第27話 愛が世界を変える

 白い蛍光灯の光を瞼の向こう側で感じ、僕はゆっくりと閉じていた瞼を開けた。


 その白い光があまりにも眩し過ぎて、僕はつい目を細めてしまう。そして何より現在自分が置かれている状況を把握することができない。頭の機能はまさに再起動をしている最中といった感じだった。とにかくぼーっとする。


 耳には「ピっ、ピっ」という機械か何かの音が一定間隔で流れてきていた。この音は一体なんの音だろう。


 僕は気になってぼやけた視界からその音のありかを探す。


 目に入ってきたのは、どこか見覚えがある白い大きな機械だった。その機械には丸い水槽のようなものが取り付けられている。


 これは一体…………あっ。


 ……思い出した。これは採血を行う機械だ。でもどうして、そんなものがあるところに僕が……。


 ——その時だった。


 「孝介くんが……私のせいでっ……」


 どこからか、そんな嗚咽混じりの声が聞こえてきた。


 僕はその声を聞き、反射的に声を上げる。


 「樹木さん……!」


 そして声を上げた瞬間、全てのことを思い出す。


 ——僕は樹木さんに、輸血をしようとしてたんだ……!


 状況を理解するといてもたってもいられなくなり、僕はドナーチェアーから起き上がって樹木さんの元へ急ごうとした。


 「いたっ!」


 体勢を起こしてドナーチェアーから離れようとした瞬間、僕の左腕に激痛が走った。なにやら点滴のための針が刺さっていたのだ。


 「孝介くんの声だ!」


 するとさっき樹木さんの声がした方から、お父さんらしき人が僕の名を呼ぶ声と、こちらに近づいて来る足音が聞こえてきた。


 やがて部屋の扉が開かれると、そこには焦った様子のお父さんの姿があった。


 「大丈夫かい!」


 僕はそんなお父さんにすぐさま話しかける。


 「針が刺さっていることをに知らずに起き上がろうとしただけなんで僕は大丈夫です。それより、樹木さんは……樹木さんは無事なんですか!」


 僕が言った途端、お父さんの後ろから銀髪の少女が姿を覗かせた。間違いなく樹木さんだった。


 ……知らぬ間に、僕の頬には涙が滴っていた。


 「はぁ……よかった……本当に、よかった……」

 「孝介くん……!」


 感極まる僕を見て、樹木さんがお父さんを押し退けて僕の元まで走って来た。そしてそのままの勢いで樹木さんは僕の懐に顔を埋めた。


 「ありがとう……孝介くんの血がなかったら……私はっ……」


 樹木さんは僕の懐に顔を埋めながら嗚咽混じりにそう言った。どうやら無事に樹木さんへ僕の血を輸血することはできたらしい。結果的に樹木さんは僕の血で回復したのだ。


 「樹木さん完全に意識を失ってたから……もしかしたらもうだめなのかなって……」


 僕が泣きながら言うと、顔を埋めていた樹木さんは顔を上げて涙で滲んだ目を向けてくる。


 「……大丈夫だよ。私はもう、平気だから」


 そう言う樹木さんの顔には、涙と共にいつものあの穏やかな笑みが浮かんでいた。僕はこの笑顔を再び見られたことが何よりの喜びだった。


 ここでふと部屋の入り口の方へ目をやると、そこには今にも泣きそうな顔で僕のことを見ているフェリシアさんの姿があった。お父さんはそんなフェリシアさんの肩を優しく抱いている。


 「孝介くん……よかった……無事でよかったぁ……!」


 フェリシアさんはそう言うと僕の方へ歩み寄って来て……なんと僕のことを抱きしめてきた。


 「ちょっ……フェリシアさん……!?」


 僕は思いがけない展開に動揺しながらも、フェリシアさん温かさを肌で感じていた。どうやらフェリシアさんも泣いているようで、僕の頭をさすりながらただひたすら「よかった……よかった……!」と呟いていた。


 やがてフェリシアさんが僕のベッドから一歩引くと、次はお父さんが僕の元へ歩み寄って来た。


 「孝介くんのおかげで、真珠は見ての通り完全に回復したよ。本当にありがとう」


 僕はお父さんい頭を下げられ、思わず首を横に振る。


 「いえ、僕はただ血を抜いてもらっただけですから。懸命な治療があったからこそですよ。ちなみにストイアンはどうしているんですか?」


 ふと気になったので尋ねてみた。ストイアンがいなければ樹木さんは本当に命を落としていたかもしれないので、何気にその功績は計り知れない。


 「ストイアンなら、ついさっきバイトに行ったよ。昨晩は夜通し手伝って何かと手伝ってもらったから随分と眠たそうなだったけど」


 お父さんが答えてくれた。


 「そうですか……。ところで今って何時ですか?」

 「翌日の午前十一時だよ。想定より孝介くんの意識が戻るまで時間がかかったから本当に心配していたんだ……」


 三人の安堵した表情を見ると、本当に僕のことを心配してくれていたことが伝わってくる。樹木さんとフェリシアさんに至っては、目元が赤く腫れている。


 「点滴までしてもらってありがとうございます。僕の体調は問題ないので、もう外してもらっても大丈夫ですよ」

 「そうかい。それじゃあ外させてもらうね」


 それから僕は点滴のための針を抜いてもらい、ようやく地に足をつけて立ち上がった。随分長い時間ドナーチェアーに寝ていたので、最初はバランス感覚をうまく保つことができなかった。


