<第一章:狂夜祭> 【09】


【09】


 帰宅。

 だが、玄関を開けず叫ぶ。

「アリステール! 俺だフィロだ! 開けてくれ! 帰ったぞ!」

 しばし待つ。ドタバタと足音が響く。

 戸が開く。

 エプロンを手にしたアリステールが現れた。

「おかえり、どうした――――――」

 彼女は俺の有様を目で追う。

「――――――の?」

「戦ってきた」

「勝ったの?」

「当たり前だろ」

「んじゃ、何故に家に上がらないので?」

 負けたら家の敷居上がらせないつもりか?

「ハティから怪我を隠したい。家に血痕付けたくないから、いらんタオルか毛布持ってきてくれ」

「はいはい」

 アリステールは引っ込む。

 アドレナリンが大量に出ているせいか、大体の出血は止まっている。ただ、肩の傷だけは強く深く押さえていないと血が滴るのだ。

 アリステールが戻って来た。

「古いカーテンしか見当たらなかった」

「後で燃やすからそれでいい」

 カビ臭いカーテンで右肩を覆い地下の自室に移動した。

 ベッドに腰掛け、血を吸ったカーテンとボロ布になったマント、ズタズタになった鎧と上着を脱ぐ。

「中々の強敵だったんだね」

「まあ、な」

 少し気を抜いたら、痛みで気絶しそうになった。傷の痛みと、肉体の酷使した痛みが半々といったところ。合わせて熱が出ている。

 ベッドの下に置いた高い酒を飲む。喉と胃が焼けるアルコール度数だ。肩の傷にかけると、抉られ燃やされるような激痛が走った。我慢して、傷口の血を注ぐ。

 結構な深さの傷だ。自然治癒は無理だな。

「深いなぁ、縫うね」

「魔法とかじゃないのか?」

 隣に座ったアリステールは、治療用の器具を広げる。思っていたよりもずっと本格的である。やや拷問器具を思わせる物もあるけど。

「あのねぇ、旦那様。治療魔法の大半は、人間の生命力を前借しているだけ。ようは寿命を削っているの。生死に関わるのならともかく、縫った貼ったで治る傷なら魔法は使わないに限ります」

 彼女は、針と縫い糸を取り出す。

「ああそういや、ジュマの治療術師も割と魔法使わないで治療してたな」

 背骨ぶん殴られたの思い出した。

 あれって、正しい治療だったのか。

「いくよ」

「やってくれ」

 酒をもう一口飲んだ。

 ブスっと針が皮膚と肉を貫く。

 冷や汗が噴き出た。

 アリステールの手際は良い。良いのだが、なんか編み物になった気分だ。

「はい、終わり」

 アリステールは、糸を歯で切る。次は軟膏の入った瓶を取り出し、他の細かい傷に塗っていく。

「これ刃物傷だよね? 鋭すぎてほとんど塞がってるけど」

「刃物っぽい魔法だな」

「何それ?」

「剣振る自分を信仰して再現してた、らしい」

「ああ、【鏡身】だね。頭のおかしいことするなぁ。禁忌魔法の1つだよそれ。確か、ジュミクラ学派、八大禁忌・聖魔の魔の1つ」

「有名なのか?」

 あの本、回収しようとも思ったが、悪いものを感じたので焼いてしまった。

「昔、自己愛が行き過ぎて、鏡に映った自分を愛した女がいたの。やがてその女は歪んだ魔術にのめり込み、“美しい自分の分身”を生み出した。そして、分身は老いて醜くなった女を殺し、女と同じように鏡の自分を愛した。やがて、その分身も魔術を極め、“新しい自分の分身”を作り出し、老いた後同じように分身に殺され、また、その分身は分身を作り出し~幾星霜。旅中にあった後の【大炎術師ロブ】に発見された時には、女の死体で山が出来ていたとか」

「怖い話だな」

 無限ループの怖い話だ。

「愚かさは、他人がいなければ理解できない。個人では決して変えられない。自己を失ってまで、何かを盲信するのはよくない。そういう教訓の話」

 教訓あるか?

