混沌に染まる
式 神楽
幕開け
第1話 世界を渡る
時は戦国、騒乱の世。人を喰らう邪悪な鬼がいたそうな。森に林に井戸に隙間と、闇在るところに鬼が在り。人は夜を恐れ、暗きに怯えた暗黒の時代。
人が消えることなどしばしば、悲鳴が無い日などあっただろうか。人喰い鬼の恐怖を忘れるために戦をする、なんて冗談とは言い切れない。
そんな世の中、鬼退治をする一人の武士があったとさ。
人喰いの鬼を狩る唯一の男、彼はいつの日からか「
「今宵も月は綺麗よのう…」
深みの増した声が虚空に溶けていく。人間五十年と言われた戦乱の世、八十と余年を過ぎた老体に今日も鞭打つ。光を見るのもこれが最後か、万といた鬼の悪群れも残り一つ。
鬼の総大将、名を「
「お主、鬼喰いか。くはははっ!我に一人で挑うとは!匹夫の勇とはまさにお主を指すのだろうなぁ。」
鋭い牙を見せ笑う、灰屍の覇気が全身を刺して震わせた。立ち上がる六尺を超える程の体長が見下ろす。赤黒く妖しく光る眼が鋭く睨む。
「我が名、獄龍寺一龍齋!貴様の首を頂戴する…っ!」
「我が名、灰屍、来るがいい老骨がぁ!血肉臓物撒き散らしてくれようぞぉ!!」
高らかな笑い声が夜の森に響く。鉄をも容易に貫く爪と、無銘の刀が激しく火花を上げた。
人に頼まれたから、人が困っているから、人が嘆き死んでいくから。なんて崇高な理由で鬼退治をしてきたわけじゃあない。本能のままに強く、鋭く在りたいと願った。目の前で狂気的な笑顔を見せる鬼と変わらない。ただ只管に命を削る戦闘を求む。
三日三晩、死闘は続いたそうな。後に伝わる話によれば、両腕片目を失いながらの鬼喰いの辛勝に終わる。人の世を救い英雄となった一龍齋は翌年に天命を全うしたと。
命を削り合った友である大鬼灰屍の心臓を用い、稀代の名工に鍛えさせた刀が伝説を廃れさせないようによ後世へと残された。それは今も尚、「鬼喰い」一龍齋の墓が立つ獄龍寺に存在している。
獄龍寺 【灰屍】より抜粋
「で、それがその?」
「名刀・灰屍…世界最高峰の刀だ。」
鞘を僅かに滑らせる、触れずとも全てを切り裂いてしまうような刀身が光る。刀だというのに発している、ビリビリ肌を刺激する殺気は本物以上の代物だ。
「ちょっと、抜かないでよ…」
完全に鞘を出た刀に後退する彼女は、三歳からもう十五年の付き合いになる幼馴染の
「いいだろ、俺が受け継いだものだ。」
灰屍を正式に受け継ぐ資格を持つ者は、獄龍寺の正当後継者であり且つ剣の達人である必要がある。何百年と移り変わって来た中、五代目となる灰屍の継承者。
半着に袴で抜き身を見詰める、五代目「鬼喰い」獄龍寺
「そうじゃなくてさ、何というか怖いんだよねその刀。寒気も冷えてくみたいで…」
夏だというのに暑さを感じない。鳥肌を抑えるように腕を抱いたさくらは構えたまま動く気配のない龍馬に声をかける。しかし、既に集中状態にある彼に言葉は届かない。
クンッと切先を上げ、流麗な動作で鞘に戻した。思わず目が奪われてしまう動きを、瞬きを忘れた桜が乾いた喉を唾液で潤す。
居合腰に落とし、鯉口を切る。柄に手をかけた、瞬間音を切る。手も腰もあまりに早い動きはまるで、消えたように認識を外れて目に映らない。
遅れてやって来た風が桜の全身を撫でた。美しい、ただ一言こぼれた声が道場に響く。神速の抜刀を静かな納刀で終えた龍馬が、流れ出た汗を拭う。
暑さを増した昼下がり、獄龍寺の敷地にないにある道場には龍馬と桜の二人だけ。もはや兄弟の様な関係になってしまった両者、上を半裸に汗を拭う彼を異性の目で見てしまうのを必死に隠す。
