第3話 ナイトメア

 向こうのほうから黒い靄のようなものが現れます。そうです。先ほど、廊下で私を追ってきた黒いモヤのようなアレでした。


「絶対離すなよ」

「うん……」


 私は力強く彼の手を握ります。この時の私は何かにしがみつきたい気分だったのです。


 あたりはだんだん輪郭を失い、ついには暗い平面だけの空間となります。黒い靄のようなそれは、チリのようで、灰くずのようで、また布切れのようでもあります。


 私たちを見定めるようにゆらりゆらりと浮遊すると、いきなりこちらへと向かってきました。私はどうにもできなくて、目をぎゅっとつぶりすがるように手の力を強めます。


 しかし、それは私たちのほうに近づいてきません。近づいては離れ近づいては離れを繰り返しています。まるで何か壁のようなものに阻まれているようだと気づいて、私は彼があのもやのようなものをはじいているのだと理解しました。


 何度繰り返したことでしょうか。その死神の布切れのようなものは私たちめがけて突進し、それを何度もアリアくんがどうにかしてはじき返しています。魔術的なアプローチをしていることはわかりますが、いったい何をしているのかはさっぱりわかりません。弾かれる度にそれはムキになったように速度を上げ、突進してくる周期を短くします。


 ゆうに30回を超えたあたりでしょうか。突然、それはこちらに向かってくるのをやめると空間に制止します。諦めたのかな、などと思ったこの時の私は愚かでした。


「っ……」


 それはいきなり10体に増え私たちを取り囲みます。恐怖で声も上げられませんでした。


「っ、分裂したか」


 アリア君の顔も初めてゆがみました。


「やはり物質的なアプローチでは決め手にならないか……?」


 それは初めて人のような形をし、不気味にケラケラと笑うと、またこちらへとやってきます。


 何体もが同時にやってきて、それをアリアくんがすべて一人ではじくものですから、鈍重な音が空間に響き渡ります。


 アリアくんが冷や汗を一筋落とし、腰のポケットに手を伸ばしかけたときでした。


「えっ」

「まずっ──」


 私の立つ場所にいきなりぽっかりと穴が開いたのです。


「きゃぁぁぁああぁぁあああぁぁああ!!!」


 アリアくんはすぐさま手を伸ばしますが、残念なことにその手には届きません。そのまま、私は暗い皆底に突き落とされてしまいました。



 ◇◇◇



 気が付くと、また教室にいました。やはり辺りは暗く、けれど輪郭のみが視認できます。周囲には誰も、アリア君さえもいませんでした。その事実に私は底知れない恐怖と不安を覚えます。


「っ──!」


 嫌な予感がして振り向くと、アリア君と一緒にいたとき一番最初に現れた位置にそれはいました。


「ひっ」


 私は後ろざまにベクトル操作で足に力を籠めます。こんな時に加減なんて言ってられません。窓に向かって一直線、全力で跳躍します。


 私は開かれた窓から校舎を出ると、飼育小屋の屋根に着地しそのまま逃走を図ります。振り向くとそれもすさまじい速度で追ってきました。その形相に、私は今日一番の恐怖を感じます。


「は、あっ、はあっ、はぁっ、あっ」


 体はほとんど酷使していませんが、それでも魔術を全力で使うと疲れてしまうのです。


 風を猛スピードで切ることにより体力も消耗します。そうすれば息の一つも上がってしまうので、すぐに私の体力は限界が見えてきました。


 学園の外には森が広がっています。私は姿を隠すように森に入り、極力音を出さないようにして木陰に隠れました。


「っ、ぁっ、っ、……」


 息を殺して背後を覗きますが、奴の姿は見えません。まだ近くにいるでしょうから見つかる可能性も考えて、すぐに動けるようにしておきたいところ。


 そんな風に考えて深呼吸したとき。一瞬、たった一瞬です。リラックスのために瞼に力を入れていたとか、長く目をつぶっていたとかそんなんじゃありません。周囲300mにやつがいないことを確認して、たった一回瞬きをした瞬間、次に目を開けると、そこには──


「ミツケタ」


 真っ白の顔が私の目の前にありました。


 恐怖を感じるのと同時に危機回避本能で魔術をありったけの力で行使しようとしますが、手遅れです。私の足元が真っ黒になり、コールタールのように粘性を持つと、そこから幾数もの手が私のことをつかみます。


