あなたに従うなんてゴメンですわ!


 サザランドの使いだという女から命令のような言い方で馬車に乗せられて連れてこられたのは、サザランド伯爵の屋敷だ。遠目で何度か見たことあるけど立派な屋敷だ。維持費にかなりお金かかりそうである。雨風が凌げば僥倖といったスラムの住民としては世界が全く違う。身分に天と地ほどの差があるのがわかっているのに、こうも違うと見えているだけで腹が立ってくるのは何故なのか。

 無言で考え込んでいると、キッと馬車が揺れて停まる。


「降りなさい」


 冷たく指示された私は同乗してきたヴィックと目を合わせ、示し合わせたかのように降りた。


「──こちらへ」


 敷地内に停められた馬車から降りると、そのまま屋敷内へ誘導された。開かれた扉の向こうはもう異世界も同然。よくわからない高そうな美術品で飾られた空間が広がっていた。


「娘はこちらへ。連れのものはこちらで待機するように」

「リゼットに何をするつもりだ」


 私と引き離されそうになったヴィックが警戒してメイドを睨みつける。その目が気に入らないのか、メイドは忌々しげに顔をしかめている。


「──口の聞き方に気をつけなさい。姫様はこの娘とお話がしたいとのことです」

「…時間が経っても出てこなかったら乗り込むからな」


 メイドの刺々しい睨みにも怯まないヴィックはそう宣言すると、私に向き合って「早めに話を終わらせるんだよ、変な約束事はしないように」と言い聞かせてきた。私は黙って頷くと、メイドの誘導に従って屋敷の階段に足を掛けたのである。


 

「キャロライン様、連れて参りました」

「入って」


 メイドが部屋の扉を叩くと、中から応答があった。重々しい扉が開かれ、中にいた人物の姿が明らかになる。

 高そうなドレスに身を包み、あのブラックオパールのネックレスを首元に飾った金髪碧眼の女がそこにいた。成長して大人っぽくなったが、炊き出しのときと印象は変わらない。苦労という苦労を知らなそうな、頭の先からつま先まで磨かれた貴族令嬢。贅沢に暮らしているのがその姿だけでわかった。


 彼女は私をひと目見ると驚いたかのように目を見張った。しかしすぐに表情を取り繕うと、「どうぞお入りになって」と促してきた。

 渋々中に入ると私はドアの前で突っ立って彼女を見つめた。メイドは部屋の外にいるらしい。実質室内には私とキャロラインの2人きりである。


「そんなに警戒しないで。立ったままじゃなんだから座って? お菓子もあるのよ」

「いいえ、私はここで結構です」


 仲良く茶をしばく間柄なわけじゃないでしょう。悪いけど私は長居するつもり無い。呼び出した理由を話してもらえるだろうか。

 私の拒絶にキャロラインは肩をすくめ、そして手元の紅茶を一口飲んでいた。


「…スラムで焼き芋を売り歩いている娘がいるって聞いて、気になったからあなたをここに招いたの」

「確かに私は焼き芋を販売しています。…お貴族様の口にはとても合いませんよ?」


 なんだ、焼き芋に関して文句でもあるのか。税金払えとかそんな事言うんじゃないだろうな。


「さつまいもをどこで入手したの?」

「…異国の商人が芋の苗を譲ってくれたのを栽培しました」


 そんなわけでこの国の市場には出回ってないよ。まさか焼き芋を所望しているとか…?

 キャロラインの目的を探ろうと、顔をジロジロ凝視していると、相手も私の顔に穴が飽きそうなくらい見てきた。


「あなた、もしかして転生者? それも日本人」


 疑問形の形を取っているが、おそらく確信を得ている。


「奇妙な歌を歌いながら練り歩いているって聞いたわ。その歌は石焼き芋屋さんの歌なんでしょう?」


 だったら何なの。

 そうだとして、あんたは何してくれるのさ。

 私は返事をせずに相手を凝視した。だけどキャロラインは勝手に納得して、私を転生者認定してしまったようだ。


「なら、この世界が乙女ゲームの世界だってことも知っているのね?」

「…………は?」


 相手の口からまた電波な単語が飛び出してきて私は反応が遅れた。

 ……あの時聞いた独り言はやっぱり本物だったんだ…。

 キャロラインの口から、この世界が乙女ゲームで、自分が悪役令嬢なのだと説明される。


「私は隠しキャラの公子様を狙っていたんだけど、彼がどこにもいなくて…」


 この女の言っていることが真実なら、乙女ゲームのヒロインのポジションを奪い、ヒロインを追い出したってことになるんだけど……それはどうなんだろう。

 そもそも乙女ゲームって……うぅん。日本から急に後退した異国に転生したのはそういうことなの? にわかに信じられないけど。


「…私はその乙女ゲームとやらをよく知らないから何もしてあげられない。言っとくけど私は今を生きている。転生とかどうでもいいんだよ」


 スラムでは明日を生きられるかの死活問題だ。今更転生したことをごちゃごちゃ言っても元の世界に戻れるわけじゃあるまいし。私はリゼットとしてここに生きているのだから。


「……あなた、名前は?」

「言う必要ある?」


 私はあんたと仲良くするつもり無いんだけど。


「私のメイドにならない? 正直心細いのよ。その気もないのに殿下の婚約者に内定してしまったし…同郷の人にそばにいてほしいの」


 ただ同じ日本に生まれ育った記憶があるだけの赤の他人だろう。私を誰だと思っているんだ。教育なんてろくに受けていないスラムの人間だぞ?


