第三話:集金係の八つの手

 あっけないほど小さな音だった。

 マータが小柄だったのか、想像以上にマーケットが賑やかだったのか、彼女が海に落ちた音に振り返る者は誰もいなかった。

 あるいは、無用な関わり合いを避けるのがこの場所の流儀なのか。


「……撃ったんだ」


 コッコもまた、タコ男の方に注意を向けている。

 追撃を警戒していた。


「ええ。ええ。残念ですね。もっと組合費を納めていれば、撃たれずに済んだかもしれないのに」


 タコ男はたいして悪びれる様子も無く、肩をすくめた。

 身体を開き、一見隙だらけの状態で立っている。それでいて、戦闘態勢を崩していない。コッコに気を配り、次の動きをねっとりと観察している。


「どうして……」

「貴女が気に病むことではありませんよ。野良犬がいたから駆除をしただけです。組合費を回収できないのは遺憾ですが、損失はそれきりですから」

「彼女は、犬じゃない」

「正式なIDを持たぬ不法滞在者ですよ? 騎士様。貴女が救うべき『正しい者』など、この都市まちには一人もいなかったのですよ」

「……わかった。もういい」


 噛み合わない会話。

 コッコは振り返らず、海に落ちたマータに声をかける。


「ごめん。お嬢さんマドモアゼル。すぐには助けられない。ちょっと待ってて」

「ぷはっ! ……え? なんで? マータ、撃たれてなかった?」


 マータが。バシャバシャと音を立てて、浮かんできた。

 生きている。油で汚れた海だったが、負傷はない。彼女自身、自分の胸に手を当てて驚いているが、服には穴一つ空いていない。

  

「咄嗟にフォースフィールドで防御を? いいや、距離や角度からして有り得ない。防御系技能スキルを何か持っていると考えるべきでしょうね……」


 タコ男の分析。そして状況判断。

 マータが生きているなら、処理をしなければならない。それをコッコが妨害するというのならば、コッコもまた排除対象になる。


「では防御を許さぬほどの弾幕を張るまで!」


 タコ男は、自身の霊子外骨格アーキタイプの透明化偽装を解き、着光する。

 LW-08 OCTAVIA 。背部に八本のフレキシブルアームを備えた霊子外骨格アーキタイプ。LW-02 LITTLE BEARの改良発展型として開発されたが、八本のアームを同時に動かすにはそれなりの技量が必要とされ、使用者はごく限られている。

 フレキシブルアームはパワーも可動域も大きいが、タコ男はこのアームの先端にプラズマガンを接続し、『戦列歩兵型』の霊子外骨格アーキタイプに改造している。


 その八門のプラズマガンが一斉にコッコに向けられ、矢継ぎ早に光条が放たれる。

 狙いは正確ではない。だがそれ故に散布範囲が広く、回避が困難になっていた。


黄昏のレンガ道イエローブリックロード!」 


 コッコは両手を地につけて、その手に霊力フォースを走らせる。

 それに応えて、霊子エーテルがエーテリウムに変化し、金色のブロック状に形成され、次々とその場に積みあがっていく。その展開スピードはかなり早く、タコ男の放ったプラズマが届く頃には完全な『壁』となり、プラズマをすっかり遮蔽してしまった。


「ほう! プラズマを防ぐ障壁! 電磁装甲ですかな? なかなか良い能力ですね!」


 タコ男は感嘆の声を上げる。

 元より、熱エネルギーの塊であるプラズマはフォースフィールドのみでは防御が難しい。それを補う目的で、エーテリウムの『盾』を形成する技能スキルもいくつかある。しかし、これほど展開スピードが早く、かつ強固なモノは使い手が限られるハズだった。


「ぐぬぬ……!」


 しかし。コッコは障壁を出したきり、プラズマを防ぐばかりでその場から移動する様子はない。障壁の力に減衰は無いが、それ以上のことはなく状況が動かない。

 おそらく。コッコの出した障壁は展開は速くても、移動能力は無いか非常に遅い。そうタコ男は判断した。


「なかなかの障壁ですねえ。これは骨が折れます」


 ならばいずれ、コッコは自分で遮蔽から飛び出してくる。

 タコ男はそれを見越し、エネルギー切れを装って一旦プラズマの連射を止めた。


 沈黙。しかしそれも一瞬。

 次の瞬間、金色の障壁を飛び越え、コッコは上空からタコ男を強襲する。


 それを見たタコ男は、顎の触手をゆがめて笑みを浮かべた。空中の相手を捉えるのは容易い。霊子外骨格アーキタイプに組み込まれた火器管制システムFCSで、簡単に動きを予測できてしまう。左右に出てこられるより対処は簡単だった。

