第73話 告白イベント②

 その宴会は、深夜になっても続いた。


 テーブルの上には、空になったボトルが2本。

 さらに3分の1程までに量を減らしたボトルが1本。

 1人あたま、1本弱のボトルを空けた計算になる。


 エルフ秘蔵のお酒はとてもおいしかった。

 味は白ワインに近い。

 果実味が口の中を満たした後、独特のテロワールが余韻として残る。

 戸棚に用意されていたが、結構高級品なんじゃないだろうか。

 俺達はアバロンで売ったらいくらになるのか想像もつかないそれを、ワゴンセール品のごとくガブガブと飲み明かした。


「結局あれだな。

 俺のキノコ料理で舌がしびれたときが、一番不安だったな」

「ハジメに採取を任せたのが間違いだったわ」


 エミリーも結構飲んだはずだが、その姿勢は正しく、所作はいつもと変わらない。

 さすがは貴族令嬢といったところか。


「だんだん舌が動かしづらくなったもんな。

 そのまま息ができなくなったらどうしようかと思った」

「しかし、ハジメが採ってきたキノコは事前に確認したが、毒がありそうなものはなかったがな」

「結局、原因は分からずじまいだな、あの事件」

「もしかしたら、何らかの条件で毒を発するものがあったのかもしれないな」


 クリスの顔は真っ赤になっている。

 呂律も少し怪しげで、普段よりも身体の線がシャキッとしていない感じだ。

 まぁ、普段がシャキシャキしすぎている感も否めないが。

 とにかく、なんだかいつもよりも、動作に蠱惑的なニュアンスが混じる。

 天性の才能か、育ちの良さがなせるわざか。

 昔から、クリスは酔うと色っぽくなるのだ。

 俺の視線も引き寄せられるように、その胸元へと――。


「ハジメ、おかわり」


 目の前にグラスが差し出され、はっと我に返った。

 いかんいかん。

 仲間を変な目で見るんじゃない。


 近くにあったボトルから、エミリーのグラスに注いでやる。


 クリスと出会った頃は、その2つの膨らみから目が離せなくなったりしたが、今は違う。

 旅を始めてからは、自分を律しているのだ。

 この最高な関係が、俺の劣情なんてもののせいで崩壊してしまうのは、本当に避けたい。

 旅の中でも危ない場面は幾度もあったが、見ても見てないふりをして、なんとか乗り切ってきたのだ。

 忍耐強さと、ポーカーフェイススキルがとてもアップした旅だった。

 人工呼吸云々のくだりでは、スキルを発揮できなかったが。

 しかしその他の対応は、完璧だったはずだ。

 誰かが評価してくれるなら、間違いなく最高評価をつけてくれることだろう。


「あいよ」


 エミリーは無言でそのグラスを取り、ひと口飲んだ。

 エミリーは美人だが、まだ子供の枠を出ないな。

 膨らみは確かに存在しているが、クリスと比べるとどうしてもかすんでしまう。

 例えるなら……そうだな、トマトとメロンだ。

 もちろんトマトがいいと言う者もいるだろう。

 トマトにはトマトの味があると。

 しかし大多数の人間はやはり、メロンの方がいいと言うのではないだろうか。


「ハジメ」

「な、なんだ?」

「何考えてるの?」


 エミリーが、その銀色の瞳で覗くように俺の目を見る。


「……何も、考えてないよ?」

「そう。ならいいけど」


 なんかさっきから、俺の思考が怪しい方向に飛ぼうとすると話しかけてくるな。

 昔から、勘の鋭いやつだ。


「エミリーは、この里で何を学んでるんだ?」


 クリスがお酒を片手に聞く。


「主には、結界魔術ね。

 アバロンと比べて、明らかにレベルが違うの。

 この里の魔術は宝の山のようなものだわ。

