能ある鷹は爪を隠す
突然であるが、隣人とは良き仲でありたい。
現在の都市生活、現代人の生活様式において、私達が地域のコミュニティに属することは珍しくなった。
東京という土地、マンションという住居様式、昨今のコロナ情勢においては、隣の部屋にどの様な人物が住んでいるのかさえ知らないというのも珍しくないだろう。
しかしながら、地域や社会との繋がりがいかに稀薄であろうとも、私達が社会に生きる一員である以上は、ある程度の規律と規範が求められる。
知らぬ相手であっても迷惑をかけていいというものではないのだ。
隣人とは、社会の一端であり、私達の生活において最も物理的距離が近い他人である。
積極的に関わることは無くとも、互いに気を遣っていきたいものだ。
だが、そんな矜持と信念を抱いていても。
今回の隣人の狼藉な振る舞いは腹に据えかねた。
勝手に住み着こうとし、好き勝手に物を散らかし、我が物顔で敷地を闊歩する。
あのアホそうな面と薄汚い体毛を見るだけで腹が立つ。
私は此度、あの慇懃無礼な隣人こと隣鳥のハトと戦う決意を固めた。
ハトである。
野生のハト。
都市部において生息する、よく見かける彼らである。
それが今回、私の住むマンションの敷地内に現れた。
私は別に鳥が嫌いなわけではない。
動物愛護の精神にも満ちていると思う。
ハトが例外なわけではない。
しかし、マンションの敷地内に居つくというのは別だ。
ちょっと入ってくるだとか、マンションの屋根に止まっているだとかは気にしないが、今回の彼らというかハトの群れは明らかにこのマンションの敷地を根城にしようとしており、下手すれば巣まで作りかねない勢いだった。
それくらいいつもいるのだ。
こうなってくると景観を損ね、フン害も発生してくるし、マンションのベランダや屋根に居座る可能性も高くなる。
それは避けたい。
ちなみにハトが居つくようになったのには原因がある。
私達が住んでいるマンションの近所にはパチンコ屋がある。
基本的にパチンコを打つ人間(ましてや東京都足立区民である)というのは知能が低く、想像力に欠け、マナーや順法意識を持ち合わせていないものだが、この客がハトを餌付けするのだ。
マンションの入口の眼前で残飯を、もしくはパンくずを撒くのである。
馬鹿かな。
やってる側からしたら「ハトいっぱい寄ってきたぁ……すごぉい……」くらいの感想なのかもしれないが、餌を貰えることを学習したハトが大量に住み着いた結果、マンション住民が被る被害は想像に難くない。
そんなの一人の異常者だけだろ、と指摘を受けるかもしれないが、住宅街の中でハトに餌をやっている人間を複数人見たので一個人の問題ではないとだけ主張しておく。
とにかくハト達が当マンションに引っ越してくるのは頑固、阻止したい。
鳩という生き物は場所に対する執着心が非常に強いことで知られている。
一度居つくとなかなかその縄張りを離れることはせず、また気に入った場所をそのまま巣作りの場所にしてしまう性質がある。
場所への執着心と帰巣本能が強い生き物なのだ。
そして私としても今のマンションから引っ越すつもりはなく、今の住処に執着している。
つまりこれは私とハトの縄張り争い、もといナワバリバトルなのだ。
さて、いくらハトが邪魔だとは言えこれを、捕まえたり痛めつけたり殺したりすることは出来ない。
自らの動物愛護の精神に反するし、法律でも認められていない。
「鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律」、所謂鳥獣保護法が環境省によって定められている。
この法律によって野生の鳥や哺乳類を勝手に、駆除、殺傷、捕獲、狩猟することはできず懲役もしくは罰金の刑罰が科せられる。
これに引っかからないやり方でハトと対峙する必要がある。
例えば、ハトの嫌がる匂いなどを出す忌避剤、ハトの足場を阻害する剣山マットやネットの設置だ。
ところで、自然界において野生動物同士が接近することは多々あるが、必ずしもお互いを殺傷するとは限らない。
体色や体毛、牙や爪、音や匂いなど、様々な機能を用いて互いに力を示し合う。
威嚇というものだ。
彼らは殺傷以外の方法で互いの衝突を避けているのだ。
我々、人類は忘れていないだろうか。
高度に発達した社会に押し込められて、人類という種が生物や自然から解脱した上位なる存在になったと思いあがってはいないだろうか。
人類が自然の摂理を忘却した結果、こんなにも世界は歪んでしまったのではないか。
今こそ、自然の掟を思い出し、自然に学び、自然に習う必要があるのではないか。
私は吼えた。
敵であるハトに向けて奇声を上げた。
腕を振り回し身体を大きく見せ、ハトの前に躍り出た。
屋根にいるやつに向けて大きくジャンプし、枝を壁に叩きつけ、執拗に追いまわした。
今ここにいるのは、お前を簡単に〆てやることが出来る生き物だぞと訴える為に。
これこそが人間の忘れた自然の姿だ。
人間という生き物の本来あるべき姿だ。
端的に言えば、ハトは我々人類をナメているのである。
なんかデカイものが歩き回っているな。
でも襲ってはこないな。
爪も、牙も、角もない。
たまに食べ物のおこぼれを貰えるから周りをウロウロしておこうかな。
みたいに。
我々はハトにナメられているのだ。
これを看過してよいものだろうか。
否。
私は人類の一人、いや人類を代表する者として、種の誇りを取り戻すために行動を開始したのだ。
私には鋭い爪も、牙も、角もない。
ただ本気であるという態度とその行動のみだ。
奇声を上げながら鳩を追いかけ回す、その戦いは数週間に及んだ。
日が経つにつれ、鳩は徐々に私のことを認識したようで。
近づくと逃げ出すようになり、徐々に敷地を遠巻きに眺めるようになり、私の姿を見ると飛び去っていくまでとなった。
ハトにも学習能力があることに私は感動したし、愛おしさを抱きつつもあった。
そしてついに、ハトは現われることは無くなった。
私は勝利した。
そして人類の勝利でもある。
だが忘れてならない。
気を抜けば第2、第3のハトが現れることであろう。
我々はそれに備えよう。
爪を研ぎ、牙を磨く。
ただし、人間社会において日夜奇声をあげながらハトを追いかけ回す人間は奇異の目で見られてしまう。
角はないがカドは立つ、ということだね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます