第4話 ニーナ視点

 <ニーナ視点>


 今日は。

 私の人生の中で、一番衝撃的な1日だった。

 こんなに恐ろしかったことも、

 こんなに安堵したことも、

 こんなに胸が躍ったことも、これまでの私の暮らしの中にはなかった。

 本当に、衝撃的としか言いようがない。 


 事の始まりは、3日前。

 お母さんが足にケガをしてしまったことだ。

 子どもが転びそうになったのを支えて、右の足首を捻ってしまったらしい。

 子どもの父親がウチに謝りに来て、お母さんは「気にしないで」って言ってた。


 でも、お母さんの仕事は機織はたおりだ。

 ウチの裏で育てたカシルスの茎を、線維にして、糸にして、機織り機で織る。

 機織り機は足でペダルを踏まなきゃいけない。

 他の作業だって立ったり座ったりがつきものだ。

 足が痛かったら、ままならない。

 

 この村には治癒術師はいない。

 お母さんの足を診てもらうには、隣の街までいかないといけない。

 でも、足が痛いから無理だ。


「ただの捻挫よ。半月もすれば良くなる。

 大丈夫。少しくらい休んでも、どうってことないわよ」


 そう、お母さんは言った。

 確かに、少しずつ腫れは引いてるみたいだった。

 仕事はできないけど、そのくらいの蓄えはある。

 

 でも1つ、決定的に困ったことがあった。


「お母さん、でも、もうすぐクレタの街に服を届けなきゃいけないよね?」


 ウチは月末に、作った服を隣の街へと卸しているのだ。

 今月卸す分は、ケガをする前に作り終わっていた。

 来月の分は、街に行ったときに受注を減らせばいい。


 いつもなら、お母さんと2人で、服を抱えて歩いていく。

 服を卸した後、身軽になった身体で美味しいものを食べるのが恒例だ。

 でも、ケガをしたお母さんは、街との往復はできない。


 受注した商品を納期までに卸せないと、信用に関わる。

 作った服も値下げさせられるだろう。

 もしかしたら次から注文をもらえなくなっちゃうかもしれない。

 そしたらまた、新しく受けてもらえるお店を探さなきゃならない。


 相手の希望の服を把握したり。

 どんな服を作れるのか見せたり。

 価格設定をしたり。

 それはとても、大変なことだ。


「誰か、村の人に頼みましょう」

 

 お母さんは言った。

 でも2日後には服を届けなきゃいけない。

 服を全部運ぶにはもう1人必要だ。

 私だけじゃ、服を運びきれないのだ。


 そしてそれだけが理由ではなく。

 お母さんは、私が1人で村の外を歩くことを危ないと思ってるみたいだった。




 それから、村の知り合いを何人かあたった。

 が、なかなか都合が合わなかった。

 お母さんが庇った子どもの両親にも聞いてみたけど、申し訳なさそうに断られた。


「私が手を出さなきゃケガもなかったんだから、このケガは私の責任だよ。

 だから、あの人たちを責めるのは、お門違いってものさ」

 

 そう、お母さんは言っていた。

 私はあんまり納得できなかった。

 けど、その子が心配そうに両親を見ていて。

 なんだか心が痛くなったから、とりあえず納得した。

  

 そんな中、街に用事がある男の人が見つかった。

 私たちはホッと胸をなでおろした。

 しかしその人は街に泊まるから、帰りは一緒にはいられない、ということだった。


「……お母さん、私、大丈夫だよ。

 いつも通ってる道だもん。

 森から魔物が出てきたことなんてないし、悪い人なんて見たことないよ。

 そもそも、全然人がいないじゃない。」


 私はそう言って、お母さんを説得した。

 今まで何十回も、お母さんと隣の街へと服を届けた。

 一度も危ない目にあったことなんてなかった。

 そして私はその時、ひとりで村の外を歩くということに、ワクワクしていた。


「ばか。

 人がいない方が危ないのよ。

 助けを求められないんだから」


 そう言ってお母さんは、服を届けるのを諦めるべきか悩んでいた。

 

 結果として。

 お母さんは折れた。

 私の言うことにも、一理あったのだ。

 少なくともここ数年、あの道で盗賊や魔物に襲われたという話は聞いたことがない。

 最終的には、お母さんもその考えを採用したらしい。


 出かける前に、1本のナイフを持たされた。

 

「いいかい、危ないと思ったら使うんだよ」


 そう言われて頷いたけど、使うわけがないと思っていた。



―――――


 