「いやっ!!やめてっ!!いやっ!!」


 悲鳴が森の中に響きます。学校にいても誰もいないけれど、それでも孤独なこの森に入ったことを私は深く後悔しました。呼んでも誰も来ません。


 世界が一気に黒ずみます。輪郭を失い、上も下もなくなりひとえに闇の空間に支配されます。そんな中でヘドロのようなものが辺りに滴り、そこから何本もの人の手が私のほうへと伸びてくるのです。


「やめてよ!!離して!!やだあっ!!」


 いっても聞いてはくれません。奴の本体と思しき顔はつぶれた目でニンマリと笑いながらこちらをじっと見てきます。まるで幸せそうな人を見るように、ほほえましいものを見るように。


「なんでっ!なんでこんなことするの!」


 私は必死に叫びます。しかし、それは何も答えません。


 死体を連想させる血の気のない手は私の服をまさぐり素肌にいやらしく触れてきます。四肢を、手を手で拘束しながら前進をからめとるようにゆっくりと嬲っていきます。


「いやだっ、いやだよぉ……」


 私はついに泣き始めてしまいました。もう誰も助けてくれない。この世界で一人ぼっちのまま死んでいくことを想像して途端に怖くなったのです。今までせき止めてた何かが途端に溢れ出してしまいました。


「いやだっ、たすけて……たすけてよお……」

「助けニ来るハズ内だRO?」

「えっ」


 私は心臓をわしづかみにされた気分でした。女性のような、ひどくかすれた甲高い声で男性のようにそれは語りかけます。


「だってココは君ノ世界なんダ殻?」

「君の世界に誰かが入って之る筈ナイだろU?」

「ヨかった邪ないか、自分の中で死ねて」

「よかったね」

「よかったね」

「よかったね」

「よかったね」

「よかったね」

「よかったね」

「よかったね」

「よかったね」

「よかったね」

「よかったね」

「よかったね」

「よかったね」

「よかったね」

「よかったね」

「……ひぐっ、ママァ……っ! たす、たすけ──」


 その時です。


 バリンと一つ音がしました。


 顔色が変わったようにそれは振り向きます。暗い世界の壁にひびが入っていたのでした。


 バリンともう一つ。


 その音と同時にガラガラと暗い世界の一部が割れて光が差し込みます。その向こうから一つの影が猛然と現れました。


「アリア、くん……?」


 私は暗闇になれた目を細めます。アリアくんは暗闇の世界に飛び込み、息を一つ吸いこむと──


「高貴なる為れの果て、楔打たれた肢体でも、我が愚願を聞き給え」


 無数の手が血相を変えて襲い掛かります。


「死の慟哭、安らかな眠り、忘却の彼方。全てを忘れし哀れな子羊に、救いの光を指し示せ。豊穣と安寧と救済と信仰と清浄を持って願う──清浄の光、エル・イシュルカ!」


 彼は唱えると同時に左手に持った結晶を握り砕きます。


 すると、握り砕いた結晶の中から発光する粒子が沸き上がり、いきなり亡者たちを灰燼やと帰してしまいます。


 シャンデリアやステンドグラスのような綺麗で七色をした光。温度さえ感じられるようなそれに、化け物たちは一斉に総崩れになります。


「いやぁぁあああぁあぁああああっ!!!」


 初めてその顔は大声を出して叫びました。アリア君を中心に膨らむ靄のような光から逃れようと、全力で後方に飛んでいきますが、やがて光に追い付かれると周囲の手同様灰くずのように崩れ落ちていきます。


