第5話

 午前中はアトリエにいたらしい。私がまだ家にいた時間帯だ。それでお昼過ぎ、まずは小林さんが、次に遠藤さんがやって来て、ふたりともベッドに倒れて動かなくなったのだという。

「救急車案件の可能性があると思って病院に連絡を入れようとしていたところに──栢野カヤノ、きみが通りかかった、と」

「っス」

 小林さんと遠藤さんは、意識不明のまま救急車で病院に搬送された。熱中症のひどいやつの可能性もあるから、と弓船先生は言っていたけれど、自分で自分の言葉を信じていない顔だった。私と黛さんは一旦各々のアトリエに引き上げ、私物をまとめて中庭のベンチで合流した。黛さんが、ちょっと付き合って欲しい場所がある、と言い出したのだ。


 バスと電車を乗り継いで、学校とはちょっと違う方面の都心の、雑居ビルにやって来た。四階建ての小さなビル。一階には喫茶店、二階には雀荘、三階には──

「探偵事務所?」

「知り合い」

 黛さんがまた私の手を引く。三階まで階段で上ったけど、チャイムを鳴らしても返答はなく、ドアの鍵も閉まったままだった。黛さんが呆れたような溜息を吐く。

「寝てる」

 そう言って私の手を掴む。四階まで歩いて行く。四階は住居になっているようだった。表札は出ていない。

間宮まみやさん」

 黛さんが呼ぶ。ドアをどんどんと叩く。短い沈黙ののち、だぁれぇ? と半分寝ぼけた、いや、今の今まで寝ていたらしい女性の声がした。

 ドアが外側に開く。黒いスポブラにショーツ、それにジャージの上着を引っ掛けた格好の、緑色の髪の女性がこっちを見上げていた。

「お、栢野じゃん」

「っス」

「どしたん……って、えっ、なに、お客さん!? やだー!! 言ってよ!!」

 黛さんに親しげに話しかけた女性──間宮さんは、私の顔を見るなり完全に覚醒したようだった。服は着る、服は着るから! と喚きながら室内に戻って行く。

「栢野、下で待ってて!」

「っス」

 中から飛んできた探偵事務所の鍵を指先でクルクル回しながら、私と黛さんは三階の探偵事務所の中に入った。エアコンが効いている。誰もいなかったはずなのに。

 十五分ほど経って、間宮さんがバタバタと事務所に駆け込んできた。めちゃくちゃしっかり化粧をしている。とはいえさっき一瞬見えた顔もすごく綺麗だったんだけど、髪色に合わせたアッシュグリーンの眉、もう何色なのか分からないバチバチのアイメイク、それにマスカラでばっちり伸ばされたまつ毛、リップは黒に近い赤で、どこかのバンドの物販で買ったと思しきオーバーサイズのTシャツを着ていた。

「いやいや……どうも失礼しました。お客さんとは」

「学校の、友だち、っス」

「ん? 栢野の? 友だち? んん!?」

 来客用らしいソファに腰を下ろした私たちの前にオレンジジュースが入ったグラスを置きながら、間宮さんは大きく目を瞬かせた。

「学校の? SNSのじゃなくて?」

「あ、はい、あの、大学……」

 思わず口を挟んだ私の目を、間宮さんの切長の瞳がじっと覗き込む。

 どれほどの時間が経ったろう。十秒、もしくは一分、永遠に感じるような長い時間だった。体感。

 間宮さんのかっちりリップの口元がふにゃりと笑みの形になる。

「いやいやいやいや〜〜〜〜栢野にリアルの友だちができるとは! おねーさん嬉しい!」

「っス。どうも」

 口元に手を当ててうふふ、と笑う間宮さんと黛さんは、オカルト関係の情報交換をするSNSで知り合った仲なのだという。他人の経験談や人から聞いた話、というテイの実録怖い話にコメントをしたり、たまには自ら書き込んでみたりするというような距離感だったのが、

「なんか、この子とは会って話たら楽しそうだな〜ってこっちから誘っちゃって」

 ワハハ! と笑いながら間宮さんは言う。

「栢野が高校生の時だっけ? 結構前だよね〜」

「っス。お世話になりました」

「いいのよぉ! そんでまあ、私たちはその実際に現場? に足を運んだりしないタイプのユーザーだから、人から聞いた話をカフェでシェアするとかそういう遊び方をしてたんだけど」

「はあ……」

 何がなんだか良く分からないけれど、黛さんはこの間宮さんという女性をすごく信頼している、ということでいいんだろうか。だとしたら私も間宮さんを信頼したい。だって今、私たちの周りでは訳の分からないことが起こりつつあるのだから。

「んで? 大学生になった栢野が、私立探偵の私に何の用事かな?」

「っス。実は……」

 オレンジジュースで喉を潤した黛さんが喋り始める。もちろん先日の、事故物件騒動の話だ。私は黙って黛さんの横顔とか、間宮さんのまつ毛の上下する様なんかを眺める。いいなぁ。華やかだなぁ。私なんてお化粧全然下手だし、髪も真っ黒で地味だもんなぁ。ユキさんも黒髪直毛だけど、ものすごい美人で背が高いから映えるんだよね。私は身長もあんまりない。家に帰ったらユキさんに相談して、金髪にするとか、メイクの方法を変えるとか、何か相談してみなきゃ……。