 そして僕は改めて三人と向き合う。


 今回の件に関して、ここで一件落着とするわけにはいかない。現場を目撃した当事者として、共有すべきことは共有しておく必要があるように思った。樹木さんを二度と、あんな目に遭わせないためにも。


 「昨日の件ですけど、樹木さんを襲った男は間違いなく世界吸血鬼協会の吸血鬼でした。男がそう名乗っていましたから」


 一転して真剣な声で僕が言うと、フェリシアさんが一歩前へ出た。


 「詳しいことはストイアンからすでに聞いているわ。今回の件に関しては、本当に危機一髪だったと思う。それもこれも、私の不注意のせいだわ……。私が招いた事態なのに……。本当にごめんなさい」


 フェリシアさんが頭を下げてきた。しかしながら、フェリシアさんが謝る理由などどこにもない。


 「フェリシアさんは何も悪くありませんよ。たとえ吸血鬼と人間が結婚することが禁忌だとしても、誰かを愛することに罪なんてありませんから。」

 「孝介くん……」

 

 顔を上げたフェリシアさんの肩を抱いたのは他の誰でもなくお父さんだった。


 「だからどうか負い目なんて感じないでください。少なくとも、僕から見ていてお二人は世界で最高の夫婦ですよ」


 このことは自信を持って言える。だからこそ、二人の愛を引き裂こうとする協会に対しては怒りしかない。


 「孝介くん、ありがとう」


 お父さんが口を開いた。


 「今回の件で、決心したことがあるんだ」


 力強い眼差しをもってそう言うお父さんからは、確かに強い意志がひしひしと伝わってきていた。


 「僕たちは今まで、いわゆる駆け落ちをしてからコソコソと暮らしてきていた。吸血鬼に夫婦の存在を気づかれないように。でも、そんなことをしていたらだめなんだと思う。僕たち夫婦は、吸血鬼の世界で認められる必要があると思うんだ」

 「パパそれは……」


 お父さんの言葉を受けて、フェリシアさんは心底驚いたような顔をしていた。樹木さん小さな声で「えっ……」と呟いていた。


 「……だめなんだ、このままじゃ。またいつ真珠やママが襲われるかだってわからない。このままコソコソしているより、ちゃんと話をして理解してもらう必要があると思うんだ。もちろん簡単なことではないよ。でもこれは、いつか誰かがしなくちゃならないことだと……僕は思う。僕たちなら、できると思うんだ」

 「…………」


 フェリシアさんは俯き、うまく言葉を紡ぎ出せないでいた。それもそのはず、吸血鬼の世界のことはフェリシアさんが自身が一番よくわかっているはずだ。吸血鬼の世界において人間との結婚が認められることがいかに難しいことであるのか。フェリシアさんが言葉に詰まるのも無理はなかった。


 「……頑張ってみようよ」


 そう呟いたのは樹木さんだった。その言葉を聞いたフェリシアさんは顔を上げた。樹木さんはなおも続ける。


 「このまま吸血鬼と人間が仲良くしちゃだめなんて、私……嫌だ。そんなのあまりに悲しすぎるもん。それに私には……大切な人間の友達が、いるから……」


 その時、樹木さんの目と僕の目が一瞬確かに合ったのは、おそらく偶然ではなかった。


 「真珠……そうよね。私たちが、変えないと。よし……! やれることはやりましょう!」


 フェリシアさんは張り切った様子で宣言した。三人の間には、目に見えない家族の絆があるように思えた。こうなると、僕もただ黙っているわけにはいかない。


 「僕も一人の人間として、大切な人を大切な人だと、誰の前でも胸を張って言える世界を作りたいと心から思います。ぜひ協力させてください」


 間違いなく本音だった。僕には吸血鬼の血を持った、大切な人がいる。


 「真珠もママも孝介くんも、ありがとう。先は長いだろうけど、きっとうまくいくさ! うまくいかせてみせる!」


 お父さんは声高らかに言った。


 愛という絶対的な根拠のもとに、描いている理想はいつか現実になるような予感がした。


 


 

 

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