第十四話:プラスチックの夜景

 視界が反転する。

 コッコはマータを抱え、背中に俺を取り付かせて、高層ビルの谷間へ落下していく。煌々と光るビルの窓々が、視界の下を高速で通り過ぎていく。


「コッコ! 生きてるか!」


 風の音に負けないくらいにスピーカーのボリュームを上げて、俺はコッコに問う。

 ホテル・ウィクトーアめ。爆薬で自分達のレストランごと吹き飛ばすとは。キョンシー達はともかく、奴らが『資産』を犠牲にしてまで異常存在イレギュラーを仕留めようとするとは想定外だった。


 しかも使ったのは燃料気化爆薬だ。固体状態の爆薬を一気に気化させて爆鳴気を作り、これ爆燃させることで猛温と衝撃波を発生させる。

 通常の爆薬と違うのは、爆鳴気が爆燃するにあたり、効果域の酸素を消費して真空状態を作ってしまうという点だ。

 異能者イレギュラーのフォースフィールドは運動エネルギーによる攻撃に対しては強いが、化学エネルギーや熱エネルギーへの防御には隙がある。通常兵器とはいえ、アレをまともに食らったら深刻なダメージを受ける可能性があった。


「大丈夫! ギリギリで跳ね返した!」


 コッコは軽やかに返答し、黄昏のレンガ道イエローブリックロードを展開。空中に螺旋状にレンガを並べて道を作り出し、脚部の拍車で滑走し、落下の勢いをやわらげる。

 さらに、レンガを踏みきって跳躍。その軌道の先にレンガの壁を展開し、またその壁を蹴って加速していく。


 レストランが爆発した、その瞬間。爆発の衝撃波が来ると同時にコッコはフォース・バーストを使用して、ダメージを相殺していた。

 これはタイミングを間違えると逆に大ダメージを受ける危険なカウンターだ。バーストを出すのが早すぎては、フィールドが無くなった状態で爆発を受けることになるし、遅すぎてはバーストを狙う意味がない。


 コッコはあの状況で『自分から』動いて窓に向かっていた。そうすることで、自分のタイミングで爆薬を『起爆させる』ことに成功していた。もしこの判断がミスっていたら、今頃俺達はあのレストランで蒸し焼きにされていたことだろう。

 

「なんで!? ホテルの人が護ってくれるんじゃなかったの!?」


 しかしマータは。この状況に思考が追いついていない。

 コッコの腕に抱えられたまま、ただひたすら混乱していた。


「事情が変わったんだ! マータちゃんはストームルーラーを破壊し、その異常性に感染していた! マリカさんの狙いはマータちゃんそのものに切り替わっていた!」

「そんな! マータには、そんなすごい力なんて……!」

「そうだ! ない! 今はまだな! だがいずれ目覚めるかも知れない! そうなれば、マータ自身がクラスⅢの異常存在イレギュラーだ! 制御可能かどうかも分からない危険な存在になる!」


 コッコと、俺で。端的にでも説明はする。しかし飲み込めるかどうかは分からない。今はそのように、じっくり説明して理解を待てるような状況ではない。

 事実。追っ手はすぐに追いついていた。


「その通り。マータさん。貴女は危険です」


 金色のレンガを飛び回るコッコに向かって、キョンシーが落ちてくる。

 ビルの屋上から、次々と。それらはそれぞれにエーテリウムの武器を携えていて、中には大きなラジカセを背負っているキョンシーもいた。

 ラジカセのスピーカーから、マリカの声が響いてくる。


「言った通り、マータさんはクラスⅢの異常存在イレギュラー。この都市にとって危険すぎる存在です」


 コッコは飛び掛かるキョンシーを躱して、ビルの壁面を走る。そのビルの窓からも、キョンシーが窓ガラスを突き破り飛び出してくる。咄嗟にキョンシーの背中を蹴飛ばして跳び、ビルのネオン看板を潰しながら拍車で駆けあがる。


「ですが。私たちは企業です。ハイドラ教会のように異常存在をただ破壊したり、ヤシオリ財団のように封印することを目的とはしていません。マータさん。あなたさえ協力していただければ、自由を与えることもできます」

「自由? それを信じるとでも! このキョンシーだって『自由』な選択の結果じゃないか!」


 金融会社の看板を蹴飛ばして反転。コッコはさらに追いすがるキョンシーに、足の裏で蹴りを浴びせる。

 そのまま。旋回用のピックをキョンシーに打ち込み、吹き飛ばした。


「ええ。彼らは自由です。自由に窮し、自由に債権を背負い、自由に死後を捧げました。それが我々企業体連合リヴァイアサンの理念です」

「話に! ならない!」


 地上からコッコを追うキョンシー。

 その一体が一層深く身体のバネを溜め、跳躍する。

 既に死体である彼らは、体内の血流を自在に操作することができる。つまり、一度下半身にためた血液を、一気に頭にまで送ることで重心を動かし、より高く跳躍することができるのだ。

 さらに。空中でも血流を操作することで重心を動かし姿勢制御を行い、安定した状態で近接戦闘を仕掛けることもできる。

 

