背後をとられるとは不覚ですわ!
キャロラインに呼び出されて対面した日から5日ほど経過した。
依然として領内の情勢は悪いまま。私がスラム内で焼き芋を売り歩こうとすれば、それ目的で強盗を働こうとする乱暴者に殴られそうになった。その時は側にいた住民が庇ってくれ、マフィアのおっちゃんたちが乱暴者を引っ立ててくれたので怪我は負わなかったが、そのうちいつか有り金全てスられちゃうかもなと危機感を抱くようになった。
あの日無言でスラムまで送ってくれたヴィックは忙しいのかここ数日会っていない。どうやら彼は忙しくてバタついているようなのだ。何をしているかは彼に教えてもらってないけど……スラムの一部の男性陣がなにかの集まりに出かけたり、市民たちが訳ありげに密談する姿を見かければ何かを察するってものだ。
……今までとは少し異なる空気を感じ取れた。──恐らくヴィックは、自分の利害と一致する人に呼びかけて、数を集めようとしているのだ。
大丈夫なのだろうか。誰かが領主にチクってヴィックが捕まったりしないだろうかと不安に思っていたが、ここで私が止めてもきっと彼は止まらない。
娘が王子の婚約者になったのだと浮かれ、油断している愚かな領主。サザランド伯爵に並々ならぬ憎悪を抱いたヴィック──…エーゲシュトランド公国・ヴィクトル公子は国を奪われたその復讐を仕掛けようとしている。領主に不満を持つ大勢の市民を扇動して、革命を起こそうとしているのだ。
火種だったそれは周りに延焼して行き、どんどん燃え広がっていく。私はその光景をただ黙って眺めているしか出来なかった。
……レ・ミゼラブルのような悲劇がこの地で起きてしまうのだろうか。以前、「スラムに被害が加わるなら憲兵に突き出すから」とヴィックに言ったことがあるが、もうそんなことしようとは思わなくなった。──今となってはヴィックが希望なのだ。
このままでは平民たちが潰れてしまう。もう限界のギリギリを超えているのだ。誰かが動かなくては何も変わらない。
そのためには血を流してもいい覚悟で彼らは動き始めたのだ。
きな臭くなり始めた周りを気にしないふりをして、私は普段どおりの生活を送る。焼き芋を売って、売上金で食料を買い求める。余ったお金は家のために使う。言うなればその日暮らしのような生活。仮に世の中が変わっても私は変わらないような気がする。
私よりもヴィックは大丈夫だろうか。
革命の失敗は死を意味する。そうなれば彼は奪われた公国を立て直すことができなくなる。
しかし仮に革命成功したとして、それはこの領地に限られる。国全体を相手取るには分が悪いと思うのだ。そうなれば秘密裏に処されるのではないだろうか…
ヴィックのことだからその後のことも考えているだろうが、相手は国だ。うまくことが運ぶとは思えない。……ヴィックが処刑なんて考えたくないが、もしもそんな状況に陥ったら、私はヴィックを助け出せるだろうか。
私は考え事をしながら歩いていた。
今日の労働は終わったし、売上金もうちの床下収納にしっかり隠している。今日のところはもう用事もないし、森に出向いて野うさぎでも狩ろうかと思いついた。
神経を研ぎ澄ませれば、今の落ち着かない気持ちも少しは落ち着くかもしれない。大変なのはヴィックなのだ。私が落ち着かなくてどうする。愛用のスリングショットをぐっと握ると、勇み足で森まで駆けていこうとして……
何者かに背後をとられ、お腹を力いっぱい殴られて気を失ってしまったのだ。
□■□
──ぴちゃり、と水滴が落ちる音で目がさめた。ひんやりジメジメしていて、どこからか苔のような匂いが漂ってくる。
重いまぶたを持ち上げると広がるのは真っ暗な世界。夜中かと思ったけどそうじゃない。光が差し込まない場所に私は転がっていた。……私が転がっていたのは土の上じゃない。これはレンガのような感触。起き上がるとズキリと腹部が痛んだ。
あたりを見渡して私は呆然とした。
ここは、どこだ? 私は確か、森に狩りに行こうと思って移動していたはず……
それなのに見覚えのない場所に転がされ……いわゆる牢屋みたいな場所に入れられているではないか。……人身売買組織に捕まったとか? だけどそれにしては人が自分しかいない。
私は手探りで牢屋の鉄格子に手をかける。扉みたいな部分を押したり引いたりするけど、鍵がかけられている。
どういうことだ? ……もしかして、革命に動いているのがバレて、私が協力者だと思われているとか? それともヴィックの人質として拉致されたとか…
