<第三章:死と呪いの花嫁> 【10】


【10】


 帰宅。

「物凄く疲れましたわ」

「そうだな」

 ハティは、1人疲労困憊だった。

「あそこのご飯美味しかったですね。また食べに行きましょう。店員さんも親身になって話を聞いてくれたし、良い店だなぁ」

 反してライガンの女は、元気だった。

「行きたければ勝手に行きなさいな」

「まあまあ、聖女様。アタシ、聖女様を第一婦人としてしっかり立てますから」

「まだ結婚は許していませんわ!」

「えー許してくださいよぉ。元はと言えば、聖女様が肉欲に負けて旦那様と関係を持ったことが原因なんだし」

「言い方ッ!」

 確かに、と言いかけて止めた。

「実はこれ、何某の神が聖女様に与えた試練なのでは?」

「うぐっ、否定はできませんわ」

 罰と言わないのは、気を使っているからだろうか。

「ちょっと、フィロさんも何か言ってくださいまし!」

「………妻同士、仲良くして欲しい」

「ちがうー! 聞きたいのはそういうのじゃないぃぃぃぃ!」

 結局、この反応に戻ったな。

 ヴァルシーナさんの相談って必要だったか?

「あ、無理。私もう無理ですわ。今日は本当に無理ですわ。もう何も考えられません、続きは明日」

 ぐてんとハティが抱き着いてきた。

 限界のようだ。

「部屋に運ぼうか?」

「嫌です。そうしたら、フィロさんとあの女が二人っきりになるでしょ」

 ちょい苦しいほどハティの腕が首に絡まる。彼女の尻を持ち上げると、腰に足を絡ませてきた。そのまま担いで居間に。

 ソファーに座り、剣の鞘をベルトから外して立て掛けた。当然のように、ライガンの女は隣に座る。

「ほほう。これが肉体関係を持った男女の距離感ですか」

「そうだ」

「………………」

 何か言いたげにハティの鼓動が高まった。

「アタシも旦那様と………こんな感じなると?」

「さあな。俺は別に、お前とこうしたいとは思っていない」

 ハティで満足している。

 というか俺にはもったいない女だ、この聖女様は。

「実はアタシもそう思っていました。家のためには子作りはしないとですけど、粘膜を合わせる以外の方法で受精ってできないのかなぁ」

「処女懐妊とかあるだろ。知らんけど」

 神がいるこの世界なら、その程度の奇跡など日常的なはずだ。

「やだなー旦那様。ああいうのは、信者や権力者が美化しただけの話だよ。あるいは、父親を明かせない事情があったり、不貞だったり、不特定多数と性交する風習だったり、女神も聖女も男がいないと子供はできないってば」

