3-2
「
三フィート〔1m〕の高さから落とされたからってどうってことはないが、ケツを打った衝撃で、頭蓋骨の中で脳みそがぶつかった感じがする。これ以上頭が悪くなったらどうしてくれるんだよ。
「なんであんたがここにいるんだよ!」
「用があるから訪ねてきたんだが」
「来るときは電話しろって言っただろ!」
「電話もしたし、インターコムも鳴らした。このあいだと同じように反応がないから心配になって入ってみたら、お取込み中だったとは失礼したな」
「……カギ閉めてたはずだけど」
「忘れたのか? いったん吸血鬼を招待したら、鍵などなんの役にも立たなくなることを」
「……失礼しました、ノーランさん」
俺とニックが言い争っているあいだに襟元を整えたクリスが気まずそうに咳払いした。
「どういたしまして」やつもすまして応える。
「ところで、
「実際年寄りなんだからどうでもいいだろ。そんな話するために来たのかよ」
相当ヒマなんだな、というコメントをやつは無視した。
「まずいことになったよ、神父」
ソファーの定位置についてやつは切り出した。
「なにが」と俺。
「その前に確認しておきたいんだが、今さっき私が目撃したのはただのじゃれあいで、まさか君らがいつもテンプル騎士団みたいな悪徳にふけっているというわけではないだろうね?」
クリスは真っ赤になって勢いよく首を横にふった。まあ、あんまり
「それならよかった……いや、良くはないか。床からは落下しようがないからな」
「さっきからなんなんだよ。話が長いのはオッサンの証拠だろ」
やつはまた俺を無視して続けた。
「このあいだあなたの血をいただいたあと、そのままの姿でカクテルパーティーに出たら、ご婦人がたに、クリニックを紹介してくれとひっきりなしに声をかけられたよ。どんなに腕のいい美容整形外科医だって、六十代を二十代にみせるにはどこかしら不自然さが伴うものだからね。それで、途中から気づいて少し抑えるようにしたんだが。幸い、
今でも三十代前半くらいに見える、六百歳の吸血鬼は言った。はじめてクリスの血を吸ったときは、肌のつやが五十代から二十代なみに戻っていたから、こいつがある程度外見の印象を変えられるのは本当なんだろう。だったら年相応にしときゃいいのに――見栄っぱりだな!
「あなたの血の力はそれだけじゃない」
急にニックの目が光ったような気がして、俺は身構えた。
「いくら不死者だといっても、胸にあれだけの風穴が開いたら、元通りにするためには、それこそ、しぼんだ皮袋みたいになるまで吸い上げなければいけなかったはずなのに、あれだけですんだ。おまけに、ほかの力も強くなっている。――正直に言うとね、神父、私は魂の救済を考えなおそうかと思ったよ。この力となら、あと数百年過ごしてみるのも悪くない、とね」
だから言わんこっちゃない。吸血鬼なんか信じちゃいけなかったんだ!
俺が飛びかかろうとするより早く、
「でもそれを告白する気になったということは、まだあなたには良心が残っているということですね」
それまで硬い顔で聞いていたクリスが微笑んだ。
「もちろん」
「嘘つけ、あのとき俺が止めなきゃ、クリスが死にそうになるまで吸おうとしただろ!」
やつはふっと真面目な顔になり、
「あのときはまさかこれほどまでとは思ってもいなかったのでね。聖職者の血をいただいたことは何度かあったが……」
「あんのかよ!」
「フランス革命の頃だったかな。あのときも、まあいい時代だったよ」
いくら十字架が効かないといってもこれにはびっくりだぜ。クリスも、信じられないって顔でニックを見ている。
「思えば彼らの血はふつうの人間と変わらなかったな。恐怖、後悔、欲望――そんなものがね。彼らは盲目的に神を信じているか、あるいは、そのかげで、もう一方の主人に仕えようとしていた――でなければさすがに手を出そうとは思わなかったろう。だがあなたは違う。悩める聖職者の血にこんな力があるなんてね。まさに黄金の血といってもいい」
クリスは黙ってニックを見つめていたが、
「……血でそこまでわかるのですか」
「わかる。人狼の坊やが鼻で嗅ぎわけるのと似たようなものだ」
「……俺は人間の血を、
「それはお前ができ――おっと失礼、まだ子供だからだよ。だが神父、これは坊やにもあてはまることだが、あなたの血にそれだけの価値があるとわかった以上、私以外にも欲しがる輩は出てくるだろうな」
「……それって、あんた以外にも吸血鬼が押しかけてくるってこと?」
最悪なことに、やつはうなずきやがった。
「旧大陸の同類が魂の救済を気にかけているとは思えないし、彼らはすでにじゅうぶん力を持っているから様子見をするだろうが、私が言っているのはもうちょっと低俗な輩のことだよ。特にこのあいだブニを追い払ったから、地獄にも知られただろうしね。魔女や、下級の悪魔や、あらゆる種類の淫魔、それから人狼」
「――なんで俺なんだよ! 俺はクリスを襲ったり――いや、その、さっきのは不可抗力ってやつで……血を飲みたいなんて気持ちはこれっぽっちもねーよ!」
「お前個人はそうかもしれないが、マクファーソン神父の血をもらえば、お前の感覚はもっと鋭くなるし、肉体はさらに頑丈になり、回復も早くなる――ひょっとしたら、完全になれるかもな」
“完全”になれるかも――……
その言葉に心臓が跳ねるのがわかった。こんな中途半端じゃない、兄貴たちみたいになれたら、俺も
でも、心配そうなクリスのブルーの瞳とかち合って、俺はその考えを頭から追い出した。クリスは頼めばくれるかもしれないけど、どのくらいの量が必要かなんてわからない。包丁で指切ったくらいですめばいいが、それこそ全部なんていったらゾッとする。俺は恩知らずの吸血鬼じゃないし、もらうものだけもらってハイさようならなんてできるわけない。
「ご忠告ありがとう、ノーランさん」
「どういたしまして。ニックと呼んでくれると嬉しいんだが」
「では
クリスはにっこりした。ざまあみろだ。
「これはこれは」吸血鬼は嫌味なくらい整った歯並びを見せて笑った。
「では神父、くれぐれも気をつけることだね。私は用事があってこの先数か月留守にするし、その人狼の坊やでは心もとないからな。あなたの身になにかあったら、私が困る」
「……あんたは毎回俺を馬鹿にするために来てんのか? ちょっと電話して、気をつけろって言やあすむことだろうが」
俺がにらみつけても、やつは眉ひとつ動かさなかった。
「私は古風な人間なんでね。それからいい加減、保護者に私の電話番号を教えておくんだな、坊や」
俺は思いっきり舌を突き出した。
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