第9話 吸血鬼ちゃんの決意

 「初めまして、神谷孝介の姉の神谷彩月です。お招きいただきありがとうございます」


 黒が基調とされている聖職者のような衣装を身に纏った姉さんは、樹木家の玄関先で丁寧に挨拶をした。

 なぜ姉さんがそのような衣装を身に纏っているのかというと、それは単なるコスプレだった。樹木さんのお母さん——フェリシアさんに会うということで、相当気合が入っているらしい。


 結局この前樹木さんが言っていた姉さんを家に招くという話は、フェリシアさんが快く了承してくれた。それでもってフェリシアさんは、ぜひともご兄弟で来てくださいと言ってくれたようで、僕も姉さんと一緒に来ることになった。正直僕が来る理由はいまいちわからないのだが、誘われては断る理由もなかった。


 「こちらこそ初めまして。樹木真珠の母の、樹木フェリシアです。真珠が弟さんにとてもお世話になってます」


 姉さんの挨拶に続けて、フェリシアさんが返した。

 フェリシアさんは相変わらずとても綺麗で、その端正な顔立ちから繰り出される流暢な日本語は聞く者を堪能させた。


 「いえいえこちらこそ、弟がお世話になっています。……それにしても、とても綺麗なお名前ですね。どちらの出身なんですか?」

 「ルーマニアです」

 「ルーマニア!? どうりでこんなにお美しいわけなんですね……。しかしどうして日本へ……?」

 「それはまあ……いろいろありまして……。俗にいう駆け落ちというやつでしょうか」

 「駆け落ち!? 素敵な旦那さんなんですね!」

 「ふふっ」


 フェリシアさんはどこか照れ臭そうに笑っていた。

 しかしながらフェリシアさんが駆け落ちをして日本へ来たという事実には、僕も驚いた。なにせ吸血鬼と人間の駆け落ち……。そんな設定、物語の世界でも聞いたことがない。


 「さあさあ、上がってください。孝介くんはうちに来るの二回目だよね」


 フェリシアさんはそう言って僕の目を見ながらウィンクしてきた。


 「うそ!? あんた一体いつの間に……」


 姉さんは心底驚いたようにこっち見てきたが、僕はすぐに目を逸らした。

 たしかに僕はこの前ここへ来ているが、その時はフェリシアさんが吸血鬼であるということを聞かされに来たのだ。決して遊びに来たわけではない。変な勘違いはしないほしかった。


 そんなこんなで扉をくぐり、玄関で靴を脱ぐと、リビングの方から樹木さんがやって来た。樹木さんは純白のフリル付きワンピースを身に纏い、髪は耳の下あたりでツインテールに結んでいる。その姿はまるでフランス人形を彷彿とさせた。


