殺し屋、鎖に繋いだ嫁の為にメシを作る

和鳳ハジメ

ターゲット1/妻に捧げる初めての『キーマカレー』①



「聞いてねぇぞ……! こんなの聞いてねぇ!」


 とある地方都市の駅前、その廃ビルに男の叫び声が響きわたった。

 五月蠅いほど乱れている呼吸音、走る足音だけが聞こえる。

 男は確かに誰かに命を狙われ、今もこうして追われているのに、不吉なほど己の出す音しかしない。


「畜生っ、楽な商売じゃねぇのかよ! なんで狙われなきゃいけねぇんだよ!!」


 柱の陰に身を隠しながら震える、どうして、どうしてこうなったのだ。

 男は三日前までただの窃盗犯であり、そして二日前から殺し屋稼業に足を踏み入れただけなのに。


「クソっ、クソクソクソっ!! 割に合わねぇ、たかだが百万ポッチで殺しただけじゃねぇか! なんでオレが――」


 男は殺した、ヤクザから頼まれて地元の代議士の秘書を撲殺した。

 誰にも見られず、死体もまだ見つかっていない筈だ。

 己の凶行も存在も、まだ誰にも分かってない筈なのに。


「――何でってそりゃさ、君が杜撰な仕事をしたからでしょ」


 足音も無く、突如として新たな声が響いた。

 時刻は夕刻、そして廃ビル故に明かりは無く詳しい容姿は分からない。


「誰だっ!!」


「聞かなきゃ分からない? それでもプロなの? ……ああ、獲物を前にベラベラ喋ってる僕もプロ失格か」


「お前…………へへっ、なんだぁテメェ、このオレが誰だか分かってんのか!!」


 彼我の距離は五メートル、暗さに慣れた男の目には彼が新卒のサラリーマンに見えた。

 メガネをかけた穏和そうな、一発ブン殴れば泣いて謝罪するような弱者に。

 だから男は右腕を振り上げようとして。


「遅い」


「――あがっ!?」


「そして減点だね、見た目で判断すると痛い目を見るよ今みたいに」


「う、腕ぇ!! オレの腕がぁ!! うああああああああああああああああ! ひぃ、死ぬっ、死ぬううううううううううううう!!」


「五月蠅いな、殺したんだろう? 自分が殺されるかもって思わないのか?」


 サラリーマンの呆れた言葉に、地元では有名なチンピラだった男のプライドがなけなしの冷静さを呼び覚まし。


「て、テメェ、こんなコトしてただじゃおかねぇぞ!! オレに背後にはなぁ――」


「あのヤクザの事かい? それなら先に始末しておいたよ」


「――っ!? し、信じるかよ! テメェみたいなひ弱そうなガキにアニキ達がなぁ!!」


「僕に腕を切り落とされててさ、よくそんな事が言えるねぇ、ちょっとそのバカさ加減に尊敬しちゃいそうだよ」


 やれやれと溜息を吐き出すサラリーマンは、右手に持っていた刀をひらひらと見せつけて。

 そうだ、先ほどの一撃はその刀によって行われたのだ。


「ははっ! 刀が銃に勝てるもんか――うぎゃああああああああああああああ!!」


「本当に君はルーキーなんだね、ま、君みたいな杜撰な奴はここで死ぬのがいいよ」


「腕が……オレの、オレの手が両方――――!!」


「うわぁ、このグロッグ使っててよく暴発しなかったね? 粗悪なコピー品じゃん。初心者なら獲物は選ぼうよ、ね? まぁここで死ぬんだから意味のない忠告か……」


 男の残りの手首も切り落とし、動揺一つ、返り血一つ無いサラリーマンは拳銃を拾うとポケットにしまう。

 そして、刀を上段に構えると。


「じゃ、そろそろ死のうか。ほっといても死ぬだろうけど一応ね?」


「あはっ、あはははははははははっ!! 死ぬ!? オレが死ぬぅ!? そんなバカな話があるのかよ! オレはここから――」


「恨むならさ、コッチ側に足を踏み入れた自分を、あんな杜撰な仕事をした自分を恨むことだね。――ああ、そうだ聞きたいことがあったんだ」


 刀を振り下ろそうとし、止める。

 サラリーマンは今にも死にそうな男を、とても冷たい目で射抜き。

 その迫力に男は最後の冷静さを取り戻す、聞きたい事とは、遺言か、それとも犯行動機か。


「オレは何も喋らねぇぞ、アニキの為にもなぁ!! 何の情報も得られないまま手ぶらで帰れよぁ!!」


「うん? 違う違う、君の事情には興味ないんだ、だから遺言とかお涙頂戴の過去とか要らないよ」


「……テメェ、いったい何を」


 ごくりと男が唾を飲んだ、死に急速へ迫る体が恐怖で震える、死へではない目の前のサラリーマンへだ。

 己の人生最後の言葉になるだろうそれに、男は怯えた顔で身構えると。


「――今日の晩ご飯、何作ればいいと思う?」


「……………………は?」


「だから晩ご飯は何がいいかなって話だよ、いやー、実は奥さんが居るんだけどね、ご飯作ってくれなくてさぁ……出前で凌いでたけど飽きて来ちゃったから僕が作ろうと思って、ね、何が良いと思う?」


