思い出の始まり
ミドリ/緑虫@コミュ障騎士発売中
第1話 思い出の始まり
毎日笑顔で過ごせている間は、この先に別れがあるなんて考えもしなかった。
いつからだろう。裕太の態度がおかしくなったのは。
段々、会える日が減ってきて。
段々、電話の回数も減ってきて。
仕事が忙しいんだ。そう言われてしまえば、「仕事と私とどっちが大事なの!」と言うイタイ女になりたくなかった私は、「頑張ってね」としか返せない。
電話は迷惑かなと思い、おやすみとメッセージを送る。それにすら既読がつかなくなった頃。
別れまでのカウントダウンが始まったことに気付いた。
一体何がいけなかったのかを考えたところで、私は裕太じゃないから分からない。
本人に聞ける様な性格だったら、そもそもこんなことで悶々としない。
馬鹿な私は、それでもどこかにヒントがなかったのかを知りたくて、二人で行った場所を辿り始めた。
二人でよく行った小料理屋に入ると、女将が「あ」という顔をする。横目で座敷の個室を見たので、女将の目線を追った。
よく知っている後ろ姿と、その向かいには可愛い女の人。私とは違って、女性らしい人だ。
――そういうことか。
だったら、そう言ってくれたらよかったのに。私が泣いて怒って別れを認めない様な女じゃないことはよく知っているだろうに。
まあもう、仕方がない。
そう思い、踵を返して店を後にした。
ついさっきまでは、裕太と行った場所は全部これからも一緒に行けるかもしれないと思っていた場所だった。
だけど、たった今、それらは全て片っ端から思い出に変わっていく。
ああ、思い出はこうして始まるんだな、そう思った。
夜道をとぼとぼと歩き、この道はひとりで歩いたことなんて殆どなかったな、と苦笑する。
苦笑して、涙が溢れた。
袖で涙を拭くと、スマホを取り出す。
最後に裕太からメッセージが届いたのはいつだろうか。最近の履歴は、全部私からのおはようとおやすみなさいだけ。
これの方が余程イタイ女だな。
スクロールをして履歴を追って、また笑った。ウザがられてたのに、それに気付かなかった自分の情けないこと。
だったら最後くらい、格好よく決めよう。
メッセージの入力欄に、『別れよう。今までありがとう』と入力する。
送信ボタンに触れるか触れないかの位置で、親指が止まった。これを押したら、間違いなく私と裕太の関係は終わる。
ずっと、裕太に合わせていた自分に気付いた。裕太が好きなもの、裕太が望むもの。合わせ続けた結果が、都合のいい女。
さよならさえも言ってもらえないような、そんな存在に成り下がった。
「自分の所為か……」
ふふ、と今度は笑い声が出た。
その勢いで、送信ボタンを押した。すぐに既読がつかないのは、女性の前だからだろう。
なら、嫌味のひとつでも言ってやろうと思いつく。
普段、逆らうことなんてしなかった私の些細な抵抗。
『お幸せに』
次は躊躇わずに送信ボタンを押すと、今度はすぐに既読がつく。
何か返ってくるのか気になったけど、言い訳なんて聞きたくない。
私と通った場所に別の女を連れて来るということは、裕太の中ではとっくに私は思い出になってたんだろう。
現在進行形だと思っていたのは、私だけ。
とんだ間抜けだけど、それに気付けただけでもよかった。
スマホを鞄に仕舞おうとしたその時、突然鳴動を始める。
まさかなと思ったけど、やはり裕太からの着信だった。
一体何を話すつもりなのか。馬鹿みたいだけど興味が湧いて、暫くして電話に出る。
すると、裕太が焦った声で捲し立て始めた。
「百合! 別れるってどういうことだよ! ち、違うんだ! あの子は一緒に食事したいって言い続けられて、だから何も……!」
「私が男友達と会うのは禁止してなかった?」
そうだ、裕太の所為で縁遠くなってしまった幼馴染みに愚痴を聞いてもらおうと思い立つ。
あんな男やめておけよと言われていたのに聞かなかったのは、私の方だ。お前は男に合わせ過ぎなんだよ。そう言っては失恋の度に呼び出されるあいつはたまったもんじゃないだろうけど、私が素を出せるのはあいつの前ぐらいだ。
猫被りと呼ばれながら、馬鹿だなあと笑い飛ばしてもらいたかった。
裕太は一瞬詰まったけど、もう少し抵抗することにしたみたいだ。私は早く電話を切りたいのに。
「それは……っ! と、とにかく、浮気じゃないよ!」
未遂だからとでも言いたいのかな、と思ったので、私は「うん、そうだね」と返す。
すると、裕太はあからさまにホッとした様子で笑った。
苛ついた。
「うん、浮気じゃないよね。だって私たちもう別れたし」
「百合……っ」
「自由に恋愛してね。じゃあ」
「まっ」
ブ、と通話を切ると、すぐに幼馴染みに電話をかける。
「――どうしたの、失恋した?」
幼馴染みの憎たらしい言葉に、私は笑った。
「今度はふったの!」
「お、一歩前進」
「でしょ? ね、飲みに行こうよ」
「おう。俺も愚痴溜まってたからさ、聞いてくれよな」
「うん。語り明かそう!」
裕太からの電話は鳴動し続けていたけど、私がそれに応えることはもうなかった。
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