日の目を浴びない地下ペンギン➁

「今日もありがとうねぇ。いつも助かるよ。若いのにこんな年寄りの世話をさせちゃって悪いねぇ」


「何を言ってるんですか! 僕は誇りを持ってこの仕事をしているんですよ。だから悪いだなんて思わないでください。それに、有田さんはまだまだお元気なんですから。長生き出来るようにサポートさせて下さいね」


 福岡市内のとある介護施設でパートとして働く夏川柚希なつかわゆずきは、今日も施設の利用者の世話をしていた。柚希は施設で働く職員の中でも評判が良く、一部の利用者からは孫のように可愛がられていた。


「柚木くん。あとは私が引き継いでおくから、今日はもう上がっちゃっていいよ」


 先輩職員である山本貴則やまもとたかのりが言った。


「え、でもまだ有田さんの入浴介助が……」


「昨日も遅くまでやってくれてたんでしょう? たまには早く帰って、身体を休めなさい。君はまだ若いから、やりたいこともあるだろう?」


「本当にいいんですか? ……では今日はお言葉に甘えてお先に失礼させていただきます。有田さん、また明日ね」


「今日もありがとう。また明日」


 柚希は山本と有田に一礼し、帰宅の準備をするべく更衣室へ向かった。

 更衣室に着いた柚木は、ロッカーを開けてスマートフォンの電源を入れる。起動するまでの間に素早く着替え、そして起動したスマートフォンの画面を見る。ホーム画面にショートカットを作成している小説投稿サイトのアイコンに、数字の「2」が表示されていた。


「お、通知が2件きてるぞ。小説の感想だったら嬉しいな!」


 柚希は指を弾ませ、数字の「2」が表示されたアイコンをタップする。画面に柚希のプロフィールページが表示された。その通知の欄には、「感想が書かれました」と「新着誤字脱字報告があります」の2つの通知が並んでいた。


「あ! 感想が来てる! ……ありゃ。また誤字脱字があったのか。入念に確認したつもりだったのになぁ……。「ソラ」さんはいつも指摘してくれてありがたいな」


 柚希はまず誤字脱字の報告の方を開き、どこが間違ってたのかを確認した後に、当該箇所を一括修正した。同じミスをしないようにと反省し、そして感想の方に意識を向ける。


「久し振りに感想をもらったなぁ。たぶん良い評価ではないと思うけど、本当にありがたい」


 柚希は感想の通知を開く。投稿者は、誤字脱字の指摘をしてくれた「ソラ」という人物だった。内容は、「前回の終わり方から、今回どんな展開になるのか期待していましたが、想像以上に斬新ですね、素晴らしいです。キャラの背景もしっかりしているので、より感情移入することが出来ました。ただ、文章が所々読みにくい点と、敬語の表現が明らかに不自然な点が気になります。物語はとても面白いので、もったいないと思いました」と記載されていた。


「またソラさんから文章の指摘を受けてる……。勉強したいけど、なかなか時間が取れないんだよなぁ。でも、ストーリーに対する評価は良さそう! もっと頑張るか!」


 柚木はスマートフォンをポケットに入れ、ロッカーの中に忘れ物が無いかを確認した後、更衣室をあとにした。


 自転車での帰り道、途中でスーパーに立ち寄った。夜勤の帰り以外は、柚木はほぼ毎回このスーパーに立ち寄るようにしている。自宅で帰りを待つ、高校生の弟に夕ご飯を購入するためである。

 現在、柚希の自宅には両親がいない。父親は10年前に亡くなり、母親は数年前に認知症を発症し、専門施設に入所している。

 柚木の父親は、柚木が高校生の頃にくも膜下出血で突然死した。その影響で経済的に苦しくなり、大学進学はおろか、柚木は家計を支えるべくバイト中心の高校生活となった。高校卒業後は、当時のバイト先でそのまま働き続け、一時は正社員にまでなることが出来た。しかし、ある日に突然社長が会社の資金を持ち逃げする事件が起き、バイト先であった会社は潰れてしまった。