 日の出とともに村を出た。

 一緒に来てくれた男の人は力持ちで、服をほとんど持ってくれた。

 いつもはお母さんと半分ずつくらいだから、楽だった。

 街に着いたらいくつかのお店で服を卸して、お金を受け取った。

 そのお金から男の人にお礼を渡して、その人と別れた。


 順調だった。

 スムーズに物事が進んだおかげで、街で楽しむ時間ができた。

 入ったことのないパン屋さんで、昼食を食べてみた。

 そのパンはとても美味しくて、お母さんへのおみやげをちょっと買いすぎてしまった。


 さらに、ケーキ屋さんに入った。

 クリームがたっぷりと乗ったケーキを、私はペロリと平らげた。

 なんでケーキというものは、あんなに無くなるのが早いんだろう。


 あっという間に、帰らなければいけない時間になっていた。

 街の喧騒に後ろ髪をひかれつつ、私は帰り道を歩き始めた。


 その後も、特に何事もなかった。

 いつものように、レンガでできた街道をしばらく歩いて。

 途中からは、土の道を歩いた。

 

 しかし日が落ちるにつれて、だんだんと寂しい気持ちになってきた。

 早くお母さんに会いたい。

 心配してるだろうな。

 おみやげのパン、喜んでくれるかな。

 そんなことを考えながら、歩いていた。


 ――その時。

 急に、後ろから突き飛ばされた。

 草むらに転がり。

 何事かと思って顔を上げると。


 目の前に、ナイフを持った男がいた。


「―――――――――!」


 聞いたこともないような叫び声が、自分の口から出た。

 男はすぐに私の口を手で塞ぎ、私の上に馬乗りになった。

 気が動転して、無我夢中で手足をジタバタと動かしたが、全く効果はなかった。


 その間に口の中に布を詰め込まれ。

 その上からさらに布をあてがわれ、頭の後ろで縛られた。

 声が出せなくなった。


 パニックに陥る中で、ナイフのことを思い出した。

 すぐにバッグに手を伸ばす。

 しかし、男にその腕を掴まれた。

 

「何か持ってんのか?」


 男が言い、乱暴に私のバッグを奪うと、草むらに放り投げた。

 私の唯一の希望が、潰えた。


 男は馬乗りになったまま私を反転させ、両腕を後ろ手に縛った。

 必死にもがくけれど、男の片腕の力に両腕でも全く敵わない。

 結局はされるがままになってしまう。


 男が私の服の胸元を、ナイフで裂いた。

 そのまま服をまくられて、上半身を裸にされてしまった。


 男はナイフを口に咥え。

 はめていた手袋をはずし、私の胸へと手を伸ばしてくる。


 ぞっとした。


 この後、自分を何が待ち受けているのか想像できない。

 ただ男の顔がおぞましく。

 その手が私に触れることで。

 私を私でない何かに変えてしまうような気がした。

 

(助けて! 誰か助けて!)


 心の中でそう叫んだが、こんなところに助けなど来るわけがないのは分かっていた。

 私は目の前の光景に耐えられず、ぎゅっと眼をつぶった。


「―――!!」


 すると突然。

 男の人の叫び声と、何か重たいものがぶつかる音がした。

 同時に、お腹の上の重さがなくなった。

 伸ばされた手が触れる感触もない。

 

 恐る恐る目を開けると。

 そこには、見知らぬ男の子が立っていた。

 15歳くらいだろうか。見たことのない服を着ている。

 息も絶え絶えで、汗びっしょりだ。

 それはまるで、全力で走ったあとみたいだった。


 ……まさか、全力で走ってきたの?

 私を助けるために?


 その疑問に答えを得る間もなく、状況は動いていく。


 男の子はすばやくナイフを拾って、男に突き付けた。

 男はというと、立ち上がり、あとずさりしていった。

 よくみると右腕が垂れ下がって、動いていない。

 男の子にぶつかった時に、負傷したのだろうか。


 その後、少しの間にらみ合った後。

 男は背を向け、坂を駆け下りていった。

 しばらくその様子を見ていた男の子は、糸が切れたようにその場に座り込み、安堵するように何かをつぶやいた。

 

(……この人も、怖かったんだ)