 はは、と乾いた声が男の喉から漏れた。

 目の前の存在は、殺し屋と思われるサラリーマンは何を言っているのだろうか。

 狂ってる、殺そうとしてる相手に夕飯のメニューの相談などと正気の沙汰ではない。

 ――或いは、その様な存在でないと殺し屋などやってはいけないのか。


「~~~~~~っ!! ふざけんな!! カップ麺でも食わせとけ! ちなみにオレはカレー味が好――――――ぁ」


「貴重なご意見ありがと、じゃあさよなら……ってもう聞こえてないか」


 男は全てを言い終える前に、その首を切り落とされて絶命した。

 サラリーマンは何事もなかったかの様に懐紙を取り出すと、刀の血糊を拭いて納刀する。

 そしてスマホを取り出し「カレー レシピ」と検索したその瞬間であった、コツコツと足音が近づく音が。


「やぁ、お疲れさま不破っち。後始末はコッチがしとくから帰っていいぞ~~」


「ヨシダさん、いつもご苦労様です」


「ふふふ、それが俺らの仕事だからな! 不破っち達みたいな現場組が殺って、デスク組の俺らが仲介と後始末、それがゴトー・クリーニングサービスってもんよ!」


 近づいてきた同じくスーツの男、三十代で小太りの彼こそがヨシダ。

 サラリーマン・不破雷蔵(ふわ・らいぞう)と同じくゴトー・クリーニングサービスの従業員であった。

 な、かの会社は裏稼業の会社であるが故に、両名共に偽名ではあるのだが。


「ではお言葉に甘えて、僕はお先に失礼しますね。あ、この刀、そろそろ刃こぼれしそうなので。資材部に研ぐように伝えておいてください」


「オッケ伝えとく、お疲れ! ――って、ちょいまち!」


「ヨシダさん? 明日も現場が入ったのですか?」


「いや明日はオフィスで表の方だけども……そうじゃなくて、…………あー、いや、やっぱいい、ちょっと気になっただけだから」


 そう言われると雷蔵としても気になる、彼は手に持ったままのスマホをしまうとヨシダに向き合って。


「もしかして、この男をもっと苦しめて殺した方が良かったですか? 依頼主はそうとう恨んでいた様ですし」


「そっちじゃなくてな、その、なんだ? お前さっき気になる事を言ってたじゃないか……あー、奥さんがどうのこうのって」


「――――…………? ああ、そういう事ですか、ええ、聞いても問題ないですよ」


 ヨシダが口ごもった理由に思い至り、雷蔵は笑って許可を出した。

 殺し屋という職業柄、こうして組織に所属していてもプライベートを聞くのは御法度という風潮がある。

 だが雷蔵にとってヨシダは、この会社に入る前からの知り合いであり、この会社を紹介してくれた恩人でもあるのだ。


「お、そうか? いやぁ不破っちとはそこそこの付き合いだけどさ、細かいことは何も聞いてない訳じゃん?」


「そういう業界ですからね、僕も聞かれたくない事は沢山ありますし。でもこの会社の人なら、何よりヨシダさんなら問題ありませんよ」


「――いざとなれば殺せるから?」


「それもありますね」


「…………相変わらずサラっと言うなお前」


 率直に告げた雷蔵に、ヨシダは苦笑を一つ。


「ま、ヨシダさんには色々とお世話になってますから。恩義を感じてるんですよ? これでも」


「ううっ、かつては『殺戮人形』と呼ばれた不破ちゃんが……こんなにも表情豊かに……! 俺は嬉しい!」


「あはは……、まぁ、あの頃は不破の人形でしたから」


 不破、それは裏稼業の中でも古くから続く暗殺の名家として有名だ。