 

 すぐさまプラズマガンがコッコを捉え、光条を放つ。


 しかし、コッコは空中でその軌道を変えた。

 空中に、金色のブロックを一つだけ出して。それを蹴飛ばして角度を変えたのだ。


「馬鹿な!?」

 

 空を裂くプラズマを見て、タコ男は驚愕する。 

 コッコの蹴っていたブロックは、地面に設置していたわけでも、フォースフィールドで支えていたわけでもなかった。コッコにはブロックを『空中に固定できる』能力があるのだ。


 空中に固定。何気ないことだが、それは通常の技能スキルで可能な事象ではない。重力や慣性やその他物理法則を乗り越えた上で成立する異能アーツだ。

 異能者イレギュラーは、しばしば技能スキルで再現することが不可能な異能アーツに目覚めることがある。

 コッコにとっては、ブロックを空中のとある座標に固定する黄昏のレンガ道イエローブリックロードこそが、それだった。


 タコ男はそれに気付いて、コッコの移動先を狙おうとするが、そこにもブロックがある。コッコはそれを蹴っている。姿が消えている。

 こうなれば火器管制システムFCSによる軌道予測は用を成さない。タコ男はシステムを銃剣バヨネットモードに切り替えた。


 八門のプラズマガンが、銃口からそれぞれにプラズマの刃を伸ばす。フレキシブルアームの可動域とスピードでそれらを振り回す近接戦闘形態だ。例え射撃ができなくても、プラズマの刃が乱舞するこの『面』を突破することは困難だ。


「今度は四本カトル四本カトル八本ユイットゥか。問題ない」


 それでもコッコは動じない。

 不規則な動きで高速で振り回されるアームを、一本ずつ蹴りで撃ち落とす。

 柔軟性のある中復ではなく、プラズマガンの接続部である先端を的確に狙い、踵の拍車でこれを撃ち砕く。


 襲い来るアームを、ブロックを蹴り飛ばして空中で回避。プラズマの刃を、ブロックを出現させて電磁力で防御。時にアーム同士を接触させてかく乱させつつ、八本のプラズマガンを残らず破壊してしまう。


「ば、馬鹿な!」


 タコ男はコッコの動きに対応できない。混乱する。恐慌する。

 そうして、刃の無くなったアームを振り回してコッコを探すが、捉えられない。


 コッコはすれ違うように、タコ男の背後に回り込んでいた。

 左足のピックを桟橋に突き刺し、急停止。右足の拍車はそのまま加速を続け、その場で鋭く旋回する。

 そして。その勢いを利用して、右の拳をタコ男に叩きこむ。


「メガトンパンチ!」


 タコ男は。右ストレートで吹き飛ばされ、桟橋から落とされてしまった。

 今度は、やたら大げさな音と水しぶきで。これには貧民街の住民も、振り返って目を向けるほどだった。


「助けるのが遅れてごめん。怪我はない?」

 

 そしてコッコは、タコ男を吹き飛ばした後は、すぐに桟橋の反対側、マータが落ちた方へ向かっていった。

 マータは律儀にもコッコを待っていて、桟橋の下からコッコを見守っていたようだった。

 そんなマータへ、コッコが手を伸ばす。


「うん。マータは。大丈夫。でもちょっとビックリしちゃって……」


 マータがコッコの手を取り、コッコがマータの身体を引き揚げる。

 霊子外骨格アーキタイプの強化が無くても、マータの身体は軽い。コッコは半分ほど引き揚げてからマータの脇の下に手を通し、抱きかかえるようにしてさらに持ち上げた。


「足が、変身解けちゃったけど……」


 だが、マータの腰から下は、黒と白の皮膚で滑らかに覆われた、尾びれと化していた。

 月精人ディアナ鯱族オルカ

 通称。人魚族。

 それがマータの種族であり、素性だった。

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