「………奇跡の方がよかった」

 聖女を抱いた俺が言うのもなんだけど。

「あ~旦那様も女性を神聖視する男なんだね。お爺様の言葉なんだけど、どんな綺麗な女神様でも腹には死と呪いが詰まっているんだって」

「なんだそりゃ」

 女がどうこうってより、女神に恨みでもある言葉だ。

「ほほ~う。小僧が言ったにしては、含蓄のある言葉だな」

「どこがだよ。っておい、爪を研ぐな」

 現れた黒猫が、ソファーで爪を研ごうとする。足で追い払うと、猫はライガンの女の膝に乗って続ける。

「大抵の女神は、男の欲望から生まれる。そんな欲望の腹の内は、いつの時代も死と呪いだ」

「全部が全部そうじゃないけどね」

 女に撫でられながら猫は頷く。

「そうだな。例外の例を上げるなら、僕が愛した女と、このアリステールである」

「お前のは愛じゃないだろ」

 横恋慕かつ殺害して女を奪うとか、しかも兄弟の妻を、そんな行為を愛と呼ぶ人間はいない。

「失礼な。僕が愛と思う以上、それは愛なのだ。他人がとやかく否定できることではないぞ? したら自分の愛すら不確かなものになる」

「へぇへぇ」

 価値観が合わない人間と言い争うのは無駄だ。

 流しておこう。

「思ってみれば、『女神の例外』はまどろっこしい呼び方だな。あの女のように『悪神』を騙るのもおかしい。となると、【魔女】と呼んでおくか」

「アタシ、魔女? 呼び方なんて気にしないけど」

 ライガンの魔女は、実に興味がなさそうだった。

「となると俺は、聖女と魔女を娶ることになるのか」

「両手に聖魔とは、世が世なら支配者となって戦争だな。大の付く戦火が巻き起こる。最低でも簒奪からの傾国だ。そして、僕が出て来て滅ぼされるのだ」

 小畜生が何か言っている。

「もしくは、旦那様の不審死から、妻2人により国が真っ二つに別れて権力争いだね。血の雨が降るぞ~」

「あるある」

 ねぇよ。

 この国、ここらの土地ではな。

「根本的な疑問だが」

 魔女を見つめると顔を近づけてきた。

「何? 何でも聞いて旦那様。お互いをよく知らないと夫婦じゃないものね。聞いて聞いて」

「聞いてやるから黙れ。お前の力、アレなんなんだ?」

 透明な獣を使役? する術だ。

 また出せるなら、斬り殺して剣の一部にしたい。

「………そ、それは」

「僕が応えてやろう。アリステールの体には、僕と、僕の兄弟たちの残骸が入っている。魂無き獣故、神媒体質によって一時的に顕現できるのだ」

「お前もハティと同じ神媒体質か」

「そっか、聖女様なら当然だよね」

 魔女は、浮かない顔を浮かべた。

 猫はドヤ顔で語る。

「神に近い女を2人も傍に置くとは、僕が生きていたら翌日には軍を率いるな」

 また言ってるよ。

「はいはい、猫の軍団とか可愛いな」

「確かに可愛い」

 魔女は大いに頷く。

 猫は真顔になっていた。

「え、違っ。本当の軍団だぞ? 怖いぞ? 女子供も容赦なしだぞ? 虐殺なんだけど?」

「その姿で言ってもな。出てきた獣も剣の肥やしだし」

「貴公がおかしいだけだ! 偉大な魔法使いであろうとも、稀代の達人であろうとも、どのような大軍勢でも、獣には勝てん。英雄では足りぬ、英雄の中の英雄が命を賭し、やっと相打ち。そうデザインされた理の怪物だ。剣の一振りで倒すなどあってはならん。何かがおかしい。壊れていると言っていい。世界の危機とも言える」

 猫はひっくり返り、スーパーで駄々こねる子供みたいにジタバタ手を動かす。

「ぐうううう、歯痒い歯痒い。僕が生きていたら、剣を奪い貴公の頭蓋を割って隅々まで調べるというのに。貴公の親類縁者、全てを攫って拷問して生まれた原因を吐かせるのに。世界の危機に何もできんとは、歯痒すぎるぅぅぅぅうう!」

 こいつ蛇が言った通り、数段上のクズだな。

「こら! 王子! そんなこと言っちゃメッ! 善行を積むんでしょ! 積んで神になって末の弟に会うんでしょ!」

 流石に魔女が猫に怒る。

「え? 世界を救うのだから善行ではないか。手段を選ぶ必要はない。実際、僕はそれで何度も世界を救った。僕がいなかったら世界は滅んでいたね」

 世界とは壮大な話だ。

 馬鹿らしい。大体現実は、

「猫畜生。お前がいなくても世界は滅んでないぞ」

「当たり前だ。僕は僕の役割を託したからな」

「誰に?」

「この国にいる“誰か”とだけ言っておこう。あいつと貴公が揉めては困る。ま、僕と似た男であるからバレちゃうかもね。流石、僕が愛した女が用意した男。………………んんっっ? あの女が用意した男が、僕に似ているということは、それはつまり愛の証という意味ではないか?」