「あん? 待って待って、その事故物件……」

 黛さんの話を概ね聞き終えた間宮さんが、スッと席を立つ。そのまま『探偵』と大きく書かれたプレートが置いてあるデスクの引き出しを漁り、中から青い表紙のファイルを取り出す。

「ここか」

 オレンジジュースのグラスをどけたテーブルの上に、ファイルを広げる。


 ゾッとした。


 スクラップブック状になっているファイル、紙の上には幾つもの新聞記事の切り抜きや写真なんかが貼られていて、おそらく間宮さんが書き込んだのであろう赤いボールペンの筆跡が踊っているのだけど──


 あの家の、写真。


 普通の写真。スマホじゃなくてたぶんカメラで撮ったのであろうあの家の外観。モノクロではなくカラーの写真。背景の空が青い。庭木も青々と茂っていて、明るい、普通の、そう、普通のおうち。


 それなのに。


「いやこの家は異常だよ」

 ファイルをパタンと閉じて、間宮さんが言った。

「あのね、関わっちゃだめ。その、同期の? 子たちにはかわいそうかもしれないけど、この家に面白がって入ったやつは、

 

 間宮さんは迷わず、強い言葉を選んだ。

 黛さんが黙って眉を顰めている。

「カナメさん」

「なんだい」

「俺も死にますか」

 黛さんの問いに、間宮さんはカクンと首を傾げる。

「死なないのでは?」

「なぜ」

「彼女」

 と、唐突に視線を向けられて私はビビり倒す。都会の美形は怖いです。

「祓ってくれたんでしょう」

「……!」

 祓って。

 と、間宮さんは言った。

 黛さんは、この子(私のことだ)が手を打ち合わせたら変なものが見えなくなり、逃げることができた、とだけ説明した。

 それを祓いと解釈するか。

「お〜うじょ〜うさ〜ん」

 間宮さんが呼ぶ。嫌な漢字は、なかった。不思議と。

「王城家といえば、にしてとして大変に有名! その王城本家のお嬢さんが、なんでまた東京に?」

「……どうして知ってるんですか?」

「……ケモノツキってなんスか?」

 私と黛さんの言葉が、見事にかぶった。


 私の実家のことを間宮さんが知っている理由は、単に趣味らしい。

「オカ板覗いたり、その手のサイトハシゴしたりしてればそりゃ、まあ知り合いも増えるしね」

「はあ……」

 オカ板ってなんだろう。あとで黛さんに聞こう。

「まーあ、あとは一緒に仕事する仲間にその筋の人間がいて。そいつらから、王城家の名前だけは」

 何も分からない。王城家ってそんなに有名なの? 地元ではなんか、豊穣祭の時に正装したおじいちゃんとお父さんが祝詞を上げてるのとか見たことあるけど、その程度で。

 ふたりとも私には何も教えてくれないし。

 手を打つやり方だって私が勝手に思い付いたやつだし。

「小林と遠藤は、死にますか」

 黛さんが少し俯いて言った。

 あのふたりが死ぬの、嫌なのかな。それはそうか。黛さんは普通に優しい人っぽいもんな。私は……私たちをあんなヤバい場所に引き摺り込んで「冷蔵庫開けろ!」とか言った人たちにはバチが当たればいいと思うけど。

 うーん、と間宮さんもちょっと困った顔で緑髪をかき回している。

「あの家か……」

 大きく溜息を吐いた間宮さんが、まあ、しゃあなし、と小さく笑って言った。

「長い付き合いの栢野のためだ、ちゃちゃっと調べてあげましょう」

「まじスか」

「でもちょっとだけだよ。あの家が今どこで何をしているのか、それだけ、ちょーっとだけ」


 家が今、どこで何をしているのか?


 何それ。怖い。


 感想が顔に出ていたのだろう。間宮さんは形の良い眉を八の字にして、ヤバいんですよ、ほんとにね、と言った。

「事故物件ていうか、あの家自体が動く怪異だから」


 間宮さんの事務所を出ても、まだ昼間だった。半日ぐらい話し込んでいた気持ちがするのに。

「茶ぁして帰るか」

 黛さんが呟く。

「一階で?」

「いや、別に行き付けがある」

「一緒に行ってもいいの?」

「……俺ひとりでコーヒー飲むの寂しいだろ?」

 そうだね。それに。

 黛さん、私に聞きたくて仕方がない顔をしている。獣憑きとは何なのか。祓いとは。そして王城家とは。

 でも黛さんはいい人だから私に対してぐいぐいしない。私が気を悪くしない聞き出し方をずっと考えている。

 黛さん。黛栢野まゆずみかやのさん。

「ね」

 階段をいちばん下まで降りて、今度は私から彼女の手を取った。

「私も、カヤノって呼んでいい?」

 黛さんの目がぱちぱちと瞬く。

「……じゃ、俺も、オワリって呼ぼう」

 そうしてふたりで手を繋いで駅まで行って、一駅先の黛さん──じゃない、カヤノの行き付けの全席喫煙の喫茶店に入った。なんだかやっと、本当の友だちになれた気がした。

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王城オワリは愛されたい。 大塚 @bnnnnnz

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