 結界魔術と治癒魔術については、世界中のどこを探しても、ここほど発展した国はないと思う」


 エミリーが上気した顔で答えた。


 まぁ、新たな魔術の知識というのは、エミリーにとっては喉から手が出るくらいにほしいものだろうな。

 家を飛び出したのだって、魔術協会で魔術の研究をするためなのだから。

 より発展したことが学べるというのなら、ここに残るのは当然といえるだろう。


「そうか。

 エミリーは、ちゃんとやりたいことがあるのだな。

 素晴らしいと思う。

 私はまだ、それを見つけられていないからな」


 確かに、クリスはこれからどうするのだろうか。

 実家に帰ってニートになるのか。

 まぁ金に困ったら、冒険者として生きていけば食うには困らないだろうが。

 キマイラを倒したものの、彼女はまだモラトリアムの最中といったところか。


「ハジメについていったりはしないの?」


 エミリーが、クリスを見つめて言う。

 気のせいか、やけに真剣な表情に見える。


「ははっ。

 何を言っているんだエミリー。

 もちろん今回のように危険な旅ならば、私はどこへだって同行するつもりだが。

 育った村への帰省についていくというのはまるで……。

 まるで……?」


 クリスがハッとした顔になる。


「いや、そんなわけはない……。

 そんな、わけは……」


 目を閉じて、ぶつぶつと独り言のように呟いた。

 しかしそうしているうちに、徐々に頭の角度が下がっていき、言葉も不明瞭になっていく。

 クリスの呂律が、本格的に怪しくなってきた。

 こいつと何度か飲んだ経験から分かる。

 そろそろ限界が近い。


「あぁ……しかし、楽しい、夜だ。

 ハジメ、もう一杯、くれないか?」


 グラスに水を注いで渡すと、クリスはそれをグイッと煽った。

 もはや酒か水かも分かっていないかもしれない。

 そして飲み終わると、パタリと机に突っ伏してしまった。

 続いてスピースピーと、寝息が聞こえて来る。


「……ありゃりゃ。

 こりゃできあがっちまったな。

 エミリー、クリスを運ぶのを手伝ってくれるか?」


 俺がクリスの右腕を自分の首に巻きつけて立たせると、エミリーは無言で頷き、反対側の肩を支えた。


 しかし剣を振るう威力からは想像もできないほど、軽い身体だ。

 この身体のどこに、魔族と渡り合えるような力が眠っているというのだろうか。

 まぁ、この世界の剣士はみんな、魔力を肉体に作用させて戦うらしいから、筋力とかはあまり関係ないのかもしれないが。


「よっと」


 半ば放り投げるように、クリスをベッドに寝かせる。

 弾みでわずかに胸が腕に当たる。

 考えない考えない。


「よし。

 それじゃあ俺達も寝るとするか」


 伸びをしながらそう言ったが、エミリーはなおも無言だった。


「どうした?

 もう少し飲むか?」


 その問いかけにも、無言。

 上気した頬のまま、睨むようにこちらを見ている。


「いったいどうしたってんだ?

 大丈夫か?

 飲みすぎたか?」


 心配になってそばに近づくと。

 グイッと。

 袖を掴まれた。


「ちょっと来て」


 間髪入れず、歩き出す。

 掴まれた袖に導かれるまま、俺も脚を動かす。


 そのまま、外に出た。

 火照った身体に夜風が気持ちいい。

 そこらで虫の声がする。

 星明かりのおかげで、道を踏み外すことはなさそうだ。


 エミリーは俺の袖を引っ張ったまま、ずっと無言で歩いている。

 どうしたのだろうか。

 急に、何かの霊に身体を乗っ取られたりしたのだろうか?