 私はその光景を垣間見ながら段々と薄れゆく意識の中で、アリアくんに優しく抱きかかえられる夢を見ました。




 ◇◇◇



 目を覚ました時に真っ先に見えたのは見知らぬ天井でした。


「あら、起きた?」


 私が周囲を確認しようとすると白衣を着た先生のような女性が現れます。


「……ここは?」

「学園の保健室よ。何があったか記憶はある?」

「私、黒い靄みたいなのに追いかけられて、それで……」

「よかった、記憶の継続性はあるみたいね」


 その先生は胸をなでおろすと


「──なんでもっと早くに言わなかったの~!」

「いててててっ、痛いです先生!」


 コメカミをげんこつでぐりぐりとされました。


「まったく。あなた、自分が何に襲われたかわかってる?」

「それが皆目見当も……」

「はあ……まあいいわ。この際だからレクチャーしてあげる。しっかりと聞きなさい、いいわね?」

「はい……」


 これは、反省ムードのほうがよさそうです。


「あなたが襲われたのは死霊、人に害をなしたり近くに来た人間に取り憑く《レイス》とよばれるアンデッドよ」

「アンデッド?」

「あなた、最近どこかに行かなかった? 墓地だとか葬式だとか、そういう人の死にかかわるような場所に」

「そんなとこ……あっ」

「……あるのね?」

「入学式の初日に、少し……」

「はぁ……まったく」


 あきれたように先生は肩をすくめます。


「でも! たった数分だけなんです! 本当に三分ぐらい!」

「三分か、微妙なところね。普通は30分とか長時間いないと取りつかれないものだけど、まあそういうこともあるわ。これからは気をつけなさい」

「はい……」


 入学して早々お説教を食らうとは思いませんでした。これはガチへこみです。


「レイスはファントムと同じで特定の場所に縛られた地縛霊よ。ゴーストみたいに自由には闊歩できないの。だから、自分の住処に来た人間に憑りついて、ゆっくりと魂をむしばんでいく。そして、頃合いが来たら貴方が襲われたように一気に仕留めにかかって魂を食い破るの」

「魂を、食い破る……?」

「ええ。レイスは魂を食らうことで生きてる……と言っていいのかしらね。とにかく、人の魂を欲している。だから、憑りつかれた人間は早く対処しないと魂ごとレイスに乗っ取られちゃうの」

「乗っ取られた後はどうなるんですか?」

「どうにもならないわ。狂人になって、やがて廃人になる。そうして死んだら、その人が死んだ場所がまた新たなレイスの住処になるの。そうやって彼らはこの世界を移動して次なる獲物を待つというわけ」


 私、そんなのに襲われてたんだ……


「ナイトメアは取りつかれてからおおよそ13日前後に発症するわ。その間に変なものが見えたり聞こえたりする。これはほかの人に感知できない、行ってしまえば幻覚や幻聴よ。レイス自身も憑りついた人間以外には見えないしね」

「それで、私はどうやって助かったんですか?」

「詳しいことはわからないけど、たぶん願い石を使ったのね」

「願い石?」


 どんどん知らない単語が出てきます。自分の勉強不足を痛感しました。


「願い石は光の精霊を閉じ込めた奇石。宝石みたいなものよ。彼らアンデッドは一様にいびつな魂を持っていて、いびつな魂を前提とした存在だから、その魂を正常な状態にすれば物質的な肉体もろとも瓦解する。願い石は精霊術士じゃない人でも精霊術が使えるようになる救済アイテムなの」

「そんなのがあるんですね……」

「高いわよ~? 何せ一回限りの消耗品だし、精霊をその中に閉じ込めちゃうわけだから、嫌がる精霊も多いしね。市場での流通量なんて知れたものじゃないわよ」

「ち、ちなみにどれくらい?」

「2000リベラ」

「2、2000リベラ!?」

「まあ命に比べたら安いものよ。アリア君に感謝することね」

「……それでアリアくんは今どこに?」

「そこで寝てる」


 先生は静かにカーテンを開けます。


「どうして……」

「あなたを担いでここまで来たみたいなんだけど、だいぶ無理したみたいでね。俺も体調悪いんで休ませてくださいって言って、そのまま寝ちゃった」

「大丈夫なんですか?」

「……まあ、単なる神経疲労だからすぐに起きると思うけど」


 意味深にそう言って、先生は戸棚を開けて私に小さな麻袋を手渡します。


「それじゃあ私は今から治療院のほうに連絡しないといけないから。願い石を使ったから大丈夫だとは思うけど、あなたにレイスの残り香がないかとかいろいろ調べてもらわなきゃいけないから。悪いけど帰宅は遅れるから、そのつもりで」

「わかりました……」

「待ってる時に何かあったらその中にある願い石を使いなさい。間違っても躊躇するんじゃないわよ」

「はい……」

「それじゃあ、行ってくるわね」


 先生はしばらくするとドアを閉め行ってしまいます。


「……」


 アリア君のほうをちょっと見ます。寝込んでいるようですが、苦しそうではありません。私のほうは元から体が丈夫なようで、違和感などは特になさそうです。


 私を助けるために寝込んでしまっているのなら、看病はできなくてもせめて心配ぐらいはしたほうがいいよね?