 「か、か、可愛いぃぃぃ!」


 姉さんは樹木さんを見た瞬間そう言って、鼻血を出す勢いで体を仰け反らせた。樹木さんはというと、突然雄叫びを上げられて顔を真っ赤にしている。


 正気に戻った姉さんは、フェリシアさんの顔をまじまじと見た。


 「フェリシアさんの娘さんですか!?」

 「はい、娘の真珠です」

 「めちゃくちゃ可愛いですね!」

 「あ、ありがとうございます」

 「あつかましい姉ですみません……」


 僕が密かに頭を下げると、樹木さんとフェリシアさんは優しく微笑んでくれた。親子の懐の広さを思い知る。


 「そういえば彩月さん、今日は随分と個性的な格好をしてますけど……」


 フェリシアさんはそう言って、姉さんの服装を不思議そうに見た。姉さんは「はい!」と威勢よく返事をする。


 「これは聖職者をモチーフにした自作の衣装です!」


 姉さんが胸を張って言うと、フェリシアさんは感心したように「まあ!」と言った。


 「自作なんてすごいですね! 今日は私が彩月さんに衣装作りについて教えるということになってますけど……これはもしかしたら、私が教えられる側になるかもしれません」

 「そ、そんな……ご謙遜を……」


 と言いつつも、姉さんは満更でもない顔をしていた。


 ここでフェリシアさんは「さてっ」と仕切り直すと、僕の方を見てきた。


 「それじゃあ私は、彩月さんと二回の部屋へ行くわね」

 「あ、はい」


 僕が返事をすると、フェリシアさんは姉さんの方へ向き直った。


 「それじゃあ彩月さん、行きましょうか」

 「はい!」


 そうしてフェリシアさんと姉さんは二階へ上がって行った。


 ということで、僕は樹木さんと二人きりになった。

 何からどう事を運べばいいのだろうか。

 しかし僕は、ここで尻込みをしてしまうような男にはなりたくない。


 「樹木さん——」


 とりあえず世間話でもしようかと、僕が樹木さんのことを呼んだ、その瞬間。


 「——孝介くん!」


 ほとんど同じタイミングで、樹木さんが僕のことを呼んできた。

 僕は呆気に取られたまま樹木さんの顔を見る。


 「相談したいことがあるの!」


 そう告げる樹木さんの目は、どこか決意に満ちているように見えた。



※※※



 リビングのソファに隣り合わせで腰掛けた僕と樹木さんは、少々かしこまった雰囲気の中にいた。目の前の机には樹木さんが用意してくれたアップルティーが置かれていて、湯気から立ち込める甘い香りが鼻をつついてくる。


 「私って、その……吸血鬼と人間のハーフでしょ……?」

 「う、うん」


 何を言い始めるかと思ったら、まずはそんな事実確認からだった。しかしながらその事実はあまりにも非現実的で、僕の頷きはついぎこちなくなってしまう。


 「このことはね、孝介くんにしか言っていないの」


 そう言われると嬉しさももちろんあったが、その分戸惑いも少なからずあった。


 「……本当に僕がそのことを知ってよかったのかな?」


 野暮な質問かもしれないけど、尋ねないわけにはいかなかった。


 「孝介くんには知っててもらわないと私が困るの。だって私は、孝介くんの血を飲まないと普通の高校生活を送れないから……」

 「そう、だよね……」


 納得したように言ってはみたものの、やはり現実に樹木さんが僕の血を飲んで英気を養っているというのは、とても信じ難い事実だった。


 「でも本当に変な話だよね、私が吸血鬼と人間のハーフなんて……。孝介くんだって、正直疑ってるでしょう? 本当にそんなことあるのかって」

 「それは……」


 こればかりは言葉に詰まってしまう。たしかに僕は樹木さんが僕の血を飲んでいるところを実際に見たことがないわけで、これを話だけで理解して受け入れろというのは無茶な気もする。……ただそうは言っても、樹木さんが嘘を言っているとは到底思えない。だから僕はとりあえず、常識とか理屈とかは抜きにして、樹木さんの言っていることを信じている。