「でも。いちいち付き合ってられないよ!」


 そんなジャンプも姿勢制御も、対象まで届かなくては意味がない。

 コッコはエーテリウムの着光を消した状態で黄昏のレンガ道イエローブリックロードを展開し、キョンシーの軌道上に配置した。

 キョンシーたちは見えないブロックに頭をぶつけ、失速し失墜する。

 空中に突如現れる『当たり判定』だけ存在する不可視のブロックに、キョンシーたちは対処できない。


 マリカの操るキョンシーは、エーテリウムの武器こそ備えているが、異能者イレギュラーではないし、フォースフィールドも持っていない。技能スキルを組み込んで身体能力を上げる事はできるが、知能そのものは低下している。

 現在もマリカによって貼り付けたらたお札に組み込まれた『命令』を実行しているだけだ。


 しかし。それでも。数だけは多い。

 この都市にはいくらでも、ホテル・ウィクトーリアに『奉仕』するキョンシーがいるのだ。


「コッコ! 霊力を使いすぎだ! 出力が落ちてるぞ!」

「そうは言っても……この状況ではどこに逃げたら良いか……!」


 既に地下鉄駅ステーションはホテル・ウィクトーリアの手が回っているだろう。そうなると、コッコが都市から脱出する手段はない。異能アーツ霊子外骨格アーキタイプの力でなんとかしのげているが、それを動かすためのコッコの霊力フォースには限界がある。


 喉が渇く。

 水分を欲しているわけではなく、不足した霊力フォースを補給するために『水』を求めている。回復薬オチミズが必要だったが、流石に回復を許すほどキョンシー達は甘くない。

 

 気付けばキョンシー達は、コッコ達を近接攻撃で襲うのは止めている。追跡は続けながらも、間合いを空けた監視に切り替えている。向こうもこちらの消耗には気付いているらしく、さらに二重、三重に包囲を重ねていた。 


「……ココねー。もういいよ」

「マータちゃん……?」


 マータの声に、コッコは足を止めた。

 キョンシーたちも、動きを止める。

 無関係な野次馬が、不穏な空気を感じながらも、遠巻きに見物している。


「マータが出ていけば、もう話は終わるんでしょう? もういいよ。ココねーは十分。護ってくれたよ。だから、マータなんかのために……これ以上……」

「嫌だ」

「いや、その、だって今ココねーピンチだし、死んじゃうよこれじゃ……」

「嫌だ」

「ねえ。ココねー離してよ。マータはここでいいから……」

「ボクは。嫌だ」


 一層強く、コッコはマータを抱きとめる。抱きしめる。

 逃がさないように。

 あるいは、しがみつくように。


「ココねーが騎士だから? そうだから、マータを離せないって決まりになるの?」

「それもある。先生が言っていた。『騎士たる者、護るべき者を手放すべからず』と。一度そう決めたのなら、最後まで護り切らないといけない」

「なら……」

「それだけじゃない」


 コッコは首を傾げて、マータに笑いかける。

 まるっきり、にっこりとした。それこそひまわりの花のような、本当に無防備な笑顔だった。


「せっかくのデートなのに。『他の人がいい』だなんて寂しいこと言わないでよ」

「……えっ、いや、別にそんな意味じゃ……」

「ボクは。マータちゃんと。もっと『お散歩』を楽しみたいな。こんなのは『トラブル』の内にも入らない。目にゴミが入ったとか、深爪しすぎちゃったってくらいのことさ」


 なあんにも。

 心配することも、気を使うことも、無い。と。

 

「ココねー……」


 マータは。

 そのコッコの笑顔に当てられて。

 

「わかった。それじゃあ……マータは、今度は運河の方に行きたいな」


 コッコと同じように。笑った。


「運河だね! 任せて!」


 再び、拍車が回転し、加速。レンガを作って踏み越えて、キョンシーや野次馬の群衆をコッコは飛び越えていく。

 目指すは、都市のあちこちを流れる運河。商業区においても、それを探すのにさほど苦労はない。


「ココねー! これ持ってて!」


 マータは。コッコのコートのポケットに「何か」を突っ込んだ。


「それで、運河の中に飛び込んで!」


 言うが早いか、コッコはブロックを蹴飛ばして、運河に向かって真っすぐ落下した。

 そこへ落ちながら、マータは両足をぴったりと揃えて、足の刺青に組み込まれた技能スキルを起動させる。

 異層空間を通じて、鏡合わせになっていたマータの『足』と『尾ビレ』が入れ替わり、マータの下半身が変化する。より正確に言うなら『本来の姿』に戻る。

 

「運河に? まさか!」


 マリカはキョンシー達に命令し、キョンシー達にコッコを襲わせる。

 しかし。ここでコッコが再びフォース・バーストを発動。飛び込んで来たキョンシーどもを、霊力フォースの衝撃波で吹き飛ばした。


 そのまま、二人と一匹は運河に飛び込む。


 二月の運河の水はまだ冷たく、そして暗い。

 しかしマータは知っていた。この都市の地下に、古い都市が眠っている。九朧城と同じように、商業区もまた古い都市の遺跡の上に築かれているのだ。

 そして運河は。より細かい地下水路となって都市の地下を流れている。

 マータは水中でコッコを抱え『耳』を凝らし、闇の中を泳いで進んでいく。


 だが。


「やはり、ここだったな」


 その地下の。旧市街へ繋がる水路の中で。

 サメ男が。港湾労働者組合局長。トニー・ジャオが。二人を。待ち構えていたのだ。

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