彼女なんです」

 

 ある刑事がそう言うと、捜査経緯について教えてくれた。

 

 彼女は日本中を駆け巡る泥棒ーーキャッツアイを模した名前、ドッグアイとして非常に有名だと言う。

 変装が大がつくほどの得意であり、犯行予告を出したら絶対に獲物を逃がさない、そんな人であり、先日も俺の住む地域で宝石の盗難事案が発生していたという。

 

 そして、その彼女の驚くもう一つの犯行手口はなんと。

 

 一度男に惚れ掛かって、プロポーズを承諾したすぐ後に指輪を盗むという。

 

 まさしく、俺がさっきまで経験した出来事。

 

 ーー嘘だ。嘘だ。なんで、彼女が・・・・・・。

 

 「お気持ちは分かります。ただ、犯行現場ーーあなたの家にこんな物が置かれているため、そう断定させて頂きました」

 

 刑事はあるカードを見せてくる。

 

 『子犬ちゃん。騙されたね~』

 

 「腹立つな‼ あいつ」

 

 俺が机にバン、と音を立てると、「落ち着いてください」と刑事が言う。

 

 「落ち着けるかよ」俺は髪を掻き乱す。「もう、やってられるかよ」

 

 俺は警察署を立ち去った。

 

 ◇

 

 二

 

 二〇二〇年の三月。俺はいつも以上に孤独を感じるようになった。


 なぜなら、全部あのウイルスのせいだから。


 テレビを見ると、連日感染者の数について報じていく番組ばかり。


 なにか面白いものはやっていないか。


 そう思ってリモコンで番組を変えていくが、なかなか面白いものがやっておらず、    結局テレビを消すことになる。


 はぁ・・・・・・こんな時、彼女がいたらなぁ・・・・・・。


 脳裏に、あの窃盗犯が浮かぶ。


 必死に頭を振りかざし、忘れる。


 そうだ、気分転換に外に出よう。


 そう思って、立ち上がろうとしても、足がなかなか動かない。


 なぜなら、外に出るときは、毎回あれをしなきゃいけないのだ。


 ーーそう、マスクを。


 そういう理由が頭の中でよぎると、結局は寝転がっているしかない。


 寝転がっていると、あることが頭の中で浮かぶ。


 もういっそのこと、死んじゃえばいいのか・・・・・・。


 もう俺のことなんて、必要としていない人ばっかりだし・・・・・・。


 顔を床に沈める。



 そんなわけで、現在に至る。


 もうこの薬で、全て、そう、全て。

 

 終わらせることが出来るんだ。


 あの窃盗犯のこと、自分の人生のことを忘れられるんだ。


 そう思って、薬を一気に口の中に放り込み、コップ一杯の水で胃の中に流し込む。


 さて、今度は練炭を炊かないと。


 俺は立ち上がり、練炭が置いてある七輪に近づく。


 ダイヤルを回し、着火する。


 しばらく練炭を見て、そろそろ練炭の匂いが充満してくるころを待つ。


 焦げ臭いな・・・・・・。

 

 暫くボーッとしていると、視界が靄でかかっているように見える。


 よし、これでもう俺の人生は終わりだ。

 

 隣のテーブルに遺書と書かれた手紙を遺し、俺はそのまま瞼を閉じる。


 ーーこうして、俺の哀しき人生は幕を下ろした。

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