 だとしたら、大人しくついていったら、最終的には食べられてしまうのではなかろうか。

 昔話のおばけ達は、なんで人間を食べるやつと殺すだけのやつといるんだろうな。


 どうでもいいことを考える間にも、てくてくと道を歩き続ける。

 いったいどこに向かっているというのか。

 聞いてみようかな。


「おい、どこに行くんだ?」

「…………」


 無言である。

 本当に意識を乗っ取られたのではないかと疑いたくなる。

 しかし袖に感じる指先の微妙な力加減と、歩く足取りの確かさからすると、やはりエミリーは自我を保っていると推察される。

 つまり、彼女は俺の言葉を完全に無視しているということだ。


 無視。シカト。

 よくないと思うな、そういうの。

 そんなことをされれば、誰だって傷つくんだぜ?

 その言葉を念じて、エミリーの背中にテレパシーを送ってみたが、何の反応もなかった。


 そのまましばらく歩いて、広場に出た。

 昼間はエルフの子供たちや家族でにぎわっているが、今は夜。

 当然ながら、誰もいない。


 虫達が音楽を奏で、月と星に照らされた広場は。

 なかなか幻想的な感じがした。


 広場の中央付近まで歩いたところで、ようやく手を離された。

 エミリーは振り返らないまま、立ち止まる。


「……で、何をするつもりなんだ?」


 背中に向かって聞いてみる。

 反応なしかな、と思ったら、エミリーがこちらを振り向いた。

 ツインテールがふわりと舞い、いい匂いがする。


「あのね、ハジメ……」


 振り向いたその顔は、夜でも明らかに分かるほど、紅潮していた。

 そしてその瞳も、いつもより潤んで見える。

 しかし俺と目が合うと、すぐに視線は下がり、うつむいてしまった。

 両手で部屋着のスカートの裾を、ぎゅっと握りしめている。


 そしてそのまま、エミリーは黙ってしまった。

 なんか既視感があるな、この光景。

 どこだったか……そうだ。

 アバロンで初めてこいつに出会った時だ。

 あの時もこんな感じで、向かい合ったまま沈黙していた。


 あの時は確か、エミリーに謝らせようとしたけど、どうしても謝罪の言葉がその口から出てこなかったのだ。

 エミリーの実家でも似たようなことがあった。

 それらの結果から推察すると、つまりエミリーは今、何か言いにくい事を言おうとしているということか。


 なんだろう。

 何か俺に隠れて悪い事でもしていたのだろうか。

 実は俺をこちらの世界に飛ばしたのは、エミリーだったとか。

 なんて、そんなわけがあるか。

 どうやら俺も酔っ払っているらしい。

 思考が今一つまとまらない。


「あの……その……」


 エミリーはうつむいたまま、視線を左右に彷徨わせる。

 その度に揺れるツインテールの動きが、なんだかかわいらしい。

 こいつも黙っていれば、非の打ち所がない美少女なのだが。


 いやしかし。

 最近は、罵倒されることもずいぶんと減ってきた気がするな。

 そういえば、長らくカメムシだのミミズだのと言われていない。

 エルフの里に来て、何か心境の変化でもあったのだろうか。


「……あのねっ」


 意を決したように、エミリーが顔を上げた。

 震える唇を噛んで、必死にその先の言葉を紡ごうとしている。

 ……さぁ、何を言うのだろうか。

 まぁ、何でもいいさ。

 どうせ魔術か何かに関することだろう。


「……私は、ハジメの事が好き」



 急に、虫の声がやんだ気がした。

 風も吹かなくなった。

 世界が止まったかのように感じる。


 いや、本当は、止まっているのは俺の方だ。

 今聞いた言葉を、脳が処理してくれない。

 指一本、動かせない。


 ……え?

 もっかい言って?