 私と1つ2つしか歳が違わない男の子が、ナイフを持った相手に向かっていくなんて。

 とても、恐ろしかっただろう。

 私にはできない。


 風が通り過ぎ、草がざぁっと音を立てた。

 耳を澄ますと、虫の鳴き声も聞こえる。


 私はお礼を言わなきゃと思って、声を出した。

 しかし口に突っ込まれた布のせいで、声にならなかった。




―――――




「――――?」


 男の子は何かを言いながら、こちらへとやって来た。

 命の危機を救われたおかげで忘れていたけど、私は今、上半身裸だ。

 そのことを急に思い出し、後ずさりしてしまった。


 男の子は私の方をできるだけ見ないようにしながら、口の布と、腕の縄をナイフで切ってくれた。

 さらに、自分が着ていた服を脱いで、私に渡してきた。


 最初は行動の意図が分からなかった。

 しかしすぐにその気遣いに気づいて、服を着させてもらった。

 男の子の体温で暖かかった。

 なんだか、急に安心することができた。

 同時に、私の胸はドキドキと鳴り響いた。

 

「ありがとう」


 口をついて出た。

 男の子は、ぽかんとして、首をかしげた。

 ……あれ?


「あの、私はすぐそばの村に住んでる、ニーナと言います。

 助けていただき、本当にありがとうございました。

 お礼をしたいのですが、あなたのお名前を教えていただけますか?」


 これだけ言っても、男の子はきょとん顔のままだった。 


「―――、―――――――、―――――」


 今度は男の子が何かを言った。

 でも、私には全然分からない。


 その後も何度か話しかけてみたが、一向に通じる気配はない。

 言葉が通じないなんて、初めてだ。

 どこか遠いところからやってきたのか。

 でもそれにしては軽装というか、なんというか、男の子は何も持ってない。


 ……しばらく考えて、私は理解することを諦めた。


「ニーナ」


 自分を指さしながら言った。


「ニー、ナ」


 ゆっくりと、言葉を繰り返す。

 男の子が頷いた。

 どうやら理解してもらえたみたいだ。

 私は気になり、今度は彼を指してみる。


「―――――――――」

 

 最初はよく聞き取れなかった。

 彼はもう一度口を開き、言った。


「ハ、ジ、メ」


 やっと聞き取れた。

 うれしくなって、私は繰り返した。


「ハジメ!」


 彼は何故だか赤面して、眼をそらした。



―――――



 ……とにかく、名前はわかった。

 あとはお礼をしたいけど、どうしたらいいだろう。


 そもそも。

 彼はどこから来て。

 何が目的で。

 これから何をしたいのか。

 何一つわからない。


 しかし少なくとも、何も持っていないことはわかる。見ればわかる。

 あの様子では、今日食べるものもないのではないだろうか。

 そして今日寝るところも、ないような気がする。

 彼が泊まれるようなところは、距離的に私の村くらいだろう。

 村人で彼の知り合いだと思える人はいない。


 ……いや、私も村の人全員を把握しているわけじゃない。

 もしかしたら、誰かの知り合いで、今日泊めてもらうことになってるのかも。

 いやでも、手ぶらというのはおかしい。

 どこかから逃げてきたのだろうか。

 必死で逃げてきて、着の身着のまま、とにかく移動してきたとか。


 でも、このあたりにそんな人を捕まえてるようなところなんてない。

 牢屋があるのはせいぜい隣の街くらい。

 言葉が通じない人が捕まってるという話も、

 逃げ出したという話も、

 街では一切聞かなかった。


 考えれば考えるほど、分からなかった。


 草むらに落ちたバッグを拾い、彼に聞いてみた。


「あなたはどこに向かってるんですか?」

 

 彼はお得意の、首をかしげるポーズだ。


 まぁ、伝わるとは思ってなかった。

 仕方ないので、私は実力行使にでることにした。

 

 彼の腕を引っ張って、大きな岩に登った。

 彼にも一緒に登ってもらい、私の村を見せた。

 なんとか身振り手振りで意思疎通を図ると、彼は頷いた。

 どうやら、彼も目的地は私の村でいいようだ。

 とりあえず、それが分かれば十分。


 私たちは、一緒に村に向かって歩き始めた。


 

 村に着いたのは、日暮れ前だった。

 途中からあんまり時間がないことに気づいて、急いでやってきた。


 村の門を見ると、ほっとした。

 同時に、すごくお母さんに会いたくなった。


 私は小走りで門を通り、家を目指す。

 途中で、近くに彼がいないことに気づいた。

 振り返ると、彼は村に入ることに逡巡してる様子だった。

 やっぱり、村で泊まる約束をしてる人もいなさそうだ。


 私は彼を呼んで、こちらに来るように手招きした。

 彼はそれに従い、一緒に来てくれた。


 私の家に着いた後、彼には玄関で待ってもらった。

 ちょっと申し訳ないけど、仕方ない。

 一緒に入ったら、お母さんはびっくりしてしまうだろう。

 

 玄関を開け、台所に入ると、お母さんがいた。

 料理を作ってる。

 私が扉を開ける音に気づいて、振り返った。

 

