騙されているのは分かっているけど、僕は今日も学年一の美少女に貢ぐ
紫水肇
第1話
俺の名前は市ヶ谷健人。17歳の高校2年生だ。冴えない俺には彼女はおろか、友達すらいない。いつも教室の隅でラノベを読んでいる。
授業が終わり、俺は席から立ち上がる。そしてそそくさと家に帰ろうとした。昨晩録画したアニメと買いだめたゲームがあるからだ。そんな時――。
「健人くん、ちょっと良いかしら?」
鈴を鳴らしたような声に呼び止められる。顔を向けた方にはクラスメイトの橋本ありさがいた。
黒髪を肩まで伸ばし、鋭い目つき、整った鼻腔、薄い唇をしている彼女は学年一の美少女として名高い。
「いったい、俺になんのようにゃんだ……なんだ」
やばい。声をかけられる事を知っていたとはいえ、家族以外の異性と会話するのは緊張する。
「とりあえず、屋上まで来てほしいわ。先に行って待ってるから」
「分かった」
橋本さんが去っていくのを見ながら、俺は再び席につく。そしてカバンからラノベを開いた。
10分ほど読書をしていると、クラスから人はいなくなる。その後俺は屋上へと歩いていった。
廊下にはまだ人影があったものの、誰も俺のことは気にとめない。みんな部活や塾で忙しいからな。
わざわざぼっちの行動を観察するような暇人はいない。
屋上についた俺は辺りを見回す。橋本さんは屋上の真ん中で突っ立っていた。どうやら少し不貞腐れているようだ。
「もう、遅いじゃない!」
「仕方ないだろ。クラスに人がいたんだから」
「? どうしてクラスに人がいなくなるまで待ってたのよ?」
「後から着いて来てくれって言ったのはそっちじゃないか。俺と一緒に居ることを他の人に知られたくないからそう言ったんだろ? だから配慮したのさ」
「そう。感謝するわ」
風によって橋本さんの黒髪がたなびく。
「それで、俺なんかになんの用なんだ?」
「健人くん、私と付き合いなさい」
「ああ分かった」
俺はたんたんと答える。
「あら、思ったより動揺しないのね。この私に告白されたというのに」
「ああまぁ、そんな気がしてたからな」
いや、本当は緊張してますけどな。ただ、彼女にそんな事を言えるはずもない。
「そう。なら連絡先を交換しましょう」
ありさはスマホの画面をタップして通話チャットアプリ『Lime 』を開くと、友達を追加するためのQRコードをこちらに見せてくる。
俺も慌てて『Lime 』を開き、彼女のQRコードを読み取った。
「それじゃあまた明日。今度デートでもしましょう」
連絡先を交換すると、彼女は足早に過ぎ去ってしまった。
◆◆◆◆◆◆
「はあああぁぁぁ、疲れた〜」
俺は家に帰宅すると、自室にへたり込む。ぼっちな俺は当然誰かと会話するのが苦手だ。
ましてや、相手が高嶺の花の橋本ありさであれば、余計に神経を使う。
「まあでも、彼女は別に俺が好きで告白してきたわけじゃないんだよなぁ。当たり前の事だけど」
そう。俺は知っている。彼女が俺みたいな冴えない男に告白してきた理由を。
話は今日の昼休みにさかのぼる。
◆◆◆◆◆◆
俺は昼休みになると、急ぎ早に昼食を平らげる。それから、真っ直ぐに図書館へと急ぐ。これが俺の日課だ。
なぜそんなことをするのかって? それはクラスに一人でいるのが気まずいからだ。
だいたいみんな何人か仲の良い友達と話しながら昼食を食べているからな。
だが、教室を抜ければ気まずくなくなるのかと言われると、そんな事はない。教室から図書館まで行くには、食堂の前を通らなければならないからだ。
食堂にも当然多くの陽キャたちがはびこっているわけで、あまり近寄りたくはない。
俺は階段を降りて、そそくさと食堂の前を通り過ぎようとした。
「はい、ありさの負け〜。罰ゲームとしてクラス一の陰キャ、市ヶ谷健人と付き合ってもらいまーす!」
「ギャハハ! クラス一じゃないでしょ。あいつは学年一、いや学校一の陰キャじゃね?」
食堂から聞こえてきた会話に思わず身を震わせ、俺は階段の方へと身を隠す。それから食堂での会話に聞き耳を立てた。
話しているのはおそらく首藤真琴と永瀬かれん、それに橋本ありさの3人だろう。
彼女たちはクラスカースト最上位でいつも一緒にいる。俺とは最も縁のない人達だ。
「ゲームに負けてしまった以上、付き合うのはやぶさかではないのだけど。付き合うとしても何をしたら良いのかしら?」
「うーん。たかが罰ゲームくらいでやるのはきついっしょ。何してもらおうかなー」
下卑た声音で永瀬が考え込む。
「1ヶ月の間に何回かデートすれば良いんじゃない? あとは休み時間になるべく一緒にいるとか」
たんたんとした口調で首藤が答える。
「それで決定! いや、ありさと市ヶ谷が付き合ってるのを見るの、楽しみすぎるっしょ! 想像するだけで笑えるんだけど」
「分かる。釣り合ってない2人がデートしてたら、凄く注目されそう」
「まぁ、教室の隅でいつもにやにやしながら読書をしている彼と私が付き合ったら話題になるでしょうね」
「それな! ちなみに市ヶ谷の奴にゲームで負けたから付き合うことになったと途中でばれたらペナルティだからねー」
「私が市ヶ谷君に好意を持っているように思わせなければならないわけね」
「そういうこと。ペナルティの内容はどうしよ。真琴、なにか良い案ない?」
「途中でばれたら残りの期間は別の陰キャと付き合うとか」
「なにそれ超面白いじゃん! 賛成ー」
俺は思わず耐えられなくなり、食堂を急いで離れると、近くにあったトイレへと駆け込む。
「ありささんが俺と付き合う? いや、偽りではあるけども」
◆◆◆◆◆◆
橋本さんに告白されてから3日後、俺は最寄りの駅前でたたずんでいた。今日はありさとの初デートだ。
いつもは黒いズボンとチェック柄のトップスばかり着ている陰キャな俺だが、今日は違う。
下は青いスキニーパンツで上は白シャツの上から黒いジャケットを羽織っている。
靴もぼろぼろのスポーツシューズではなく、水色のスニーカーだ。寝癖をつけたまま学校に行くことも多い俺だが、今日はワックスで整えてある。
あまりにもだらしのないかっこうをして、橋本さんを失望させたくはないからな。最低限の身なりは整えた。
俺は橋本さんが本意で俺と付き合っていないことを知っているものの、付き合うことにした。なんでかって?