「愛しているわ。ハジメ」


 ご丁寧に繰り返してくだすった。

 しかもニュアンスがエスカレートしてる。


「待て。

 待ってくれ、エミリー」


 エミリーは真っ赤になってうつむきながらも、視線は俺の眼を捉えていた。

 そしてその瞳は、不安げに揺れている。


「じょ、冗談だろ……?」

「冗談じゃ、ないわ」


 俺の眼を真っ直ぐに見つめたまま、エミリーは言った。

 しかし、納得がいかない。


「だってお前は昔、俺のことなんかかけらも好きじゃない、なんて言ってたじゃないか。

 それに……そう。

 なんかこの感じも、既視感があるぞ。

 お前の実家についていった時だ。

 あの時もそんなこと言って、それは嘘だって言ってたじゃないか」


 エミリーの告白が予想の斜め上を行き過ぎて、現実味が全くない。

 まるで脊髄反射のように、状況を否定しようとする言葉が飛び出してくる。


「それは、ハジメに嘘をついていたの。

 本当は、あの時お父様に話した通り。

 私はあなたのことが好きだから、グレンデルの名を捨てて、あなたの旅についてきた」


 いや待て待て。

 だっておかしいだろう。

 エミリーは出会った時からずっと、俺に対して喧嘩腰だった。

 口を開けば罵倒の嵐だったあの頃を、俺は忘れていない。

 いや確かに最近は少しなりを潜めてはいるが……。


「仮に、お前の言う事が本当だとして、いつから?

 いつから俺の事……その、好きだったの?」

「最初からよ」

「え?」

「だから、最初からよ」


 エミリーは顔を真っ赤にしてうつむいている。

 しかし意味が分からない。

 あれが好きな相手に対する態度だとしたら、クレイジーすぎるだろ。


「――わ、私だって驚いたわよ!

 ハジメと話すと、いっぱいいっぴあ」

「え?」

「……い、一杯一杯になって、気づけばあんな感じになっちゃってたのよ!」


 もはやエミリーは、恥辱で今にも死にそうな顔になっている。


 ……やばい。

 ちょっと信じ始めてきた。

 エミリーがこんなことを言うなんて、どんな裏があってもあり得ない気がする。

 例えここでクリスが[ドッキリ大成功!]なんて書いた看板を手に物陰から飛び出してきても、ダメージはエミリーの方が大きい。桁外れに。


 まじか。

 この娘が、俺のことを好き?

 まじ?

 性格を除けばめちゃくちゃかわいいこの女の子が、俺のことを?


「な、なんでその……今になって、言ってくれる気になったんだ?」


 気づけば俺の心臓は、早鐘のように鳴り響いていた。


「多分ずっと、言えないだろうって思ってたの。

 私はこんなだから、伝えようとしても絶対、失敗すると思ってた」


 うん確かに。

 それは想像に難くないな。


「でもこの旅で。

 考えを根本から覆される出来事が起こったの。

 ……魔族との戦闘で、ハジメの心臓が止まった時」


 恐怖を思い出したような、エミリーの声。


 なぜだか、ヒヤリとした。

 胸に手を当てる。

 この心臓は、一度動きを止めたことがあったのだと、その言葉で実感した。


「胸に耳をあてても、何も聞こえなくて。

 息も、しなくなってて。

 私はハジメが、死んじゃったと思ったの」


 少し、鼻にかかったような声。

 見ると、エミリーは泣いていた。


「クリスとっ、2人でがんばったけど。

 ハジメはどんどん、冷たくなっていって。

 胸を押しながらっ、思ったの。

 こんなことになるならって。

 こんなことになるなら、せめて、伝えておけばよかったって」


 溢れる涙をそのままに、エミリーはまっすぐに、俺を見つめていた。


「私は、あなたが好き。

 好きよ、ハジメ」


 そう言って、エミリーは笑った。

 顔は涙でぐしゃぐしゃだ。

 しかしその笑顔は、これまでに見た彼女の表情の中で最も、美しかった。


「……今は、返事はいらない。

 ただ、伝えておきたかったの」


 そう言って、エミリーは涙をぬぐった。


「私はエルフの魔術を学ぶつもりだから、どうあれハジメとは離れることになるわ。

 また会えたら、その時に返事を聞かせて」


 ……おやすみ、と言い残して。

 エミリーは歩いていった。


 残された俺は、その場にへなへなと座り込んだ。


 虫の音が響く中。

 俺は一人、ぼんやりと夜空を見上げていた。









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