 雷蔵は三ヶ月前、故あってそこから出て独立した訳ではあるが。


「そーいや不破の話は最近聞かねぇよな……、ま、流石にそれは話してくれるワケねぇし」


「不破の話がご所望で?」


「少しは気になるってレベルだな、不破から独立したって割にはお前さん不破を名乗ってるワケだし。――そうじゃなくてな、…………嫁さんいるのか?」


「ああ、そこを聞かれてたんですか。ええ、実は結婚したんですよ」


 三ヶ月前、雷蔵は不破からの独立と共に結婚した。

 フリーで殺し屋を続ける事を考えたが、ヨシダの世話になる事を選び今がある。


「なぁなぁ、どんな嫁さんなんだ? 美人か? メシ作ってくれないって? 話してみ? 妻帯者としても先輩なヨシダさんが相談に乗ってやるぞ??」


「ははぁ? さては先輩風吹かせたくて聞きましたね?」


「興味本位も加えて良いぞ、なんたって可愛い弟分の事だからな! ――こんど嫁さん連れてウチに飲みに来るか? こんな職業だからな、そういうのに飢えてんだよ俺」


「あー、分かります分かります! そういう普通の会社員っぽい事したいですよね!」


 二人は死体の側で明るく笑いながら頷きあう、死体を片づけていた同僚達も笑いながら頷いて。


「んで、どーなんだ? 喧嘩でもしたのか?」


「そんな所です、機嫌を取る意味でも食事を作ろうと思うんですが、いやー、メシ作るのって初めてで色々悩んでるんですよ」


「ほほぉ、それは良いことだな、うん、先に謝っておくのも忘れるなよ、新婚時代の喧嘩だし絶対に根に持ってるからな向こうは…………ああ、思い出すなぁ」


 自分の新婚時代を思い出したのか、ヨシダは遠い目をして。

 周囲の同僚達もまた、深く頷いた。


(あれ? もしかして結婚してる人が多いのか?)


 これは雷蔵にとって、少し意外な事だった。

 不破という家で厳しく育てられ、幼少期から殺しをしていた彼にとって予想外の事であり。

 しかしならば、相談相手に事欠かないということでもある。


「――――ちなみに先輩、実はウチには包丁とか一切無いんですけど、料理するのに何が必要です?」


「そこからっ!? お前それでよく料理しようと思ったな!? つーか今までメシは!?」


「全部……出前です!!」


「嫁さん、メシ作らないんじゃなくて作れないのか?」


「うーん、見たことないけど作れる筈ですよ?」


「えぇ……??」


 どんな嫁なのだ、悪い女に引っかかってるのではないか。

 ヨシダの目には、そんな不安の光が浮かび。


「心配しないでください、全部知って結婚してるんで」


「…………お前がそう言うなら、でも何かあったら相談するんだぞ? お前は俺の可愛い後輩なんだからな?」


「はい、ありがとうございますヨシダさん」


「よし! んじゃあ……あー、白米の炊き方から教えた方が良いか?」


「流石にそれぐらいは出来ますって、取りあえずカレーでも作ろうと思うんですけど…………」


 雷蔵の言葉に、ヨシダと他の者は作業の手を止めて集まって。

 それから一時間後、死体の後始末の手伝いをしながら知識を得た彼はスーパーに寄ってから帰宅すると。


「――――今日は少し遅めの帰宅なのねクソ野郎? ヘマして死んだかと思ったわ? いえ、何で死んでないの旦那様?」


 扉を開けて一番、愛する妻の。

 髪の長い絶世の美女の罵倒に、思わず苦笑したのだった。


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