「こっちも塗っておくね」

「いでッ」

 彼女の手がぬるぬると耳に触れ、新しい激痛を生む。

「そこ、目立たないか?」

「目立つよ」

「じゃあ、こっちは魔法で頼む」

「余計にバレるってば。聖女様って、そういうのに鼻が利くし」

「………まいったなぁ。怪我はしないとハティと約束したのに」

「ふーん、聖女様とそんな約束したんだ。………仕方ないなぁ」

 アリステールが近付いてきた。

 俺の耳元で呪文のような言葉を紡ぐ。風が吹いたように、耳から痛みが消えた。

「うわっ、これ痛っ」

 代わりにアリステールが耳を押さえて痛みを訴える。手は鮮血がこぼれだしている。

「は? お前何をした!?」

 自分の耳に触れる。

 傷がない。軟膏のぬめりしかない。

「何って、傷を移したんですけど? 聖女様にバレたくないのでしょ?」

「馬鹿、戻せ! 治せと言ったし、バレたくないとも言ったが、お前に傷を引き受けて欲しいとは言ってない!」

「じゃあ、先に言ってよ」

「いいから戻せ!」

「戻せませーん」

 アリステールは、血を流しながらおどけた笑顔を浮かべる。よくわからない感情で苛立ち、彼女の肩を掴む。

「旦那様、家庭内暴力はちょっと」

「軟膏貸せ」

「先ず血を拭かないと」

「適当に全部貸せ」

 渡された包帯でアリステールの耳を拭く。

 刃物傷だ。本当に俺の傷を移したようである。

「お前これ、痕が残るぞ」

「髪で隠すから別にいいって」

 軟膏を塗ると、痛みで体を強張らせた。

「いいか、二度とやるな。絶対に」

「えー、ローオーメンの秘儀だよ。冒険者がよく頼る魔法じゃない」

「ローオーメン? それって娼婦の神だろ?」

 酒の席で小耳に挟んだことがある。

 詳しくは知らない、娼婦は縁遠い存在だ。この世界の娼婦は高給取りなのだ。それに権威もあり、並の冒険者では相手にもされない。

「正確には、娼婦の神様じゃないよ。冒険者と“しとね”を共にした両性の神。再生点を分け与えたり、傷を引き受けることができるの。ライガンの女なのだから、契約して当たり前だよね」

 それはそうとしても、

「女に自分の傷を引き取らせるとか、気分が良くない。二度とやるな」

「聖女様とはやるのに………」

「ハティが俺の傷を引き受けたっていうのか!?」

 驚きで声が荒くなる。

 前に命を救ってもらったことがある。あの傷は、ハティが引き受けたのか? そんな傷痕あったか? 隅々まで見たはずだが。

「傷じゃなくて、再生点の方。聖女様と同衾した翌日は、再生点の回復が早いでしょ? あれローオーメンの加護使ってるから」

「そっちか驚かせるな。………ああまあ、精神的な満足感が影響していると思っていた」

 再生点の総量や回復速度は、精神状態に左右されるのだ。

 だから酒。

 あるいは性。

 嗜好品や娯楽も、再生点の回復に重要だ。

「そっちも影響多いと思われます。………………そっか。旦那様、聖女様の体好きだもんね。傷とか嫌だもんね」

「失礼な。体以外も好きだぞ」

「アタシ、奥さんなんだけどなぁ」

「お? そうだな」

 不満顔のアリステールは、治療器具を片付けだす。

 と、思い出したように彼女は部屋の角を指した。

「そこの棚の中に、マントと鎧の代わりあるから。マントの色、完全に同じとはいかなかったけど。大体同じ」

「いつの間に」

 鎧はともかく、マントまで用意していたとは。

「いつの間にかやってましたけど、何か?」

「ああ、そうだな」

「何か?」

「………ありがとうございます」

「はい、どう――――――ひょふぁは!」

 アリステールの胸を揉むと、変な声を上げた。

「ななななななっ! なに!?」

「何ってナニだ」

 鷲掴みした双丘を揉みしだく。

 張りと弾力のある柔らかさ。手にあまり、指が沈む。同じくらいだと思っていたが、ハティより大きいな。足は細くて尻は小さいのに、女体は神秘でできている。

「どうしたの! 急に!?」

「どうしたって、戦いの後は滾るんだよ。男の子は」

 性と死は近いとこにあるのだろう。

 彼女を抱き寄せ膝の上に載せた。胸に顔を埋める。

 火薬とハーブに混じって、ほのかに汗の匂いがした。色気はないが、それが逆にギンギンに興奮する。

「待って! 一旦待って! 心を殺すから!」

「殺せるものなら殺してみろ」

 ドレスの開いた背中を撫で、尻を揉むと、胸が汗ばむのを感じた。弾む心音も聞こえる。

 いつもこんな可愛い反応なら、とっくに手を出していたのに。

「せめて着替えさせて! 今、適当な下着付けてるの!」

「俺が手伝ってやる」

 万歳させて、汗で引っ掛かるドレスをじりじり脱がせた。

 ばるん、と揺れる生乳。

 触った感触でノーブラと思っていたが、下乳だけを支えるブラをしていた。こっちの女性が使う胸布のサイズが合わなくて、ズレてこうなっているだけかもしれん。

 これはこれでエッチだ。

「お願いします旦那様。一旦、一旦、休止しましょう、ね? ほら、ワタシ調合中だったから薬臭いし」

 ぼふん、と素肌の胸に顔を埋めた。

 女の匂いだ。

(問題ない)

 と、胸を吸いながら言うが声にはなっていない。

「ひゃぁぁぁぁぁぁぁ」

 良い声で鳴きやがる。

 下着を指で引っ掛け、ようやく気配に気付いた。

 夢中で、足音が全く聞こえなかった。

「アリス、ここにいたのね。ご飯まだでしょ。貰ってきてあげたから食べなさい、なっ!?」

 給仕服姿のハティが、飯を持って現れたのだった。


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