俺は高校に入学したての頃、廊下ですれ違った橋本さんをみて彼女にひとめぼれした。とはいえ、冴えない俺が橋本さんとまともに交流できる機会なんてなかった。だから、例え偽りであろうと橋本さんと付き合えるのなら付き合ってみたい。
それに、首藤と永瀬はもし、途中で橋本さんが罰ゲームで俺と付き合っていることが俺にばれた場合、残りの期間は別の人と付き合ってもらうと言っていた。罰ゲームで仕方なくとはいえ、橋本さんが別の男と付き合っているのは見たくない。
「……聞こえてる?」
「ん? うわぁ!?」
後ろから突然声をかけられた俺は思わずすっとんきょうな声をだす。うしろにいたのは橋本さんだ。
「そんなに驚かないでくれるかしら。さっきから声をかけていたのだけれど……」
「ごめん。考え事をしていたんだ」
「そう。まあいいわ。さっさと行きましょう」
「うん」
俺は橋本さんの隣を歩きながら彼女を見る。今日の彼女は白いブラウスの上から黒いキャミソールワンピースを着ている。
モノトーンなかっこうはクールな橋本さんによく似合っている。まるでどこかのアイドルのようだ。
「私の顔になにかついてるかしら?」
いかん。じろじろ見すぎた。
「いや、なんでもないよ。それよりさ、今日は遊園地に行くわけじゃん。どこか行きたいアトラクションとかはある?」
「そうねぇ。やっぱりスリリングなものに乗りたいわ」
橋本さんは笑みを浮かべながらそう言った。
◆◆◆◆◆◆
「うわあああああああぁぁっぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
俺は急行落下するジェットコースターの上で悲鳴をあげていた。落下は10秒以上続き、終わるころには俺はすっかり精気を失っていた。
「良かった……。生きてる……」
「そんなの当たり前じゃない。ジェットコースターが危険な乗り物だったら誰も乗らないわ」
「でも、事故が起きる可能性はゼロじゃないだろ?」
「安心しなさい。ジェットコースターの事故なんて年に2~3回程度しか起きていないそうよ」
なにが安心できるのか分からない。俺は絶叫系マシーンが苦手なんだ。一緒に乗る人が橋本さんじゃなかったら絶対に乗らなかったぞ。
その後も俺と橋本さんは絶叫系のアトラクションに次々と乗っていった。俺はその度に気絶しかけ、橋本さんに呆れられたものの、俺と彼女との会話はあまり弾まない。
「さて、次はこっちよ」
俺は橋本さんに連れられて来たのは幽霊屋敷だ。コンセプトとしては呪われた洋館に来場者が潜入していくというものらしい。人気らしく、それなりに並んでいた。その列の最後尾へと、僕らは並ぶ。
「お、この洋館、どこかで見たような気がしたんだけど、赤い館じゃないか。今度は俺としても楽しみだ」
赤い館というのは有名なホラーゲームの名前だ。俺が推してるVチューバーも実況していたから知っている。
「あら、あなた、絶叫系は苦手なのにホラーには強いのね」
「絶叫系は幼い頃、親父とジェットコースターに乗ったときに事故が起きてさ、幸いなことに怪我人はでなかったんだけど、それからトラウマなんだ」
「そうだったの。逆に私は幼いころ母親と遊園地でドロップタワーに乗ったことがきっかけでそういった乗り物が好きになったの。なんだかごめんなさい。あなたの過去も知らないで付き合わせてしまって」
しまった。橋本さんに罪悪感を抱かせてしまったぞ。なんとかしないと。
「気にしないでくれ。そろそろ苦手な絶叫系の乗り物に慣れようかなーと思ってたところだったから」
とっさに思いついたことをでまかせに口走ったものの、これはさすがに無理があるか?
「そう……。なんというか、あなたって噓をつくのが下手なのね」
ああ、やっぱりばれたか……。終わった。きっと橋本さんに嫌われる……。
「でも、そういう相手を気遣うような噓をつく人は嫌いじゃないわ」
おっ? 思ったよりも好感触?
「でも、本当に絶叫系の乗り物に乗るのが嫌だったのなら、素直に教えてほしかった。付き合いたてではあるものの、彼氏であるあなたを不快にさせたくはないもの」
「ごめん。本当のことを言うと、かなり怖かったよ。でも……」
「でも?」
「橋本さんが楽しそうにしていたから、乗りたくないとは言いだせなかったんだ」
「あら、私のことを考えて我慢してくれたのね。そこは感謝するわ。でもね、相手を気遣うために自分が我慢することが必ずしも相手を喜ばせるとは限らないのよ」
「そうなのか?」
「ええ。だって人は基本的に自分だけが幸せであって欲しいとは思わないもの。あなたが私を楽しませたいと考えたように、私も一緒に遊園地へ来たあなたには良い思い出を作って欲しいと思っているわ」
なるほど。橋本さんは好きでもない俺とデートをしてるのに、それでも俺のことを気にかけてくれるのか。やっぱり彼女は天使だ。いや、女神だな!
「その視点はなかったよ」
「なら気を付けた方が良いかもしれないわね。善意の押し売りは嫌われるもの」
「ああ、気を付ける」
橋本さんに返事をしながら、前へと進んだ列を追う。
ビィィィィィィーーーーーーー!!!!!
突然、けたたましい警報音が遊園地中に鳴り響いた。
◆◆◆◆◆◆
ビィィィィィィーーーーーーー!!!!!
「これは警報音!? いったい何が起きたというの!?」
橋本さんが眉をしかめる。そんな中、警報音が鳴りやむと共に高所に設置されたメガホンから切羽詰まった声が拡散される。
「ご来場の皆さんは速やかに係員の指示のもと、月森パークからご退園ください。繰り返します。ご来場の皆さんは速やかに係員の指示のもと、月森パークからご退園ください」
係員の指示に従って俺らは遊園地の外へと誘導される。ちなみに入場料は返金された。遊園地の周りには多くのパトカーが止まっている。
「いったいなんだったんだろうな」
「市ヶ谷君、これを見て」
俺は橋本さんに差しだされたスマホの画面をのぞき込む。彼女のスマホ画面にはとある掲示板が表示されており、そこには月森パーク――つまり俺と橋本さんがさっきまでいた遊園地の爆破予告が書き込まれていた。
「テロ予告があったからかぁ。だから物々しい雰囲気だったんだな。それならそうと言ってくれれば良いのに」
「まぁ、堂々とテロ予告を受けましたなんて放送を流したら混乱が起きるでしょうし、仕方ないと思うわ」
「確かに。これからどうする?」
「そうね。丁度お昼時だし、なにか食べましょう」
「なにか食べたいものはある?」
「特にないわね。近くにあるレストラン街を歩きながら決めるのはどうかしら?」
◆◆◆◆◆◆
「あら? これは何かしら?」
俺と橋本さんがレストラン街の入り口に着くと、近くの建物にちょっとした列ができていた。
「新しく食べ物屋さんができたとかかな?」
ただ、列に並んでいる人の中にはあまりレストラン街に足を踏み入れなさそうな、地味な服装の者も多い。
俺も普段はああいった格好をしてるから親近感がわくが客層としては少し不自然な気がする。
「ちょっとどんなお店なのか確認したいわ」
橋本さんも同じような違和感を抱いたらしい。俺と彼女は建物に立てかけられた看板を見る。
そこには複数のアニメキャラと異形のイラストが描かれていた。
「都市伝説ハンターか。コラボカフェをやっているんだな」
都市伝説ハンターとは、2人組のJKが様々な都市伝説を検証するアニメだ。結構人気で、現在は第3期が制作されているらしい。
ちなみに俺もファンの1人だったりする。
「食べ物屋ではあるけれど、少し割高だな……って橋本さん?」
彼女は看板をじっと凝視していた。よく見ると、彼女は都市伝説ハンターに登場するキャラクターの1人、藤原明日香のイラストを見ているようだ。
藤原明日香はモノトーンな服装を好んで着るという設定だけど、良く考えたら今日の橋本さんは似たような格好をしているな。
もしかして。
「橋本さん」
俺は彼女の肩を軽く叩きながら呼ぶ。突然声をかけたられた事に一瞬だけ驚くも、橋本さんは俺の方へと振り返った。
「何かしら?」
「橋本さんて、都市伝説ハンターの藤原明日香が好きなのか?」
「都市伝説ハンター? なんの事かしら? そんなラノベ、聞いた事もないわ」
「……。都市伝説ハンターがラノベ原作な事をしっているのか」
「たまたまよ! 一瞬だけ原作が漫画とかゲームかもしれないとは思ったのだけれど、この手の作品は原作がラノベっぽいなと思ってそのように言っただけだわ! そもそも、私はアニメなんて普段は見ないわよ!」
「そうか。なら、このコラボカフェは別に入らなくて良いな。少し値段が高めだし、並んでるから」
「えっ……そ、それは……」
「なにか問題でも?」
「市ヶ谷君はこのラノベを知っているのよね?」
「ああ、結構好きだぞ。原作だけでなく、アニメとコミックも3周した」
「そうなの。だったらこのコラボカフェは気になるわよね。付き合ってあげるわ!」
「いや、別に良いです」
意地悪がしたくなった俺はその提案を却下する。
橋本さんが都市伝説ハンターのファンなのは確定だが、彼女としてはラノベやアニメをたしなんでいる事がバレたくないらしい。
必死に隠そうとする彼女の様子がおかしくて、ついつい心にも思ってない事を言ってしまった。
「!? それはどうしてかしら?」
「俺、実は別の場所で開催されたコラボカフェに行ったことがあるんだよね。パッと見た感じ、メニューはほとんど同じみたいだし、別に良いかなと」
さぁ、どう切返す?