 布団をまくりあげると、そばに置いてあった私の靴に履き替えてアリア君のそばまで行きます。ベッドの横に椅子が備え付けてありましたから、そこに座らせてもらいましょう。


「──あたたたた……」


 しばらくするとアリアくんが目を覚ましたようで、体を起こしました。すでに夕日がさしていて、保険室はオレンジ色に照らされています。


「頭イッタ……」

「大丈夫?」


 アリア君はぎょっとしたようにこちらを振り向きました。


「あ、ああ、オルブライトか」

「おかげさまで私は何ともないけど、アリア君は大丈夫?」

「ああ、平気だ」

「それならよかった」


 しばしの沈黙が流れます。


「あの、ありがとね」

「……別に、気にすることはない」

「その、願い石っていうのも使ってもらったみたいだし」

「ん、ああ」

「あの……」

「……?」

「親に話して新しいの買ってもらうので、それまで待ってもらえませんか?」


 たぶん額を聞いたら親はびっくりすると思うけど。


「ああ、そのことか。別にいい」

「いや、でも……」

「別にいいよ」

「でも流石に2000リベラは」

「そういうんで使ったんじゃない」

「?」

「俺にはあの時、お前を見捨てる選択肢もあった。そうすれば俺は願い石を使わずに済んだ。けれど、俺は助ける選択をとった。その時点でこの結果は俺が招いたものだ。だったら、その過程で生じるコストも俺が支払うのが道理に違いない」

「……つまり、気にすることはないと?」

「……そういったつもりだったんだが」

「それじゃあ難しくて人には伝わらないよ」

「……そうか」

「ふふっ」

「なんだ」

「ふふふっ」

「なんなんだ」

「いや、アリアくん、面白いなって」

「なんだそれ、嫌みか」

「んーん、ぜんぜん。アリアくん、優しいのに変な言い回しするから」

「……別に、ただあの場で見過ごす選択が取れなかった。ただそれだけだ。俺が好きでやったことだよ。人の利益を考えてやったことじゃない。自己都合だ」

「そっかそっか」

「なんだその目、信じてないのか」

「んーん、信じてるよ」

「……」

「……ありがとね」

「だから──」

「これは、私が感謝したいのっ」


 ちょっと語気強めに言います。


「──そうか……」

「うん、よろし!」



 こうして私たちは先生が返ってくるまで保健室で待って、治療院に行った後、祈祷師の先生にもこっぴどく叱られました。



 ◇◇◇



「あっ、レティ。おはよう」

「おはよう」

「昨日どうしたの? パーティにも来なかったし」

「いきなり窓から飛び出すからびっくりしたよ」

「あはは~、ちょっとね」


 翌日、教室に入るとクラスの女子たちが私を取り囲みます。私、そんなことしてたんだ。レイスに取り憑かれるのは怖いことだと改めて実感します。私、本当に危なかったんだな。


「めちゃくちゃ速かったよね、魔術得意なの?」

「いや~、私そんなに勉強得意じゃないから〜……」

「そういえばアリアとなんかあったっぽいけど、何かされた?」

「んーん、アリアくんは何も悪くはないよ」

「っていうか、レティが飛び出していったときアリアも追っかけてったけど、あれ絶対飛んでたよね?」

「あ、だよねー。見間違いかと思ったけど、あれ絶対飛んでたよねー」

「凡人には想像つかん領域だわー」

「あははははっ」

「あはは……あっ、ジョセフくん!」

「ああ、オルブライトさん……」

「ごめんね、昨日。ちょっと急にいけなくなっちゃって」

「ああ、別にいいよ……」

「今度埋め合わせするから、またね!」

「ああ、楽しみにしておくよ……」


「アリアくん、おはよ!」


 私は元気いっぱいアリア君にあいさつします。


「……おはよう」

「えへへ~」

「……なんだ」

「んーん、なにも?」

「……」


 今日も忙しい一日が始まりそうです。


「……」

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