今の状況に至った可能性を考え込んでいると、どこからかカツン、カツンと踵の硬い靴が地面を鳴らす音が聞こえてきた。
「──目が覚めたかしら?」
ランプ明りに灯された真っ白い顔を見た瞬間私は顔をしかめた。
あぁ、この女だったか。私は妙に納得してしまった。訳のわからないことを言ってヴィックを激怒させたってのに懲りずに私を拉致したの…
自称乙女ゲームの悪役令嬢のキャロラインは牢屋に入った私を上から見下すように冷たい眼差しを向けてきた。
「知らないふりして実は知ってたんでしょう? 彼が隠し攻略対象だって」
まだその設定引っ張ってるの。
だからこないだも言ったでしょ。そんなの知らないって。
「知らないよ」
確かに私は前世日本人の女子大生だった記憶をうっすら持っている。だけどあんたの言う乙女ゲームとやらは全く知らないのだ。そもそも乙女ゲームとやらの性質をいまいちよくわかっていない。
私は今一度否定してあげたが、キャロラインは聞く耳を持たないようだ。
「こうなったのはあんたのせいだわ。あんたがいたからうまく行かなかった」
何故ここまでヴィックに執着するのであろう。
二次元に恋をする人が居るのは知っているが、二次元と現実は違うだろう。確かにヴィックは着飾ればお伽噺の王子様みたいにも見えるけど……実際に交流したわけでもない相手にそこまで執着するものか? 私は二次元に執着したことがないからよくわからない。
それに……キャロラインは重要なことを未だに認識できずにいる。
「…仮に私がいなかったとしても、ヴィックはあんたのことを好きにはならなかったと思うよ」
あんたは仇の娘。ヴィックは家族を国を全てを奪われたんだ。彼はあんたの父親に復讐するべく単身乗り込んできたんだから。
そこに私がいなかったとしても、あんたを好きになるのは難しいと思う。あの頃の荒れたヴィックを知らないからそんな夢見たことを言えるんだ。
「出会った頃のヴィックは、とにかく荒れていたんだよ。誰も人を近づけようとしない、誰も信じようとしない……そんな状態で仇の娘が寄ってきたら……殺すに決まってる…ぐっ!」
私の口を封じたいのか、鉄格子の隙間から腕を突っ込んできたキャロラインが胸ぐらを掴んできた。構えていなかった私の身体は鉄格子にぶつかった。顔や胸元が鉄格子に押し付けられた圧迫感に息を呑む。
「私だって好きでキャロラインになったわけじゃない…! 私は好きな人と結ばれずに好きでもない男と結婚しなきゃいけないのよ…!」
ランプ明りがある程度の明るさなので、キャロラインの表情は鮮明には伝わらなかったが、声からして苦しい顔をしているのだけは察した。
でも、私には同情できなかった。
「…いままでぬくぬく育ってきたんだからそのくらい我慢しなさいよ」
それは私の本音だ。
貴族令嬢として衣食住に困らない生活をしていたこの女の言葉はワガママにしか聞こえなかったのだ。
私達庶民が、スラムの住民がどれだけ苦しんで木の根を噛む生活をして野垂れ死んでいるのか知らないからそんなワガママを言えるんだろう…!
「婚約者は第2王子でしょ? お得意のお色気で誑かしたって評判ですよ。前の婚約者よりも身分が高いしお金も持ってそうですもんね。人生勝ち組じゃないですか。何が不満なんですか」
「私はっヴィクトル様と結ばれる未来を思い描いていたの…!」
この期に及んでまだ言うか…!
あんたは自分の立場を鑑みろ! ヴィックはひどく傷つけられたんだぞ!
他人同士のことなのに私まで腹が立って仕方がなかった。
「どの口が言う! ヴィックの国をめちゃくちゃにしたのはあんたたちだ! 父親のしていることを止めなかったあんたも共犯のようなものなんだ!」
親の咎は子どもには及ばないとはいうが、それは被害者であるヴィックには関係ないのだ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってやつである。
「う、うるさいうるさいうるさい!!」
悲鳴のような怒鳴り声を上げたキャロラインは頭を抱え込んでしゃがんでいた。
泣きたいようだが、こっちも泣きたい。自分が被害者と思っているんだろうが、それはとんだ思い違いだ。
……あんたは人の不幸を吸って生きているんだ。
ねぇその胸元のネックレスは誰のものだか知っているんでしょう? ヴィックのお母さんがつけていたものなんだよ。
何を思ってそれを身に着けているの。そんなことしてもヴィックの怒りを煽るだけなのに。
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