「ふ、ふ〜ん。そうやってあなたはまた私に配慮してコラボカフェに行くのを躊躇うのね。余計なお世話だわ。あなたはこの作品が好きなのよね? 何周もするほど。だったら私もコラボカフェへ行くのに付き合うわ。彼氏の趣味がどんなものなのか、知っておきたいもの」
そうきたかー。確かに、原作アニメコミックを何周もしてる奴がコラボカフェを1回行っただけで満足するのはおかしいな。
仕方ない。ここで意地悪をするのはやめるか。
「あー。さっきまで1回行ったし良いかなと思ってたんだけど、またコラボカフェに行きたくなったなー」
「なぜ棒読みなのかは分からないのだけど、その言い方、少し腹が立つわね。まあ良いわ、そんなにコラボカフェに行きたいのなら、私も一緒について行ってあげる」
こうして、俺と橋本さんはコラボカフェの列に並んだ。30分ほど経ってからコラボカフェの建物へと入る。
内部の壁には多くのイラストが貼られているが、内装は全体的に暗い色だ。おまけに、照明もあまり明るくはない青色のライトが使われている。
まあ、都市伝説ハンターの雰囲気がでているので良いな。
俺と橋本さんは店員の案内のもと、空いている座席へと腰かける。
「さて、何を頼もうかな」
俺は机に立てかけられたメニューを手に取る。
「きさらぎ駅弁当は前回食べたし、今回はリゾートバイトのまかない飯にしようかな。って橋本さん?」
うつむいて何やら考え込んでいる橋本さんに俺は思わず声をかける。
「あの、市ヶ谷君、あなたに謝りたいことがあるわ」
「いったい何を?」
俺はかたずを飲んで彼女の様子を見守る。もしかして、罰ゲームとして俺と付き合っている事をここで俺に言うつもりなのか?
◆◆◆◆◆◆
「実は私、アニメやラノベが好きなの。特に都市伝説ハンターは私が一番好きな作品よ」
「そうなのか」
「あら、全然驚かないのね」
「いやだって、都市伝説ハンターが好きそうだって事は列に並ぶ前の会話で察してたから」
「やっぱり、さっきの反応は不自然よね。普段、私はオタク趣味を隠しているから、いつもの癖で隠しちゃったの。本当は、アニメやラノベに詳しいであろう市ヶ谷君と、そうした話をしてみたかったのに」
「オタク趣味を隠しているって、首藤や永瀬たちにか?」
「彼女たちだけではないわ。他のクラスメイトにも、親にも秘密にしているの。私の趣味を知っているのは今のところあなただけよ」
「そんな誰にも話していない秘密を俺なんかに言ってよかったのか?」
「本当は話すつもりはなかったのだけれど……。市ヶ谷君があまりにも楽しそうにコラボカフェのメニューを見ているのを見てたら、あなたと都市伝説ハンターの話をしたくなっちゃって。それで秘密を打ち明けようと思ったの」
「なら、2人だけの秘密だな」
「なっ! 別にそんなつもりで言ったわけじゃないわ!」
橋本さんは顔を真っ赤にする。
「別に嘘は言ってないだろ?」
「そうね……。ふん、私とだけの秘密を作る機会なんてそうそうないわよ。光栄に思いなさい!」
橋本さんは顔だけでなく、耳たぶまで赤くする。
「もちろん光栄に思うよ」
「なら良かったわ」
「橋本さんはどうしてオタク趣味を隠しているんだ?」
「恥ずかしいし、バレたらどん引きされてしまうかもしれないからよ」
「最近はオタクじゃなくても漫画くらいは読むだろ? バレてどん引きされるとは限らないんじゃないか?」
「確かに、首藤さんや永瀬さんと漫画の話をすることもあるわ。ただ、漫画と言っても彼らが好むのは少年漫画や少女漫画よ。それ以外のジャンルの事はあまり快く思っていないみたいなの」
「都市伝説ハンター、ジャンルとしてはホラーで萌え要素もあるからな。確かに、彼女たちが受け入れられる作品ではないか」
都市伝説ハンターは人気だが、ある程度ディープなオタク界隈での話だからな。
「まあ、今ここにいるのは俺と橋本さんだけだし、せっかくだから都市伝説ハンターの話でもしようか」
「そうね」
俺と橋本さんは手始めにメニューを選ぶ。俺は【リゾートバイトのまかない飯】を注文し、橋本さんは【くねくね風パスタ】を注文した。
「もうひとつ聞きたいことがあるんだけど、良いかな?」
「なんでも聞きなさい。答えるとは限らないけれど」
「橋本さんがアニメやラノベに触れるきっかけはなんだったんだ?」
橋本さんは成績優秀な上にテニス部でもエースだ。そんな彼女の交友関係的に、友人繋がりでアニメやラノベに興味を持つとは思えない。
俺と橋本さんは普通なら関わり合うことの無い組み合わせだ。そんな彼女がどんな風にオタクになったのか、俺は興味がある。
そもそも、俺は橋本さんの事をあまり知らない気がする。偽りのカップルであるとはいえ、どうせなら彼女の事をもっと知りたい。
「私って容姿が良いし、勉強もスポーツもできる完璧人間よね」
「まあそうだな……。自分で言っちゃうのか」
「言っちゃうわよ。だってみんながそういうのだもの。さすがに自覚くらいするわ」
「で、橋本さんが完璧な事とアニメやラノベに何か関係があると?」
「もちろんよ。そんな私はいつからか、常に周りの期待に答えなくちゃと考えるようになってしまったの。今でもそんな風に考えることがあるわ。私が勉強にしろスポーツにしろその他諸々の事にしろ、失敗したら周りの人々が失望してしまうに違いない。夜中にベッドに入るとそんな風に考えて眠れなくなることもあるわ」
「それは大変そうだな……。そんな事ばかり考えていたら疲れてしまうぞ」
ちなみに俺は周りの期待に答えようなんて思った事はほとんどない。自分が好きな事をだらだらとやる、それが俺のモットーだからだ。
「ええ。オタクになる前の私は軽い鬱状態だったわ。そんな時に、気分転換に動画サイトでアニメを観るようになって段々と沼にはまっていったの。ラノベのキャラには優秀であるが故に周りに理解されないキャラが多いじゃない。例えば藤原明日香とか。彼らが苦しみながらも懸命に生き抜くところに感動して、私ももう少し頑張って見ようかなと思うようになったの」
「そんな過去があったのか。大変だったんだな」
「お待たせ致しました。こちら【リゾートバイトのまかない飯】と【くねくねパスタ】になります」
店員が注文した品を持ってくる。
「ご注文は以上でよろしいでしょうか?」
「大丈夫です」
俺が答えると、店員は立ち去る。
「大変ではあったけれど、今はアニメやラノベのおかげで精神的に救われてるわ。とまぁ、これが私の身の上話よ。続きはご飯を食べながらにしましょ。熱いうちに食べた方が美味しいでしょうし」
◆◆◆◆◆◆
「それで、藤原明日香と並木花の2人は喧嘩別れしてしまうんだよな。並木花は1人で歩いているところを襲われそうになるけど、藤原明日香がバールのような長いものでくねくねを殴りつけていくんだよな」
並木花というのは都市伝説ハンターに登場する藤原明日香の相棒だ。
「ええ、あのシーンは本当にかっこよかった。そこから百合気質の並木花は藤原明日香に恋心を抱いていくけれど、無理はないわ」
「巨頭オの回で藤原明日香も並木花が自分にどんな感情を抱いているのかに気づくけど、彼女は最初困惑するんだよな。都市伝説ハンター、戦闘描写も中々だけど、それ以上に恋愛の部分も素晴らしいと思う。並木花が積極的にアプローチして、藤原明日香が少しずつデレていくのが良い」
「ええ。普段クールで頭脳明晰な彼女がデレる様をみるのは良いわよね」
俺と橋本さんはコラボカフェからでてきてもずっと都市伝説ハンターの話をしていた。
橋本さんはやっぱり藤原明日香が好きだったようだ。
「そう言えば、どうして橋本さんは藤原明日香が推しなんだ?」