齢も今年で十八の立派な思春期だ。不本意ながら彼の顔は非常に整っていると思う、それに学校で他の女に言い寄られる彼を見て嫉妬してしまう自分もいる。
「あの、さ。次の日曜日なんだけど。」
「買い物なら断るぞ、稽古がある。」
今までの十五年、事あるごとに買い物だと称して連れ出したからだろうか、あっさりと断られてしまった。しかし、今日の誘いは今までとは違う。
「えっと…違くてさ、その。」
「あー…分かった。昼前には切り上げる。」
言葉に詰まった桜を見かねて遮り答える。少しだけ悔しい。こういうことには鋭い彼だ、おそそらく意図を感じ取っているだろう。モテる男は鈍感を基本装備しているというのに、気持ちが伝わっていることに恥ずかしさが増す。
気まずい空気が場を飲んだ。なんとか静寂を切るように言葉を探すが、隣に正座する彼を意識し鼓動が早くなる。
「あ、暑いね…」
彼の額に流れる汗を見て言葉を継ぐ、思わずごく自然にその汗をハンカチで拭ってしまう。十五年間の賜物か無意識の世話がついて出る。気恥ずかしさを紛らわすように道場の中心へと歩いて行ったが、別段ない。
「龍馬、あのさ!」
そう言って振り返ると、目を見開いて立ち上がった彼がこちらに手を伸ばしていた。珍しく慌てた顔に驚くが下からの眩い光に目を覆う。突然のことに足が動かない、しかし必死に伸ばされた手に縋りつく。
「桜ぁ…っ!」
塗り潰されて途絶える意識、記憶の最後に彼の言葉が小さく響いた。指に残る温度を離さないように、激しい光に飲まれていった。
「どうか、目をお覚ましください。」
綺麗な声だ。混濁する意識を覚ます透き通る声。床の冷たさと石のような固さが寝転んだ全身に伝わってくる。道場の床のはずがない、ここは何処だ。未だはっきりとしない状況の中でも手にはしかと刀を握っている。
「んぅ…」
隣の彼女も目を覚ましたのだろうか、寝ぼけた声で眼を擦る。目を開ける、薄暗い空間に最初に見えるのは無機質な石の天井。飛び起こした身体に倦怠感はあまりない。素早く柄に手をかける、目の前僅かな距離に一人と全方位を囲む甲冑を来た人間の群れ。
龍馬が警戒態勢を取ったことに反応し、手に持った長物を向ける。
「下げなさい。」
しかし、それらの兵士は目の前の少女の一言に武器を下ろした。塗り重ねたものでは無い金色の髪は腰まで伸び、宝石の細工が施された服に身を包む彼女は一目で高貴な者だと分かる。
「りょう、ま…?」
背中に手をかけ起きるのを手伝ってやる、頭や身体を打っているわけではなさそうだ。小さく欠伸をした彼女の頬を何度か軽く叩いて覚醒させる。
「突然のこと、さぞ驚かれていることでしょう…しかしどうかお許しを。」
深く頭を下げた少女は申し訳なさでいっぱいといった顔を見せた。
「えっと、いきなりで何が何だか分からないけれど、とりあえず頭を上げてください!」
彼女の高貴さを少しでも感じ取ったのだろう、桜の性分として自分より立場や身分が上の人に頭を下げられるとむず痒くなってしまう。
「ありがとうございます。申し遅れました、私はミルバーナ王国第一王女、レティシア・ユルート・ミルバーナ、レティシアとお呼びください。」
「お、王女様!?」
顔を上げた彼女はそう名乗る、微笑んだ顔はまるで女神の様だったと桜が後に語る。王女と聞き姿勢をた正す、頭を下げようとした桜を彼女が慌てて制すると、決意に満ちた表情で言葉を継いだ。
「サクラ様どうかこの国を、この世界をお救いください!」
意識を取り戻して僅か数分、理解不能な言葉が二人の頭に響き渡った。
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