空翔けるファーストペンギン

LUCA

日の目を浴びない地下ペンギン①

 いまいちエアコンの効いていない生温い部屋の中に、安っぽいカーテンを貫いた朝日が差し込んでいる。

 この部屋に住む新木肇あらきはじめは、まだ夢とうつつの間をぼんやりと彷徨いながら、枕元に置いていたスマートフォンを手に取った。肇には、朝起きたら必ずやらなければならないことがある。それを今日も粛々と実行する。


「……。だーっ! またランキング圏外かよ! 昨日投稿した最新話は結構自信あったのに!」


 肇は毎朝これを目覚まし代わりにして目を覚ます。しかし、その大半は決して良い目覚めとは言えない。それは今日も例外ではなかった。今日も落胆から1日が始まってしまった。


 起きるのにはまだ少し早い時間であったが、もう一度眠りにつく気持ちにはとてもなれなかったため、肇は重い身体を無理やり起こすことにした。顔を洗い、朝食を摂るために冷蔵庫へ向かう。


「うっ。給料日までまだ数日あるのに、これはヤバいな……」


 冷蔵庫の中はほとんど空であった。かろうじて、昨日バイト先の同僚から貰ったチョコレート菓子と、あと少しで無くなりそうなマヨネーズが入っている。肇はチョコレート菓子を手に取り、それを朝食代わりとした。せめて小腹さえ満たされればと思ったがそれは叶わず、ほんの数秒で食べ終えてしまった。


「全然足りねぇ……。先輩、今日も奢ってくれるかな?」


 空腹は満たされなかったが、しかし食べ物はもう何もないので仕方がない。家を出るまでの時間をつぶすため、再びベッドに横になった肇はスマートフォンを開いた。


 肇はバイトに明け暮れながら、暇さえあれば小説投稿サイトに自作の小説を投稿している。いつかは自分の作品が書籍化されることを夢見ているが、現実は非常に厳しいものであった。ランキング圏外は当たり前で、入るとしても圏内ギリギリ、それも短時間だけである。

 バイトをしつつ、時間と体力がある時は出来るだけ毎日投稿し、投稿が出来ないときは他の人の作品を見て研究するなどして、自分の作品作りの参考にしている。

 こうした生活が、もう5年以上続いていた。


 肇は子供の頃から本や読書がとりわけ好きというわけではなかったが、ゼロから何かを創り出す作業は好きである。高校3年生の時の文化祭でクラスで劇をすることになった際、肇のクラスでは既存の作品ではなく、自分たちで新しく作った作品をやろうということになった。その時に中心となって脚本を手掛けたのが肇であり、結果的にこれが好評であった。これがきっかけで自分の作った作品をもっとみんなに見てもらいたいと強く思うようになり、そして小説を書くようになった。


 いつか自分の書いた小説が書籍化されて、全国の読者に読んでもらいたい。その一心で、大学卒業後も定職には就かず、大衆居酒屋でバイトをしながらウェブ上で小説を書き続けてきた。


 しかし、未だに肇の作品は日の目を浴びられていない。


「そろそろバイトの時間か。もう家を出ないと。昨日は徹夜して投稿したから、体が怠いなぁ……」


 重い身体を無理やり持ち上げ、そして最低限の身支度を終えた肇は、バイト先である大衆居酒屋へ行くために家を出た。


 肇の家からバイト先まではさほど離れてはいないが、電車に乗る必要があるため、万が一のことを考えて早めに家を出るようにはしていた。それでも、なぜかいつもギリギリに着いてしまう。今日も例外なく、朝の始業時間の10分前にバイト先に着いた。


「おはようございます」


「あ、おはよう新木くん。今日もギリギリだねぇ」


 バイト先の社員の一人である、望月彩美もちづきあやみが挨拶を返してきた。


「すみません。これでも余裕を持って家を出たつもりなんですけどね……」


「でも新木くん、いつもギリギリなのに、まだ一度も遅刻してないのは偉いと思うわ。勤務期間も長いことだし、そろそろうちの社員になればいいのに」


「僕なんかが社員になっちゃうと、すぐに潰れちゃいますよ。望月さんみたいにテキパキと動けないし」


「あらら、また断られちゃったわねぇ。うちは慢性的に人手不足だから、気が変わったらいつでも相談してきなさいね。あ、もうすぐ朝礼始まっちゃうよ!」


「やばっ! すぐに着替えてきます!」


 このやり取りは毎朝の恒例である。

 肇はここでバイトを始めてから5年以上、一度も欠席や遅刻をしたことがなかった。これは社員を目指しているからとか、ここでのバイトが楽しいからといったこと等が理由ではない。単に生活費を稼がないといけないということはもちろん、あくまで将来は小説家として食べていくことが夢だからである。


 夢と生活費のためと思えば、容赦なく削られていく体力と最近発症した腰痛、そして客からの理不尽なクレームにもなんとか耐えることが出来ていた。

 しかし、最近は自分の作品がいつになれば日の目を浴びるのかという、先の見えない真っ暗なトンネルの中を5年も彷徨ってしまっている現実感から、身体的にも精神的にもじわじわと疲労を感じるようになってきたのも事実であった。


 バイトが終わって家に着いた肇は、一度それをやってしまうとダメになると分かっていながらも、ほとんど吸い込まれるようにベッドへダイブする。そこから急激に身体が鉛のように重くなるのを感じた。


「うー。なんだか今日はやけに疲れたな。夕ご飯はまかないでなんとかなったけど、明日の朝ご飯は抜きか……。風呂に入る気力も残ってないから明日の朝にしよう。とりあえず、今日は他の人の作品見てから寝るか」


 ぶつぶつと独り言を呟きながらスマートフォンを取り出し、小説投稿サイトを開く。

 肇が利用しているサイトは、経験年数やジャンルといった様々なテーマで小説家同士が集まってグループを作成することが出来る。これにより、作品を読み合ったり、活動報告をし合ったりすることによって、モチベーションを上げることが可能となる。

 肇も、とあるグループに所属していた。肇が他の人の作品を閲覧する時は、主にそのグループ内に所属している人が書いている作品からいつも選んでいる。


「うわ! この作品、こういう展開になるんだ! そりゃ投稿する度にランキングに載るよなぁ」


 肇はいつものように、ブックマークしている作品を優先して読む。そのだいたいがランキング上位の常連作品なので、参考にするというよりは、純粋にストーリーを楽しんでいた。


「もうこんな時間か。やっぱり面白い作品は時間を忘れるな。最後に「アレ」を読んでから寝るか」


 ブックマークしている作品の最新話を読み漁った後、時間と気力が残っていれば、新しい作品にも手を出している。 

 そして肇には、最近気になっている作者がいた。


「この人が書く作品、信じられないくらいストーリーが斬新だし、キャラも世界観も魅力的なんだけど……」


 その作者が書いた作品の最新話を読み終えた肇は、今日もを漏らした。


「文章がめちゃくちゃ下手なんだよなぁ」

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