「クールで頭脳明晰なところが好きなのもあるのだけれど。一番好きなところは身を呈して大切な人を守ろうとする性格かしら。普段は赤の他人なんてどうでも良いと考えているのに、自分の身の回りの人が不幸になった時に守ろうとする性格に憧れるわね。とにかく善行を積めば良いといった正義には陳腐さを感じてしまうけれど、彼女にはそういった要素がないじゃない。私の周りにはああいう人がいないから、並木花は本当に羨ましいわね」
「人類を守るために周りの人との生活を犠牲にして正義のために戦う系の主人公は沢山いるけど、俺もどちらかと言えば自分や身の回りの人を救う系の主人公が好きかな」
「都市伝説ハンター系のファンってそういう感性の人が多いわよね。あくまでネットで調べた限りなのだけれど」
「確かに」
「そういうあなたは、どうして並木花の事が好きなのかしら?」
「彼女は平凡だけど、努力家だろ。そういう部分が推せるんだよ。目的のためならどんな事でも犠牲にしようとする彼女の考え方は危ういと思うんだけど、ついつい応援したくなる。俺はそういった努力のできない人間だから、彼女のそうした姿勢を羨ましく感じるんだよ」
「ふふ。あなたはそういうのが好みなのね」
「ああ。ちょっと橋本さんにも似ているなと思ってる」
「私が?」
「いや、橋本さんはクールで頭脳明晰だから、基本的には並木花よりも藤原明日香似なんだけど、努力を惜しまないところが似ているなって。例えば、橋本さんは周りの期待に応えるために自分を犠牲にして勉強やスポーツをしているし、首藤さんや永瀬さんとの人間関係を壊さないようにオタクなことを隠しているだろ。そういうところが似ているなと」
「ふぅん。市ヶ谷君には私はそういう風に見えているのね。確かに、私は並木花に似ているのかもしれないわ。だからこそ、藤原明日香に憧れているのかも」
◆◆◆◆◆◆
「あら、もう夕方だわ」
「本当だ」
スマホの画面を見ると、時刻は17時24分と掲載されていた。
「お店に入ったのが12時すぎくらいだったのに、もうこんなに時間が経っていたんだな」
「ええ。このお店、雰囲気をだすために窓がほとんどないから日が沈みかけているのに気が付かなかったわ」
都市伝説ハンターや他の作品について語っていたらこんな時間になってしまうとは。俺と橋本さんはとりあえずコラボカフェを後にする。
「この後はどうする? 橋本さんには門限があったりするのか?」
「いえ、私に門限はないわよ。ただ、一人暮らしだから家事をやらないといけないのよね……」
「そうか。なら、今日のデートはここまでにしておくか」
「ちょっと待って。その前に、ここで写真を撮りましょう」
橋本さんが指さした方角には、コラボカフェの前だ。そこには藤原明日香と並木花の等身大パネルが置かれていた。
「せっかくの初デートなのに、写真を撮らないで帰るのはおかしいわ」
「なるほど。なら撮るか」
俺と橋本さんは等身大パネルの横に並ぶ。そして俺はスマホを取りだした。
「これだとさ、俺たちとパネル全員をカメラにおさめるのが難しそうだな」
「あら、それは残念。自撮り棒でも持ってくれば良かったわ」
「あの、すいません」
突然、お店から従業員が飛びだしてくる。
「よろしければ、私がおふたりを撮影しますよ」
「本当ですか? 助かります」
俺はスマホを従業員へと手渡す。
「それではいきます。はいチーズ!」
俺は従業員からスマホを返してもらう。
「こちらでよろしいですか? よければ撮り直しますよ」
俺と橋本さんはスマホの画面を見ようとする。
「「痛っ」」
しかし、俺と橋本さんはお互いの頭をぶつけ合ってしまった。
「ごめん橋本さん」
「いえ、今のは私も悪かったわ。お互い様よ」
「ふふふ。仲の良いカップルさんですね」
従業員さんが微笑む。
「な、仲の良いカップル……」
橋本さんが途端に赤面する。フォローしておいた方が良さそうだな。
「ははは。ありがとうございます。写真の件ですが、俺としては満足なのでもう大丈夫です。」
俺は笑ってごまかす。
「そうですか。では」
従業員は生暖かい目線を送りながらお店へと戻る。
「橋本さん、本当に大丈夫?」
赤面しながらうずくまる彼女へと手を差し伸べる。
「なんともないわ」
彼女は俺の手を握ると立ち上がる。
「それより、写真を私のスマホに送ってくれないかしら」
「分かったよ」
俺は『Lime』で撮ってもらった写真を送る。
「あら、あの人撮るのが上手いわね」
「うん。良い感じに俺たちとパネルが写真におさまってるし、写りもいいな」
「市ヶ谷君」
「どうした?」
「今日は楽しかったわ。ありがとう。あなたと一緒にいるときには素の自分をだせそうよ」
橋本さんがにっこりと微笑む。
「それを聞いて安心したよ。良かったらまた一緒にどこかへ行かない?」
「もちろんよ」
◆◆◆◆◆◆
1週間後、俺は再び最寄りの駅前にたたずんでいた。一回目のデートの後、普通に学校はあったが、橋本さんとはろくに交流していない。
彼女は相変わらず首藤さんや永瀬さんとグループを作って過ごしていたし、俺も相変わらずクラスの片隅でラノベを読んでいた。
首藤さんと永瀬さんが前に休み時間にも一緒にいてもらおうと言っていた気がするが、どうやらその話は無かったことになったらしい。
今日の俺はトップスは半袖Tシャツにボトムスは黒いスキニーパンツだ。靴は青いスニーカーを履いている。
前と全く同じ服装だと、橋本さんから呆れられてしまうかもしれないからな。それにしても、張り切りすぎて早く着きすぎてしまった。
今のうちにトイレに行っておこう。俺は人混みをかき分けようとする。
ガタンっ。
「おっと、すいません」
人とぶつかってしまった俺は謝る。
「いや、別に気にしていないので……ってお前は市ヶ谷か」
「えっ?」
俺はぶつかってしまった相手の顔を覗き込む。こわもてで目付きの鋭い顔が浮かび上がる。
「坂本だっけ?」
彼の名前は坂本剛だ。俺のクラスメイトでクラスカースト上位に所属している。
ガタイが良く、バスケ部のエースである坂本は学校でも割とモテる事で有名だ。おまけに、彼は橋本さんの事が好きだという噂もある。
これから橋本さんとデートだってのに、会いたくない相手と会ってしまった……。
「坂本だっけ? じゃねぇよ。お前と俺は同じクラスだろーが」
「いやごめん。あまりが交流がないからさ」
「確かに、お前はだいたいクラスの隅で読書をしてるもんな。そんな市ヶ谷が今日はずいぶんと洒落こんだ服装をしてるじゃないか」
「……今日はちょっと予定があるんだ」
「予定ねぇ。もしかして橋本さんとのデート?」
「……」
「ははっ。橋本さんと付き合ってるって噂は本当だったんだな。まあ頑張れよ」
坂本は俺の背中をバンバンと叩き、そのままどこかへと行ってしまった。
「ああ、なにも言われなくて良かった〜」
俺はへなへなと地面にへたり込む。
坂本が橋本さんに好意を持っているという噂は前からあって、そうした会話を盗み聞きしたことがある身としてはかなり緊張した。
彼は意中の相手が他の誰かと付き合ったからと言って暴力を振るうような人間じゃない。寧ろ、人間的には俺以上の人格者だ。
ただ、やっぱり彼は怖い。バスケ部のエースでガタイが良いからな。いつもぼっちで陰キャな俺にとって、そうした人とのコミュニケーションは恐怖だ。
「市ヶ谷君、お待たせ……ってどうしたのよ?」
待ち合わせ時間ちょうどにたどり着いた橋本さんがへたり込んでいる俺を見て
「いや、ちょっとトイレに行こうと思ってたんだけど、もう少ししたら橋本さんが来てしまうし、トイレに行くのも悪いけど、どうしようと悩んでたら限界に近づいてきた」
俺はとっさに思いついた嘘をつく。橋本さんには悪いが、彼女に好意を持っていると噂の坂本に会ったなんて言えない。
