ひまわり

 何事もなく日々が過ぎていた。最近あった事といえば、身に覚えのない数々の「ありがとう」メッセージだけだ。

「気味が悪いね、やっちゃん」

 いつもの朝、いつも通りに起きて、最近の通りに十通ものありがとうメールを見て、夜墨の定位置を見る。うすく開いている窓辺に、黒いふわふわの姿はない。

「やっちゃーん?」

 部屋のどこかに潜っているのだろうか、もう外へ出てしまったのだろうか。

 外を覗いてみたり、クローゼットを探したりしたが見つからない。

 まだご飯を食べてもいない。外へ行くにしても、ご飯を食べずに夜墨が外へ行ったことはなかった。

 飼育登録で夜墨に埋め込んだチップは位置情報送信機能がある。バイザーで位置情報を検索、テレビ画面に表示する。

 やっぱり外に出ているようだった。街の外側の、ひまわり畑に向かっている。前に迎えに行った地点を通過した。

 直近の移動ルートも勝手に表示された。夜墨を表す点は昨日と同じルートをなぞっている。この数日ずっと同じルートをたどっているらしい。

 なにがあるんだろう。

 夜墨のごはんをビニール袋に取って、バイザーを装着し出発した。電動自転車の充電もばっちりだ。

 夜墨の通ったルートになるべく近い道を通る。住宅同士の間に点々としている緑地をたどるようなルートだった。

 土のにおいと草のにおいが涼しい。コンクリートでできる日陰よりも、木陰のほうが涼しく感じる。虫の音はすごいけれど、夜墨は涼しい道を選んでいるらしい。

 最先端都市には珍しい土の道は、まだ手入れが行き届いていない。ほとんど自転車を押して通らなければならなかった。

 しばらく歩いていると、視界が開けた。

 ひまわり畑だ。

 住宅地を抜けた。夜墨はもっと先、街を出るぎりぎりのところだ。

 砂利道の両側は背の高いひまわりがみっしりと植わっている。だから見渡すことはできないが、地図によればだだっぴろいひまわり畑が広がっている。等間隔に電柱が立っていて、電線が街の外から続いていた。遠くに鉄塔が見える。まっすぐの道の先はゆるやかな登り坂、山へ繋がっている。山の向こうの、ふもとが私の故郷だ。

 夜墨はひまわり畑の真っ只中を突っ切って行ったようだった。この密集したひまわり畑の中を? どこへ向かっているんだろう?

「やっちゃーん」

 夜墨はどんどん進んでいる。同じように畑の中を進めそうにはないから、私も道なりにまっすぐだ。

 じゃりじゃり砂利道を歩いていると、夜墨と出会ったときのことを思い出す。砂利道に足を取られて転んでしまったんだっけ。そうこうしているうちに、ぼわぼわとくろい影が視界に入ったのだ。あの時は街に来たばかりだった。街を一周してみたくて、気の向くまま走っていた。でも、だからってどうして砂利道に迷い込んだんだろう。走るなら、街中を走ればよかったのに。

 気付けば道は土になっている。坂を登っていた。

「え? あれあれ?」

 振り返ってみる。きょろきょろしてみて、左右の林の奥がとても暗い。

 バイザーの地図上に夜墨の点はなかった。移動してきたルートを表す線は、地図の端を突っ切っている。

 街の敷地から出ちゃったんだ。

 現在地も地図から外れている。バイザー上の地図がガサガサにちらついた。ネットワーク接続も不安定だ。

 振り返る。一面、塗ったみたいに真っ黄色のひまわり畑が見える。その向こうに銀色にキラキラひかる街が見える。

 別に出て行くわけじゃないんだから。ちょっと猫を探しに行くだけ。それだけなんだから。

 日陰に入ったからか、肌寒い。空気がひんやりする。両脇の枝木がぼうぼうで、顔にも腕にも足にも当たるし、じんわり暗い。坂の上だけが明るい。どんどん暗くなっていくみたいだ。

 あ、バイザーのネットが切れたんだ。

 それで電源が切れたから、視界が暗く感じるんだ。

 バイザーをもぐように脱ぐ。涼しくなるかと思ったけど、逆にむわっとした。じめじめする。こんなに獣道だった? この坂こんな急?

 いきなり自転車が重たくなる。握ると自転車がすごく冷たい。押すと足が沈み込む。ぬるっとする。ざり、ざり、土を見て押し登ると、生臭いにおいがする。強くなる。気持ち悪いにおいだ。吐きそうなにおい。

 登りきった。

 首筋に当たる風がねばねばする。

 地平線が見える。青黒い海の手前側は湾になっている。細長い円錐型の羽をワイ字型にした風車が並んでいた。眩しく白光りしていたはずだ。ずらりと並んだ洋上風力発電機は壮観だった。この眼で見たとき、すごく感動したんだ。

 ブン、耳の周りが震える。肌が重い。視界が揺れる。

 目の前の湾は赤茶色くて、数えるほどの風車が立っている。傾き、折れた風車の一部が波の隙間に見えた。湾から続く電線はジグザクになって、数本だけが頼りなく繋がっている。電線を辿って振り返る。視界の端に傾いた鉄塔、そうだ、ここにも風力発電機があった。かろうじて羽が動いている。

 これまで歩いてきた道の先は、真っ茶色だった。赤黒い茶色の一面。ひまわり畑は影も形もない。

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