セーラー服の少女

@kain_aberu

その少女は……



 ある晴れた夏の暑い日。

 僕は、高校の校舎の屋上で、それを見た。

 それは……少女だった。

 白いセーラー服を着た、ポニーテールの可愛らしい少女、真夏の日差しの下にいるにも関わらず、その肌はとても白くて美しい少女。

 彼女は穏やかに微笑みながら、まるで母親の様な優しい眼差しで、校舎の屋上から下を見下ろし、沢山の生徒達を見ていた。

 僕は……

 ただ無言で、その少女の顔に見とれていた。


「……こ こんにちは」

 僕は、思わず少女に向かって言っていた。

 少女がこちらを振り返る。穏やかな笑顔が、こちらに向けられる。

 僕は……言葉を失っていた。

 その笑顔は、とても……

 とても、美しい。

 くりくりとした、大きな栗色の瞳がこちらに向けられる。まるで宝石のような輝きを放つその少女の美しい瞳に、僕は吸い込まれそうな錯覚を覚えた。

 美しい。

 素直に、そう思った。

 何故……初めて出会った少女にこんなにも惹かれるのだろう。

 解らない。

 けれど……

 けれど僕は……


「あ あの……っ」

 僕は、少女に向かって呼びかける。

 少女は、じっとこちらを見ていた。相変わらずそこには、優しい笑顔が浮かんでいる。

 僕は、言葉を紡ぎ出そうとした。

 けれど……

「……あ ええと……」

 言葉が、出て来ない。

 そもそも僕は、今まで女子とほとんど会話した事が無かったのだ、それもこんなにも可愛らしい、慈愛に満ちた、美しい少女と。

 でも。

 呼びかけたからには何か言わないと……

 何かを……

 しかし言葉は頭の中で空回りし、ろくに口から出て来ない。

 でも、何かを言わなきゃ……

 何かを……


「ぼ ぼぼ 僕と友達になって下さい!!」


 死んだ。

 僕は、思った。

 何だよ、これは……

 いきなり『友達になって下さい』とか。バカじゃないか? 初対面の、ろくに口も聞いたことのない男子にそんな事言われたら、女の子じゃなくてもドン引きだろうが!!

 僕は、完全に言葉を失って少女を……

 セーラー服の少女を見ていた。

「ご ごめん……」

 僕は、おずおずと少女に頭を下げた。

 そもそも、僕は……

 僕は、クラスメイトとろくに会話が出来なくて、しかも……

 しかも、クラスでは……

 僕は、そのまま少女に背を向けて、ふらふらと歩き出した。僕の様な人間は、こんな眩しい少女に声をかけてはいけないのだ、僕は……

 僕は、そういう人間なのだ。

 そう思いながら、ふらふらと少女から離れようとした時だった。


「……いい、よ」


 声がする。

 どこか、ぎこちない、まるで言葉を覚えたばかりの子供みたいな喋り方の……

 だけど、とても綺麗な声。


 僕は、恐る恐る背後を振り返る。

 少女は、こちらを見て微笑んでいた。

 そして。

「……いい、よ」

 少女が、もう一度言う。

「……い 良いって、それは……」

 僕は少女を見る。

 少女は、にっこりと笑って頷く。

「……こっち、来て」

 少女が……

 たどたどしい口調で言い。

 ゆっくりと。

 両腕を、広げた。

「……っ」

 僕は息を呑む。

 顔が熱くなるのを感じた。

「あ あの、と 友達になりたいっていうのは、そ その……『そういう』事じゃなくて、その、い 一緒に遊んだり、話をしたりとかですね……」

 僕はさすがにしどろもどろになって言う。

 だけど。

 少女はその言葉に、きょとん、とした顔でこちらを見る。

「……うん」

 少女が言う。

「……だから、こっち……」

 少女が、にっこりと笑う。

「……来て」

 僕は、何も言わない。

 どうすれば良いのか、解らない。

 だけど……

 少女の笑顔と、そして。

 吸い込まれそうな瞳の色。

 僕は……

 そちらに向かって……

 ふらふらと……

 歩き出す。


「……さあ」


 少女との距離が、徐々に近づいて行く。

 だが。


「……」

 思わず足が止まる。

 何か、変だ。

 そもそも……

 そもそもこの子は……

 誰だ?

 クラスメイトの中に、こんな少女はいない。

 他のクラスの女子達は、全員を知っている訳じゃないけれど……こんな目立つ女の子がいれば、さすがに噂になっているだろう。

 だけど。

 僕は……全くこの子を見た記憶が無い。

 このまま……

 このまま、彼女に近づいて良いのだろうか?


「……来ない、の?」


 少女が言う。

 僕は、黙って少女を見ていた。


「……貴方、が……」


 少女は言う。


「……望んだ、のに」

「望んだ?」

 僕は問いかける。

 それは……彼女と『友達になりたい』と言ったさっきの事、では無いだろう。その程度の事は僕にだって理解出来た。だけど……

 だけど、だったら……


「……嫌、なんでしょう?」


 少女が言う。

 僕は、まだ黙っていた。

 そして。


 キーンコーンカーンコーン……


 遠くの方から、チャイムの音がする。

「っ」

 そうだ。

 思い出す。

 僕は……何をしていたんだ?

 ここに……

 この屋上で、何を……

 何の為に……

 ここに、来たんだ?


「……虐め」


 少女が言った。

「……あ……」

 僕は微かに呻いた。

 そして。

 身体が、震える……

 その場に頽れる。

 そうだ。

 僕は……

 僕はここに。


 虐め。

 そうだ。

 僕はクラスメイト達から、虐めを受けていた。

 毎日のように殴られ、蹴られ、罵倒されて。

 教師も、親も助けてくれなくて。

 昨日まで親しくしていたクラスメイト達も、自分が虐められるのが嫌で、すぐにまた虐める側に回る、そんな事の繰り返しで、人を信じる事も出来なくなって。

 そしてこの屋上に来て。

 そして。


「……辛い、でしょう?」


 少女の声。


「……でも、もう、大丈夫」


 僕は顔を上げた。

 少女が、微笑んでいた。


「……さあ」


 少女が、言う。

 僕は、立ち上がる。


「……みんな、待ってる、よ」


 少女が言うのと同時に。

『さあ……』

 声が、響いた。

『さあ、行こう』

『みんな一緒だよ』

『怖くないよ』

『寂しくないよ』

『痛くないよ』

『苦しくないよ』

『楽しいよ』

『楽になれるよ』

『何もかも終わるよ』

『解放されるよ』

『さあ』

『楽になろう』

『楽になろう』

『楽になろう』

『楽になろう』

『楽になろう』


 声がする。

 沢山の声。

 開けた屋上にいるはずなのに、まるで狭い空間で大勢の人と一緒にいるみたいに、前後左右あちこちから声が……

 声が……

 声が、響いて……

 そうだ。

 楽に……

 楽に……

 僕は、歩き出す。

 少女は、両手を広げていた。

 そして。

 僕も、両手を広げ……

 少女と……

 ゆっくりと……

 抱擁を交わした。


 翌日。

 とある高校で、一人の男子生徒が自殺した。

 この男子生徒は、同級生から虐めを受けており、それを苦にしての自殺、という事で、警察は事件を処理した。

 そして。

 男子生徒が飛び降りた、とおぼしき学校の屋上は、当面の間閉鎖され、生徒達の出入りは禁止となった。

 だけど……

 だけど……


 『彼女』は……

 そこにいる。

 今日も、穏やかに……

 穏やかに、微笑みながら……

 屋上から、みんなを見下ろしている。

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