「……さっさとトイレに行ってきなさい。私は待っているから」
「はい……」
やばい、少し橋本さんに変な奴だと思われてしまった。
◆◆◆◆◆◆
映画館にたどりついた俺と橋本さんは券売機に並ぶと、予約していた座席のチケットを購入する。
「これより、7番シアターにて、『アイアン・メイデン〜鮮血の灯火〜』の上映が始まります」
アナウンスが映画館に響き渡る。
今日はこれから映画を見ることになっている。前回、色々とアニメの話をした時に俺も橋本さんもこの作品が好きだという事が分かったからだ。
「もうシアターに入れるようね。行きましょうか」
「そうだな」
俺と橋本さんはシアター内に入る。中にはそれなりの人がいたものの、男性の割合が高めだ。
「少し緊張してきたわ」
「どうしてなんだ?」
「この手の作品て男性が多いじゃない。だから、劇場版を見に行きたくても中々行けなかったのよね。私だけアウェーな感じがして」
なるほど。これから上映される『アイアン・メイデン』は男性オタク向けの作品だからな。
女子1人で観に行くのをちゅうちょしてしまうのも仕方のないことだ。
やがて映画の上映が始まる。今回の映画はスチームパンク系異世界で2人の少女がスパイとなって行動する物語だ。
スパイ物特有のどんでん返しな展開に思わず俺は見入り、映画を視聴する時間はあっという間に過ぎ去った。
◆◆◆◆◆◆
「素晴らしかったわね。相棒から送られてきた手紙を敵国の公安に見られた時はどうなってしまうのかとびくびくしたわ」
「そうだな。まさか、火に
「レモン汁に含まれる酸と紙に含まれるセルロースが触れると脱水反応を起こすのよ。だから、レモン汁のかけられた部分は水分の保持能力が低く、焦げやすい。だからレモン汁をかけた部分だけが黒く焦げて文字が現れるの」
「さすがは優等生なだけあるな。知らなかった」
「これくらい大したことはないわよ」
映画館をでた俺と橋本さんは口々に感想を言いあう。
「お昼はどうしようか?」
「映画館に隣接してるショッピングモールに行きましょう。あそこにはレストラン街におすすめのお店があるの」
「橋本さんのおすすめなら行ってみたいな」
「案内するわ」
橋本さんに連れられて俺はショッピングモールに入っていく。
「ちょっとあそこに寄りたいのだけど、良いかしら?」
橋本さんの目線を追った先にはアクセサリーショップがあった。
「構わないぞ」
「ありがとう」
アクセサリーショップに入っていった橋本さんはイヤリングや首飾りを眺め始める。
やがて彼女はお店の奥に飾られていた青いクリスタルガラスのイヤリングが気に入ったのか、しばらくの間魅入る。
「もう良いわ」
こちらに振り向いた橋本さんはそう言った。
「買わなくて良いのか?」
「今月は少し財布が厳しいのよ。仕方ないわ。アルバイトはしているし、お金が貯まるまで我慢ね」
アクセサリーショップをでた橋本さんは向かい側にあるレストランの前で立ち止まる。
「ここがおすすめのお店よ」
案内されたお店はイタリアン料理のお店だった。至る所に観葉植物が植えられ、壁には西洋絵画が飾られている。
「オシャレだな」
いかにも女性が好みそうな内装だ。確か女性は食事をする時に量よりもお店の雰囲気を重視する傾向にあるんだったか。
なんかの本で読んだ気がする。
「そうでしょう。ここは料理の味も良いわよ」
「楽しみだ」
俺と橋本さんは席に着くとメニュー表を開いてパラパラめくる。
「私はアラビアータとカフェオレにするわ」
「なら俺はカルボナーラとミルクティーで」
店員に注文を済ませる。
「橋本さんてアルバイトをしていたんだな」
「ええ、一応ね」
「なんのアルバイトなのか聞いても良い?」
「私がしているのはカフェの店員よ」
カフェで働いている橋本さんか。1度で良いから見てみたいな。
「そういうあなたは何かバイトをしているの?」
「ああ。本屋の店員をしているよ」
「本屋。良いわね。市ヶ谷君て本が好きなの?」
「好きさ。特にラノベは結構読んでる」
「そう。私、ラノベはそこまで多く読んではいないのよね。どちらかと言えばアニメばかり摂取してきた人間なの」
「アニメは動きがあるから躍動感を味わえるし、間があったりするとギャグがより面白くなったりするから良いよな」
「その通りだわ」
「ただ、俺としてはやっぱりラノベが好きなんだよ。文字だと細かい部分を自分で想像できるから。そこが良い。おまけに、アニメだと重要な描写が端折られたりもするからな。その点でも原作を読む価値は大きい」
「なるほど。そんな事を言われると、私もなんだかラノベを読みたくなってきたわ」
「なら、おすすめの作品を何作か教えようか? もちろん、橋本さんが好きそうなジャンルや展開の作品を」
「本当に? 家に帰ったら電書で買おうかしら」
俺と橋本さんはオーダーが届いてからも会話を続けた。
◆◆◆◆◆◆
「私は少しトイレに行ってくるわ。少し待ってて」
橋本さんはお手洗いへと歩いていく。その間に俺はアクセサリーショップをへと赴き、橋本さんが眺めていたクリスタルガラスのイヤリングを見る。
値段は4000円か。割と高めだけど、買えない事はないな。
「すいません」
俺は店員へと声をかける。
「お呼びでしょうか?」
「このイヤリングを贈答用に欲しいんですけど」
「了解しました」
店員はイヤリングを綺麗な水色の箱に入れると、ラッピングをしてくれた。
「お兄さん、なかなか粋なことをしますねぇ」
そう言いながら、店員は俺にイヤリングを渡してくる。さては、さっきの会話を盗み聞いてたな。
「ま、まぁ、いつものお礼ですよ」
彼女は別に俺の事が好きで付き合っているわけじゃない。
ただ、罰ゲームとして仕方なく付き合ってるだけだ。それなのに橋本さんは嫌がる素振りをみせずに俺とデートまでしてくれている。
おまけに、彼女は俺だけに自分がオタクな事を打ち明けてくれている。そんな彼女になにかお返しがしたい。
俺はアクセサリーショップを急いで後にする。幸いな事にまだ橋本さんは戻って来ていなかった。
「待たせたわね」
しばらく待つと、彼女が戻ってくる。
「いや、大丈夫だよ。これからどうする?」
「この辺り、特に遊べる施設がある訳じゃないわよね。ゲーセンなんてどうかしら?」
俺と橋本さんは夕方までゲーセンで過ごした。
彼女は普段、永瀬さんや首藤さんたちとはクレーンゲームくらいしかしないようで、俺が色々なゲームのやり方を教えたら喜んでくれた。
「もう1回、もう1回よ!」
橋本さんにもう1戦、カーレースゲームをやるように提案される。俺に負け続けている事が悔しいのだろう。
「良いよ。次も負けないけどな」
「今に見ていなさい。ギャフンと言わせてあげるんだから」
橋本さんはさっきから最終コーナーにある複雑なカーブを曲がりきれず、俺との距離を詰められずにいる。
今度も俺の圧勝だろう。100円をゲーム機の中に入れる。
スタートの合図とともに、俺はアクセルを踏んだ。俺と橋本さんの車は並走をしていると、やがて大きなカーブが現れる。
しかし――。
「なにっ!?」
今回は橋本さんはしっかりとカーブを曲がりきった。
「ふんっ。さすがになんどもやれば上達するわよ」
まずいな。このままだと負けてしまう。俺は橋本さんの車に自分の車体をぶつける。彼女の車はガードレールへと衝突、速度を大きく減速させた。
◆◆◆◆◆◆
遅い時間になったため、俺と橋本さんはゲームセンターをでる。そして駅にたどり着いた。
「ちょっとお! さっきのはなんなのよ!」
橋本さんがぷりぷりと怒りだす。
「なんなのと言われてもな。追い抜かれそうだったから車体をぶつけて妨害しただけだぞ」
「そんな事は分かってるわよ! 卑怯だわ!」