「ははっ冗談はよして。スラム育ちの娘がなれるわけ無いでしょ。あんたに従うとかゴメンだわ」


 私が笑い飛ばすと、相手はムッとした顔をしていた。

 もしも相手が尊敬に値する相手なら一考するけど、キャロラインなら即決だ。お断りである。

 伯爵家という箱庭、華やかな王都で過ごすこの女には今の民たちの状況は見えていない。仮に見えていたとしても関係ないと思っていそうだ。最初から期待していなかったけど。

 私はキャロラインに背中を向けて扉に手をかける。


「あんた、民草にどう思われてるのか一度知ったほうがいい。んじゃ失礼させてもらうよ」

「えっ!? 待って、話はまだ」


 キャロラインの止める声が後ろから飛んできたが、私は足を止めずに部屋を出ると、外に待機していたメイドの横を素通りした。

 アホらしい。私は帰るぞ。

 居心地の悪い屋敷から早く抜け出したくて、屋敷の階段を駆け下りると、階下に彼は待っていてくれた。


「終わったか?」


 心配そうに瞳を揺らすヴィックの前に立つと、私は頷く。楽しいお話じゃなかったというのは私の表情で察してくれるはずだ。


「帰ろう、長居するのは良くない」


 そう言って私の背中に腕を回したヴィックによって屋敷から連れ出されようとしたので、私はその誘導に従う。彼と同意見だったからだ。


「……ヴィクトル様…!?」


 悲鳴のような声がホールに響いたのはその直後であった。

 私の後を追いかけてきたキャロラインである。彼女はヴィックを見て目をカッと見開くと、信じられないとばかりに首を横に振っていた。


「どうしてその子と一緒にいるの?」


 その質問にヴィックはわかりやすく顔をしかめた。憎悪がたっぷり込められたその表情はもともとの美貌と相乗して恐ろしい。


「おかしなこと言うな、俺もリゼットと同じスラムの人間だぞ」


 んー、スラムの人間には見えないけどね…仲間意識があるのは素直に嬉しいけどさ。

 キャロラインはフラフラしながら階段を降りてきた。

 思ったんだけど2人は顔見知りなのだろうか。キャロラインはゲームの中の公子に惚れた何だの話していたけど……


「あなたは亡国の貴人なのよ、エーゲシュトランド公子なのに、なぜ下賤なスラムの娘なんかと」

「下賤だと…?」


 おっと、本音が出ましたよ。

 キャロラインの言葉にヴィックの顔が凶悪に歪んだ。今すぐ人一人殺してしまいそうな位恐ろしくて、私は一人で飛び上がっていた。


「リゼットをけなすな。彼女は生きるチカラに満ちた素晴らしい女性だ」


 悪く言われた私を庇おうとしてくれていたので、ビビって申し訳なかったなと罪悪感に駆られる。

 生きるチカラには自信があります。人生にはサバイバルが必要なんですよ。その御蔭でヴィックもなんとかスラムで生き延びられたことだしね!


「そもそも俺は俺だ、どこにいようと貴様には関係ない」


 そりゃそうよね。ヴィックの行動を縛られる理由なんてない。

 そもそもこのサザランド伯爵家のことをヴィックはよく思っていないみたいだし……


「私はあなたと一緒に亡国復興を目指していたのに!」


 えぇぇ…

 正直に申し上げると、キャロラインあなたには内政とかそういうの向かないと思う。だって今の領内の状況見てみなさいよ。あなたは着飾って男に傅かれて華やかに生きているだけでしょうが…

 私が思っていたことと似たようなことを思っていたのだろう、ヴィックが拳をギリギリ握りしめていた。


「お前が…それを云うか…!」


 やばい、止めなきゃ殴りかかってしまいそうだ。


「ヴィック!」


 相手の意識をこちらに向けるため私が彼の愛称を呼びかけると、ヴィックはぐっと口ごもり怒りを抑え込んでいた。

 そしてギロリとキャロラインをきつく睨むと、私の手を掴んで踵を返した。あの女が呼び止める声が聞こえたけどもそれから逃れるように出ていく。

 ヴィックは無言で屋敷を出るとそのまま何も言わずにスラムまで私を送ってくれた。


 ずっと無言だったヴィックは歩いているうちに少し冷静になったらしい。身長差のある私を見下ろすと、悲しそうで、怒りのやり場がない複雑な表情を浮かべ、私の頬をそっと撫でてきた。

 ヴィックの薄水色の瞳を見つめると、彼も私の瞳を見つめてきた。色々と察してしまったけど、ここでは私は何も聞かないほうがいいのだろう。


「ヴィック…」

「じゃあね、リゼット」


 ちゅ、とおでこに振ってきた柔らかい唇の感覚。私は目を丸くして彼を見上げるが、ヴィックは何かを振り切るようにしてその場から立ち去ってしまった。

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