 それと同じ頃に、母親の物忘れが進行する。2日連続で散歩中に警察の世話になったことが決定打となって医師の診察を受けたところ、認知症と診断された。柚木は働かなければならないため付きっきりで世話をすることが出来ない。かといって、高校生の弟に世話をさせることは、なるべくなら避けたい。熟考を重ねた結果、施設に預けることとなった。


 柚木は小さい頃からスポーツが大好きで、勉強そっちのけで日が暮れるまで友人と野球やサッカーに勤しんだ。柚木が中学生になった頃、さすがに将来を心配した両親が、せめて読書だけでもしてほしいと思い本を買い与えた。読書をする習慣など皆無だった柚希であったが、学校での進路相談で教師に本気で心配されてしまったこと、そしてなにより、両親の意向を汲み取り、興味が湧いた本から少しずつ読むようにした。その結果、柚希は「創造力」を身に着けることが出来た。しかし、堅い文章が苦手であったためか、国語や文章力はなかなか身に付くことはなかった。


 父親が亡くなってからも、読書だけは続けた。それには大きな理由があった。

 ある日、読書の習慣が身に付いてきた柚希を見て嬉しくなった両親から、「いつか柚希自身が物語を創造するようになったら、その柚希が書いた本を読んでみたい」と言われたからである。

 その言葉を、当時は本気で捉えていなかったが、それでもずっと、頭の片隅には置いていた。そして、その思いは年々強くなっていった。今では父親が亡くなり、認知症の母親しか残ってはいないが、せめて母親にだけでも立派な物を読ませてあげたい。今の柚希は本気でそう思っている。


 しかし、柚木の作品もまた、未だ日の目を浴びられていなかった。


「ただいま」


「あ、兄ちゃんおかえり」


 家に着き、リビングに入ってきた柚希を、弟の和希かずきが迎える。時刻は20時を回っていた。


「遅くなってすまん。お腹すいてるだろ? 俺は今日中に終わらせないといけない書類の作成があるから、先に食べててくれ」


「わかった。いつもありがとう。今日もお疲れ様」


「和希も、学校お疲れ様。勉強頑張れよ」


 自分が行けなかった分、和希には大学に進学してほしい。自分と同じ思いはさせられない。その一心から、柚希は毎日働き続けていた。


 柚希が夕ご飯を食べる頃には、時刻は既に23時を回っていた。スーパーで買ってきた惣菜と、和希が炊いてくれていた白飯を急いで掻き込み、風呂に入って明日の用意を済ませる。


「今日もこんな時間になっちゃったな。今日はもう遅いから、他の人の作品を読んで勉強させてもらおう」


 布団に入る頃には日付が変わり、午前1時を過ぎていた。柚希は小説投稿サイトに、自身のペンネーム「夏川カケル」でログインする。そして、自身が所属しているグループ内で投稿されている作品を中心に閲覧した。


「そういえば、今日誤字脱字の報告をしてくれたソラさん、今まで作品を読んだことなかったな。どんな作品を書いているんだろう?」


 柚希はソラという人物が書いた作品を読んでみる。


「うー……、さすが誤字脱字の報告をしてくれるだけあって、日本語の使い方や文章の作り方が上手いなぁ。脱字も全然ないや」


 ソラの日本語の使い方や文章の作り方の上手さに感銘を受けつつ、しばらく作品を閲覧していた。しかし、さらに30分ほど作品を閲覧していると、柚希はだんだんと気になることが出てきた。


「あれ、やっぱりこういう展開になるんだ……。あのキャラはもう出てこないのかな? 魅力的だったのに……。あー、ここはもう一捻りくらいあれば面白くなりそうなのにな……」


 そして柚希は、ソラが書く物語において気になったことの「正体」を掴んだ。


「日本語の使い方や文章の作り方は抜群なんだけど、話があんまり面白くないなぁ……。これはもったいない」

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