「まあまあ、近いうちにまた勝負しよう。それにさ、橋本さんの性格的に、俺が手加減するのは望まないだろ?」
「……。それはそうね。分かったわ。この雪辱はいつか晴らしてみせるわよ」
「楽しみにしてるよ」
「後5分くらいで電車が来るわ。あなたは?」
「俺は7分くらいかな。橋本さん」
「なによ」
「はいこれ」
俺はアクセサリーショップでラッピングして貰った箱を手渡す。
「これって……」
「プレゼントだよ」
「今開けても良いかしら?」
「もちろん」
橋本さんは包装を剥がすと水色の箱を開ける。
「私がお手洗いに行っている間に買ってきたのね」
「そうだよ。まだちゃんと言ってなかったけどさ、俺は橋本さんの事が好きなんだ。だから、好きな相手である橋本さんに尽くしたいと思っていて……。だから、受け取って欲しい」
やばい。緊張して良い言葉が浮かんでこない。本当は俺が橋本さんと付き合えている事に感謝しているから、その事を伝えようと思っていたのに。
例え偽りのものであると分かっていても。
「橋本さん?」
彼女はうつむいたまま、目線を合わせようとしない。
「市ヶ谷君、あなたは優しい人なのね」
「そんな事、生まれて初めて言われた気がする」
駅の中に風が吹き荒れる。
「電車が来たわ。それじゃあね」
橋本さんはそそくさと電車の中に入っていく。彼女の耳たぶはリンゴのように赤く染っていた。
◆◆◆◆◆◆
「ありさー。今回のデートはどこに行ったの?」
授業の合間にある休憩時間中、髪を金髪に染めたクラスメイトの1人が話しかけてくる。彼女の名前は永瀬かれん。私とはそれなりに付き合いがある友人だ。
「彼とは映画を観にいったわ」
「映画ってなんの?」
「アイアン・メイデンというアニメ作品よ」
「ふ〜ん」
かれんはスマホでタイトルを検索する。
「いやぁ〜。さすがはオタク君だねぇ。彼女と一緒に観に行く映画がこんな萌えアニメだなんて」
「ええ。
「なになに、ありさと市ヶ谷の事を話してるの?」
今度はベリーショートの小柄な友人が話しかけてくる。こちらは首藤真琴。かれんと同じくらい付き合いは長いし、親しい関係だ。
「そうよ。またデートをしたの」
「すごく気になるんだけど。私だけ仲間外れにするなんて酷い」
真琴はほおを膨らませる。
「ごめんってばぁ。後でおすすめのクレープ屋教えてあげるから許して」
かれんは真琴のほっぺをぷにぷにとつねる。
「むぅ……。なら許す」
「ありがとー。でさぁ、今回も写真は撮ったの?」
「もちろんよ」
私はスマホの画像フォルダから『アイアン・メイデン〜鮮血の灯火〜』と表示されているアルバムを開く。
そこには映画館にあったアニメキャラのパネルと一緒に撮った写真やゲーセンのプリクラで撮った私と市ヶ谷君の写真が収められている。
「ギャハハ! ウケる! 市ヶ谷の奴、めちゃくちゃ鼻の下伸びてるじゃん!」
「こっちの写真とか、目線が胸の方にいってる」
「さっすが陰キャだなー。本当キモイ。騙されてると分かった時のあいつの顔を早く見たいわー。ありさもそう思うっしょ?」
「ええ……そうね……彼はキモい人ではないと思うのだけれど……」
「んっ? ありさ、今なにか言った?」
「いえ、なんでもないわ」
どうしてなのかしら。ここ最近、かれんや真琴と会話するのが辛い。昔から彼女たちはクラスの爪弾き者やぼっちを毛嫌いする傾向があった。
その事は今まで気にならなかったのに、市ヶ谷君とデートをするようになってからは嫌な気分になる。
特に、市ヶ谷君の事を悪く言われているのを聞くと、まるで自分を否定されているかのような気持ちになってしまう。
少し前までは市ヶ谷君の事なんて何とも思っていなくて、罰ゲームだから仕方なく付き合っていただけなのに。
市ヶ谷君、ごめんなさい。私はあなたの彼女なのに、彼氏の事を悪く言われても言い返せないわ。友達を失うのが怖いの。
◆◆◆◆◆◆
「市ヶ谷君、待ちなさい!!!」
授業が全て終わったため、いつも通りにそそくさと下校しようとしていた刹那、俺は橋本さんに呼び止められる。
俺は思わず緊張する。彼女とは2回もデートをしているし、SNS『Lime』にて連絡も取り合ってはいる。
けれど、基本的に俺と橋本さんは学校ではほとんど会話していない。
偽りの恋愛ごっこをしている橋本さんからすれば、変に学校で俺とつるめばあらぬ噂を立てられてしまう。
なにしろ、俺は学年中で噂のぼっちだからな。
いや、別にそこまで噂されているわけじゃあないが、俺がぼっちであるというこの世の真理を知らない者など、2学年には存在しないはずだ。
俺のせいで優等生な橋本さんの印象に傷がついてしまうのは困る。そんな事は望まないので特に声をかけることはしなかった。
けれど、どういう風の吹き回しなのか、橋本さんが突然話しかけてきた。
「今日はどうしたんだ?」
前回、橋本さんに告白(偽)をされた日に話しかけられた時とは状況が違う。あの日は小声で話しかけられたためにクラスメイトは俺と橋本さんが会話しているのを特に気にしてはいなかった。
せいぜい、珍しい事もあるもんだなと思われたくらいのはずだ。
けれど、今日の橋本さんは急いで学校をでようとする俺を大きめの声で呼び止めた。なのでそれなりの数のクラスメイト達がこっちを見ている。
注目されていると思うと余計に緊張する。
「行ってみたいお店があるの。私に付き合いなさい」
行ってみたい店? 昨晩の『Lime』ではそんな話題はしなかったのに、いきなりだな。
「分かったよ」
俺と橋本さんは一緒に廊下へでる。
教室からはどよめきが広がっていたが、俺は聞かなかったことにした。
◆◆◆◆◆◆
「行きたい店ってなんの店なんだ?」
「ケーキ屋よ。期間限定のマンゴーアイスケーキが発売されているから行ってみたいの」
「そうなのか……」
「……」
「……」
俺と橋本さんは黙々と歩き続ける。
「どうして今日は俺を誘ったんだ? ケーキ屋なら永瀬さんや首藤さんと行けばいいだろ?」
「……彼女たちは今日、予定があるからよ」
「でも、俺を大声で呼び止める必要もなかったじゃないか」
橋本さんは立ち止まる。
「なによ、私と付き合っている事が他のクラスメイトに知られたら問題だと言うの!?」
「いや、別にそんなつもりで言ったわけじゃ……ごめん」
「そう。なら良いわ。私の方こそ強く言いすぎたわね」
再び俺と橋本さんは歩き始めた。やがて、目当てのケーキ屋が見えてくる。
夕方だからか、そこまで混んではいなかった。橋本さんはマンゴーアイスケーキを2つ注文する。
「人気商品だから、この時間には売り切れているんじゃないかと心配したのだけれど。無事に購入できてよかったわ」
心無しか、橋本さんの機嫌が良くなった気がする。
「2つも食べるだなんて、食欲があるな」
「あら、違うわよ。1つはあなたの分だわ」
「俺の?」
「ええ。良ければこの後、私の家に上がっていかないかしら? 無理強いはしないのだけれど」
橋本さんは
「ぜひ、橋本さんの家に案内してくれ」
◆◆◆◆◆◆
「にゃあ」
橋本さんの家に向かっていると、黒猫が道端にうずくまっているのに遭遇した。
「可愛いわね」
「野良猫なのかな」
橋本さんは黒猫へと手を伸ばそうとする。その時、彼女のポケットからハンカチが落ちてしまう。
「にゃんお!」
黒猫は毛を逆立てると、ハンカチをくわえて裏路地の方へと姿をくらませる。
「待ちなさい」
「ちょっと、橋本さん!?」
橋本さんは黒猫を追っていったため、俺も橋本さんを追いかけた。
路地裏に入るも、黒猫は足速にこちらから遠ざかっていく。
「この泥棒猫! そのハンカチは最近買ったものなのよ!」
そんな中、前方から二人組の男が歩いてきた。
「でよぉ、この前やった女がな、中々の上物でさ」
「羨ましいぜ」
ドガンッ!