 「僕は全部、本当だと思ってるよ」


 樹木さんの目を見て断言した。


 「それにこんなこと言ったらあれだけど、ちょっとワクワクしてる自分がいるんだ。本物の吸血鬼と出会えて」


 僕が言うと、樹木さんは不思議そうな顔をした。僕はなおも続ける。


 「だから吸血鬼が困ってるなら助けたいと思うんだ。僕の血をあげてでも。もちろん貧血になって倒れるくらい血を抜かれるのは勘弁してほしいけど」


 僕が冗談っぽく笑って言うと、樹木さんも釣られて笑ってくれた。


 「孝介くんって、なんか変わってる。普通の人からそんな言葉出てこないよ」

 「それは褒めてる?」

 「うん、すごいと思う。……本当にありがとう」

 「感謝されるようなことじゃないよ。てかいうか、相談があるんじゃなかったっけ?」

 「あっ、そうだった」


 それから樹木さんは少しの間を置いてから、僕の目をしっかりと見て慎重に口を開く。


 「私が吸血鬼と人間のハーフであることを、朱音ちゃんと舞ちゃんにも打ち明けようかどうか悩んでるの」

 「あー、そういうことか……。でもどうして?」


 僕が尋ねると、樹木さんは俯きながら「えーっと……」と言って気恥ずかしそうな顔をする。


 「……友達だから」


 一見とても素朴な理由だが、それはもっともな理由なようにも思えた。


 「友達だから、か。たしかに隠し事はなるべくしたくないよね」

 「……うん。でも打ち明けることが打ち明けることのだけに、そう簡単に踏み込めなくて……。だから孝介くんに背中を押してもらおうかなと……」

 「背中ならいくらでも押すけど、吸血鬼のことって誰かに打ち明けていいものなの? フェリシアさんにも相談した方がいいんじゃない?」


 最も懸念すべきところはそこだった。もし吸血鬼の存在が世間に知れ渡ったら、それはもう大変な騒ぎになるだろう。マスコミが樹木さんの家へ押しかけて来たりもすることだってあるかもしれない。なのでこればかりはそう易々と背中を押せるものでもなかった。


 「お母さんには、もう相談したの。そしたら、その友達が本当に信頼できる友達ならいいよって言ってくれた。たしかに吸血鬼のことを公にするのは色々とまずいけど、お母さん的にはひた隠しにする方が嫌なんだと思う。人間にそのことを打ち明けなかったら、それこそ吸血鬼は怪物として人間から恐れられる存在のままだから……。信頼できる人には事実を打ち明けるべきっていうのが、お母さんの考え方なの。たとえ恐れ、怯えられる可能性があっても……」


 樹木さんは一拍置いて、なおも続ける。


 「私は朱音ちゃんのことも舞ちゃんのことも、もちろん孝介くんのことも、とっても信頼してる。……実は私、人生で初めて友達ができたの。だからこの関係は大切にしたい。もちろんわざわざ私が吸血鬼と人間のハーフであることを打ち明けなくても、友達の関係は続けていけると思う。……でも、それではだめなの。私はお母さんが強くそう思っているように、吸血鬼と人間は絶対共存できると思ってる。だから数少ない人だけにでも、ちゃんと事実を打ち明けたい」


 そこまで言うと、樹木さんは「ふぅ……」と息をついた。


 「……ごめんね、ちょっと熱くなっちゃった」


 僕はそんな樹木さんを目の当たりにして、感心することしきりだった。


 「すごいと思うよ。そこまでちゃんと考えられるなんて」


 僕は素直に言った。

 すると樹木さんは自嘲気味に笑顔を浮かべる。


 「それもこれも、お母さんからの影響なんだけどね。お母さんはだいぶ変わった考え方を持ってる人だから。そうじゃなきゃ人間であるお父さんと駆け落ちして結婚するなんて、そんなリスクのあることしないよ」

 「それもそうか」


 たしかに樹木さんの言う通りな気がした。


 今更ながら、フェリシアさんは本当に立派な人だと思う。よほどの信念がなければ、人間と結婚して子どもを授かるなんてできないだろう。そしてもちろん、フェリシアさんのことを受け入れ結婚した、樹木さんのお父さんも立派だ。愛の力の偉大さを思い知らされる。


 「そういうことなら、上宮さんと小澤さんに打ち明けるのは全然ありだと思うよ。もちろんさすがの二人も最初は驚くだろうけど、きっとあの二人なら受け入れてくれる。僕の知ってる上宮さんと小澤さんは、樹木さんが吸血鬼と人間のハーフだと知って、樹木さんのことを恐れたり、ましてやそのことを口外するような人じゃないから。まだ半年の付き合いだけど、それくらいは接しててわかる」


 僕が意見を述べると、樹木さんは一回だけ確かに頷いた。


 「そうだよね。私もそう思ってる。背中を押してくれてありがとう。おかげで決意が固まった」

 「ならよかった」


 どうやら吸血鬼と人間のハーフであることを上宮さんと小澤さんに打ち明けることは決定したらしい。


 一世一代の決断を下した樹木さんの表情は、心なしかさっきよりも晴れやかだった。

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