「違うな」

「違うと思うよ」

 俺と魔女の声が重なった。

 馬鹿って、死んでも治らないのだな。

「愛とは………難しいな。幾度も世界を救い、こんな姿に転生してもまだわからん。ほんと」

「いつかわかるといいね。王子」

 魔女は猫をこねる。

「あ゛~愛はわからんが、女に撫でくり回される幸福は理解した。生きてた時も猫になっておけばよかった」

「こんな畜生に救われてた世界とか、大したもんじゃねぇな」

 ま、真実は、噓か勘違いってところだろう。

 こんなクズに救われていた世界なんてあるものか。

「ねぇ、王子。旦那様が倒したってことは、アタシにはもう獣は憑いていないの?」

「いいや、まだ憑いているぞ。アリステールの中には、僕を含めて3体の獣が残っている。だがこの男に怯えて――――――正確には、男の剣に怯えて当分出てこないだろう」

「………良かった。あんなのが出てきたら、結婚生活なんて無理だもんね」

「そうだな。その点だけは、この男が夫で良かったと言うべきか」

 立て掛けた剣が、微かに鳴いた気がした。

「いや、むしろその3匹出してくれ。斬り殺したい」

「ごめんね、旦那様。アレはアタシには制御できないの。感情が高まった時に自然と出てきたり、後は、お爺様の命令なら出せると思うけど」

「あの小僧に、暗示をかけられている。難儀なことだ」

「暗示か」

 てことは、この女の起爆スイッチは爺が握っているのか。

 そもそもの疑問が生まれた。

「あの獣は、ライガンの爺が入れたのか? それとも生まれつきか?」

「小僧が入れたに決まっている。我らの死骸を漁り、それを孫娘に入れて力を再現した。冒険者といえば死体漁りであるからな」

「否定はしねぇよ」

 そういうもんだ。

「そだそだ、旦那様。結婚すると――――――」

 魔女は、聖女様の後頭部を見つめて言葉を変える。

「――――――結婚すると仮定して、婚姻の証をくださいな」

「証? あんま高い物は買えないぞ」

 女物のアクセサリーは馬鹿高いのだ。ちょっと潤った程度の財布なら、空にしても足りないと思う。

「指輪みたいな高いものじゃないよ。アタシの地元では刃物を送り合うの」

「キッチンにある包丁でいいか?」

「うっ、そこはちょっと気を使って欲しいかな」

「んー」

 聖女様の尻を撫でながら考える。

 投擲に使ってるナイフは、包丁以下だな。

「刃物のサイズは?」

「お任せで」

「お前が俺にくれる刃物は?」

「ヒ・ミ・ツ」

 結婚してたら、その無駄にデカイ乳を鷲摑みしていた。

「短剣でいいのか? 帯剣するようなもんか?」

「お任せでーす」

 面倒な。

 適当なロングソードでも買うか。ついでにハティの分も。いや、ハティの分もとなると適当じゃ駄目か。

「そういえば」

 忘れていた物が1つ。丁度いいかもしれない。

「おい、お前」

「なんだ?」

「何かな?」

 猫と魔女同時に反応する。

「アリステール」

「やっと名前呼んでくれた。あれ、思ったよりも嬉しい」

 名前を呼んだくらいで安上がりな。

「二階に上がる階段の3段目の板が外れる。中に武器が隠してあるから――――――」

「そこから適当に取れって? それはやだなー、旦那様が責任もって選んでほしいなぁ~」

「違う。いいから持ってこい。見りゃわかる」

「ん」

 アリステールは、猫と共に階段に向かう。

 ガチャガチャと板を外すのに苦労して、中の剣を持って戻って来た。

「これ、エッジブレンド君の」

 ルミル鋼の剣だ。

 売り払おうにも高すぎるから保管しておいた。

「それでどうだ?」

「………う、あ、これは」

 嫌そうである。

 なんとなしに興味が沸いた。

「あのガキとは、どういう関係だった?」

「幼馴染です。強くなったら結婚してやるって言われてました………」

「へぇ、まあまあ強かったぞ」

 お前に殺されたけどな。

 とは、二度と言わないでおこうか。一応、妻になるかもしれない女だ。進んで機嫌を損ねる必要はない。

「これは嫌かなぁ。ッ違うのが………いいかなぁ」

「わかった」

 ルミル鋼の剣を手に取ると、ソファーの裏に捨てた。

 買い取ってくれる商人、見付けないとな。額が額なだけに、すぐは無理だろうけど。

「アタシ、今日は疲れたかも」

「休みたいなら地下の俺の部屋使え」

「うん、わかった………」

 ふらつきながらアリステールは地下に行った。

 猫は残って一言。

「貴公、女の扱いが雑であるぞ。妻となる女を敬え」

 お前だけには言われたくない。

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