「おかえり。

 心配したよ。

 大丈夫だった?」


 いつもの、優しい声だった。

 急に涙があふれてきて、私はお母さんに抱きついた。

 お母さんは心配そうに、何があったの、と聞いてきた。

 私は泣きじゃくって、何も言えなかった。

 

 私が話すことができるようになったのは、しばらく経ってからだった。

 少しずつ、私は今日起こったことを話した。


 街から出るまでは順調だったこと。

 村まであとちょっとのところで、男に襲われたこと。

 バッグを遠くに投げられてしまい、ナイフは使えなかったこと。

 もうダメだ、と思ったら、1人の男の子が身を挺して助けてくれたこと。

 その男の子は、言葉が通じなくて、出身も行き先も、何一つ分からないこと。

 でも、悪い人じゃないと思うこと。

 その男の子にお礼がしたいと思ったこと。

 多分その男の子は、今日寝る場所もないこと。

 そしてできるならこの家に、泊めてあげたいと思っていること。


 お母さんは優しく相槌をうちながら、話を聞いてくれた。

 私が話し終えると、頷いた。


「分かったわ。

 あなたを助けてくれた、恩人だもの。

 泊まっていってもらいましょ。

 彼が望むなら、いつまででも。

 どうせ、部屋も余ってることだしね。」


 お母さんはにこっと笑って言った。

 この家には余ってる部屋が1つある。

 お父さんの部屋だ。


 お父さんは冒険者をしていた。

 隣町でパーティーを組んでいて、魔物の生息地まで出かけて狩りをする。

 ひと月くらい帰らないこともあったけど、帰った時にはたくさんおみやげをくれた。

 その日も、いつもと同じように出かけて行って……帰ってこなかった。

 代わりにお父さんの仲間の人が家に訪ねてきて。

 お父さんが魔物に襲われて死んでしまったことを、私たちに告げた。


 もう、5年以上も前のことだ。

 その時は大変だったけど。

 私も幼かったし、時の流れによって記憶も曖昧になってきている。


「あなたが無事で、本当によかった。

 ごめんね。

 やっぱり1人で行かせるべきじゃなかったね」


 お母さんはそう言うと、私のことを抱きしめた。

 少し声が涙ぐんでた。

 私もお母さんを抱きしめ、少しの間、そうしていた。


 やがて、お母さんは立ち上がって言った。


「さて、じゃあ料理を一人分、増やさなきゃね。

 もう少しかかるから、あなたはお部屋の掃除をお願い。

 あと、その服を着替えてきなさい」


 私は言われるがまま、お父さんの部屋を掃除して、服を着替えた。

 服を着ようとしたとき、彼の着替えがないことに気づいた。

 お父さんの服を引っ張り出してみたらちょうどよさそうだったので、彼にはそれを着てもらうことにした。


 そして、彼を家に招き入れた。

 台所に入ってもらい、お母さんに紹介する。

 お母さんは彼をじっと見ていた。

 その時何を考えてるのかは、分からなかった。


 その後、お母さんは彼にお礼を言って、お辞儀をした。

 私もそれに倣ってお辞儀をした。

 彼はちょっと気恥ずかしそうにしていた。

 

 それから、3人で食事した。

 食卓には、私が買ってきたパンも並んだ。

 いつもはお母さんと2人だから、にぎやかに感じた。

 彼は、ちっともしゃべらないけど。


 食事の時、私は改めて、お母さんに今日あったことを話して聞かせた。

 なんだか、話したくて仕方がなかった。


 結局のところ。

 私の今日の体験は、恐怖よりも、彼に助けられた時の興奮の方が上回っていた。

 彼に助けられたくだりでは、私の話にも熱が入って、彼のことを指さして話してしまった。

 彼は全然会話に加われてなかったけど、楽しそうに見えた。

 私も楽しかった。


 その後は、彼をお部屋に案内して、服と桶を渡して、自分の部屋に戻った。

 

「……ふう」


 ため息をついて、ベッドに潜る。

 改めて、今日のことが思い出された。


 突き飛ばされたときは、何が起こったか分からなかった。

 振り向いた時の男の顔。

 服をナイフで裂かれたときの恐怖。

 そして、私を助けてくれた、彼の姿。

 息も絶え絶え、汗びっしょりだけど、そのまなざしは鋭かった。

 全力で、私を守ろうとしてくれていた。


 思い出すだけで、胸がどきどきした。

 まるで、おとぎ話の王子様みたいだった。



 ――ありがとう。


 心の中でもう一度呟き、私は眠りについた。




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