第1章 天上のヒマワリ、地上の太陽

第5話 歩兵でいいです(1)

 フォズ・イムガイ国は、近代日本に酷似した風土を持つ島国だ。


 ミカドを頂点とする公家社会と、ショーグンを頂点とする武家社会。

 八百万の神々を讃えるカムナヤ、仏の教えを説くフトノリという、二つの宗教。

 それらが密接に関わり合い、ときに反発し合いながら作り上げてきた歴史と文化は、奇しくも入山いりやまけんにとってなじみ深いものであった。


 近年、統治機構である幕府の方針転換のもと近代化が図られ、とくに都市部は発展も目覚ましい。程度や時間差こそあるものの、その波は中央から距離を隔てた農村部へも及びつつある。

 ナカツ島東部に位置する、このワツリ村も例外ではない。




 山すそに広がる牧歌的な田園風景の中を、荷車や牛を引いた人々が行き来している。点在する民家の茅葺かやぶきと瓦葺の割合は半々といったところだ。人口四桁規模の、付近でもありふれた農村の一つである。


 あえてこの村ならではの特色を挙げるとするならば、それは温泉と神社であろう。

 ワツリ神社は、献慈の居候先であるおお曽根そね家によって管理されている。村人たちにとっては水神・【おおぐしめのかみ】をまつった心の拠り所としても、季節ごとに催される祭りの会場としても親しまれる場所だ。


 敷地内には本殿や祭祀場、社務所などのほかに、村民にも開放されたいくつかの施設がある。主立ったものとしては、体育館としての意味合いも持つ道場、冠婚葬祭を彩る写真館、そして書庫などが挙げられる。


 書庫といっても、実質的には図書館に近い。建物自体は小さいながら蔵書もそれなりにあり、一般に貸し出しもされている。献慈にとって、現地の文化を勉強するにはうってつけの場所といえた。


 帰還のめどが立たない以上、自立への道を模索するのは必然だ。諦めとは別種の割り切りこそが、焦りがちになる献慈の気持ちを楽にしてくれる。




  *




 キンギュウセツ――この世界での五月にあたる――初旬。

 この日も献慈は昼食を終えた後、自室の窓際で本をめくっていた。


(村の中に温泉かぁ……どんな感じなんだろ)


 手にした本は、境内にある書庫から借りてきたものだ。掃除や炊事の合間にする読書は今や献慈の日課となっていた。


(っと、その前に神社についてもっと調べないと。せっかくお世話になってる場所なんだし)


 言うまでもなく、文面はイムガイ仮名やかん字で書かれている。

 それも献慈にとってはさしたる障害にはならない。文章を目に映し、読もうと意識を働かせるだけで内容を理解できるのだから。


 【相案明伝ソウアンメイデン】。本来、話し言葉にしか作用しないはずの現象だが、どういうわけか献慈だけが視覚にも影響しているらしい。


(……そういや知らない間に視力も上がってるし、何か因果関係とか――)

「献慈君、入るよ」


 ふすま越しに家主が呼びかける。


「はい、どうぞ」


 開いた戸の外に大曽根が、取り込んだ洗濯物を持って来ていた。


「あっ、すいません。部屋までわざわざ」

「家事は持ち回りなんだし、気にしないでおくれ」


 姿勢を正そうとする献慈を制止しながら、その傍らに大曽根は折り畳まれた服を置く。着物に不慣れな現代っ子のために用意してくれた作務衣や肌着の類いだ。


「それとついでに――おや? 献慈君は今日も熱心に読書かな?」

「ええ、村の文化について勉強を」

「それは感心だね。気になったことがあれば訊いてくれて構わないよ」

「そうですね……」開いたページに目を走らせる。「村の行事、夏祭りとか楽しそうです。あと、み……ミコホウジ? とか」

「…………」

(……あれ? 違った?)

「……うん、祭りの初日はちょうど娘の誕生日なんだ。よければ君も一緒に見て回ったらどうだろう?」

「はい。それはぜひとも」


 大曽根の一人娘・みおは献慈よりも二つ年上で、三ヵ月後の八月十五日には満十九歳になるそうだ。


「しかし、もうそんな歳になるか……いやはや、月日の経つのは早いものだ」


 大曽根は誰にともなくつぶやくと、部屋から去って行った。

 献慈は文机に本を置いた後、洗濯物を手早くタンスへと仕舞う。


(ずっと作務衣ばかりってのも何だし、そのうち着物にも挑戦してみよっかな……そういえばお父さん、ついでにとか言っ――)


 妙な引っ掛かりが献慈の手を止まらせた。

 違和感の出どころは思考の中ではなく、まさに自分の手の中にあった。

 それは下着であった。

 下着、上半身に装着する、女性用の。


「…………」


 その形状からして、実姉と同様「胸部の量的主張が奥ゆかしい女性」向けに作られた代物であることを、献慈は一目で理解できた。


(ふむ、これは……慎ましやかな胸元に優しくフィットする機能性……上質な生地を使っていて肌触りも良く、通気性も備えている……それでいてデザインへの気配りも忘れていない……イムガイ女性の進歩的な美意識が窺えますなぁ、ハッハッハ……)


「――献慈君、言い忘れたんだが」

(どぅおえええ――――っ!!)


 引き返して来た大曽根と、ばったり目が合う。

 献慈の両手には、堂々と広げられた女性用下着が掲げられている。

 もはや言い逃れできる状況ではない。


「ふっ――」まずは深呼吸。「ふぅ……えっと、これはどうも、洗濯物、混じってたみたいですねー、い、今ちょうど見て、あれぇ~? って思って……お、思いまして」

「あぁ、それは悪かったね。ところで……」

(スルーされたぁ! 逆に怖ぁい!)

「ついでに君に用があったんだ」


 大曽根ははたとたもとを探る。


「な……何でしょうか」

「もし面倒でなければ、お使いを頼まれてくれるかな」

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