「痛えっ!」
「ごめんなさい!」
橋本さんはすれ違いざま男の一人とぶつかってしまう。
「おい、お前なにすんだよ!」
ぶつかってしまった男が橋本さんの右腕を掴む。見ると、男の白いシャツは茶色に汚れており、地面には缶コーヒーの缶が転がっている。
状況的に橋本さんとぶつかったさいにこぼれてしまったのだろう。
後ろからは良く見えなかった。
「ちょっとぶつかっただけじゃない。後にしてくれる……」
猫に視線を集中させていたため、ぶつかった相手がどんな状態になっているのか分かっていなかった橋本さんは右腕を掴まれたことでようやく事態の深刻さに気づく。
「ご、ごめんなさい」
「ごめんなさいですむなら警察は要らないんだよ!」
ぶつかった男たちはガラが悪い。正直、こういう男たちとは関わるのは物凄く怖い。けれど、このままだと橋本さんが危ないな。
「すいません。俺が謝るので、どうか許してください」
俺は男たちに近づくと頭を下げた。
「誰だお前は。野郎は引っ込んでろよ」
腹部に強烈な痛みが走ったかと思うと、俺は数メートル先に地面へと打ち付けられる。
「かはっ」
口から胃液が逆流する。どうやら男の一人に腹を蹴り飛ばされたみたいだ。
「市ヶ谷君!!!」
掴まれた右腕を振り払ったのか、橋本さんが俺のもとへと駆け寄る。
「なんなんだこいつら? カップルなのか?」
「いやいや。あんな地味なやつが美少女と付き合ってるわけないだろ。姉弟ってところなんじゃないか」
「確かに、この二人は不釣り合いすぎるよなぁ」
俺と橋本さんが不釣り合いなことは分かってるんだよ。
「市ヶ谷君、しっかりして!」
青ざめた顔で橋本さんが呼びかけてくる。
「大丈夫だよ。ててて……」
腹部を抑えながら、俺は立ち上がる。
◆◆◆◆◆◆
「おうおうどうした。なにか文句あるのかよ」
「痛い目にあいたくないならどっか行きな」
立ち上がりながら俺は男たちに向き合う。
「そのぶつかってきた女に用があるんだ。どけよ」
「断る」
「山崎ぃ」
「ああ。こりゃあ、分からせる必要があるな」
山崎と呼ばれた、シャツにコーヒーのかかった方の男が袖をたくしあげる。
「ちぃーっす、山崎先輩と田中先輩じゃないですか」
その時、小柄な男が現れる。
「おう。佐藤じゃないか」
「先輩たちなんかあったんですか?」
佐藤と呼ばれた後輩らしき男が俺たちと不良2人を見比べる。
「見ろよこれ」
山崎が自分のシャツを後輩に見せる。
「そこの2人組にやられてな。お前も手を貸せ」
「了解です! それで何をすれば?」
「とりあえず、生意気な男の方をボコすぞ。女の方は、分かるよなぁ」
山崎が下卑た笑みを浮かべる。
「協力するんですから、分け前は寄越して下さいよ」
「約束するよ」
「い、いや……」
橋本さんは恐怖のあまり、動けなくなってしまっている。
「佐藤、お前は女が逃げださないよう、見張っておけ」
そう言いながら、田中はこちらに向かってくる。俺は彼のストレートをかわすと、慌てて反撃の蹴りを入れる。
「はんっ。そんなヤワな蹴りが効くわけないだろ」
俺は田中に振り上げた脚を掴まれると、そのまま引っ張られる。身体のバランスを崩したため、思いっきり転倒した。
更に、田中は俺を羽交い締めにする。
「これで逃げられないぜ。後悔するんだな」
山崎がこちらににじり寄る。
「しっかり拘束してろよ」
そう言いつつ、山崎はなんども俺の顔を殴りつけた。
これは、めちゃくちゃ痛い。
「いや、やめて! 市ヶ谷君が死んでしまうわ!」
橋本さんが悲鳴をあげる。
「確かに、このままだとこいつは死んじゃうかもなー。可哀想だなー」
山崎がわざとらしい声を上げる。
「でも、それはお前が俺の服を汚したのが原因だろ? つまりはお前のせいだ」
「……分かったわ。何でも言う事を聞くから、市ヶ谷君を解放して」
「分かれば良いんだよ」
山崎が橋本さんに近づいていく。
「させるか!」
俺は羽交い締めを無理やり解こうと暴れる。
「うおっ! 落ち着けよ!」
しかし、田中の筋力はそれなりだ。解くのは難しい。こうなったら……。
後方に向かって思いっきり飛び上がる。
「うおっ!?」
俺の全体重が乗りかかった田中はバランスを崩し、転倒する。それによって俺は彼の拘束から解放された。
立ち上がると、山崎に向かって踊りかかる。
「やるじゃないか。でも、残念だったな」
山崎は俺のみぞおちを蹴りあげた。一瞬の事だったため、かわすことはできず、もろに食らってしまう。
あまりの痛みに動けない。これまでか……。
そんな時だった。
「市ヶ谷と橋本、大丈夫か?」
どこかで聞いたような声が聞こえた。
「あんたは坂本剛!?」
山崎が驚いたような声をあげる。
「ほぅ。俺を知っているという事はお前、バスケ部員だろ」
「ああ。俺とそこにいる2人は大葉高校の部員でさぁ。うずくまってる男と女にちょっかいをだされたんで指導してたんだよ」
「そうか。それは大変だったな」
「でしょう。良ければ坂本さんも付き合っグバァッ!?」
山崎は坂本のストレートを思いっきりくらうと、地面に転がり、うずくまる。
「おい、山崎!?」
起き上がっていた田中が救援に向かうも、その前に坂本が立ちはだかる。
「お前……」
田中は坂本に殴りかかるも、その前に坂本が彼を蹴り飛ばした。
「痛ってぇ!」
山崎と同じように、田中も地面に転がる。
「おい、お前」
「ひ、ひぃ!」
先輩2人があっという間に倒され、顔を青ざめている佐藤に対し、坂本が声をかける。
「大葉高校のやつらに伝えろ。また今度、俺の高校の生徒に手をだしたらただじゃおかないとな」
「は、はいいいい!!!!!」
佐藤は走って逃げだした。
「さて、市ヶ谷と橋本、お前たちはどっか行ってろ。俺は転がっている2人に用があるんでな」
「分かったわ。坂本君、ありがとう」
「感謝するなら、市ヶ谷にしておけ。こいつが時間を稼がなきゃ、今頃酷い目にあってたかもしれないぞ」
「そうね。市ヶ谷君、掴まって」
「ありがとう。痛たたた」
橋本さんに支えられながら、俺は裏路地を後にする。
そして、橋本さんの家に連れられた。家といっても、一軒家ではなく、アパートだ。
橋本さんは一人暮らしをしているからな。
「酷い怪我。ちょっと待ってて」
橋本さんは医療箱を持ってくると、擦り傷や打撲を大量にこしらえた俺を手当てする。
「橋本さんに看護して貰えるのなら、頑張ったかいがあったよ」
「何を言っているのよもう。本当に心配したんだから」
彼女は包帯を持ちながら涙を流す。
「まあ、結果的に坂本が助けてくれてなんとかなったしな。泣くなって。それより、早くマンゴーアイスケーキでも食べようよ」
「そうね」
2人で椅子に座ると、黙々とマンゴーアイスケーキを食べ始める。
「甘くて美味しいな」
「私のは少ししょっぱいわね」
「それは泣いたからだろ」
「そうね。市ヶ谷君、コラボカフェに行った時、私が自分の事を完璧人間と言っていた事を覚えてるかしら?」
「つい最近の事だし、もちろん覚えてるよ」
「あの発言、撤回するわ。私は不完全なダメ人間よ」
俺はフォークを止める。
「どうしてそう思うんだ? 俺からしたら、橋本さんは容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能の才女だと思うけど」
「だって、私は彼氏であるあなたの事をろくに守れない人間よ。そもそも、私が猫を追いかけてあの不良にぶつからなければああはならなかったでしょうし」
橋本さんは再び涙を流し始める。
「人には得意不得意があるわけだからさ、気にする事はないんじゃないかな。俺としては、橋本さんが完璧じゃない方が良いかな」
「どうして?」
上目遣いで彼女に尋ねられる。
「だってさ、その方が俺を頼ってくれるだろ? 橋本さんは最初のデートの時に言ってたじゃないか。『相手を気遣うために自分が我慢することが必ずしも相手を喜ばせるとは限らない』って。遠慮せずに、困った時は俺に助けを求めて欲しい」
「確かに、遊園地ではそんな話をしたわね。ありがとう。それなら、今後は困っときはあなたを頼る事にするわ」
橋本さん、俺の事が好きで付き合っているわけじゃないのに、ここまで偽りの彼氏である俺の事を考えてくれるなんて。まさに天使だな。
尊すぎる。ただ、彼女はあまりにも真面目すぎるから、もう少しだけずぼらになっても良い気がしなくもない。
「そう言えば、今日はどうして俺を自宅に招こうと思ったんだ?」
「私が一人暮らしをしていることは知っているわよね。早い段階から自立的な生活ができるようにという、親の方針よ」
そう言いつつ、橋本さんは立ち上がる。そして寝室に入ると、突然服を脱ぎ始めた。
「橋本さん!? ちょっとストップ!」
いや、急にどうしてしまったんだ。
「なにか不満でもあるのかしら? カップルが同じ屋根の下にいたら、こういったこともするするわよね?」
下着姿になった橋本さんがしかつめらしい顔をする。前言撤回。橋本さんには少しではなく、かなりずぼらな人間になってもらわなければ。
「その、まだ早いんじゃないかな。付き合ってそこまで月日が経ってるわけじゃないし」
「あら、弱気になった彼女を手篭めにするチャンスなのに、それをわざわざ見逃すというのね」
「そうじゃなくてさ、本当に好きあっているのならともかく、片想いなのにそういう事をしようとは思わないだけだよ。俺は橋本さんが好きだからこそ、安易にベッドでひとつになろうとは思わない」
「それって……」
「ごめん。実は知ってたんだ。橋本さんが罰ゲームで俺と付き合ってるってことを。だけど、俺は偽りでも良いから、橋本さんと付き合いたくて、今まで黙ってたんだ。本当にごめんなさい」
俺は土下座をする。
「なるほど。私が告白した時、あなたが動揺しなかったのはあらかじめ告白されることを知っていたからなのね」
「そうだよ。俺を騙していたことへの罪悪感から、一緒に寝ようとしているのなら、気にしなくて良い。短い期間だったけど、憧れの橋本さんと付き合えて幸せだった。それじゃあ、俺は帰るよ」
逃げるようにして橋本さんの家を後にする。彼女は特に引き止めたりはしなかった。
くそっ。橋本さんに罪悪感を感じなくて良いとは言ったものの、俺は罪悪感を感じまくりだ。
偽の告白をされたと知っていたにも関わらず、彼女とデートして本当に良かったんだろうか?
