第90話 空耳三段活用？
「両親は今朝から、有馬温泉に温泉旅行に行ってるんだよ。だから週末は家に俺一人だな」
「有馬温泉って……えっと、たしか兵庫県だったよね？ 神戸にあるんだっけ？」
右手の人差し指を口元に当てながら、優香が思い出し思い出しと言った感じでつぶやく。
「だったかな？ 少なくとも関西のどこかだったのは間違いないはずだ。豊臣秀吉がよく入りに行った温泉がどうとか言ってたし」
豊臣秀吉と言えば、大阪城を本拠地にしていた天下人だ。
つまり関西人ってことは確定的に明らか……だよな？
いや、なんか間違っている気がするような？
でもアリの這い出る隙もないほどの、穴のない完璧な理論だよな？
まぁ今はいいか。
せっかくテストが終わったんだから、今日に限っては小難しいことは考えないに限る。
「ってことは結構遠いよね？ 蒼太くんを置いて、ご両親だけで行っちゃったんだ？」
「この間の春休みに商店街のガラガラをやったら、温泉旅行のペアチケットが当たったらしいんだよ」
「あ、それで２人だけでなんだね」
納得顔の優香が、胸の前でポンと軽く手の平を合わせた。
「今日から二泊三日で、日曜の夕方に帰るって聞いてる」
「ふんふん、金・土・日の二泊三日ね」
「ま、俺も高校生だし、そこまで親と一緒に旅行したいって年でもないしな。たまには夫婦水入らずでゆっくりしてきてもらうよ」
別に両親と不仲なわけではないし、激しい反抗期の真っ最中ってわけでもないんだけど。
テスト明けのダラダラしたい時に両親不在で家でゴロゴロできるのは、男子高校生にとっては天国以外の何物でもない。
誰にもなにも言われずに昼まで寝ていられるし。
でも男子高校生の親との付き合い方なんて、そんなもんだろ？
「ちなみになんだけど、その間は蒼太くんはご飯はどうするの？」
なんだか、優香がやけに突っ込んだことまで聞いてくるような？
もちろん、それが嫌ってわけじゃないんだけど。
だって言ってみれば、優香が俺に興味を持ってくれているってことだしな。
むしろ嬉しいし、喜ばしいことだ。
「その間の食事代は親から貰ってるから、近所のスーパーで適当に惣菜か弁当を買って食べようかなって思ってるよ。今日は疲れてるし昼めしと晩ご飯を兼用かな？ たしか冷凍の買い置きもあったはずだし」
旅行に行く前に母さんが、パスタとかハンバーグといったレンジでチンしたら食べられるお手軽な冷食が、冷凍庫にいくらか入っていると言っていた。
しかし俺の返事を聞いた優香は、露骨に不安顔になってしまう。
「疲れていて熱っぽいのにそんなご飯じゃ駄目だよ。ちゃんとしっかりとしたもの食べないと。疲労回復にはご飯を食べるのが一番なんだから」
「そうは言っても、俺は料理はチャーハンとか麺類とか簡単なのしかできないしなぁ。それこそ疲れてるから作るのもちょっと面倒だし」
特に今日は溜まりに溜まった疲れのピークだから、帰ったらとりあえず寝たかった。
いったん寝て、晩ご飯（実質昼飯と兼用）は起きてから適当に考えよう。
「えー……」
「予定じゃ日曜の夕方には帰ってくるんだし、それまでは腹が膨れたらそれでいいよ。最近は冷食も美味しいしさ」
安心させるように言った俺だったんだけど、優香にはまったく安心した様子はない。
そしてしばらく黙って何ごとか考え込んだ後、意を決したように言った。
「だったら――」
「え？」
「だったら、私がご飯を作ってあげる」
まるで戦地に入ったナイチンゲールのような、はたまた甲子園の開会式で選手宣誓をするようなキリッとした顔。
「……え、なんだって？」
なんか今、優香がご飯を作ってくれるって聞こえたんだが？
空耳か？
空耳だな。
空耳で間違いない。
「今日の蒼太くんのご飯は私が作ってあげるって、言ったの」
あれあれあれあれ？
おやおやおやおや？
どうやら俺の空耳じゃあなかったようだぞ？
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