真昼の夜、真夜中の昼

爽月柳史

真昼の夜、真夜中の昼

 1キロワットの光を浴びて、女神のように微笑む女がいる。


 私の仕事は舞台照明だ。客席の一番後ろの列のさらに後ろの調光室からはマッチのようにしか見えない癖に、誰よりも輝き目を炙る。私は頼りない手元明かりを頼りに、進行表を確認して昔の私の指示通りに照明卓を操作する。

 何度もシミュレーションを繰り返したその仕事は、舞台上の緊迫とは裏腹に淡々と流れともすれば眠気に似たものを催してくる。

 それでも私が眠らないで済んでいるのは、主演の女のお陰ではあった。

 私が決して踏み込めない世界で大輪を咲かせる女。


 客席に低く鋭くブザーが鳴り、BGMの音量が上がっていく。

 私はその盛り上がりに反抗するように客席のフェーダーを押し下げていく。

 上がりきった音がぷつりと途絶え、暗闇に沈んだホールに沈黙が流れる。

 舞台監督の声がインカム越しに囁き、緞帳が上がる。

 緞帳が取り払われた輝く舞台の真ん中に、ぽつりと佇む女が声を響かせて公演は始まった。

 劇団の主演である彼女は沈黙を染め上げるように台詞を紡ぐ。

 空虚に響くのにこれ以上ないくらいに現実に迫る言葉。

 演技力と呼ばれるその能力。私が足掻き続けても手に入れられなかった力。

 舞台が好きで、演劇部に入部するというありきたりの道を進んだ私が高校で壁を知ったのは、幸運とも言えるのかもしれない。ともに入部したその女は誰よりも言葉に現実を与えることができた。一方私は周囲の人間を観察してノートを作り、演劇論を読み漁り、劇場を梯子して、寝る時間を削って朝練に励み台本を読み込んでも、舞台を埋める脇役すらも務めることができなかった。中学校ではそれでも何とか舞台に立つことはできていたが、高校では通用するはずがなかった。

 演じることができない私は早々に裏方に追いやられた。それでも舞台に関われているし、裏方も舞台には必要不可欠な存在であるので、あっという間にのめり込んだ。それでも表が忘れられない。私はこっそりと台本の台詞を声に出して読み、いつの日かを夢見ていた。


 その現場をあの女に見られた。彼女は透明な視線でじっと私を見てから、私が読んだ台詞を一字一句違わずに読んでみせた。私とは何もかもが違った。

 「あなた、裏方の才能があるって素敵なことなのよ」

 首を傾げて不思議そうに放たれた一言は私を打ちのめすには十分過ぎた。

 その日以来、役者を諦め裏方に徹するようになった。

 卒業して進路が分かれ、もう二度と会うことはないだろうと思っていたはずなのに、舞台から離れられず照明として食っていくことになり、その成り行きで役者となった彼女に再開した。

 言葉を失う私に彼女は「ほら」と言ってほほ笑んだ。


 彼女は輝いていた。

 もちろん人間は光源ではない。

 他人が眩しい、という表現は一説によると見ている側の瞳孔が開いているゆえらしい。その説では愛おしい相手をよく見るためと書かれていた。けれど、瞳孔は敵を前にした時だって開く。

 だから、きっと彼女が輝いて見えるのは私の敵意ゆえだ。

 

 舞台は彼女一人になった。周りの明かりを落としスポットライトだけを当てる。舞台のはるか上を渡された棒(バトン)に吊るされた無骨な照明器具が彼女を照らす。

 例えば、ここで器具が落下したとすれば、彼女は光に刺し貫かれるように死ぬだろう。

 例えばあの時バトンが落ちていたなら、光の海に押しつぶされるだろう。

 例えば、舞台袖の照明機材が……

 私が操る光に殺される彼女を夢想する。憎悪ではなく届かない何かが、届かない何かのまま保存されて欲しい、そんな心境に近い。そしてその原因は私の光であると良い。主人公に執着する敵役のように、私はそんなことを考える。

 

 そしてそんなことを夢想していたことなどお見通しのように、

 「よかったわ」

 とあの女は囁くのだ。

 彼女と会ったのは高校の時だけど、特に気にしてはいなかったのよ。

 ただ、舞台が好きで入ったんだなあって思っただけで、でもそんな子、部には沢山いるし、わたしもその一人だったから。

 わたしね、本当は役者なんてやりたくなかったの。

 嘘だって思うの?

 本当よ。

 だって裏方って舞台の世界を好きに飾ることができるのよ?生殺与奪さえ握れるのよ?そんなの面白いじゃない。

 ええ、もちろん。裏方が気楽だとは思ってないし、役者が気楽だと思ってないわ。みんなわかってくれないけど。嫌ね。

 でも、ダメだった。わたしには「演技力」とかいうものがあって「役者じゃなきゃ勿体ない」んだって。これが初めてじゃないから分かってはいたけどね。結局今に至るまでダメだし。

 わたしが渇望していた裏方に配属されたのは彼女。あの時の彼女の顔ったら凄かったわ。純粋な敵意と自分への失望と、表への執着。まるでわたしのせいだというように向けてきちゃって。

 でもね、彼女その敵意のまま仕事をするのよ。裏方の役を振られた役者のようにね。刺し貫くように役者を演出を観察して、舞台を最大限に飾り付けるの。わたしは彼女と逆の立場だったらどうなるだろうと考えた。でも、多分無理な気がした。だって今望まない役者をしているわたしは、空っぽのまま台詞を言ってるんだもの。才能って言葉で片付けるのは失礼だって話はとてもよく分かるし、わたしだって思う所はあるけれど、やっぱり才能ってやつはあるんだなって思ったものよ。もちろん今もね。

 だから許せなかった。表に戻ろうと足掻く姿が。だからわたしは彼女の才能を教えてあげたのよ。本人はどう思ったのか分からないけどね。

 再開は偶然よ。これは本当。

 まさかまだこの世界にいるとは思わなかった。でも納得もした。彼女もわたしもここじゃないと息ができない。

 で、今に至るってわけ。

 彼女知らないでしょうね。わたしが主演のときは絶対に彼女に照明をお願いしていること。だってこのわたしに純度の高い敵意を向けてそれを最高の舞台という形で表現してくれるのって彼女くらいだもの。

 わたしが浴びるスポットライトは彼女の槍。わたしが浴びる地明かりは彼女の鞭、袖のライトは弾丸。だからわたしもその敵意に応えてわたしの嫉妬を微笑みに換える。1キロワットの槍に傷なんてつけられないと嗤ってやる。貴女の敵意なんてそよ風なのだと込めて「よかったわ」と労ってやる。

 だってわたしから裏を奪ったのは貴女だから。

 でもね、彼女の光で死ぬのならそれはそれで悪くない最期だとも思うのよ。

 本当よ。

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真昼の夜、真夜中の昼 爽月柳史 @ryu_shi_so

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