◆◆◆◆◆◆
橋本さんのアパートに行ってから数日が経過した。あれから、橋本さんとは全くコンタクトを取っていない。
学校でも俺はいつも通り、教室の片隅でラノベを読んで過ごした。
ホームルームの時間が終わると、俺は急いで下駄箱で靴に履き替える。
「おーい、市ヶ谷ー!」
声をかけられたので顔を上げると、そこには永瀬と首藤がいた。俺は彼女たちに空き教室へと連れられる。
教室内には橋本さんが突っ立っていた。
「で、こんな所に俺を呼びだして、何の用なんだ?」
今日で橋本さんに告白(偽)されてから1ヶ月くらいだ。なぜ呼びだされたのか大方予想はついているものの、あえてすっとぼける。
「実を言うとさぁ、ありさが市ヶ谷と付き合ってたのって、本意じゃないんだよね」
「私とかれんとありさの3人で人生ゲームをやってたんだけど、その罰ゲームとして陰キャと付き合おうという話になった」
「それで選ばれたのがあんたってわけ。騙されてることに気付かず、ありさとデートしてる様は本当にこっけいだったわ〜」
「そうだったのか。まあ、俺としては橋本さんと一緒に過ごせて楽しかったよ。用はそれだけか?」
「あれっ? 思ったよりもダメージを受けてない?」
首藤が不思議そうな顔で見つめてくる。
「ありゃっ。なんだ、つまんないの〜。もしかして、まだ実感湧いてない? それならありさもなんか言ってあげてよ。こんなキモイやつなんかと付き合ったせいでフラストレーション溜まってるでしょ」
「市ヶ谷君は別にキモくなんてないわ」
「えっ? 今なんて?」
永瀬さんが驚いたような顔をする。
「聞こえなかったのかしら? 私は別に市ヶ谷君のことをキモいとは思っていないわ。それに、嘘の告白だったとはいえ、市ヶ谷君は私の彼氏よ。あまり悪口を言わないでくれるかしら」
そう言うと、橋本さんは俺のところに近づき、肩に頭を寄りかからせてくる。
「ありさ、どうしちゃったの?」
「そうだよ! なんでそんな奴の肩を持ってんの!? 意味分かんないんだけど!」
「そんなに理解できないかしら? 私としては今後も市ヶ谷君との関係を続けるつもりよ。ついでに言っておくと、かれんと真琴とはもう友達ではいられないわ。ごめんなさい」
「そんな、私たちのなにがいけなかったの?」
首藤さんが震え声で尋ねる。
「あなた達、私と市ヶ谷君が観た映画の事を色々言ってたわよね。実は私、市ヶ谷君と同じような趣味を持っているのよ」
「じゃあ、あの映画の悪口ばかり言っていた私たちとは関わりたくない?」
「そういう事よ。前まではラノベや深夜アニメの悪口を言われても聞かなかった事にしていたのだけれど、もう我慢する必要もないかなと思えるようになったの。私には市ヶ谷君がいるし、あなた達とは疎遠になっても構わないわ」
「ありさともう遊べなくなってしまうのは悲しい」
「私もだけれど、価値観が合わないのだからどうしようもないわ」
「ちょっと待って! 理解が追いつかないんだけど!」
永瀬さんが大声をあげる。
「ありさが隠れオタクなのは分かったけどさ、どうして市ヶ谷なんかと付き合うって話になるわけ? 市ヶ谷とありさじゃ明らかに釣り合わないじゃん。それにさ、いきなり友達と見なせないなんてあんまりでしょ。ウチらだってありさが嫌な事は言わないようにするからさ、これまで通り一緒にいてよ!」
「市ヶ谷君と私が釣り合うかどうかはあなたが決める事ではないし、私としてはあなた達とはしばらく距離を置きたいわね」
「おいおい、なんか言い争ってるようだが大丈夫か?」
空き教室へ坂本が入ってくる。
「ちょっと剛、あなたも何か言ってよ。ありさの奴、こんな奴と付き合おうとしてるんだけど。まじで有り得なくない?」
「何を言ってるんだ? 市ヶ谷は彼女を守るためなら不良とも一戦交える男だぞ。俺は市ヶ谷と橋本が付き合ってる事がおかしいことだとは思わないな」
「そ、そう……。まあ、剛がそういうなら、そうなのかも。分かった。ありさとはしばらく関わらない事にする。真琴、行こう」
「うん」
永瀬さんと首藤さんは教室をでていった。
「じゃあ俺もこれで」
続いて、坂本もでていく。
「橋本さん……」
「ちょっと、ついてきてくれないかしら?」
◆◆◆◆◆◆
俺は橋本さんに学校の屋上へと連れられる。
「懐かしいわね。私たちが偽りのカップルを演じる事になった場所よ」
「そうだな」
「聞きたいことがあるのだけど」
「なんだ?」
「その、あなたは今でも私の事を好きでいてくれているの?」
「当たり前だろ。偽りでも良いから付き合いたいくらい俺は橋本さんの事が好きだったし、その気持ちは今でも変わっていない」
「そう。なら言うわ。市ヶ谷君、いや健人君、私と付き合ってください」
橋本さんが頭を下げる。
「どうして俺なんかにそんな事を言うんだ? 永瀬さんたちが言ってたように、先月俺と付き合い始めたのは罰ゲームでだろ?」
「ええ。正直に言うと、付き合い始めた時は市ヶ谷君のことは別に好きでもなんでもなかったわ」
「ならどうして」
「私たちが初めてデートした日、都市伝説ハンターの話をしたわよね」
「ああ。まさか憧れの橋本さんとあの作品の話ができるとは思ってなくて、凄く楽しかったよ」
「あの時、私が藤原明日香を推している理由は身を呈して大切な人を守ろうとするところと言ったと思うのだけれど」
「それも覚えてるぞ」
「私は創作の世界だけではなくて、現実でもそういう人の事を好きになるみたいだわ」
「つまり、先日、俺が不良と殴りあった事が原因で好きになったと?」
「概ねその理解で間違いないわ。他にも、好きな作品が同じだったり、こっそりと私の欲しいものを買ったりする所も好きよ」
「でも、俺は殴り合いの中で負けてしまったし、橋本さんが無事だったのは坂本のおかげだぞ」
「そんな事は分かっているわよ。大事なのは、勝てない相手だろうと、大切な人のためなら無謀な戦いに挑むという点よ。私は健人君のそういう所が好きだと言っているの」
「そうか。俺としても、橋本さんとは正式に付き合ってみたいな」
「ありさよ。正式に付き合うというのなら、私の事は名前で呼んでほしいわね」
「分かったよありさ」
橋本さんが自分の顔を俺に近づける。
「ん……んむっ……んんっ」
唇を重ね合わせると、舌を突きだしてお互いの唾液を交換する。
「んはっ」
俺と橋本さんとの間に、透明な橋が形成される。
「健人君」
「なんだ?」
「なんでもないわ。ただ、名前を呼んでみたくなっただけよ」
その後、俺とありさは2人で手を繋ぎ、下校し始める。当然、校舎内でそんな事をすれば大騒ぎになるも、ありさは嬉しそうだ。
「前から夢ではあったのよね。好きな相手とこうして手を繋ぎながら下校するの」
「ならこれからは毎日しようか」
「ええ。約束よ」
騙されているのは分かっているけど、僕は今日も学年一の美少女に貢ぐ 紫水肇 @diokuretianusu517
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